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後編 好きと言わない

うまい具合に夏休みの延長だと思えば少しは気が楽になるかと思っていたけど、休み中の外を歩いている学生たちを見ていると、とてもそんな呑気な考えは出来なかったことがそこそこ辛い。

そして思った以上に休みが短いなと思いつつも学校から電話があった昨夜、俺はやっと登校許可が下りたのだった。しかしそれでも学校に着いたらまず職員室へ行けという話だった。


「お前が悪いという話を、お前本人から聞いたけどそれが真実とは限らない。だが手を出したのは沢田の方だったからな、今回は事が小さく澄んで良かったと思え」


そういうわけで俺は学業に復帰した。そして、当たり前のように自分の教室に入ると、クラスメートがざわついた。


「うわ、鵬高だぜ」「今日からなんだ、学校」「マジかよ、もう戻って来たのかよ」


そんなどよめきだった。

別にクラスメートのこの反応は想像がつかなかったわけじゃないのでショックも比較的少ない。俺が話した内容が伝わっていれば、俺が全面的に悪いということになっているし、むしろそれが妥当だろう。

なんせ、普段は優しそうで大人しいキャラを通している沢田と一悶着あったとなれば、風当りが悪いのは当然だろうな。

ただクラスメート全員が全員そうだと思っているわけでは無かった。それは俺が行なってきた事が幸いしてか、きっと何か事情があるはずだ、と思ってくれている人間だって存在していた。しかし停学までなると、その真意は分からないだろう。


「…………」


さて、木田はいったいどっちなんだろうな? 唯一の目撃者、そして俺の証言に対してなんら異論を解かなかった木田は。

平等な人間など存在し得ない。特別な誰かを優位に上げたがるのは人間の最大思念であると俺は考える。

事実よりも私情。


「木田も可哀想だよな、彼氏が酷い目にあってさ」


 事件の一番の被害者は木田あいら、ということになっていた。なんせ付き合って間もない彼氏が別クラスの男に絡まれて喧嘩まがいの事件が起こったわけだしな。一般的な彼女の立場としては悲劇のヒロインまっしぐらってわけだ。

もちろん、この事件があってからは俺のところに相談しに来るやつなど居やしなかった。自分の事を見つめ直す。己について思うところがあったっていいじゃないか。俺は好きに相談を受けてきた、好きに終わらせてもいいじゃないか。おかげで余計に神経を使わなくて済む。今まで当たり前だと思っていた相談役も、一定期間休んでしまえばそれが自然になり俺に染みついていた。

俺自身も真実より私情を優先してしまったという結果だけが残った、そう言っても過言じゃない状況になりつつあった。

そして何の咎めもなかった沢田はというと、なんと学校を休んでいるらしい。あの日から。だから本当の意味で俺は悪者扱いという立ち位置を獲得してしまったらしい。誰だって停学で休んでいるやつよりは遥かに沢田の味方につきやすい。


「おい」


放課後、真っ先に帰ろうとする木田に俺は声を掛けた。その様子にクラス中がざわめいた。


「…………っ」


俺の顔を見ては何か後ろめたいような表情をして、その場を立ち去ろうとしている。


「沢田はどうした?」


「ごめん……、今はあたし達に関わらないで」


そう言って、走って行ってしまった。とんだ肩すかしを喰らってしまったものだ。そしてそのごめんという言葉がどちらの意味を込めていたものなのか、俺には分からなかった。もしかしたら両方の意味かもしれない。


「あたし達ねぇ」


いよいよこの辺りであいつらに関わるのは止めた方がいいかもしれない。果たして俺はいつも通りの生活に戻れるのか。それとも今までの自分を見つめ直した新しい生活が待っているのかは分からないけれど、とりあえずは今までのような人にアドバイスしていく事だけは、もうやめようと思った。

人間に疲れた。

 そもそもこれは義務じゃない、他人の人生など知った事か。

 そろそろクラスメートの視線がキツくなってきたので俺もさっさと教室を退散した。


「さてと、どうすっかな」


 これにて俺の目指す道は一つ潰えた。ということは、今からは無限の可能性を試していく期間、それを探す日々を送る計画で行こう。


「…………」


 とはいえ、何も思いつかない。もともと好きでやっていたことだし、試合で言うなら一度の敗北で辞めてしまおうとしているとんだチキン野郎だ。だが、試合ならまだいい。今回の場合は取り返しがつかないだろう。


