前編 彼は己を省みず
「俺はお前が大嫌いだ」
俺に似ているから、俺という否定したい存在を、お前は。お前だけは本当の俺しか見ていないから。
それが悔しい。
「そう……そっか」
こんなはずじゃなかった。もっとうまく出来た筈なのに、自分のことになると本当クズみたいだよな、俺は。
あいつが俺たちに残した気持ちは、こんな感情だったのか。今までの気持ちにまるで嘘をついていたように、蓋をしていたように思える。
これは自分の気持ちをひた隠しにした男の物語である。
取り消したい過去というのは、あるだろうか。誰だって全てが上手くいった人生なんて送れてはいない筈だ。それでも人は何かに後悔しながら誰だって前向きに進んでいる。進歩というやつか、あるいはヤケクソか。言い方は悪かろうが、どちらにせよ俺はまだその域には到達できそうになかった。
それはなぜか?
俺は昔から他人に的確なアドバイスは出来ても自分が人に勧めた行動をした例がない。すべては客観的な立ち位置だからこその観察力だとこればかりは自負しているが、それが自分の事となると途端に尻込みしてしまう。
だから誰かに弱みを見せたことは未だかつてない。誰かの言葉が俺を救ってくれたことなんてない。俺はつくづくチキンな野郎だという事は、ちゃんと身に染みているさ。
その所為か、なにも自分から誰かと話すわけではない。だが他の人は違うらしく、なんでも話しやすいという謎の空気感を漂わせているらしい俺は、顔と名前が一致しない様な間柄のクラスメートからも声を掛けられやすい。
それは人を惹きつける何かがあるのか、それさえも分からない。リーダーシップとか将来とれそうな気がする。
「二年四組の鵬高っている?」
夏休み明けの学校生活、教室の空調管理だけはピカイチなので何人かは教室内で涼んでいた、もちろん俺もその内の一人だ。
放課後。幾人かは部活へ行き、残った者も帰りの支度か、友人とおしゃべりの時間か……。だけど俺は違った。毎日というわけではないが、一定の確率でこうして訪問者がいる。
「あー、悩み事か?」
教室の扉から俺の席は少し遠いので相手に分かり易いように手を振りながら答える。こういった光景はクラス内ではとっくに珍しい光景でもないので周りにいた生徒の反応はまちまちだ。
「今日も頑張れよバイザー」「またね、鵬高くん。この間は助かったよありがとう」
人にアドバイスばかりしているということで単純にアドバイザーを省略したようなあだ名を付けられた。気に入っているわけじゃないがドバイとどっちがいい? って聞かれたらこっちで妥協するしかない。どっちかというとカウンセラーの方が響きとしては好ましいけれど。
バイバイと手を振るクラスメートにこちらも軽く手を振り、今日の相談相手を招く。
俺に相談を持ちかけてくる奴は男女問わず。一回相談を受けた人はその後、相談しにくることはあまりないけど、相談したその後は親しく接してくれる。気心が知れた相手、という認識が根付いているのかもしれない。宗教とか興せそうだ。
「相談したいことがあるんだよー」
俺の席の前にあるイスをこちらへ向けて座る別クラス男。名乗ってくる相手の名前は悩み事と関連付けて覚えるけど、この手の手合いはまず、名乗っては来ない。こっちが知っている相手は向こうも名前を知っているだろう、みたいな思想の人が多いから顔は覚えても名前が未だにハッキリしない人だって多い。名乗らない他人の名前は基本覚えない。相談した内容は覚えてしまうが、それでも誰かに話すほど口は軽くない。話す相手居ないしな。
「俺ってばさ、こことは違う学校なんだけど、好きな女子がいるんだ。どうすればいいと思う?」
これはまた脈絡のない悩みだ。
それでも俺は思案する。相談されるようになったきっかけは友達が俺の観察力を見抜いてその噂が広まって、という感じだった。
中学の時は喧嘩した友達との仲直りの仕方とか進路の相談とかが多かった。進路に関しては先生にするより俺にした方が緊張しなくて済む、という単純な理由だった。おかげで俺は先生に進路相談する緊張感が半端無かったけど。
しかし高校に入ってからは恋愛相談がダントツで多い。それでも答えを導き出す俺は何かしらの病気なんじゃないかと自分でも気持ち悪く思う。
「告白するのに何か問題があるのか?」
度胸とか、その後が気まずくならない告白のやり方、いろいろあるぞ。
「いや、その子って彼氏持ちなんだよねぇー」
絶句した。コイツ誰かの女を寝取る気なのか。
「だから、こうなんとか……」
「まってくれ、それはいくらなんでも無茶だろう」
