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出発準備



 次の日、ティナはいつものように朝早くに起きた。


「おはよう、ティナ」

「おはようございます、お父様」


 最初に会ったのは父で、続けて父がティナの足元を見て穏やかな笑顔で「おはよう」と言って、黒い犬が現れていたことを知った。


「おはよう、ラザレス」


 ラザレスは昨日森から出たときから、また犬の姿に戻っていた。

 この犬は基本的にティナの近くにいるが、朝起きると気がつけば側にいて、寝るときはいなくなっているので、夜ティナが寝ている間どこにいるのかは不明だ。

 森にでも行っているのだろうか。今でも分からない。お気に入りの秘密の寝床があるのかもしれない。

 犬の姿をしたラザレスと出会ったのはここ数年だったと思う。昨日の話によれば、目覚めたのがその頃だったのだろう。

 どのように現れ、どのような出会い方をしたのかはもうはっきりとは覚えていない。気がつけば側にいた。

 物心ついたときから、動物の姿を借りた精霊が現れたりして、珍しいことではなかったのだ。

 ティナとて、犬と出会ったときは、話すことと不思議な色の瞳から精霊だと思いこんでいた。


 ティナの両親は元からティナの周りにいる動物が精霊であるらしい、と知っているのでラザレスが来たときもすんなり受け入れていた。

 ただの犬でも受け入れていただろう。

 どうやら精霊の声というのは精霊が届けたいと思わなければ届かないので、ほぼ動物という見方なのかもしれない。

 母とも会い、おっとりとした笑顔を浮かべる母も、ティナに「おはよう」と言ったあと同じように犬に挨拶をした。

 両親と朝食をとると、ティナは台所に向かった。


「あ、お父様とお母様についでに言っておけば良かった」


 台所に行ってから、思い出した。今日の昼から出かけるので、両親に行ってから出かけなければならない。

 父や母は家にいるだろうか。その可能性は低かったが、今から引き返して言いに行く気にはなれず、後でいいかと気を取り直す。


「今日中に帰って来られないわよね」

『さあな。場合による』


 行くのにも、時間がかかりそうなのに。

 王都はどれくらい遠いのかも分からないので、何日という計算ができない。

 そんなに留守にするとして、両親に何と言おう。これまで外泊なんてしたことがないのだ。


「お父様やお母様に反対されないかしら」


 おっとりとした両親だけれど、毎日家に帰るにも日が暮れる前にと言われている。

 以前、精霊が集まっている森に時間を忘れていたときは、夜になっていた。

 森を出ようとしていたら、よく知る領民の一人であるおじいさんに会ったのだったか。

 昔、王都で精霊の力を借りられる人として仕事をしていたらしいおじいさんは、普段人が入らない森にティナがいるのではないかと父の相談を受け、森に入ってきたのだとか。

 そのときはまだ小さな子どもであったこともあり、大層心配されたと記憶している。


「事情を話せば、分かってくれるわよね」

『今からだと時間がかかるぞ』

「そう?」


 確かに突飛もない話かもしれない。ティナもびっくりしたのだ。

 それに、考えると、何も全てを話さなくてもいい気がする。

 王都に行って、王位継承権とやらを手離して帰ってくるのだから、その辺りはなかった話になる。


「そうね、王都に行ってきますとだけ言うことにするわ」


 そうすると問題はなぜ行くのか、という点になるだろう。

 ……こちらを考える方が難しいかもしれない。嘘はつきたくない。だからと言って、限られた範囲内で納得させられるように話すのは難しく思える。

 ティナは台所の端に置いておいた籠を台の上においてから、止まってしまう。


「駄目、ラザレス。どうしてって聞かれたら、答えられるものがないわ」

『だろうな。お前は嘘つかないしな』

「どうすればいいと思う?」


 邪魔にならない場所に座っている犬は、前肢に乗せていた頭をそのままに、目だけ動かしてティナを見る。


『単に出かけるとだけ言っておけばいい。嘘にならない』

「でも帰って来られないから、それも伝えると理由がいるわ」

『出かけるとだけ言って行けば、後は俺がどうとでもしてやる』

「どうとでもって?」

『どうとでも。お前が帰って来なくても不思議に思わないようにしておいてやる』

「どうやって?」

『そう()()()()。それだけだ』


 思わせるの意味するところは、具体的には分からないが、ラザレスがそう言うのであればそうできるのだろう。


「私がいなくても気がつかないって、何だか寂しいわね。忘れられるみたい」

『他に方法があるか?』

「ううん。ちょっと思っただけ。じゃあ、そうしてくれる?」


