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王子様




 昨日会えなくて、今日も会えなかった王子様。

 部屋の中に入ってきた王子様は、今日会った王女様と同じ髪の色と目をしているばかりか、顔立ちもそっくりだった。

 彼の後ろには銀色の髪をし、黄金色の目をした男性が立っている。

 ラザレスの同じような色の目……他の神の獣だろうか。

 返事をしないうちに入ってきたため、ティナはお風呂上がりの格好のまま、顔を合わせることになった。王子様を待たせるわけにもいかない。


「こんばんは、私がエドガー。この国の第一王子だ」

「お初にお目にかかります。ティナ・ウェストと申します。こんな格好で申し訳ありません」

「ああ、もう夜だから。気にしなくても良い」


 その通りで、もう夜だ。こんな時間に呼び出されるどころか、訪ねられるとは思ってもみない。


「お忙しいとお聞きしていたので、お会いできて驚きました」

「そう、忙しくてね。夜にしか時間が取れなかった」


 なるほど、そういう訳で。時間を見つけて、来てくれたということなのだ。

 とにかく会って、ここで話をすれば、明日会えるかなということを考えたりしなくてもいいことになる。

 王子様が会いに来た理由は一つしかないし、する話も一つしかない。

 ティナは早く話を終わらせたいなと思いながらも、そういえば王子様に他に言わなければならないことがあった気がする……。というところで、足元のキツネを見つめた。

 お風呂でアルヴィーが、確か……精霊がこの地から離れようとしているとか。

 それを教えてあげておけばいいのでは。

 でもまずは違う話からだ、と思っていると。


「まず、ここまでの非礼を詫びよう」

「……非礼?」


 王子様が謝罪を口にしたので、思わず繰り返していた。

 非礼とは、何だ。礼に欠けたこと、失礼なことだろうが……。

 思い返してみて、ティナが思い当たる節と言えば、今まで会えなかった点だろうか。それは王子様であるから、仕方ないのでは。


「どのような者か見極めるためのことだった」


 しかし、付け加えられた言葉に「どういうこと?」となる。どんな者か見極めるために……わざと今まで会わなかった、ということだろうか。

 王子様に会うには、そんな関門があるのか。そう言うのなら、あるのだろう。何しろ国で最も高貴な一族なのだ。ティナがすんなり会える方がおかしい。


「いえ、当然のことだと思いま――」

「あらゆるものへの毒と、今日のことがか?」


 遮られた。遮ったのはラザレスで、見ると、冷たい表情をしていた。いつの間に、そんな表情に変化していたのか。


「そのようなことで死ぬ者ならばそれまででしょう、神の獣よ」


 ラザレスに鋭い目を向けられている王子様は、涼しげな笑顔を浮かべたままだった。


「はっきり言って、殺してしまおうかと思ったのは事実。王族ではない者が選ばれ、そんな者を選ぶ神の獣はいらない」

「選ばれる側がよく言えるな」

「そう、私は正当に選ばれるべくして、選ばれた。二百年眠っていたとされる獣が目覚めたと思えば、城の外から貧しい血の娘を拾ってきたのとは訳が違う。眠りすぎて、お前は壊れてしまったのだろう」