それだと相手の男と修羅場になることは先ず間違いない。たまにこの手の無理難題な相談事は本人を納得させたうえで諦めさせるのが俺の鉄板だ。そもそも悩みを通り越して我儘すぎる。普通は大人しく諦めるものだろう、もしその男に何の問題も無ければ、だが。いや……、まさかだが、
「女子友達に聞いたらさ、その子の彼氏が気性がとても荒いって話でさ、その子の金にとか平気で手を出してるって愚痴まで聞いたんだと! あり得ねーだろ!?」
いやまあ、確かにどうしようもない最低野郎ということは分かった。
「その付き合っている男ってのはその子と同じ学校なのか? タメか?」
「いや、他校の年上だから、今年で卒業ってことになるかな」
成る程な、同校ではないか。それなら策はあるな。
「お前、金に余裕はあるのか?」
「ん? まぁ、バイトはちゃんとしたところでやってるしな……金使う趣味もあんまないから、けっこうお財布事情は自信あるぞ」
「そうか、だったら今度その女子友達とその子誘って放課後どっかに寄ってみろ」
ん? と訝しんだ表情をされた。補足が必要か。
「相手が彼氏持ちなのに学校外で二人きりになるのはほぼ不可能に等しい。お前の口ぶりからするとその好きな女子の友達とも別に仲が悪いわけでもなさそうだ。それならその子たちも誘って、という形が自然だろう。校外なら最悪その彼氏と鉢合わせても不審がられないしな」
「でもさ、それでどうすればいいんだ?」
普通の男だったら女子ばかりの輪というのにすんなり入れる勇者なんて恐らくはいないだろう、その点に関してそこは自然でいい。これはあくまでも提案だ。何があってもこっちでは責任が取れない。全部俺の意見で通してうまく行っても今後のコイツの為にもならない。あとはその女子と気が合うかどうかだからな。
「適当な店で腹減ったアピールしてアイスかクレープでもそこで女子全員に奢る素振りだけでもいいぞ。それも全員に気遣う感じでだ、もちろん断るやつもいれば、ホイホイと驕らせる奴もいるけど、その心意気だけは誰もが認めるポイントになる」
女ってのは男と二人きりになると必ず装っている点が無いかを探ろうとするだろう。しかも異性と付き合った経験があってそいつが原因で別れた、もしくはその道に向かう途中ならば特に。必ず天秤にかける。自分のお金が無くなっていく最中、逆に奉仕してもらった女子はそこに弱い。結論は普通に奢っているだけに見えるがその子の気を引くため、という部分をカモフラージュするためにあえて女子全員に奢る。それはもう自然にだ。見立てた限りじゃ、この男はそれに慣れている。言動から考えても裏表があまりないタイプの人間だ。少し時間をかけてやればいずれ別れるだろうカップルに対して明確な理由を思い起こさせるには充分だ。
その女子が友達に相談するということは自分では解決できそうにないと感じたから、そして名乗っていないが目の前のこの男がその情報を手に入れられたということ、それは友達女子からある程度の信頼をされているから、と想像したから立てられた作戦だ。はっきり言ってうまくいってもいかなくても後は当人たち次第だ。最後にこう添えてやればいい。
「成功するかしないかはお前の本気にかかっている。あとはお前次第だ、頑張れ」
「おう? なんかわかんないけどイメージしたらイケそうな気がしてきた! ありがとな、少し気が楽になったぜ」
「ああ、それならよかった」
アプローチするなら早めがいいだろうから、敢えて急かす様な口調になった。金を奢らせている男の方がもうすぐ卒業するならば、二人の間の問題はいずれ解消されるだろう、その彼女も恐らくそれを知ってて我慢している。嫌な話、弱いところを突くなら今くらいしかないだろうな。
話が終わると、目の前の男は意気揚々と教室から出て行った。結局最後まで名乗らなかったな、いいけど。
俺はあくまで「こうすればいいんじゃないか」というアドバイスをしている一介の相談役に過ぎない。平たく言えば無数にある選択肢の中の一つを見つけて呈示しているだけだ。それに責任を求めてくる人間などいない。なぜなら報酬という物を俺は一切貰わないからだ。確実に成功するとは限らない。だから、というわけじゃないが的確なアドバイスは出来ても正確なアドバイスはやらない。全てが操れるわけではないし、別に俺はメンタリストになったつもりもない。いつかはこういった仕事に就いたら面白そうだからという理由だけでやっているに過ぎない。
後日談としては、年上彼氏持ちだったどっかの学校の女子は彼氏とめでたく別れたとか何とか。理由は、まあ興味がないので割愛しよう。
