美味しいクッキー
中に入ると、ラザレスが扉を閉めたようだった。
ティナは人見知りをするわけではないが、知らない場所を散々通ってきて、ようやく一心地つけそうな空間となった……。
しかし、何となく、落ち着けなさそうな部屋だ。
物理的にきらきらと押し付けがましく耀いているのではないのに、ここまで見てきたと同じく、部屋全体も「身分が高い人の部屋」のようだった。
そんな部屋、想像もしたことがなかったのに、いざ見てみるとそう思う。
置かれている家具一つ取っても、家の棚や机と違ってざらざらせずに、つるつるしていそうなもので、ぴかぴかとも表現できる。
どういう材質、作りなのか。
おまけに飾りもついていて……宝石だろうか。
天井の吊り下げられた灯りは、完全に見るからに豪華な趣だった。
また、部屋は想像以上に広く、これが一室なのだから、もて余してしまいそうな広さだ。
総じて落ち着けなさそうな部屋。慣れ親しんだ部屋に帰りたいと早々に思ってしまった。
「ねえ、私が入る前、何をしていたの?」
白いテーブルと白い椅子があり、白い椅子の一脚に座った。
そこでようやくラザレスの手が離れ、ラザレスももう一脚の椅子に座り、何やら周りを見ている。
「至るところに毒が塗られてた」
「毒?」
「ドアノブにも、部屋の中でも触りそうなもの全てに」
ラザレスは鼻で笑ったが、ティナはびっくりした。毒とは、耳慣れない。
とりあえずどこに、と椅子や身の回りを見てみたが、「もうない」と言われて、実感が湧かないまま視線を戻す。
「毒って、どうして毒?」
「お前を消すためにだ」
「消すため?」
「お前を殺すためってことだ」
率直な言葉に、ティナは大きく瞬く。
「私を?」
「ティナ、お前は今王位継承権を持ってる」
「うん」
こちらを真っ直ぐに見る金色の瞳は、真剣だ。
「継承権に決められた順位はない。全員が俺たちに選ばれ、王位につく権利が平等に生まれる。王位に誰がつくかって決めるのは互いだ。王位につきたくないなんて思う奴はまずいない。王位につくために、他の候補者を消すことが普通だ。今、お前はその対象に入ってる」
「……『消そう』と思われているの?」
「そうだ」
「それは……中々怖いわね」
「本当に思ってるか?」
「うん」
中々上手く実感が湧かないだけで、もちろん。
「そんな必要ないのに」
ぽつん、と言うと、ラザレスが目を細くした。
「どうしよう、今日は王子様に会えないのよね」
全く実感はないが、命を狙われるのは遠慮したいところだ。
しかし当の本人は今日は忙しいので会えないらしい。困ったものだ。
「心配するな。お前に危害は加えさせない」
『まあまず僕らが気がつくから、ティナは忘れておいていいよ』
「そう?」
『そう。王子様っていうのが本当に忙しいのかは知らないけど、あっちが会いに来るまでのんびり待ってやればいいよ』
そう言うなら、そうかな。とティナは現実味の湧かないことは現実味が湧かないままだった。
『愛しい子』
春の穏やかな陽気を思わせる、優しい声が聞こえた。アルヴィーではない。上から、周りから、聞こえた。
けれど姿は見えなくて、何か柔らかな気配だけがある。精霊だ。
「こんちには」
『こんちには、愛しい子』
『お名前は何と言うの? 教えて』
「私はティナ」
気がついてしまえば、囁きが周りに広がっていた。
姿が見えない精霊たちは、ティナの周りに寄ってくる。
「精霊が少ないような気がするわ」
『ティナがいた場所に特別精霊が集まっていたから、ここは少ないと感じるだけだよ』
精霊の気配を感じると、落ち着かない内装と慣れない空気感の中に、馴染みのある空気が生まれた気がした。
初めて会う精霊たちの気配を感じていると、扉がノックされて、何かと思えば数人の女性が入ってきた。全員同じ服装をしている。