「言ってろ」


 始まった会話に最初はついて行けていなかったティナも、ところどころの単語で、ラザレスと自分のことを言っているらしいと理解した。

 貶す言葉が聞こえた気がするのに、王子様がにこやかに話すので、首を傾げるような感覚になる。


『言われるね、ラザレス。言われ放題だ。神はやがて愚かになってしまう人間に力を与えすぎたよ。こんなに君たちを道具みたいに見ているんだから』


 足元にいるキツネもまた、王子様を見ていた。青い瞳には温かさがなく、氷のように冷えている。

 その声が聞こえたのかどうかは、分からない。ティナがキツネを見ると、王子様もキツネに目を留めて、一層微笑んだ。


「さて、本題に入ろう」


 その言葉に、ティナは顔をあげた。王子様と目が合う。


「ティナ・ウェスト、お前が持つ王位継承権を棄てろ。これは命令だ」


 王族から、単なる地方の小さな領地の主の娘への命令。普通なら逆らえるはずもなく、逆らえば何らかの罰が下るだろうと思われる。

 しかしティナは緊張もせず、ぽかんとしかけた。話をする気ではあったが、いきなり命令されるとは思いもよらなかった。


「残念だが、俺に選ばれた時点で立場は対等になる。同じく王候補である限り、命令を聞かなければならないという本来の義務なんてなくなるんだよ」

「ラザレス、待って」


 むしろラザレスの方に少し慌てた。そんなことを言うと、まるで……。


「あの、王子様、私に玉座につくとかいう意思は全くありません」

「ティナ」


 ぽかんとするのは、今度は王子様の番だった。

 ラザレスを止めているうちに言うと、王子様はらしからぬと思わせる顔になったのだ。失礼だが、間が抜けたような感じ。

 初めて笑顔がなくなった瞬間でもあった。

 だがさすがと言うべきか、すぐに我に返ったようになって、首を傾げる。


「ではなぜ、城に」

「え? 招待してくださったのではないのですか?」

「それはそうだ。私が言っているのは王になる意志が無いのに、なぜ神の獣を伴いここに来たのかということだ」

「……? 招待は受けなければ失礼なので、あと、直接断りをお入れするのが礼儀かと思いました」

「……意味が分からない。放棄するなら放棄して、神の獣と関係を切ればいいだろう」


 ティナは有りのままを言ったのに、意味が分からないと言う王子様に、彼の側にいる銀髪の男性が耳元で何か言う。

 王子様の目が、ラザレスを見た。なるほど、と口が動く。


「全く話を理解していないと思えば……往生際が悪いのは、そっちか。まあいい、どうせ主には逆らえまい。――ティナ・ウェスト」

「はい」

「私の妃になれ」

「はい?」


 大層失礼な返事の仕方をしたかもしれないが、無理もない。

 今何と?


「妃?」


 妃とは、奥さんのことだろうか。妻と言い表せもする。両親で言えば、父に対して母がその位置にあたる。

 聞き間違えかな、と思っていたのに、王子様はそうだと言うからティナは戸惑わざるを得なくなる。

 その戸惑いに、王子様は麗しく微笑む。


「戸惑うのも無理はない。田舎の娘を妃にするなど前代未聞だ。だが、精霊に愛され、多くの精霊がお前の周りにいる。『始まりの精霊』までもがいると言うではないか」

「『始まりの精霊』……?」

「精霊の中でも最初に生まれ、強大な力を持った精霊のことだ。上位の精霊よりさらに上。彼らの存在は今では確認できず、自然に還ったのではないかとすら言われていた」


 機嫌が良さそうな王子様が視線を向けたのはキツネ、だろうか。


『ティナ、玉座云々はこの際置いておいても、この人間の言うことはその場だけの、口先だけのにおいがぷんぷんするから何を言われても騙されちゃ駄目だよ』

「そのような精霊が従っている者なのに、田舎にいるのはもったいない」


 アルヴィーが声を届けようとしていないからだろう。声に被さり、王子様が喋った。

 いつの間にか、王子様はティナに視線を戻していたらしい。


「王位につく気がないのであれば、その神の獣を渡し、妃になってほしい」


 ラザレスを渡す?