しばらくは悩み事を持ちかける人がいないなぁ、平和だ平和だと、ぼーっとしていた。しかし放課後、久々にまた悩みを抱えた迷える子羊が鳳来する。
「すみません、鵬高さんって方は」
「あー、こっちこっち」
手を振って招きよせる。今回の相談者は……随分と貧弱そうな男子だ。迷える子羊って言うのも案外言葉としてはあながち間違いではなさそうだ。
「あー、えっと」
「まあ、とりあえずそこに座ってくれ」
俺は手のひらで自分の目の前の席を指す。俺の周りの席はたいてい相談者が座りにくる『お客様席』というクラスメートのなかで黙認されている領域となってしまっている。普通だったらいろんな人に座られるなんて嫌だろうけれど、最近の若者は環境の変化に順境過ぎてこわい。
「ありがとうございます」
「で、今日はどういったお悩みで?」
まるでビジネスに面した気分だ。相談窓口の人の気持ちが今なら共感できそうなほどに。それにしても見た目通りの反応を彼は見せてくれているな。相談に来ているのに何やら言い淀んでいる、よっぽど他人には話せない悩みか、普段からこうなのか。
どうやらただ恥ずかしがっているだけのようだ。妙にモジモジしているし耳が赤い。まるで乙女の様だ。気持ち悪っ。
「好きな子でもいるのか?」
奥手な顧客はこちらから打ち解けに行かないとなかなか一歩を踏み出せないもんだから、こちらから切り出す。そしてそれは大正解のようだ。最近はこの手の悩みしか本当に来ないから、なんとなく分かりきってはいた。恋愛脳だなぁ、みんな。
「あ、えと、その、はい」
言われて少し驚きを見せたが、わりとすんなり認めた。おーおー春だねぇ。
「で? その相手ってのは?」
コミュニケーションが得意そうではない今回の相談相手に関しては告白云々というよりは勇気を下さいっていう願掛けな状態で訪ねてくることが多い。大切なのは主体をハッキリ伝えられることだ、と言ってあげればたいてい解決するがそれだけ言っても本人の勇気になるかと言われれば、その確率は低い。ある程度情報を吐かせて一旦溜めている感情を捨てさせ、そこからコンディションを整えてあげなければならない。一見、面倒そうな作業だが、一度相手のスイッチが入ってしまえばあとは相槌だけで事が進む。
「あの、このクラスの女の子で、木田あいらさんって人なんですけど」
さっきから妙に周りを見てソワソワしているなと思ったら、そういう事か。
「……そうか」
木田あいら、知ってはいる。同じクラスだからというだけではないけれど。俺は彼女のことが好きか嫌いか、と聞かれれば好きというより、嫌いという感情に近い。苦手というべきか。
『へぇ、鵬高くんってそうやっていつも誰かの相談に乗ってやってるんだ?』
『乗ってやってるって……俺はそんな上から見下す様な人間に見えるのかよ』
席替えでたまたま隣が木田あいらだった。その時はクラスが新しいからクラスメートが興味本位で相談しに来て、観客が集まるというスタイルが多かった。その様子が否応でも目に付くのだろう、ふと木田が俺の事を凝視して訊いてきた時があった。
『んー、どうかな。でも相談に乗って献身的な結果を見せてる人とだとは思えないほど気怠そうにいつもしてるからさ』
『そりゃ、こんだけ毎日珍しもん見たさに来られたらそうなるだろ』
俺の返しに木田は「ふーん」と何か引っかかりを感じさせる曖昧な返答をしてきた。
『どうした? 木田も何か相談したいことがあったりするのか?』
あまり人に観察されるのは慣れていなかったのもあるけれど、あまりにも変な視線を浴びてしまうと調子が狂うため、こちらからアプローチをかけてみた。
『んーん、あたしは人に話すほどの悩みは無いから別にいいよ』
苦笑交じりに遠慮する木田の姿を見て何故か苦手意識が出てしまった。コイツは本音を漏らさないタイプの人間だと直感したからだ。恐らく一定の距離でしかあまり人と接することがない厄介な相手だと感じ、それを自分と重ねてしまった。
『見てて思うんだけどさ、逆に木田くんが悩みを抱えたりはしないの? 自分で体験した訳でもない事なのに誰かに助言できる自信っての? どこから来るのかなって』
そう、それは第三者視点からしか導き出せない答えだった。事実と言えばそれは事実だった。人の相談ばかり受けていて当の本人は悩みなどないのか? 表立って言えば俺の事を気遣っているようにも受け取れる。しかし本音はこうだ。「お前は、なに目線でそれを語れるのか、人の不幸で自分が元気づいているだけじゃないのか」と。そう含みを籠めている感じが本人の態度から読み取れた。
恐らくそこまで思って言ったことではないだろうとあくまで思いたいが、事実それに気付かされた俺は妙な鋭さを俺に対して放つ木田のことに苦手意識が生じるようになった。