「沢田が特殊すぎただけだよな」


 人という生き物は不安定過ぎる。感情を持っていれば仕方のないことかもしれないけれど、それは日々を重ねて成長するのが人の素晴らしい部分だと俺は思う。思ってるだけじゃ、ただの理想というのが耳に痛い話だが。

 不完全故に人間。人との間の何かの生物なんだろう、きっと俺は、俺たちは。




 その次の日も、そのまた次の日も沢田が学校へ来ることは無かった。それに比例して日を追うごとに俺の風当たりも悪くなっていく。


「沢田があんななってるのに、よく学校来れるよな」「無神経にも程があるよね」


 知るか。こちとら留年するわけにはいかないんだよ。早くこんな奴らとはおさらばして栄えある就職先へ行きたいもんだ。

 影での、というよりは堂々としているが悪口は言って来ても分かり易く俺を虐めようなんて輩は一向に出て来なかった。

 それはどうしてだろうか……。


「今日は木田も休みか」


 俺は誰も居ない席に向かってボソリと呟いてみた。

 今日も今日とて授業はつまらない。学校生活も同じようにつまらなくなってしまった。

 家に帰っては殺風景な自室で最近のお気に入りの音楽を聴きながら天井を見つめる日々。そしてまた学校へ行ってはヒソヒソ話に耳が痛くなりそうになる。そういう時は大好きな音楽のワンフレーズを頭の中に描くことにした。

 今日は木田、いるのか。

 ずっと休んでいる沢田と違って木田は学校へ来たり来なかったりとローテーションをしていた。


「…………」


 いつまでも展開しない日常に退屈していたのか、どうかしていたのか。俺は木田に近付いた。中間服に移行してからずっと気になっていた。


「その腕、どうした」


 俺は何の躊躇も無く指摘した。

 その時の木田の表情は絶望のソレに近かった。

 その様子にクラスメートもざわついていた。


「あいつか」


「やめて」


「木田がやったのか」


「それ以上……! 言わないで」


 俺はつくづく木田が気に食わない。人知れず全てを丸く収めようとするところが、当たり障りの内容に振る舞おうとするその態度が、やっている事全てが気に食わない。俺は自分のことが嫌いだが、俺と同じように傷つこうとする木田も、俺は嫌いだ。


「おい鵬高、なんで木田を泣かしてるんだよ」「サイッテェー」


 いつまでも、どいつもこいつも被害者面しやがって。


「最低でいいよ、お前らが何も気付かないなら俺がやるだけだから」


 木田の腕を引っ張り俺は教室を出て行く。


「や、ちょっ……」


 木田が俺のすることに本気で抵抗をする気はないようだ。それは俺に対する罪悪感があるから、俺に心から逆らえない立ち位置にあるのだから。


「ねぇ、これって先生呼んだがよくない?」「はぁ!? 俺に言うなよ」「ちょっと、どうすんのよ」


 そんなクラスメートのざわつきには動じない。暴力は加えていないし、それくらいで先生を呼ぶという選択肢に走る思考がもう救いようがない気がする。


「……」


 途中から手を放して颯爽に歩き去る俺の後を黙ってついてくるということは、つまりはそういうことだ。自販機前に差し掛かり、ズボンの後ろポケットへ徐に手を突っ込む。そこに運よく二百円入っていたので投入する。


「ん」


 今日は取り出し口から綺麗に取れた。桃の風味がする水だ。


「はぁ、ほんとそれ好きだよね」


 無造作に木田へそれを投げ渡す。


「ほっとけ」


 俺は吐き捨てる様に言い、テーブル付きのイスに座った。


「ありがと」


 パキパキと蓋の開く音が俺は嫌いじゃない。手ざわりからしても今から飲むために開けたんだぞ、という感覚が味わえるからだ。


「さて、俺とお前のクラスにおける位置づけは下から数えた方がダントツなくらい落ちぶれたわけだが、お前は何か言うことないか?」


 俺の苦笑交じりな一言に飲んでいた水をすぐ口から離した木田。


「なんもない」


 そう言って俺を撥ね退ける。


「いい加減にしろよ。お前が築き上げた誰にも粗相のないように生きるという人生でこれーぽっちの努力はもう無駄なの、徒労なの」


 俺は人差し指と親指で数センチほどの幅を作る。


「ほんと嫌な奴だよね、太佑たすけは」


「おまえ、急に名指しはぶっ飛び過ぎだろ」


 本性を露わにした、ということでいいんだよな?

