招待状
キツネと話を終えたティナは、こちらに背を向けているラザレスに視線を向けた。
姿が人間になっただけで、いつもとやっていることが同じな背中をじっと見ることしばらく。そっと近づき、手を伸ばす。
「……おい、痛ぇよ」
わしゃわしゃと頭を撫ではじめると、すぐに抗議の声が上がり、顔がこちらを見上げる。
「うん、ごめん」
「思ってないだろ」
「思ってるわよ。ごめんって」
「思ってる奴は行動を止めて示すんだよ」
「うん」
確かにティナは、ラザレスの髪の毛を撫でることを止めていなかった。いつも黒い犬にしていたことと同じように。
けれど犬の毛を撫でるのと違って、人の姿となると髪をひどく乱してしまった感じがして、手を止める。髪を手で解かして、申し訳程度に整えて、見る。
形は変わったけど、やはりその目や雰囲気は――
「うん、ラザレスはラザレスね」
「何だそれ」
今度は、ラザレスが笑って、ティナに手を伸ばした。触れれば壊れるものを扱うように、そっと髪に触れられる。
「どうして最初からこの姿でいなかったの?」
「知らない男が彷徨いてるより、犬の方が自由で怪しまれないだろ」
そんなものだろうか。ティナはいまいち理解できずに、首を傾げる。
ああでも、確かにこののどかな土地は、知り合いばかりで見知らぬ人が現れることは中々ない。そういう意味では、そうかもしれない。
さっき見た銀髪の男性が町中に現れたとすれば、皆見とれたあとには、好奇の目を向けただろうから。
そういえばラザレスもよくよく見ると身なりがいい。と思っていると、ラザレスのズボンのポケットから若干折り曲がっているものを見つけて、ついでにすっと引き抜く。
「これ、さっきの人?にもらったものよね。何なの?」
「城に来いって話だ」
「ラザレスに?」
「俺と、お前に」
「私にも?」
封筒の中には一枚のカードが入っていた。
黒いインクで刻まれた流麗な文字。城へ招待する旨が記されており、今ラザレスが言ったことをティナは読んだ。
「どうして私も?」
「俺がお前が玉座に最も相応しいと選んだからだ」
「……?」
「『神の獣』である俺が選んだってことは、お前は王位継承権を持ってるってことになるんだよ」
「王族でもないのに?」
「さっきの俺の話とアルヴィーの話聞いてたか? 今の王族がこの地を治める位置にいられるのは、王族だからっていう理由じゃない。俺たちが選ぶからだ」
「つまり?」
「俺が選んだからには、お前は王位継承争いの中にいるってことだ」
王位継承権とやらを持っていると言われても、中々現実味がないが、争いと聞くと物騒なものだと思う。さらに、王族がいるべきその中に自分がいるとなると……。
「えぇ」
「あからさまに嫌そうな顔するなよ」
「だって……何だか急すぎるわ」
どうにか心境を言葉にして、ティナが首を傾けると、ラザレスは黄金色の目をすっと細めた。
「何?」
「いいや? 俺も出来ればお前にはゆっくりさせてやりたいけどな、俺たちの存在意義は王を選び、玉座に導き、一生その側にいることだ」
「神の獣だものね」
「そうだ。――そして俺はお前を選び、お前の側にいることを選んだ」
それが急だ。
ティナの顔の横に流れてくる髪を耳にかけて、顔が見えるようにする指がつ、と頬を辿る。
「俺が勝手に見つけて、勝手に印つけて、勝手に色々勝手にしようとしているのは事実だ。ごめんな」
「思ってないことは言わない方がいいわよ」
「思ってるって」
それならいいのだけれど。
ティナは手にしているカードに目を落とす。どうやら自分は、この国の王候補を決める権限のある神の獣に選ばれ、知らない内に、想像もつかない雲の上の争いの中にいるらしい。
そして、城へ招待する、つまり城に来るように記されている文字を確かめるように黙読する。何度見ても変わらない。文面も、文字の綺麗さも。