そして事実、木田は一回も俺のところに相談者として来てはいない。
「あの、鵬高さん?」
「あ、ごめんごめん……、それで木田が好きなんだっけ」
物思いにふけ過ぎた。本題に戻ろう。
「他人の色恋沙汰にどうこう文句を言うつもりはないけども、どうして木田のことを好きになったんだ?」
俺が普段過ごしているクラス内の木田という人間は、全てがうわべの存在に見えて仕方がない。猫被っているわけではない、とは思いたいが、必要以上に誰かと関わりたがらないような。なんというか『独りの方が気楽』というタイプの人間像を描いてしまう。あいつには八方美人という言葉が似合うなぁと常々見ていて思ってしまう程に。
俺も他人の事を言えた義理ではないってのがこれまたキツいけれど。
「木田さんって人当たりいいじゃないですか」
「そうね」
うわべだけね。
「普段真面目だし」
「そうね」
悪目立ちしてたら広く浅く他人から好かれないしな。
「しかもかわいいし」
「そうね」
否定できないからこそ、余計タチが悪いんだけどな。
「完璧じゃないですか!」
「そうかしらね」
どうでもいいけど急にテンションあがったなコイツ、気持ち悪っ。
「そんな彼女にどう声を掛けたらいいんですかねぇ」
普通に告白すればいいんじゃないか? 恐らく今後の事を考慮して、多分やんわり断られると思うけど。「気持ちは嬉しいけど、今は誰かと付き合いたいとかは思わないの。ごめんなさい」とかが妥当だろう。
実際どんなアドバイスを施したところで他人を受け入れない他人に対しては成功した例がない。
「ところでお前、木田さんと面識は?」
「どうでしょう、顔くらいは覚えて貰っていると自信はありますが」
あちゃー、これは先が思いやられるな。
「突然告白って、昭和の人間ですか。平成入りたてですかお前は」
これはまた厄介な案件だと俺は悟った。よくもまあ引っ込み思案のような性格で突発的なことを企もうと思えたよな。妙に感激したくなるわ。真似したいとは思わないけど。
「まずはアプローチから入れ、話はそれからだ」
「そんな! こうしている間に誰か他の人に先を越されちゃうかもしれないじゃないですかっ!」
そんな事まで考えられるならどうして真っ先にアプローチを掛けないんだコイツは。
「いいのか? このままいくとほぼ百パーセントでフラれるぞ」
「うぐ……そうですか」
分かり易くしょげ込む昭和男。顔だけなら童顔だし年上なら母性本能とかで落とせそうなのにな、残念だと常々思う。
「僕なりにこれからアプローチ頑張ってみたいと思います! ではまたよろしくお願いします」
勝手に納得して席を立ちお辞儀をする昭和男。
「あーはいはい、お疲れね」
これはまた、珍しい部類のお客さんだった……。
ん? また、とは?
それから数日置きに昭和男は俺のところへやってきてはアドバイスを求め、下手に指示口調になることを避けつつ助言。本当ならばそこはやめさせておかなければ本人の為にならないのだが、言ったところでその話を聞いてるのか居ないのか、それでもやはり訪ねてくる。変に頑固っぽいところが昭和感満載でどうにも困り者だ。
こちらとしては結構いい迷惑な話なので突きかえしたいところだが、あることない事吹聴されて今後の生活に支障を来す、そんなことになってしまえば今の状況以上に厳しいのは目に見えるのでしばらく辛抱することにした。
「ねぇ、鵬高くん」
昭和男によるストレスを発散できず鬱憤が溜まっているところに、俺よりも機嫌が悪そうな女子生徒に声を掛けられた。
おっと、よく見てみたら珍しく木田が移動教室時にわざわざ声を掛けてきたというのか。
「どうした、珍しく俺なんかに声なんて掛けて」
微妙に皮肉交じりで返すがそこは華麗にスルーされる。
「最近、となりのクラスの沢田くんからよく声を掛けられるんだけど、鵬高くん何か彼に言った?」
誰だ、沢田って……。
困った表情をすると木田はしびれを切らしたように机をバンと叩く。生憎教室内には俺と木田だけしか居ない。誰も居なくて良かったな、その人当たりのいい体裁を護れたぞ。
「恍けないで、地味っぽい彼のことよ」
「あー。沢田って名前なの、あいつ」
そういえば今の今までだって名乗ったこともこちらから聞いた事も無かった、アイツの名前。
「妙な事を吹き込むの、やめてくれる?」
俺はしばらくだんまりを決め込んだ。チラと木田を窺う、誰にもしなさそうな、俺でも初めて見るような形相をしている。どうやら相当迷惑しているらしい。おかしいな、アイツ本当にうまくやっているのか?