 俺は中間服に隠れた腕の一部分を指差す。


「それは沢田で間違いないんだよな?」


「……いつから気付いてたの?」


 質問に質問で返すか、ということは肯定と受け取っていい事だと、それが俺に対する無言の返事か。


「いつだっけか、中間服に移行する少し前に夏服の上から黒いシャツ下に着てたろ?」


 俺の言葉を聞いて慌てて自分の身体を覆い隠すように腕を組む木田。


「へんたい」


「あのな、臭い消す為なんだろうけれど、制汗スプレーみたいなの掛け過ぎ。湿布薬みたいな臭いとか微妙にバレてるし」


 最近まで俺も似たようなの付けてたし、出来るだけ臭いがキツくないやつをだけど。その所為か、嗅いだことのある臭いだとは思っていた。


「うそ、アタシの匂いまで嗅いでたっていうの?」


 うん、決めた。全力で今からコイツを殴ろう。


「ごめんごめん。でも人前で痣のことバラしたからお互い様ね」


 傷じゃなくて痣。ということは打撲痕か。

 その痣が出来たから夏服の間はバレないように下にシャツを着て、中間服になれば腕も隠れるしバレないと油断しきっていたのだろう。


「やられたのはそこだけか?」


「うん、この一回っきりで沢田とは会ってない」


 つまり、学校をたまに休んでいたのは沢田に会うためではなく通院していた為、か?

 だとしても自分自身を護るという為ならこんなことをした相手を即刻切り捨てるのが妥当だが、まだ沢田の事を諦めているわけじゃない、ということか。それともお得意の体裁を護るためか。


「あたしが学校に行かないかって沢田の家を訪ねたら部屋まで通してくれてね、なんでかその時、逆上して飲みかけのラムネ瓶で頭を殴られそうになってこの有り様。ラムネ瓶とかホント笑えるよね」


 頭を殴られそうになって、恐らくその時慌てて手で頭を覆いさったのだろう。それで腕に痣が出来た、というわけか。


「あの時と同じだな。加減を知らなかったんだろう」


「あたしはその時痛みと恐怖で必死になってさ、気付いたら歩道橋の階段で蹲ってた。何を言って怒らせたのか、どうやって逃げて来たのか覚えてないの。奇跡的に荷物は持って出てたみたいで……」


 木田は何も物分かりの悪いやつじゃない。あの一件を知っているからこそ、沢田を逆撫でしないように細心の注意を払っていた筈だ。だけどそれが起こった、それはつまりアイツの心の中の何かが既に壊れてきているという事なのだろうか。


「それからは連絡も何もなしか」


 その時のことを思い出したのか、少し怯えた様子で深く頷く。

 どこかで沢田を買い被っていた。あれだけ好きだ好きだとのたまっていた木田にまで手を挙げるとは、思いもよらなかった。そのせいかどうか知らないが、俺は苛立ちがいつも以上にこみ上げていた。


