そして獣は
神の獣とは、最初に地上を任された人間の、特に長の側にいるために作られた存在だ。
時を経て、複数いる獣が各々別々の王候補者を選び、争い、残った候補者一人が王位につくようになった。獣の姿の数は、大抵は一柱だけとなった。
だが、その役割は基本的には変わらない。王の側にいる。そしてその土地の人間を時に精霊から、今では時に他の国の人間から守る。
王位継承権を保持した人間でも、その権利を手放すことができる。また、主が他の候補者に従う意思を誓えば、その獣はその候補者に従うことになる。
神の獣は、勝ち王の側にいるか、負けて眠るか他の候補者に従うかだ。
忘れさせても、どうせまた見つかる運命にある。
神の獣には他の神の獣の気配が分かるから、探そうと思えば探せる。今回見つかったのも、そういうわけなのだから。
ラザレスは、腕の中に倒れたティナを見下ろす。穏やかに眠る顔は、あどけない。
「お前は変わらない。同じ行動して、同じこと言いやがって……これで二度目なんだぞ」
城に来て、命を狙われていることもそこまでぴんと来ず、王位継承権はいらないと言い、帰ろうと言う。
そんな言動が苦しくもあり、愛しい。
『そういう君も、同じ事をしている』
ずっと黙っていた精霊が近づいてきた。眠っているティナに、キツネの姿の鼻面で触れる。
『結局君が玉座から遠ざけてるんじゃないか』
「俺はティナを危険な目には遭わせたくない。ティナがいるべきは、こんなところでもない」
『じゃあ隠れていればいいじゃないか』
「無理だ」
『獣の意志がそれを許さない? ――難儀な身の上だね君は。そして、これ以上なく愚かだ』
「うるさい」
自覚しているからこそ、そう返すことしかできなかった。
力が抜けたティナの体を引き寄せ、抱きしめる。
『まあティナが危険な目に遭うのは嫌だから隠しておいた方がいいかもしれないとは僕も思うけどね。一方で、他の汚ない人間がその座につくのはおもしろくない。迷いものだ』
王になれば、身に危険が及ぶことも多くなるだろう。そう考えると、そんな地位につけるべきではないと思う。
『でも結局は無理強いはしたくない。それにやがてこの地が滅ぶとしても、今はティナが幸せならいいし、僕はティナのいるところにいられれば幸せだから。だから僕は隠れてしまうのも手だと思ってる。全力で隠してみせるよ。──だけど、君は違うんだ』
また、同じことを繰り返す。
自分はそうせずにはいられない。
結局はティナの望むままに、と言う精霊が羨ましくて仕方なかった。
ただの精霊であれば、ただティナが望み、いる場所で何も悩むことなく、巻き込むことなくいられたのに。
『君は本当に愚かな獣だよ。また一人排除しておいて、また帰るんだ。揺れて、揺れて、まだどちらにも振り切らない。振り切れないのかもしれないとは、分かるけどね。見ていて愉快なものではないよ』
精霊の言葉が突き刺さる。
うるさい、と声にはならなかった。そんなことは分かっていると、言い返したかった。
だが言っても、事実は変わらない。
また一人、候補者を消した。しかしまたティナの生まれた地に帰る。知らないふりをして、帰る。
王にと望むのなら、このまま戦いを続け、決着をつけてしまうべきで、避けるように帰るべきではない。記憶をすり替えるという真似もするべきでは、ないのだ。
この行動が意味するところは、迷っている、ということだ。
ティナを見つけ、選んだ時点でするべきことは決まっているのに。
揺れている。揺れてしまっている。ここに来ても、候補者を退けても、この期に及んで。
「……今回で二人目か。なあ、ティナ。お前が進んで王になってくれるか、無理矢理なるか二つに一つしかないんだ」
ラザレスは、腕の中で眠る顔を愛しげに見て、そっと頬を指先で辿る。
自らが選んだ主に危害を加えようとする者全てを、獣は退ける。全ては他を排除し、主を王位につけるため。
「お前に玉座を、俺のティナ」
どれだけ迷おうと、最後は、決まっているのだ。
「……次は腹くくって、説得しないと駄目だな」
玉座につかないと、主が帰ってしまわないように。神の獣は選んだ主人を玉座につけることしか考えられないのだから。
それなのに、そんなところに恋情が絡むとおかしくなってしまう。
声にして言ったばかりのはずが、顔を見ていると、すぐに頭を出してくる思いと感情がある。
「……全部忘れて、お前と、こことは全く関係ないどこかに行って、のんびりしていられたらいいのにな」
本当はどこかに、一緒に、行ってしまえたならいいのに。誰もいない、二人だけの世界に。
ああ、いっそ、何のしがらみもない世界を作ってしまおうか。愛するお前と、使命を忘れて過ごせる世界を。
けれど、そうするときっと、神の獣の存在意義はない世界だ。
「ままならないなあ」
獣は、哀しげに笑った。
──矛盾だった。
神の獣としての本能が、選んだ主をいち早く玉座につけるべきだと叫ぶのに対し、このままティナの望むままに何もしがらみがない場所でのんびりと暮らしたいという想いがある。
それらが絶えず、混ざり合い、相反する態度を取る。
ティナの望むままにしたり、玉座につけようと願い、行動し、懇願したり。自分でも自分が分からなくなっている。
逃げてしまえばいい。隠れてしまえばいい。そう思うのは山々だが、簡単にはいかない。
──「じゃあ帰ってしまおう。ラザレスを渡すように言う人たちばかりなら、隠れておきましょう」
あの言葉は、甘い、甘い響きを持つものだった。ああそうしたいと、心の底から思った。
昨日、アルヴィーが『手紙でも残して去れば、人間達は都合よく解釈して、残った者だけで王を決めるだけさ』と言ったように、そうしてくれる可能性もあるのかもしれない。
でも行き着く最後は決まっている。本能には逆らえやしない。
王位継承争いに勝つか、負けるか。
負けることは絶対にあり得ない。反面でティナを危険な目に遭わせたくない。だが眠らず、側にもいたい。
どれかを譲れば、何かを得られるかもしれないのに、どれも譲りたくはないのだ。
だからせめて、そのときまでのんびりした日々を。
「ティナ、俺がお前の側にいたいと願うのは、お前が精霊の愛し子だからじゃないんだ」
獣である自分が、恋をしてしまい、愛しているからだと伝えられる日は。伝えても良い日は、来るのだろうか。
選んだ主でもあり、愛した人間を抱いた獣は、城を去った。
──その日、城で、神の獣の一柱に選ばれし第一王子が死んでいるところが発見され、神の獣の一柱が眠りについたという。