まあ、相手が木田だし仕方ない不定調和というのも頷ける。
「迷惑だったら『他に好きな人が居るんです』アピールでもさりげなーくするなり方法はあるだろ。むしろそっちのほうがアイツを諦めさせる一番手っ取り早い方法だろうて」
ソレに気付かない木田じゃないだろう。と、買い被ったようなセリフを俺はグッとこらえて言葉はそこで閉ざす。
「それだと、あたしが性格悪い奴みたいになる……それに、後々酷い目に遭う人だって……いるわけじゃん」
何故だか言い淀みそうになりながら、訳の分からない事を口走っている。
「普段から人間を拒んでるような森の賢者気取りが今さら何言ってるんだか」
俺の放った言葉にどこか後ろめたさを感じた木田は身の置き所がない様子で俺を見る。
「……だから鵬高くんの観察力は嫌いなんだよね、余計な他人の無駄なコンプレックスばかり突き詰めて」
それはどうも、今世最大級に喜んでもいい褒められ方かもしれない。
「告白されてそれを断るっていうだけでも、女子の中では敏感になるもんなんだよ」
「ああ、だからそういう体面ばかり気にしてヘラヘラしてる女が嫌いなんだ」
妙にプライドの高い女子ってそうやって告白された事をステータスのように考え、他者を嫉妬する感じの女子ががやたらと多い、マンガの世界とか定番だけどわりと実際そういうのは女子の中で見られることがある。つくづく女に生まれなくて良かったと思える瞬間がだいたいその時だ。男は友情、女は愛情ってやつか。
「なにそれ? 遠回しにあたしに言ってる?」
「女子も大変だな、それじゃ頑張れよ」
木田の話を余所にいそいそと支度をして席を立ちあがる。
「え、ちょっと! 話は終わってないって」
木田の言葉を遮るように俺は教室前方の壁に掛かっている時計を指差す。
「あ」
木田の短い声とともに俺は教室を一気に走って駆け出す。そして数秒後に始業のチャイムが鳴り始める。俺はギリギリ間に合った、ざまあみろ。
その後の授業も木田は俺の事を目ざといと感じているのか、負圧をかけてくるような視線を寄越すだけで何か話そうとは一切しなかった。目ざといのはどっちだよまったく。それでもこうして他人から睨まれるということには慣れていないもので、そこはかとなく恐ろしいとは思う。沢田よ、早く告白してフラれてくれ。後生だ。
いよいよ胃が痛くなってきたので動き始めることにした。
「あー……なぁ、沢田くんよ」
「はい?」
俺から相談者に声を掛けるなど不測の事態でしかないが、これもクラス内で安定した生活をおくるために仕方のない処置だと自分に言い聞かせる。
「あれから木田とは、どうだ? なんていうか、進展とかしたのかなって」
向こうは迷惑そうにしていたけど、それがこっちに伝わっているのだろうか。そこが一番の心配どころではある。
「それはもう、進展どころじゃないですよ。今日なんて木田さんの方から声を掛けてくれたんですから! それはもうにこやかな表情で『何か用かな?』って」
その口ぶりからするとお前、ほぼ遠目に見ているだけだろ。それは勘のいい奴なら「用がないなら近付いて来るんじゃねえ」って言っているに等しいからな? だけど沢田は気付かないんだろうな、なにかとめでたく考えるヤツだし、ハッキリ言ってココまで安定感のない人間は俺の中で出会った例がない、歪だ。
俺に対して見せていた初対面の頃の弱々しい面影がここ数日で消え失せていた。普通ならいい兆候なのだろうと思いたいが……。この違和感は全く以て違う。俺に相談をしたあと心が楽になって俺に対して優しくなる人間は多いが、沢田は違う。
どういう理屈か今までにない人生の転機で性格そのものが変わりつつある。思春期の終わり際に見られるような状態にある。
正直に言うと、何が起こるか俺も分からない。どんな人間でも心の中の全ては読めない。そして理解できない突如として爆発する感情だってある。人の間の不安定な感情、人間。複雑だからこそ、こっちも慎重にならなければならない。
「あのな、一応言っておくけど必ず成功するわけじゃないってのは常日頃から言ってるだろ? もっとよく相手を観察することだって本来は大切な事でだな、なんていうかハッキリ言ってお前ひとりで舞い上がっている節が目立つ」
俺なりの見解で的確な所を突いた。恐らくハッキリと言ってやらなきゃ気付かない思考の人間だ。この沢田というやつは。
しかし、今思えばそれが沢田の本質だったのかもしれない。人は成長するにつれ落ち着きはしても、その本質だけは変えられない。本人がそれを強く望まない限りは……。
「取り越し苦労ですよ。もし僕のことが嫌なら嫌って言うじゃないですか。言わないってことは脈があるんですよ」
「それはちが……、いやなんでもない」