「沢田の家はどこだ?」


「え――」


「決着付けるぞ」


 一度授業をサボって停学まで喰らった俺にとって、学校をふけることなんて今さら何でもなかった。

 不良素行なんて上等だ。








「へー、随分と大層な家じゃないか。両親と暮らしてるのか?」


 とりあえずインターホンを押す。


『はーい』


「すみませーん。沢田くんのお見舞いに来たんですけどー」


 …………ガチャリ。


「か、帰ってください」


 沢田の家に着いてインターホンを押した数十秒。出てきた母親からそう言われた時は、思わず「は」と声を漏らしたものだ。


「少しくらい話を聞いてくれても」


「結構です」


 ぴしゃりと言いきられた。

 そして沢田の母親は何故か木田の方をキッと睨み付けて玄関を閉めた。


「……人当たりがいいお前でも姑相手には厳しかったようだな」


「うるさい、姑じゃないし」


 そこにまだ、という言葉を付け加えないあたり、木田の中では既に沢田との終局は見えているというわけか。

 それにしても……、


「木田は気付いたか」


「うん。酷かった」


 母親も恐らく暴行を受けている。家族黙認の本性沢田ってわけか。


「厄介だな、迂闊に部屋に招かれても何をされるか分かったもんじゃない」


 出直すか、と木田に言おうとした矢先、玄関の鍵がガチャリ、と嫌な響きを込めて開かれた。


「あぁ! 鵬高さんじゃないですかぁ、わざわざお越しいただいて恐縮ですよ」


 沢田はいつもと変わらない様子で、笑顔でこちらを見据える。それが逆に言い表しがたい恐怖を仄めかせた。

 出て行くタイミングを窺っていたな。俺は二階のベランダが開いていることに気付いた。

 あそこから見ていたわけか。


「っ」


 沢田を見た木田がスカートの裾をきゅっと摘まんだのが見えた。怖がらせまいと俺は一歩前に出た。


「木田も来てるんだけどな、二の次かよ」


「いやだなぁ、そんなわけないじゃないですか。鵬高さんの助力で僕は憧れの木田さんと付き合えたんですから、ねぇ?」


 何かを含んだその言い方が、気に食わない。

 いたって普通に振る舞っている筈の沢田からは常軌を逸した空気を感じた。


「嬉しいなぁ、鵬高さんが僕を訪ねてくれて……あ、もちろん木田さんも嬉しいよ。さ、立ち話もなんだし上がっていって下さい」


 沢田は少し息を吸って木田の方を見て、


「ね? 木田さん」


 そう言った。


「う、うん」


 逆らえない。木田はきっと沢田に対する恐怖心に呑まれている。先ほどから手で作った握り拳を僅かながらに震わせている。


「いいや、俺たちは入らない」


 招きにあずかろうとした木田の手を引き、俺たちは数歩下がる。


「…………まあ、いいでしょう。警戒する理由も僕には分かりますものね。そういえばどうして僕を庇ったのですか、ただの偽善ですか?」


 成る程、沢田は自分が悪いというのをハッキリと自覚をしているのか。てっきり自分は悪くないとでも言われるのかと思っていたけれど、コイツが学校を休んでいるのは罪悪感からなんだろうか? 果たしてそんな感覚があるのか?


