アワータイム
大学が始まる前に、彼女が一人暮らしを始めた。
階段を上がって、最初の部屋。呼び鈴を押したら、すぐに出てきた。
おい、モニター確認したか?
「いらっしゃーい」
「やり直し」
「えっ、なんで」
「モニター、見てから出ろよ」
「えぇ…来るの見えてたってば…」
もう一度、呼び鈴を鳴らす。
モニター越しに応答があり、「俺」と返事をして、再び扉が開く。
「めんどくさいなあ…」
「心配してるんだろ」
「お父さんより面倒」
うっせ。
そして「どうぞー」と簡単に一人暮らしの家に俺をあげるお前が心配だ。いや、遊びにきたんだけどさ。
「ケーキ買ってきた」
「ありがとー! なに飲む? コーヒー、紅茶、緑茶。ジュースもあるよ」
「コーヒー」
「わかった。そっちで待ってて」
玄関入ってすぐに小さな台所とダイニング、奥に部屋、つか寝室? どこに座れってんだ。…ベッドはまずいよなあ。
ここで寝てるのかと思ったら何だか落ち着かない気分になって、窓から外を眺めて待ってた。来るときに通ってきた庭が見えた。
「なんで立ってるの?」
「なあ、アレお前んち?」
「うん」
庭をはさんで建つ一軒家が彼女の実家、このアパートは彼女の親の持ち物。もしかして金持ちなの、お前んち。目と鼻の先とはいえ、自立のために一人暮らしさせるなんてさ。
「今日、親いる?」
「さあ、分かんないけど、いるんじゃない?」
「あとで挨拶行っていい?」
「いいけど…挨拶って」
「一応、ことわっておこうかと思って」
「…しなくていい」
「絶対にする」
「えー…」
退路を塞いどかないと逃げそうなんだもん、お前。
まあいいけど、とか彼女は言いながら、ケーキの箱を開けた。
「うわ、たくさん。気を使わなくていいのに。半分払うよ」
「いらない」
「タダ飯より高いものはないという親の教えがありまして」
「じゃあ今度、なんかおごって」
「今度ぉ?うーん…じゃ、今度ね、今度」
次はないつもりか、このやろう。あるからな。次の次もあるからな。
どれがいい?全部、半分こする?、なんて聞かれてもな。どれでもいいし、なんか緊張してるし、食べても味わかんねー。なんて思いながらケーキをつついてたら、一口ちょうだい攻撃。全部食ってもいいぞ。
そんで、お返しっつってフォークにのっけて一口返そうとするのはさ、何なの?狙ってんの?俺、試されてる? むかつくわ。食うからな。
…味、わっかんねーなー。
「なあ、こういうの、他のやつにはやんないで」
「やるわけないでしょ!」
「そう、安心した」
うん、俺、特別扱いされてるよな?ちゃんと分かってんだよな?
「いちいち、うるさい」
「だってお前、誰にでもやりそうなんだもん」
やべえ。余計なこと言った。
「しないって言ってるでしょ。してないでしょ。してたとしても、そんなの私の勝手じゃん。そういうの、支配的って言うんだよ。彼氏って私に対してそんな偉そうに命令する人のことなの?だったら」
「ごめん」
「まだ終わってない」
「ごめん」
「最後まで言わせないのはズルいよね?」
「聞くのコワイ」
「友達の方が楽しいって言ったじゃん」
聞こえた。目を閉じて耳を塞いだけど、間に合わなかった。
目を開けたら、彼女がテーブルを脇によけていた。なにそれ、殴る準備?なんで俺の顔の両脇に手ぇついてんの?後ろベッドなんだけど、俺、ベッドにドンされてんの?え?なんかヒワイな響きだけど、恐怖しか感じない。
「そっちこそさあ…わかってんの?」
「なにが?」
「距離感わかんないって言ったよね?」
「うん?」
ち、近くないか?近過ぎない?なあ?
「そのポーズとかさあ、上目遣いとかさあ。ほんと、おそっちゃうよ?」
と言って、俺の額に頭をぶつけて彼女は離れた。
…テーブル戻った。彼女はケーキを食べてる。
「今のなに?」
「頭突き」
「そうじゃなくて。…あのさ、おそうとか…」
「気のせいだよ」
いやいや、何かすごかったよね? 俺、知らない人に会った気がするんだけど!