ハッキリとは言えなかった。今ここで違うと言ったら、コイツの自信は瞬く間に喪失してしまいそうだったから。そもそも以前から疑問に思っている部分がある。どうしてそこまでの自信を醸し出せているのに……沢田は今まで引っ込み思案な性格をしていた? 俺じゃないにせよ誰かが少しでも沢田に言ってやれば、わざわざ人と話しづらいというイメージを相手に持たせることは何もないだろう。木田だって地味な男という格付けをしていたではないか。
そんな沢田が俺の助言のせいで変わるだなんて、心の底から認めたくなかった。認めてしまったら、俺は助言という領域を越えた、洗脳になってしまうから。もしくは触発してしまった主犯格なのだろうか。
「ありがとうございます! 鵬高さんのおかげで、僕は今とってもいい気分なんですよ。このご恩は忘れません。近いうちに必ずお礼をしますので期待しててください」
「え、いや。気にしないでくれ、俺が勝手にやってることだからな」
「それじゃ、これからホームルームなんで。僕はこれで」
軽快なステップで去る沢田を見送る俺の顔はどうなっているだろうか? 木田の様な人当たりのいい顔は出来ていただろうか……。
俺はわけの分からない恐怖に襲われていた。得体のしれないものを相手にしている気分だった。それがハッキリと断定できないことが、この曖昧な関係をつくり上げていたのかもしれない。もっと早くにはねのけているべきだったのかも、と思っても今さら手遅れだった。
「今さら木田に気を付けろと言ったところで、だよな」
アイツなら大丈夫だろうと思っていた。下手な事をやらかしたりはしないだろう、そう信じていたから。
どうも心の奥で何かが引っ掛かる。もやっとした気持ちの悪い感じだ。
「っ!」
俺はどうして木田が告白を断る前提で今まで話を進めていたんだ? 木田は人と一定以上関わりたがらない人物で、俺の中ではそれ以上の情報もそれ以下の情報も無かったはずだ。
俺とアイツは似ている。正確の悪さとか、妙に人同士の関係に敏感なところとか。
それを分かっているからか、知らないうちに木田の前では素の自分を、本当の考えを出しつつあった自分に、嗤えてしまった。
最近の俺は本当にどうかしている。
「最近あいつばっかりが来るからか。これだから同じ穴の貉ってのは嫌なんだ」
思えば異例の事態だった。誰かの考えは同調して最良を編み出せばいい。だけど自分の想いには気付かない。見てみぬふりをしていたのだろう。俺は別の感情に突き動かされていたことを勝手に無かったことにしていた。
それがなんなのかは、今は答えが無い。
「聞いてくださいよ鵬高さん」
休み時間、自販機で桃の風味がする水を買っている俺の背後には沢田が立っていた。これはまたえらく上機嫌で。最近の沢田がこんな感じになっている時は決まって木田絡みの何かだろう。というかそれ以外にコイツと話す理由が見当たらない。別に事後報告などしなくても最近の俺はこれと言ったアドバイスをしているわけじゃないから俺に関わる必要も今はあまりないんだけどな。
「どうした? また声でも掛けられたか」
取り出し口にペットボトルが引っ掛かったので少し手こずりながら適当に返す。
「とうとう告白したんです、僕。あの木田さんに」
どの木田さんだ、などと返す余裕があればよかったが生憎そんな事は出来なかった。ようやく取り出し口から出したペットボトルが床に落ちた。
「そうか、おめでとう」
落ちたペットボトルを拾い、埃など付いていないか払う。
返事はどうだったか、なんて聞かずとも分かっていた。俺の思惑が外れていた、そのことがとてもショックだったわけではないのに、俺は沢田の喜ぶ顔を見ることが出来ずにいた。
「あ、そろそろ授業始まりますよ。それでは」
時計を見た沢田は慌てて自分の教室へ戻った。ペットボトルの蓋を回し、最初の一口を味わう。ほのかに香る桃の風味がこれまた何とも言えない。
「あーあ、授業に間に合いそうにないな」
誰に言い訳しているのか、そんなバカなことを呟いた俺は……、俺の表情はいま、どんな風だろうか。誰に見せられる表情でもなかったことは嫌でも理解できた。
さてと、授業をサボった悪ガキが行くところと言えばどこだろうか。かなりベタだけど普段から立ち寄るわけじゃないので行ってみようと思い歩を進めた。
「…………」
黒板にやたらと綺麗な字を書く現国の先生を余所に、少し離れた空席を睨み付ける女子がいた。
あまりこんなことはしたくなかった。屋上に向かうなんて、本来ならば青春の一ページを描けるような場所に向かおうなどとは痛い奴のすることだ。しかし、授業をサボっている生徒が見つからない場所、というのにうってつけなのは屋上くらいしか今の俺には浮かばなかった。どうせこの次は放課後だ。生徒が一人居ても居なくてもサイクルする学校のシステムにどうにか文句を言いたい気分だが、今だけは本当にありがたいと思う。
「管理がなってないな」