「お前が最初からそんな奴と知っていたら庇う事も無かっただろうさ」


 しかし、俺の言葉を聞いた沢田は途端に顔を顰めた。


「そうやって誰も彼も救えた気になってんじゃねぇぞ?」


 沢田の口調が変わった。気にでも障っただろうか。やっぱり行動が読めない、何か、何か見落としている点でもあると言うのだろうか。

 沢田の動きに違和感があることに気付いた。なぜ、あいつは一向に玄関のドアに隠れる様に半身だけで応対しているのか。


「木田、逃げろ」


「え」


 俺が木田に目線を逸らした瞬間、沢田が玄関のドアを勢いよく開けてこちらへ飛び掛かってくる。咄嗟に木田に覆い被さり、道路先へ倒れ込んだ。


「がぁぁあああっ!!」


 左の脚に激痛が奔った。

 何かが流れている感覚が止まらない、冷や汗なのか。左脚だけ何故か寒い。そして痛い、痛い痛い痛い痛い。


「――――ぁぁぁああ、くそっ」


 鼻先数センチには木田の顔があり、とても不安そうな顔をしている。そんな木田に声を掛ける暇さえ無く、すぐに横に倒れる。感覚の正体に気付いた時、後悔した。

 ああ、想定していた筈なのにな。

 俺の左脚には包丁が刺さっていた。


「ひっ――――」


 木田が恐らく、それを見てしまったのだろう。悲嘆の声を漏らし、叫ぼうとした。だが、


「おっと、危ない危ない。だめだよ? 叫んだら君の彼氏が捕まっちゃうから」


 沢田は木田の口を抑え、玄関先まで引き寄せた。


「ははは――――、これで僕はもう終わりだ。でも一人じゃ終わらせないよ、鵬高さんも終わる。木田さんも僕の彼女なんだから一緒に終わってくれるよね??」


「い、いやっ……放して」


 必死に抵抗する木田だが思った以上に沢田の腕力が強く、逆らえずにいた。


「き、木田――」


 苦し紛れに名前を呼ぼうとして、玄関が閉められ、さらに鍵まで掛けられる音が痛みに支配されかかっている脳内に響き渡った。


 このままじゃ木田が危ない。


 だが脚にうまく力が入らない。警察を呼ぼうにも、住所が分からない。こうしている間にも沢田が何をしでかすのか、それすら予測がつかず八方塞がりだ。


「いや、まだ、だ」


 包丁が刺さったままなら出血も多量になるには時間が掛かる。ココの住所を知っている人間なら、居るじゃないか。

 沢田の母だ。

 俺は身体を引きずりながら玄関ではなく、家の側面に向かって歩き、窓を調べる。網戸になっているところがあるはずだ。

 あった。

 外に干してある洗濯物がそよ風に揺られ、まるで平静さを醸し出している。だが、この家の中ではそんな穏やかな事を言ってられる余裕の無い状況が待っている。

 現実から目を背けるな。俺が招いた種だ。俺が摘まなきゃ。


「こ、こないで」


 網戸の近くまで近寄ると、沢田の母親が今まさに窓を閉めようとしていた。


「おッらァ!」


 前に倒れそうになりながら網戸に手を掛け窓を閉められない様に間に自分の手を挟んだ。


「放しなさいよッ」


 沢田の母親は躍起になって窓を閉めようと強く押し込む。俺の左手はサッシ枠との間に挟まれ痛みが刻まれる。


「話を聞けぇっ!」


 左脚の痛みと左手の痛みに悶えながらも俺は叫んだ。


「あんたが沢田をああいう風に育てたかったのか、なんて今さら聞くつもりはない。だけど今まさにアイツは他人を巻き込んで、これから心中しようなんて考えてる馬鹿野郎だ。あんたもただそれを見ているだけってつもりなら今度こそ母親失格だ!」


 俺は無理矢理にでも窓を開けようと力を入れる。左脚から流れる血が体力を奪っていく最中、だんだんと母親の手が緩められるのが感覚で分かった。


「仕方ないでしょ、あんたなんかに何が分かるって言うの!? あんな父親がいたからあの子があんな風になってしまったのよ! あたしは何も悪くない、これまでも頑張ってきたのよ!!」


 窓が完全に開き、左脚が血で滑って結果的に家の中に入り込むことが出来た。


「確かに、これは酷い」


 家の中は綺麗な外装と違い、内装は壁に穴が空いていたり切り傷などが目立った。食器を直す戸棚もガラスが割れて床に飛散している。

 固定電話がある台に手を伸ばし、受話器の代わりに別の何かが床に落ちた。


「これは……」


 拾い上げたそれをポケットに詰め込み、沢田の母親を見る。


「あんたが何をしようがもう止められない。けど、俺はあんたの息子を止める。あんたもあいつの母親なら、あいつに少しでも希望を持っているのなら、警察を呼んでくれ。早くしないと取り返しのつかないことになるからな」


 俺の一言に納得したのか反抗的なのか分からないが、母親は立ち尽くしたまま動かなかった。近くにあったソファに手を掛けてやっとの思いで立ち上がった俺はリビングから廊下へ出て、念のために玄関の鍵を開放して、階段に手を掛ける。

 脚を引きずりながら一段一段よじ登る。床には血が滴っているが構うもんか。

 階段を下りれば玄関、という構造なら成る程。木田もあの時、逃げようと思えば不可能ではないルートだとは思った。玄関先でもたついたらアウトなのは絶対だ。だから念のために今、開けてきた。

 相手の手の内が読めない今は、どんな可能性だって考慮しておかなきゃ、足りないんだ。これまでだって充分だって自分で思っていた。ソレで充分なんだって、満足していた。でもまだ足りない。人間ってのは不安定だからこそ、正解なんてあるわけないんだって、思い知らされた。