城と言っても、王都の城ということになるのだろうか。
ティナは一応貴族の娘だが、貴族とは名ばかりの末端のため、城になんて行ったことがない。
王都にも行ったことがなく、この地で生まれて、この地で育ってきた。
領主と言うより、自分で耕す畑も持ち外にいる方が長く、領民に混ざり同じように過ごしている両親と同じように。のんびりと。
行かなければならないのだろうか。王都とはどちらの方向だろう。
カードは同じ文面を見せるだけで、答えは教えてくれない。
「これって誰からなの?」
「名前は書かれてないのか」
「書いてあるわ。『エドガー』ですって」
「他の継承権保持者の誰かだろうな」
「王族の方?」
「たぶんそうだな」
ティナは王族の全員の名前は知らない。国王と王妃の名前を知っているくらいで……。聞いたことはあるかもしれないが、分からなかった。
ラザレスも名前を聞いても詳しく誰だとは知らないのか、細かな答えは返って来なかった。だがやはり、王族の方ではあるらしい。「エドガー様」と言うべきだった。
「お城に来るように招待してくださるなんて、どうしてかしら。……あ、王位継承権?について話しましょうってこと?」
「話すだけならいいな」
王族ではないティナが選ばれたから。
争うなんて言われたけれど、殺し合いであるはずがない。
ぎすぎすとした蹴落とし合いがあったこともあるのかもしれないが、一人に決めればいいのであれば、話し合いだってされてきたはずだ。
それなら一々呼ばなくても手紙で譲るのに、とティナは思う。
「他の継承権保持者の方って何人いるの? ええっと、神の獣が五柱で、ラザレスがここにいるから……四人?」
「今は三人だ」
「今は?」
「一年前に、継承権を持っていた内の一人、第二王子は死んだからな」
「亡くなったの?」
「ああ」
それは知らなかった。この土地まで届いてきていないのだろうか。
「今生きてるのは第一王子、第二王女、第四王子か」
「第一王女と、第……他の王族の方は?」
「権利を持ってない。言っただろ、獣は全部で五。権利を得るのも最大五人まで」
王位継承権を持っているのは第一王子、第二王女、第四王子ということ。
それにしても、ティナが選ばれてしまった分、王族の席が一つなくなってしまったことになるのではないだろうか。
「まあ知らなかっただろうな、お前アップルパイばっか食ってたからな」
「アップルパイだけじゃないわ」
「はいはい」
確かに知らなかったことは事実だ。しかしアップルパイばかり食べていたとは心外である。
「あ」
カードを封筒に仕舞おうと思って封筒を手に取ると、光の加減で何かが見えた。
「すごい、何か模様が入ってる」
「聞いてたか?」
「うん」
お洒落な封筒だ。太陽に透かすようにして封筒を空に向かって翳してみる。
聞いていたか、とはさっきまでの話だろう。
さて、このカードの送り主は、王族の方であると判明してしまった。どうりで字が綺麗で、美しい模様の入った封筒とカードであるわけだ。
「招待は受けなければ失礼よね」
「行くのか」
「行くつもりじゃなかったの?」
「行くつもりだった」
じゃあ行こう。ティナが言うと、ラザレスは笑ったけれど、どことなく悲しげにも見えた。
「日にちは書いてなかったけれど、いつ行けばいいと思う? それより、どうやって行けばいいの?」
王都、城に。うーんと考え込む。
「お前が行くなら、俺が連れていく。いつでもいいだろ、行こうと思ったときで。いつ行きたい」
「出来るだけ早くに。――明日行こう」
「はいはい、明日な。朝か、昼か、夜か」
「そうね……お昼過ぎに行きましょう」
仰せの通りに、と言ったラザレスが瞼を閉じたから、黄金色の瞳が見えなくなった。