「だからあ、わたしの自由を奪う行為はやめてって言ったの」
「そんなこと言ってねーじゃん!」
「過保護っぽい指図をしたのは謝るよ。でも途中から、おかしかったよな? 距離感わかんないって、お前言ってた意味違わね??」
距離感分からないの意味が分かんねー。
「聞こえない、聞こえません、聞きません」
「聞きませんじゃねーよ」
「あーもー、うるさい!いーでしょ、彼氏をちょっとくらいつっついてみても!頭突きで我慢したんだから。わたしの前でかわいくしないで」
「ばっ…」
「かわいくて、なでくりまわしたい時あるよ」
おそろしい。女子って何でもカワイイっつーけど、俺がかわいいってなんだ。ほんとうに意味分かんねぇ。
「女子だって、ムラッとする時くらいあるよ」
ムラッと。
「言ったじゃん、こわいって。わたし自身がこわいって。タガが外れちゃったら、何するか分かんないもん」
タガ。
「友達のタガだよ。ここから先は手を出しちゃいけませんていう」
手を出しちゃいけません。
「友達だと思い込んで無視してた自分の気持ちもさ、もっと近付いてもいいって許可もらっちゃうと、一気に気持ちがふくらんだよ。わたし、すっごくあなたのことが好きだったみたい」
まじかよ。うわ、なんだ、すげぇうれしいな。抱きしめたい。
試しに抱きしめてもいいか聞いてみた。
「ダメに決まってるでしょ」
やっぱりダメか。
「怒ってるんだってば」
「ムラっとしてるんじゃないのか」
「かわいくないから、もうしてない」
かわいい俺ってどんなんだ。思い返しても、わかんねーな。
「過剰に指図しないって誓ってくれるなら、仲直りの握手はするよ」
「気を付けるようにする」
握手。
あーあ、ほんと何なんだよ、手を握るだけでこんなにうれしいとか。俺、どうかしてる。
「変な感じ」
やべえ、手汗でもかいてた?
「ふだん、女の子の手だって握らないんだよ」
うん、それ、男同士もねーから。こえーから。
「今さら、ドキドキしてきた」
そう言って、真っ赤になった顔を見せる。
そんな顔は絶対に他の奴には見せないで、と、怒られたばかりなのに言いたくなる。独占欲、だまれよ。ちょっと多めに息を吸って、長めに吐く。
「ごめん、気を付けるけど、ダメかも」
かもじゃない、ダメだ、まじで。
「頭突きされても握手でも、その…むら…胸が騒ぐ。俺がするなら、他の奴だってするだろ?」
だからさ、
「どこかに隠しておきたい気になるんだよ…」
「アタマ、だいじょうぶ?」
おまえ、ほんと失礼だな。
「わたし、一緒に行きたいところ色々あるんだよ。隠れちゃったらなにもできないじゃん」
一緒に、なんて中々の胸キュンワードだ。
「今度どこかに行こうよ」
「行く」もちろん行く。今すぐ行くんでもいい。いや、やっぱり、次のためにとっておこう。
「やった!」
「あのね、チームラボの展示とか、博物館の企画展とか、一緒に行く人がほしかったんだ」
あとね、スポーツ観戦行きたい。受験のあいだずっと行けなくて、発散できなくってさー。ドームのホットドッグおいしかったよね!たまねぎいっぱいのやつ。食べに行こう。サッカーも見たい。テレビで見た飛行機のレースも見てみたい。全部はおこづかいじゃ足りないなあ。
「彼氏って便利! 二人以上で行きたいなって思ってるところ、どこでも誘える」
彼氏イコール便利屋認定。いや、喜んでるんだし、俺を誘ってくれてるんだし。これからがんばれば…どう頑張ればいいんだろ。まあ、うん、まあ、ムラっとはしてくれるそうだしな。うん…、どうしたらムラっとしてくれるのか分かんないけど。
「アメフトも見てみたいんだよねー…あ、でもそれは、**ちゃんの方がいっか」
「え、俺も行きたい」アメフトに興味はないが、誰か一緒に行くなら俺が一緒に行きたい。
「だってカッコイイお兄さんズを見るためだから、女同士の方がいいな」
カッコイイお兄さんズな…そーな、それは俺、話にわりこめないわ。
「音楽フェスも!行けるじゃん!テントに泊まる?うわー!夏が楽しみだね!」
テントに一緒に泊まるのか? うん、いや…ごめん、ちょっと俺が楽しい妄想がふくらんだ。
「えっと…行きたくないかな?」
「行きたい!おまえと行けるならどこへでも!」
「それ、わたしが誘ったせいで義務みたいに感じてるなら断ってね」
「なわけないだろ」
「よかった」
「むしろデートならいくらでもしたい」
「デート」
分かってた。デートとか思ってなかったよな。いつもの遊びに行こう!だったよな。内容的にはそうかもしれないけどさ、気分的に違うってお伝えしとくぜ。
「なんという破壊力のある言葉」
「破壊してねえ」
「友達の壁を破壊」
「それはする」
でもさぁ、と彼女は続けた。
「友達の壁ってそんなに厚いかなあ?」
「突破口を開くのに三年」
苦節三年。苦節ってなんだ。苦々しいってことか。
「石の上にも三年だねぇ」
「お前は石だったのか」
ふふふ、なんて笑われるのまで喜べるのかよ俺は。頭大丈夫かってほんとにな。だって、彼女のうれしそうな顔を見ると、俺までうれしくなるんだ。どっかおかしいに決まってるだろ。
移動してきた彼女は隣に座って言った。
「楽しいね」
にこにこと笑顔で言われると、こっちの顔まで緩むほどだ。俺、いったいどうなってんだよ。
「どこかに隠しておきたいっていうの、少し分かるよ」
ほんとかあ?
