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 大きな音に後ろを振り向くと、扉が閉まっており、白いキツネはいなかった。


「アルヴィー?」


 入らない内に扉が閉められてしまったのか。ティナは扉へ近づく。


「扉は開かない」


 ドアノブに手をかける前に、背を向けた方から声がかけられた。

 後ろを見ると、やはり部屋の中には五人の、たぶん男性がいる。全員が裾を引きずるような長い、重たい印象のローブを身につけている。

 その光景に、部屋を間違えたのだろうかと、とっさに思った。


「我々が招かない限り、精霊は入れない。一級の結界を張った」


 しかし彼らはティナを見て、訝しげになる様子もなく、むしろ一人は話しかけてきている。知らない人なのに。

 人違いだろうか、と次の考えが浮かぶ。

 部屋を間違ったかどうかは、部屋の造りだけでは断言できない。やはり一日程度いたくらいの、見慣れない部屋だからだ。

 しかしラザレスやアルヴィーが案内してきてくれたのに、間違ったなんてあるのだろうか。

 そこまで思い、さっきラザレスが消えたことを思い出した。

 まるで連れて行かれたようで、外にいるアルヴィーも焦ったような声を出していた気がする。

 これは一体、どういった状況なのか。


「精霊が入れない……? それじゃあ、アルヴィーが入れないわ」


 どうしてそんなことをするのか。

 理解できない状況の中、精霊の声が聞こえなくなり、気配が消えたことに気がついた。

 いや、正確には気配は感じる。けれど、自らの周りにいるというよりは……。

 この空間に、さしものティナも違和感を抱えた。

 居心地が悪いと言うべきか。当たり前にあるものに、突然触れらなくなったような感じだ。

 言えば、自分に親しげにする精霊がこの場にいない。

 一方で、精霊の気配を感じる方にいるのはこの場に元々いた人たちだ。


「神の獣は外、連れているという精霊も外、条件は揃った」


 彼らの足元に、大きく描かれた、奇妙な模様があった。模様は淡く光り、ティナはよくない予感を覚えた。

 さまざまな疑問が過る中、人違いだとか何とか言う暇はなかった。


「精霊よ」


 ローブを着ている人の内、一人がそう言った瞬間、その姿は精霊の気配を纏い、力が宿った。

 人間でいて、精霊の気配を纏う。さっきまでは単なる人だったはずだ。混ざった存在感に、ティナは戸惑う。こういう感覚は、初めてだ。

 あの人は一体、何者なのか。人間でもなくて、精霊でもない……?