「ふぅ……ふっ」


 息が荒々しくなっているのを抑えられない。二階までようやく辿り着いた時には既に見るに堪えないほどの流血が後に続いていた。

 壁にもたれ掛かり少しだけ、ほんの少しだけ息を整えようと思った。


「やば……意識、が」


 視界が狭まる。真っ白になる。

 何も聞こえなくなる。何も感じなくなる。

 すべてがどうでもよくなってしま……ぅ……。





「逆に木田くんが悩みを抱えたりはしないの?」

「後々酷い目に遭う人だって……いるわけじゃん」

「……だから鵬高くんの観察力は嫌いなんだよね」

「人の観察は得意なくせして、自己分析は全くってわけ? 変なの」

「はぁ、ほんとそれ好きだよね」





 五月蝿いなぁ。ほんと、好き放題言ってくれやがって、気付いてたんならもっと分かり易い態度で示してくれないと分かんないだろ。

 そうさ、俺は沢田のこととか関係なしに、木田を見ていた。自分でも知らずに、それがなんなのか、お前は気付いていたんだな。

 ホント俺って気持ち悪いやつだ。だけどお前はそれに気付けてない事にも、気付いてたんだよな。俺より相談役が似合ってるなんて、皮肉だ。

 そろそろ起きなきゃ……。




「......」

 いったい、どれくらい寝ていたのか。あるいは死に近づいているのか。俺はココで尻込みしてただ死を待っているのがお似合いなのか? いや、そうじゃない。愚かにもさっきの走馬灯で気付いてしまったことがある。

 俺は、木田あいらのことが心配で仕方ないんだと。苦手なはずなのに、同族嫌悪みたいな感情さえあった。だけど、なんだかんだで本当の俺を見ていたのはあいつだけだった。だから本当のあいつを、俺は見てやらなきゃ気が済まない。

 要は好きってことだ。


「がぁぁあああああ!!」


 二回も傷付いた箇所が多い、その中で唯一傷がついていないドア。勢いよく突進して突っ込む。万が一、ドアの先に木田が居るかもしれないという心配はしていない。沢田が簡単に逃げられる位置に木田を居させておくわけがない。よってぶつかる相手は入り口でもあり出口をふさぐあの野郎だ。


「あぁっ」


 まさか突っ込んでくるとは思っていなかったのだろう。沢田は勉強机にぶつかり痛み悶える。


「ああああ、くそっ、くそが!」


 勉強机の上にある小物を手当たり次第に散らし、ストレスをぶつける。


「太佑っ!」


 窓際まで追い込まれていた木田が俺の名前を叫ぶ。見たところ怪我はしていなさそうだ。


「ってか、その呼び方もう定着させやがって」


 逆上するぞ、沢田が。


「名前? 名前で呼び合う仲だったんですか? それなのに僕の告白に応じるとかとんだビッチだねぇ木田さん。そうやって鵬高さんの気を惹くために色々頑張って来たんでしょ? 大変だったよねぇ」