彼女たちは押してきたワゴンに乗せてきたティーポットから、ティーカップにお茶を淹れ、テーブルの上にお菓子を出した。
崩してもいいのだろうか。あまりに綺麗に盛り付けられており、お菓子というより観賞するための芸術品のようなお菓子だった。
しかしどうぞと言われたため、さまざまなお菓子の中からクッキーを取った。クッキーの輪が崩れた。
パイはなかった。
「このクッキー美味しい」
「警戒心ゼロで何でもかんでも食べるなよ」
「何でもなんて食べないわ」
「……まあ浄化してるからいいけどな」
「クッキーを浄化?」
クッキーを食べながら首を傾げると、行儀悪くも頬杖をついたラザレスが言う。
「ティナ、ここで出されるものを出されてすぐに口に入れるようなことはするなよ」
「すぐなんて行儀が悪いことはしないわ。ちょっとは待つもの」
「そういう意味じゃなくてな……」
ラザレスはそのまま何か続けそうに見えたけれど、口を一度閉じて、美味しくクッキーを食べるティナを見てから口を開いた。
「俺がいいって言ったら食べてもいい」
「……? ラザレスがいなかったら?」
「俺はお前の側にいる。万が一、もしもいなくても、そこのキツネがいるだろうよ」
『ティナ、むしろ僕を頼ってくれていいんだよ』
絨毯の上に座っているキツネが自信満々に請け負った。
何やらよく分からないが、とりあえず「うん」と言って頷いておいた。クッキーが美味しい。止まらない。
……と、いうところで視線に気がついて、黄金色の目が見ているものが、クッキーだということに気がついた。
本当に分かってるのか、と言いたげな目だ。
ティナはたった今の話を思い出した。ここで出されるものは、ラザレスがいいと言ってから食べること。
城のことはよく分からないから、よく分かっているであろうラザレスに従うが賢明だろう。
そう理解して、ティナは新たに手にしたクッキーを示す。
「じゃあ、これはいいの?」
「いやお前、今さらすぎるだろ。何枚食べた後だよ」
何枚、と言われて皿の上を見た。いつの間にか結構減っている。
……もしかして、見ていたのは食べたかったのだろうか。
「ラザレス」
「何だ」
「口、開けて」
「なんで」
「いいから」
開かれた口、今気がついたが、犬歯が獣のように鋭かった。
それはさておき、口の中にクッキーを入れてやる。
「……おい」
「美味しいでしょ?」
クッキーを入れられたラザレスは、無言で咀嚼しはじめた。しかし、分かりやすくなった表情は、美味しそうにはしなかった。
アップルパイは食べるので、甘いものが苦手というわけでもないだろう。味が好みではなかったのだろうか。それともクッキーは嫌いなのか。
ティナには食べたことがないくらい美味しいとしか言いようがないもので、また一枚取って食べる。太るだろうか。
「どうしたらこんなに美味しいクッキーができるのかしら」
レシピが知りたい。
いや、それより、これほど美味しいクッキーが焼けるのであれば、アップルパイも美味しく作れる人なのではないだろうかと思いを馳せる。
「ちょっとは警戒しろ」
「え?」
「お前は一度は気にするが、実感が湧かなければすぐに忘れる……。まあいいが、無防備になれとは言ってないから、知らない場所で知らない人間に出されてるものだってことだけは頭に置いておいてくれよ」
「うん? ──うん」
分かったような分かっていないような返事を二度に分けてしたが、ラザレスはもう何も言わなかった。
そうだろうな、と言うような。そんな反応が来ると予想していたかのようだった。
「アルヴィーも食べる?」
『ティナのアップルパイじゃないならいらない』
白いキツネにもお裾分けしようと思ったら、キツネはそんなことを言った。
アップルパイを持って来れば良かっただろうか。
「帰ったら作るわね」
早く帰ることができればいいな、とティナはクッキーをまた一齧りした。
部屋は落ち着けそうにはないが、お菓子は美味しい。