 ティナは行かなければいけない。

 頼むと、犬は『分かった』と目を閉じた。

 さて、問題は解決したことだ。ティナは台の上に置いた籠の中からリンゴを取り出す。

 昨日もらったもので、昨日では使いきれなかったのだ。使う分だけ出してもまだ少し残る。とりあえずリンゴの皮を剥いていく。


『一応聞くが、どうしてジャムを作りはじめるんだ』

「アップルパイも作るわよ」

『……答えになってないぞ、それ』


 ジャムを作る予定は昨日から立てていて、昨日は作らなかったから今日作っているのだ。

 リンゴ食べる?と聞いたが、食べないと言われた。

 ティナはリンゴをいくつも剥き、適当な大きさに切り、着々とジャム作りを進めていく。教わってからもう何度も作って、一人でも出来るようになった。

 しばらくすると、部屋の中にはリンゴを煮詰めた香りが充満していく。


『ティナ!』


 一瞬、風が起こり部屋の中の香りが薄くなったと思えば、白いキツネが姿を現していた。


「アルヴィー、おはよう」

『おはよう』


 宙から床に降り立ったキツネは、くんくんと鼻を動かす。


『いい匂い!』

「ジャムがもう少しでできるの。アップルパイも作るわ。どれくらいで帰って来られるか分からないから、今あるものは先にジャムにしてしまおうと思って」


 この季節、リンゴだけでなく他の果物も増えていく。毎年、すぐには使いきれないから、順に保存できるような形にするのだ。

 ティナの仕事でもある。


『道中は一瞬だけどね。あ、僕も行くからね』

「アルヴィーも来るの?」

『行くよ。ティナが行くんだから』

「森にいなくてもいいの?」

『あの森にいたのは、ティナがいたからだよ。あの森に精霊が集まったのも、ティナがいたから』

「そうだったの?」


 ティナは何となく理解して、そうなのかと頷いておいた。

 どうやら自分は精霊を集める体質らしい。昨日聞いたことに、微妙に新たな要素が加わった。

 ジャムを作り、アップルパイを作り終えた頃には、すっかり昼を回っていた。

 部屋に戻って、急いで出発する準備をしようとした段階で、ふと気がつく。


「……こういうときって、何を持っていけばいいの?」

『手ぶらでいい』

「何も持っていかなくてもいいの?」

『ああ、どうせあっちが用意してる』

「でも、道中とか……」

『行くのは一瞬だ』


 行くのは一瞬、と、さっきもアルヴィーが言っていた気がする。

 犬を見ると、『一瞬だ』と言う。

 一瞬らしい。そう言うのなら、そうなのだろう。

 ティナは精霊がどんなことまで出来るのか、知り尽くしているわけではない。

 ただ、彼らが出来るといえばそうなのだということは知っている。ティナが想像もできない不思議なことをするところは、何度か見ているから。


 服を着替えようと思ったけれど、このままでいいかと結論を出して、結局何もせずに部屋を出た。

 行くのが一瞬なら、自分を城に呼んだ人と話をして、今日中に帰って来られる可能性が出てくる。

 それなら最初から、どのようにして行くのか聞いておけば良かった。遠い王都への道のりを想像してしまっていた。

 いつものお出かけのようなものだ。後は出かける旨を伝えるだけだ。

 ティナが家の中を歩いていると、ちょうど母に会った。


「お母様、お父様は?」

「畑に行かれたようよ。お父様に用事?」

「いいえ。お母様、少し出かけてきます」

「そう。暗くなる前に、夕食までには帰って来るのよ」


 帰って来るとは完全には言えないが、万が一帰って来られなくても、ラザレスがどうにかしてくれると言っていた。

 だからティナは曖昧な方向に首を動かして応える形をとった。少し心苦しい。

 父は家にいないようだが、母に伝えられたから父にも伝わる。

「いってらっしゃい」との言葉に「いってきますと」と答えて、ティナは外に出る。

 今日も空はよく晴れ、風が心地よい。

 隣では、黒い毛並みの犬が消え、代わりに男が現れた。


「王都ってどんなところかしら。たくさん人がいるのよね」


 多くの人がいて、他の国からも人が来て、最も栄えている場所だと聞く。

 どんな光景が広がっているのだろうと思って、城とはどんなに見事なものなのかと思うと、少し胸が踊る心地がする。

 もちろんこの土地は好きだけれど、興味はあるのだ。わくわくする。


「言っとくけどな、ピクニックじゃないからな」

「うん」


 ラザレスは本当かよ、という風に片眉を上げた。信用していないみたいだ。

 それにしても本当に、表情が分かりやすくなったものだ。当たり前か。


「じゃあ行くぞ」


 差し出された手に、手を重ね、ティナは頷いた。







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