いつもは開いていない屋上の鍵も、たまにこうやって鍵が掛かっていなかったりする。そしてドアを開けて、誰も来ない様に外から鍵を閉めておく。一人の時間の出来上がりだ。
屋上は家庭部が有している菜園がある。夏はどうやらトマトを育てているようだが、まだ実が青い。とても盗み食いをしてやろうという気にはなれなかった。まだまだ暑いけど季節的に言えばもう秋くらいだろうに。
「しばらく身を隠すか」
外の景色なんてあまり見ない性分だったが、何かの柵から解放されたい今の俺にとっては悪くない景色だと思いつつ、教室から見るのとは全く違う面持ちになった。こうやって世界は広いのだと思い知ったところで、ようは気の持ちようでしかないのに、何故かその景色を見ずにはいられなかった。普段から人間しか見ていないからか、ずっと見ていられるような気もした。
僅かな雲の動き、遠くの入道雲の大きさやセミの鳴き声。時折近くを飛んでいるヘリが今日も町を横切っている。
視線を下方に向けると二年四組の教室が見える。校舎が二棟あるから屋上にいることが知られない様にしなくてはいけない。しかし、興味本位で自分の教室を見てしまったことが間違いだった。
「……」
見られていた。木田あいらに。
忘れてしまっていた、今月の席替えで木田が窓際に移ったことを。しかも普通なら目が合うことはあってはならないこの状況で木田と目が合ったということは。
「俺を捜していたのか? いやまさか」
そうじゃないと、授業中に屋上を見ようとするなど、ただ集中力がないだけか、黄昏たいやつしかいない、残念だがどちらもあの女には似合わない。
木田は明らかに俺を睨んでいた。やはり沢田のことか、これで授業をサボっていることは告げ口されて立ち入り禁止の屋上に居た事もバラされて、良くて担任の説教行きか。
そう思っていたが、木田は突然立ち上がり先生に何かを告げたかと思うと、授業中なのにどこかへ向かったようだったが、この位置からでは伺えない。
「忙しないやつ」
屋上備え付けのベンチに横たわって菜園を観察する。よくここまで枯らさず育てられるなと感心する。
「ふぁ~眠いな」
この時間にこの暖かさは反則レベルで眠くなる。少しくらい寝てもいいだろうが放課後になるってしまうと家庭部が訪れて気まずくなる可能性もあるけど、そこはスルーしてくれることを祈ろう。そう思って夢の中へバイバイしようとした。
しかし、もう少しでバイバイできそうなところで邪魔が入る。屋上のドアが叩かれている。扉が鉄製だからか、その音は屋上全体に響き渡り俺の眠りを一気に醒ます。
「……ちっ」
出来ることなら居留守を使いたいところだけど、授業中である本来の時間に誰も居ない筈の屋上に来る人物など、俺は想像したくはなかった。だが、このまま五月蝿くされると誰かしら気付きそうなのでしぶしぶ起き上がってはドアノブの錠部分を捻った。
すると豪快に扉を開かれそうなので二歩程度下がってみれば大正解。思いっきり扉は開かれた。その場に居たら完璧に吹っ飛ばされていたなこりゃ。
「不良」
開口一番、そんな事を言われるとは心外だった。
「そういう優等生木田様は、どうしてココに来たんだ」
別に俺を心配してココに来た、という間柄でもないだろう。ハッキリ言ってそういう事をされると迷惑なのはお互い様の筈だ。
「何を落ち込むことがあるの? 自分の正しさが証明されたっていうのに」
落ち込んでいる? 誰が?
「人の観察は得意なくせして、自己分析は全くってわけ? 変なの」
何を言っているんだこいつは。
「沢田の告白、どんなだったよ」
それは話題を逸らしたかったから、出た一言かもしれない。それとも沢田の素晴らしい勘違いだという淡い期待をどこかでしていた可能性も否めない。
「うん、一生懸命さってのは分かった。今どき、呼び出して告白ってシチュは逆に新鮮で少し緊張するよね。断っても良かったけど、とりあえず引き受けたよ」
どこか清々しそうに、伸びをしながら木田は言ってのけた。
「引き受けたって……」
俺は……何が言いたかったか、何を言おうとしていたのか、直前になって忘れてしまった。喉に引っかかっていた想いの何かを呑んでしまった。
「断る理由とか考えたけど、なかったから。どうしてあたしを好きなのか、それが変わらないのかを試すって意味では妥当だと思うけど?」
「そうかよ」
何故、俺はこんなに動揺している。今はそれだけしか考えられなかった。このイライラとした感覚は何だろう。まともに木田を見ることが出来ない。木田はどんな顔をして今、俺を見ているのだろうか。知りたいと思いつつ、それが怖くもあった。
「でもお前は、迷惑だって言ったじゃないか。だから余計な事をするなって確かに、俺は聞いた。そんな中途半端な気持ちで返事したら……あいつが、沢田があまりにも……」
あまりにも、なんだ?