「あの者を大地の一部にせよ」


 指が一本、ティナに向けられ、普段は優しいと感じるだけの精霊の気配に、刺を感じた。

 大いなる精霊の力が、部屋の中に広がり、ティナに手を伸ばす。


 ピシ、と何かひび割れるような音が部屋に響いたのは、そのときだったろう。

 ガラスが割れた音に近い音が微かに聞こえたあと、部屋全体がひび割れたような音が響き渡った。


「結界が……」

「まさか、」


 模様を丸く囲む円の縁に立っている数人の者が、驚愕に表情を染め、苦しそうに顔を歪めた。

 その間にもガラスが割れた隙間から水が溢れ、流れ込むように、新たにあらわれた力があっという間にこの場を飲み込む。

 ティナに届かんとする力を消し去り、塗り替えてしまった。

 ティナは、慣れ親しんだ気配に包まれた。


『ティナに手を出すな』

「アルヴィー?」


 鋭く聞こえる声は確かにアルヴィーのもので、気配もその精霊のものだと同時に知った。

 けれど白いキツネの姿はなく、声だけ聞こえる。


「アルヴィー、どこ?」

『ティナ、大丈夫、側にいるよ。もう少しだけ待ってね』


 優しい風が頬を撫でた。なぜだかは分からないが、白いキツネの姿を借りない状態でアルヴィーがそこにいるらしい。

 精霊が入れないようにされ、閉め出されたようだが、そうか、入れたのか。良かった。


「呼び入れていないのに、なぜ」

「いや、結界そのものが壊された。しかし上位精霊による一級の結界が、そこらの精霊に壊せるはずが――」


 まさか、と誰かが呟いた。


「この力の強さ、『始まりの精霊』か……!?」

「まさか」

『まさかでも何でもいいけど、この子に手を出そうとするなんて、本当にここは愚かな人間ばかりだよ。そんな愚かな人間と契約し、従う精霊も愚かな精霊だ』


 わずかに、空気が震えた。

 ティナの側にいる精霊の気配が満ちたこの空間で、怯えるような気配がほんのわずかにだけ、前方から感じられた。気のせいだろうか。

 だが、同時に同じく前方にいる人たちの顔色が見るからに変わり、血の気が引いていった。


『同族殺しは良くないんだけど、愚かな精霊にはその愚かさを知ってもらわなければならないかもね。――そこの人間も、覚悟は出来ているんだろう』

「え、エドガー様に報告を」


 アルヴィーの言葉に対し、とても慌てた人たちが、その場から消えた。文字通り消えて、ティナは驚きに目を瞬いた。

 さっき、ラザレスが消えたときのようだ。やっぱり精霊の力なのだろうが、あの人たちは一体何だったのだろう。

 何だったのだろう、というのには、人間なのか精霊なのかということと、結局さっきまでの出来事はどういうことで、ということも含まれている。

 部屋を異様にしていた人たちが消えると、床に描かれていた奇妙な模様も光の粒となり、消えた。


『まったく……すぐに逃げるならこういうことをするなと言うんだ』


 刺々しさに呆れが混ざった声音が言うと、ふわりと緩く風が巻き起こり、後ろに駆け抜けていった。

 カチャリ、と音が聞こえた後ろは、扉が開いて、白いキツネが部屋の中に入ってとことこ歩いてくる。


『ティナ、どこも怪我はしていない?』

「怪我? していないわ」


 怪我をするようなことはなかった。

 しかし……とすっかり人がいなくなった部屋の中を見渡すと、確かにここは一日程度過ごした部屋と同じだった。

 テーブル、椅子、ベッド……と、同じ造りであれば、やはり連れてきてくれたこともあるし部屋を間違えたわけではなさそう。


「一体、何だったのかしら」


 ここにいたあの人たちは誰で、人違いでなくティナに用だったとして、何の用だったのだろう。

 話はろくにしていないので、さっぱりなままだ。

 思考と意識は分からないことよりも、消えてまだ現れないラザレスに向く。部屋の中には、黒髪も、黒い毛並みも見当たらない。

 犬の姿でも、あの大きな犬が隠れられるところはないので、部屋にいないことは間違いない。首を捻る。


「ラザレスは、どこに行ったのかしら」

『さあ? でもすぐに戻ってくると思うよ』


 アルヴィーはそう言ったあと、横に目を向けた。ティナも何だろうとつられて見ると、どこからともなくラザレスが現れたではないか。


『罠に嵌まって連れていかれるなんて、さすがやることが違うね』

「うるさい」


 どこに行っていたのか、と尋ねるべきか、誰かに連れて行かれたようだったから、何だったのかと尋ねるべきか考えていると、ラザレスがティナを覗き込む。


「ラザレス、お帰り」

「ティナ、無事か」

「え? うん」


 怪我はないかとアルヴィーと同じことを聞かれて、肌に触れられる。怪我がないことを、確かめるように。


『結界なんて張ってきた。不意を突かれて、ちょっと危ないところだったよ。ラザレス』


 呼ばれ、ラザレスの目が下に向く。


『さっさとしないと、もっと過剰になるよ。ここはあっちの領域だからね。一瞬の隙がさっきみたいなことになる』

「……分かってる」


 一度目閉じたラザレスは、目を開いたときにはティナを見ていた。目に映し、手で触れ、にわかにふわりと、抱き締めた。

 抱き締められたティナは、一拍を要してそう理解し、柔い力の中で腕の主を見上げる。


「ラザレス、どうしたの?」

「……どうもしてない」


 そんなはずはないだろうに。

 いつも、獣の姿でも気だるげだったりしたことはあっても、こんなに元気がなさそうな様子はどうしたことだろう。

 思ったけれど、顔を伏せてただ抱き締めるラザレスに、ティナも単に抱き締められておくことにした。

 問うても、何も返ってきそうにない。これで少しでも元の通りになるならいいだろう。


『そんなに迷うなら、今すぐやめて、この場から去ればいい』


 そんな状態に、なおも言い募ったのはキツネだった。

 途端に、ティナが接している体がピクリとした。

 それにしてもアルヴィーの声は厳しめの声で。

 ティナが抱き締められたまま、下を窺ってみると、キツネが青い目でこちらを見上げていた。

 ……違う。見ているのは、ラザレスだ。


『手紙でも残して去れば、人間達は都合よく解釈して、残った者だけで王を決めるだけさ』

「……それは駄目だ」

『駄目だと思うならティナと話して、さっさと――』


 声が途切れたのは、ラザレスはぐっと何かを堪えた顔をしたからだろうか。


『――君は、本当に難儀な存在だね』


 次に話しはじめたキツネは、呆れに憐れみを滲ませた声と目をした。

 彼らは何の話をしているのだろう。若干挟まれている状態のティナはまだ抱き締められており、とんとん、とラザレスをつついた。


「ラザレス」

「……ん」

「元気出た?」

「元気?」

「うん。元気が無いのかなって思って。連れて行かれたように見えたから、誰かに何か言われた?」


 そういえば、王女様とお茶をしているときにもちょっと元気のない様子になっていた。

 彼にも城は合わないのだろうか。甘いお菓子でも食べた方が元気になるのではないだろうか。

 そう思って言うと、ラザレスは微かに笑った。


「そういうお前が、好きだよティナ」


 好き、とあまりに自然に言われて、ちょっと驚いた。

 けれど、いつも精霊に言われていることだと思い出して、人の姿をして言われることには慣れないようだと思った。

 少しだけ笑んだラザレスは、顔を合わせたまま、ティナを見つめ続ける。


「なあティナ」

「なに?」

「俺が、お前の側にいてもいいと言ってくれ。一生、側にいることを」


 一生側に。

 ティナは言われたことを頭の中で繰り返して、考えて。


「いいわよ」


 すんなりとそう言った。

 帰って、あの地で一緒に過ごして、暮らしていく。いつか皆いなくなってしまうとか考えたことはなくて、それを疑ったことはない。一緒にいられるのは嬉しい。

 大きく頷いて笑うと、そのときだけはラザレスは嬉しそうに笑った。

 今度は深く、抱き締められて、頬は胸の辺りに押しつけられた。またラザレスの顔は見えなくなって、代わりに鼓動が聞こえて、不思議な心地になる。

 犬の姿のときにはティナが抱き締めたことはあっても、抱き締められることはなかったからだろうか。


「ねえ、ところで今さらなんだけど、部屋はここで合ってるのよね?」


 本当に今さらのことを思い出して尋ねると、「合ってる」と直接響くように声が聞こえた。








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