「だって、これはわたしの物って一人占めしたい気持ちでしょ?」
うん、そんなとこだ。
「でもわたし知ってるんだよ」
何をだ。ごくり。
「しまったら忘れる」
「…あっそう…」
息をのんだ時間を返せ。
「これは大概の動物、みんなそうだね。おいしいご飯を土に埋めてあとで食べようなんて思っても、どこに埋めたか忘れちゃうんだよ」
もったいないな。
「そんなのつまんない、一緒にやろう?」
ほんとにさ、狙ってないわけじゃないだろ?少しは計算してるだろ?
俺にだけそうならいいのに。
だけど、俺は釣られたい魚だから、エサを撒かれたら食いつく。「うん」
「でも実はわたし、わたしが気持ち悪い」
はあ?
「さっきの頭突きも、わざわざ隣に座るのも、もっと近寄りたいとか触りたいとかチカンみたい。コイビトなら当然でしょって思う反面、テレビの恋愛ドラマか何かのヒロインにでもなったつもりか、って思うよ。
正面から冷静な自分が見てるの。隙あらばイチャつこうとして、みっともない、いやらしいって」
彼女はほんとにそう思ってるようで、しかめっ面。なあ、それ狙って…いや、なんでもない。
うん、そういうことをするのが、みっともないとかあさましいとか、分かるけど。
「それってダメなこと?」
だって俺、そんなにおエライ人間じゃないし。
「隙あらばイチャつきたいけど、俺は」
いや、よけるなよ。そんなケーベツを含んだ目で見るなよ。お前が始めた話じゃねーか。
「てゆーかさ、今のお前のその状態を、俺は年単位で経験中なわけ」
「せんぱい!」
ちゃかすな。
「正面から自分に、カッコワルイやら、ダサイやら、ありとあらゆる言葉でなじられた」
スキの一言も言えないとか、振られるのが恐いとか、予想以上に格好悪い自分とのご対面の数々にはヘコんだ。俺の気持ちが相手には迷惑かもしれないって思うのは、すごくみじめだった。
「もっと簡単に人の気持ちなんて動かせるかと思ってた。好きになってもらうのって難しいな」
相思相愛ってすごいんだな。
まあ、キモチワルイ自分にも、
「そのうち慣れる」んじゃねーの?
「な、慣れていいんですかね、せんぱい」
「知らない」
「むせきにんだ!」
「外から見てる自分は、カッコイイ自分過ぎるんじゃん?」
「どういう意味?」
「理想の自分が、現実の自分にケチつけてるんじゃん?」
「うわ、なにそれ、真理?」
シンリ? ああ、真理。
「俺はそんな感じってだけ」
「でもほんとはな、そんなかっこつけてる俺なんてどこにもいたことないんだ。幼稚園の頃から変わってない。好きな子と手を繋ぎたい、仲良くしたい。それだけ」
びっくりするほど成長してない。
彼女の顔がみるみる赤くなった。恥ずかしい話をしてる自覚はあるけど、どこへの反応か分からん。
「ちゃんとスキって告白できたあなたはカッコイイよ」
やめろ、赤いのがうつる。暑くないか、この部屋。
「我慢できなかったんだって。もう口塞いでらんなかったの。俺といると楽しいってなるよう努力するから、意地悪なことを言う自分なんてけちらしてくれよ」
お願いだからさ。
「ばったり」
と言って、彼女は床につっぷした。
「ハズカシイ」
うるっせーよ!わかってるよ!!
帰る前に彼女の実家に寄って、母親に会った。
「お友達が来るって男の子だったの?」
ハジメマシテ、カノジョとオツキアイをさせていただいてま…以下、まじめっぽく何とか挨拶をしたつもり。
「あらまあ、ご丁寧にありがとう。でもあのアパートね、」
女性専用で男子禁制なのよ。
彼女を見た。あらぬ方向を見ながら言ったのは、
「だって、部屋によんでみたかったんだもん、彼氏」
コ ノ ヤ ロ ー!
OUR TIME.