 沢田は片手に包丁を持ったまま愉快そうに笑っていた。俺に刺した奴とはまた別物だ。あちらのほうが長さが比較的長かった。

 俺はゆっくりと窓際まで対面移動し、木田を自分の背に、沢田に立ちはだかる。


「うるっせぇな……、お前こそ俺に復讐するために木田を付け狙ってたくせに良く言うよ、まじで」


 俺の発言に木田は何のことかサッパリわからないという顔をしている。対する沢田は満悦の表情を浮かべた。


「あれ? どうしてかな、バレちゃいました?」


 さして悔しくも無さそうに淡々とした物言いの沢田。ここでようやく確信に近付く。


「いくらかおかしな点はわりと強引に結び付けてたんだよ。だけどお前をぶっ飛ばした時にやっと推論が確信に変わった」





「またね、鵬高くん。この間は助かったよありがとう」

「こことは違う学校なんだけど、好きな女子がいるんだ」

「いや、他校の年上だから、今年で卒業ってことになるかな」


 その女子が友達に相談するということは自分では解決できそうにないと感じたから後日談として、


「顔くらいは覚えて貰っていると自信はありますが」

「沢田……ってこのクラスの人?」

「僕は頼れる人がもう居ないんですよ」





「あんた、俺らより一つ年上だったんだな」


 勉強机の上から床へと散らばった教科書、それは三年次に学ぶ教科書類がいくつか見て取れた。


「どうりで教室訪ねても知ってるやつがいないわけだ。学年が違うんだからな」


 というよりは最初からそう仕組ませるための弱気キャラだったんだろう。沢田から積極的に訪ねてくるのは自分の学年を悟られない為、隙を見せない工作だったということだ。


「ああ、そうですよ。でも僕は君たちと同年代とは一言も言ってなかったから勘違いした鵬高さんも悪いんじゃないんですか」


 悔しいが沢田の言う事にも一理ある。勝手な思い込みをしていた節は確かにあるけれど、年下相手に丁寧口調ってのはいけ好かない。


「あんたは、あれだ。元カノと別れさせられた逆恨みで俺を付け狙ったんだろ?」


「え、どういうこと」


 木田の怪訝そうな顔が拭えない。事情も知らなくて当然だ。


「少し前の相談相手にな、他校の女子が好きっていう奴がいたんだ。ソイツの話によれば彼氏が居たらしいんだが、どうも最低野郎だったらしくてな。俺の助言で多分ソイツは他校の女子と今、いい仲になってるだろうよ」


 木田にも少しずつ答えが分かってきたようで、沢田の方をジッと見た。


「そう、その最低野郎がそこにいる最低野郎だ」


 きちんと話を聞いておくべきだった。他校の女子からする他校の彼氏、というのはつまり俺たちの学校だって対象に入っていた筈なのに。そして部屋の内装から見てもこの沢田という野郎、キャラづくりでもしていたようだ。帽子のスタンドにはハットとかあるし、サングラスも普通にある。学校とそれ以外だとまるで人が違うわけだ。だから相談しに来ていた名前も知らないアイツもまさかこの学校にその彼氏が居たなんて思わないだろう。


「なにそれ、逆恨みじゃない」


 そう、逆恨みにも程があった。ただ疑問点はいくつかあった。


「なぜ、別れさせられた要因で俺に行きついたんだ?」


 気になったのはその部分だ。まさかその現場を監視していたわけじゃあるまい。


「おや、素朴な疑問ですね。あなたはわりと評判が良かったんですよ、他校の生徒からもね。今はSNSでなんでも出来事をアップする人が居て、たまたま僕が見ていても不思議じゃないでしょう?」


 ストーカー気質でもあったわけだ。


「なんで、あたしが巻き込まれる理由が分からない……」


 木田が恐る恐る訊ねてみる。その質問に沢田は「ハッ」と大きく吹き出すように笑みを浮かべた。


「復讐って鵬高さんも言ったでしょ? 僕は好きな人と別れさせられたんだ。同じようなことをしてやろうって、それで木田さんだったんだよ? 責めて、心を壊して、身体を汚してから鵬高さんに返してあげようと思ったのに。予想よりも早く来られちゃ、台無しになるでしょ?」


 そんな馬鹿馬鹿しい作戦、よくもまあ実行しようと思えたものだ。俺は逆に尊敬してしまいそうになるね、反面教師としてだけど。


「俺は木田を大切に想っている」


 左脚に刺さった包丁を抜き取る。


「がぁっ」


 痛い、麻痺しそうになっていた痛みが倍になって全身を打ち付ける様だ。実際に全身さえもいつも通りには動かない。護らなきゃいけないという確固たる意志でしかもう意識も保てては居ない。


「だけど、お前みたいに……、そんな最低に女を扱うやつがいるなら俺は何回だって思い知らせてやるよ。俺の助言なんていらないくらいに木田は強いんだバカ野郎!」


 切っ先が真っ赤に染まりきった包丁を沢田に向ける。いい加減に、流れ出る血の量も限界に近いかもしれない。頭痛や吐き気まで襲い掛かってくる。


「僕を刺しますか? どうせ死ぬつもりだったんだ、怖くなんてないですよ」


 どうして沢田がここまで追いつめられたのか、沢田の元カノはそこまで想っていなかったのに対して、コイツは最低なりに大好きだったのだろう。人の愛情なんて十人十色、性格とか個性とかと同じだ。自分たちでは当たり前なのが、相手には伝わらない、受け入れられない。そうやって互いを知って、認め合って、信じてこそ、恋ってのはそういうきっと楽しくて面白いことのはずだから。