 それまでの話はいまいち掴めないものになっていたが、その言葉を聞いた瞬間、ティナの中に、明確な考えが頭を出した。


「駄目です。ラザレスを渡すことはできません」

「――王位に就く気はないのだろう?」

「はい。ですが、ラザレスは渡せません」


 ラザレスが側にいると言い、ティナも側にいてほしいのだから。

 それだけは答えられるものがあり、すぐに首を横に振った。ラザレスは駄目だ。

 すると、王子様は笑顔を薄め、不快げにする。


「神の獣は眠るか、王の元にいるかだ」

「そこを、どうにか出来ませんか」

「私の側にいれば、その獣にも会える」

「そもそも、私は王子様の側にもいられません。私は家に――」

「こちらが下手に出ていれば――田舎に戻るならばそれでいい。とにかく私に跪き、私に従うと宣言しろ。それだけで、今お前の獣であるそれは私に従う」


 ティナが最も了承していない点なのに、命じる口調で言われて、困惑する。


「ティナ」


 ティナが話し始めてから黙していた声が、名前を呼んだ。

 ラザレスは、見上げたティナに頭を振った。


「ティナ、もういい」

「もういいって……?」


 いいんだ、と絞り出すように言ったラザレスは固く、目を閉じた。何かを押し殺すみたいに。


「もういい。全部無駄話で、話にならない」


 再度あらわれた瞳、柔らかな陽光の色から──優しい光が失せた。


「ラザレス……?」


 柔らかく後ろに下がらせられたティナとは反対に、ラザレスは前に踏み出す。王子様の方へ。

 その前に立ちはだかる者がいた。王子様の側にいた、神の獣と思われる男性だ。


「邪魔をするならお前ごとだ」

「望むところだ。君が間違っていると、教えてやろう」


 二柱の神の獣を中心として、光が生まれ、部屋に満ちた。

 眩しくて目を閉じ、瞼を開いたときには部屋の中に、大きな獣がいた。

 黒と銀の獣は、体がきらきらと煌めいている。形は犬や狼とも例えられない、見たことのない生き物だった。

 ただ、『獣』――いつか見たことのある王様の肖像画に描かれている姿だ。こんなに大きくはなかったけれど、確かにこの姿は。

 これが、神の獣の本来の姿なのか。

 そうやって目を奪われていた時間は、長くなかった。獣がその場から消えたのだ。

 頭上を見上げていたティナは、いきなり天井が見えるばかりになって、瞬く。部屋の中が空っぽになってしまったとさえ感じられた。


「……ラザレスは……?」

『中じゃ色々やりにくいから外だろうね』


 外と言われて、背後を振り向いた。カーテンが引かれている窓だ。

 見ればいるのだろうか。ティナは窓に寄ろうとしたが。


『止めておくといい、ただの人間』


 冷たい声に、下を見た。

 白いキツネがティナの前に立ち、前を睨み付けている。話しかけているのは、ティナにではなく、同じようにこの場に残っている王子様のようだ。


『ティナと比べるまでもなく、明らかに君には価値がない。ティナを傷つけると言うのなら、僕が君を許さないよ。どうやら精霊を従えているようだけど、知っての通り生半可な精霊は僕に敵わない』


 王子様は、顔を歪めた。キツネを見てから、悔しそうにティナを見る。

 ぴん、と空気が張り詰め、誰も何も動かない部屋に、どこか遠くからの咆哮が届いた。

 ラザレスの声だ、と王子様と目を合わせていたことも忘れて、ティナは周りに視線を巡らせる。

 どこからだろう。どこにいるのだろう。

 とにかく窓の外を見てみようと、今度こそ窓に走り寄った。


『死にたくなければ、獣に勝負を決めさせればいい。ラザレスが壊れて劣っていると言うのなら君の獣が勝って、ラザレスは眠り、ティナは権利を失う』


 後ろからは、そんな声が聞こえた。

 窓の元に行ったティナは、カーテンを避けてガラスに張りつかんばかりに顔を近づける。


 外は暗い。確かに暗く、空は宵の色をしている。

 だが、窓の外には絶えず輝きが散っていた。輝きを纏う二柱の獣が、戦っているのだ。黒い獣の姿も、夜の中にはっきり見える。

 獣は、普通の動物がその手の爪などをもって戦うのに対し、輝く力の塊をぶつけ合っていた。夜空に輝く星が砕ければ、あのような煌めきが生まれるのかもしれない。


 美しい光景だった。

 確かに幻想的な光景でもあったが、輝きが散るたびに庭園の木が煽られ、根から引きちぎられたのか、飛ぶ。地響きも聞こえるようだ。

 窓が揺れたり、ガラスが割れていないのが不思議なほどだった。


『これは後の惨状が目に浮かぶよ』


 声がすぐ横から聞こえて見ると、キツネが肩の上に乗っていた。重さがないから、気がつかなかったらしい。


『戦だったり、力を出す必要に迫られることではないのに、あんなに派手に戦って……。通常は候補者を削ることによって王は決まるみたいなんだけどね』

「……話し合いとかをしてでしょ? 戦うっていうのは、このことを示していたの?」

『ううん、人間同士が戦うことの方が多いよ。何しろ神の獣っていうのはね、平等に作られているはずなんだ。だから獣同士がいくら戦おうと、共倒れか辛うじて誤差の範囲でどちらかが勝つくらいになる。周りに与える影響も甚大だしね』


 周りに与える影響というのは、見ていて明らかだ。絶え間なく弾ける輝きに照らされた景色のシルエットは少し前とは変わりすぎていた。

 木は、根こそぎ飛んでいってしまったのではないだろうか。


「ラザレス、大丈夫かしら……? 帰ってくる、わよね」


 急に不安に襲われた。

 見慣れない姿をした獣が、尋常ではない力を向け、向けられていると感じるからだろうか。それとも、今、アルヴィーの話を聞いたからか。


『ラザレスの方が勝って帰って来ると思うよ』

「本当?」

『うん。ラザレスは神の獣の域を逸脱しているから』


 窓の外に釘付けのまま、ティナは意識のどこかで疑問を覚えた。

 辛うじてどちらかが勝てると言って、ラザレスが勝つと断言したアルヴィーは、独り言のように呟く。


『他の神の獣にない意味で、ティナのことを守ろうと思っているからな。言えば公的にではなくて、私的に』


 静かな声は、ティナと同じで窓の外を見たまま言っているのだろう。

 青い瞳も、静かな色味をしているのだろうと思わせる声だ。


『本当に、哀れな獣だよ』


 すぐ近くの精霊の声を掻き消すほどに、一際大きな咆哮が宵闇を裂いた。







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