「恋してたんなら、もっと楽しそうな顔しろよ」


 俺はポケットから取り出したそれを沢田に見えやすいようにドア付近へと投げる。


「っ!」


 花のついた色とりどりのミサンガが付いたバンド。それは沢田の元カノが別れ際に置いていったのか、単に忘れたままにしていたのか、どちらにしてもコレに未練があるということはハッキリしていた。沢田の動きが鈍くなった今がチャンスだと俺は包丁を投げ捨て、飛び込む。


「ぐっ、近づくな、くそくそくそがっ!」


 沢田の手を取り、包丁を捨てさせようと試みるが生憎、もう余力もほぼ尽きそうだ、暴れるあまり部屋を出て廊下での取っ組み合いにまでなってしまう。


「――――あ」


 自分の血で足が滑り、膝を付いてしまう。そして瞬時に手を振りほどいた沢田は俺の背に包丁を突き立て振り下ろした。


「ふざけんなっ」


 恐怖から立ち直り廊下まで出て来た木田が何かを投げた。咄嗟に後ろを向くと宙を舞っているそれは、さっき俺が投げた沢田の元カノのバンドだった。


「やめろっ!」


 沢田が叫び咄嗟にバンドを掴もうとして重心が後ろに傾いた。

 今だ。

 俺は沢田の体に飛びつき、沢田はココに来る途中で湿ってしまった俺の血が付いたフローリングに滑って階段から二人とも落ちる。



 痛い、もう、限界なんてとうに超えているもんだと思っていた。自分でもよくここまで動けるモノだなぁなんて感心してみたりするが、ココから先はどうしようもない。行き詰った。階段から落ちた痛みで運よく沢田が気絶していない限りは、俺は恐らく死ぬ。


「い……っでぇ」


 沢田の低く唸る声が沢田の胸近くに顔を埋めていた俺に警鐘を報せる。もう無理だ、動けないよ。


「み、みさ……と」


 沢田が目を開いた先に見えた物は、木田が投げたバンド。

 パトカーのサイレンと共に玄関が勢いよく開かれる。

 間一髪……かな。

 俺の意識はそこで途絶えた。







 また、少し眠っていたようだ。ここのところ、やることが無さ過ぎてすぐに寝る癖がどうやら付いてしまったようだ。学校が始まってからがキツいぞこれは。


「俺はお前が大嫌いだ」


 目覚めて最初に視界に入った人物に、俺はそう言い放った。

 俺に似ているから、俺という否定したい存在を、お前は。お前だけは本当の俺しか見ていないから。

 それが悔しい。

やがてのぞき込んだ顔を引っ込め、近くの椅子にその人物は浅く腰掛けた。


「そう……そっか」


 こんなはずじゃなかった。もっとうまく出来た筈なのに、自分のことになると本当クズみたいだよな、俺は。

 あいつが、沢田が俺たちに残した気持ちは、こんな感情だったのか。


「ああ、そっか。確かにこれは人を狂わせても仕方のない感情だな」


 大嫌いな木田あいらがこんなに愛おしいなんて、感じるだなんて。矛盾しているにも程があるだろ、こんなの。

 一人でに嗤えてくる。


「あんなことがあったのに、やっぱり自分には素直じゃないんだ」


 あいらが俺の家から取ってきてくれた着替えを無造作に専用の棚に放り込んで椅子に座る。


「入院してすぐの頃は正直になってただろ? まったく、いつになったら歩けるのやら」


 左脚の手術が終わって固定されている為、ほぼ何もできない状態だ。

 沢田がどうなったのか、目覚めてから聞いた。それを聞いた俺は安堵の息を漏らした。あいつはあいつでこれから頑張るだろうさ。


「あたしも折角休んでた分の授業、追いつこうって思ってたところなのに……。どうしてこうなるのかなぁ」


「嫌なら来るなよな、別に頼んでない」


 俺の一言にムッとしたあいらが舌を出す。


「頼まれなくたって明日も来てやる、ばーか」


はぁ。


「やっぱりおまえなんて嫌いだ!」


 そう言って、俺たちは手を繋ぎ、お互いの体温を確認し合う。

 それがどれほど続くのか分からなかったが、確かに今はあったかい。今は二人共、笑いあっている。それだけは忘れない様にしようと思った。


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