「可哀想って言いたいの? どうして」
「どうしてって……それじゃお互い幸せになれない……」
そして俺は詰め寄られたことで、のけ反ろうとしてよろめく。
「だって、相談相手の恋がどんな形であれ実ったんだよ? 鵬高くんの仕事はその結果だけで終わりなはずでしょ? なのに何が気に食わないわけ?」
初めて、言い返すことが出来なかった。
「前から思っていたけど、鵬高くんのそれは助言じゃないよ。気付いてるかどうか分からないけどそれは単に決めつけているだけ。もっと簡単に言えば、ただの我儘だよ」
否定が出来ない、反論なんてしようがないじゃないか。
「紛れもなくソレは正論だな」
そう言って木田の顔を見た俺はその先の言葉を失った。
どうして?
そう聞きたかった。
どうしてそんなに泣きそうな表情で俺を見る?
お前は今、優位な立ち位置に居る筈だろ。なのにどうして俺よりも辛そうなんだ?
「……っ、卑怯者!」
それだけを言い残して、木田はその場から駆け出した。
俺はしばらくその場から動けなかった。へたり込んで肩の力も抜けて、仰向けに倒れつつ空を見上げた。果てしなく青い、雲の動きがまるで今の出来事さえ全部受け流してくれるような錯覚さえあった。
「何が悪かったんだろうな」
そろそろ放課後だ。とりあえずこの場からは立ち去った方がいいだろう、俺はゆっくりと立ち上がり屋上のドアを静かに閉めた。
それから俺と木田はもちろん言葉を交わしたりしていない。喋らなくても学校生活がスムーズに進むというのは成る程、素晴らしいなと思ったりもする。席替えをしてくれてよかったと思う、月が替わるまでは次の席替えにビクビクしないで順風満帆に過ごせそうだ。
しかし、それとは裏腹に件の沢田は昼休みになるとこっちの教室に来る。
「木田さーん」
沢田が毎度毎度来ては木田を呼び出して一緒に食堂に向かう。それだけでみんなは事態を察する。
木田と沢田が付き合い始めた、と。
別にいいんじゃないか。どっちも漢字の田が入っている苗字だし、きっとお似合いのカップルなんだろうよ。相手が沢田だからってのもあって木田も女子から目を付けられたりはしていないだろう。沢田が学校一のイケメンとか言われていないならば。だがしかし、その逆については気にしたことなかったな。
今回のことで気付いたが木田は人柄が悪いわけでは無いのでクラスの男子からも人気はそこそこあったようで、男子の面々そのショックは大きいようだ。
木田はともかく沢田という人物の人柄はどうだろうか。俺に接しているあの性格がいつも通りなのか、ご飯を誘いに来る度胸があるなら会話とかもきちんとしていそうだしな。だが、そればかりが気に掛かっていた俺は沢田と同じクラスの人間に声を掛けてみた。
「沢田……ってこのクラスの人? 居たとしても多分そうとう目立たないヤツだと思うよ?」
「は?」
他の人間に訊いても同じような答えしか返ってこない。本人に聞いても確かにこのクラスで合っている筈だ。なのに誰もそれを知らないほどに目立たないヤツだと?
どう考えてもそれはおかしい状況だった。一度話してみればいい奴だった、面白い人間だった、という例は珍しくはない。
みんなが思う沢田が、目立たない地味な奴と認識する、そんなやつがどうしてあんなに他のクラスでは目立つことをしたがる? 俺が最初に見立てた通りの引っ込み思案なあの性格は偽りなんかじゃないはずだ、なのに。
なのにどうして?
まるで情緒が安定しきっていないではないか。
同クラスの女子が好きならまだ分かる。だが、別クラスの女子が好きで、そこに行ってまであんな堂々と彼女を呼び出せるような奴なのか? それとも俺の考えすぎなのか。
俺はパンの封も空けず机に置いたままずっと考え事をしていることに気付いた。
「……バカみたいだ」
何を一人で盛り上がっているんだ。もう俺には関係のない事じゃないか。あの二人はきっとうまくやれるさ。何の問題も起こらない、他ならない俺が信用してあげなきゃいけない事ではないか。
これまで通りの、いつも通りの生活が待っている。それでいいじゃないか。
なのに、心臓が痛い。
それを抑え込むように制服の上から胸部を抑えつける。レジ袋を持って屋上へと向かう俺は、傍から見ればそれはもう格好悪いことだろう。今はそんな事さえ気にならないほど俺はどうかしている。
例の如く、鍵は掛かってなかった。
「……っ」
俺が使おうと思っていた屋上のベンチ、あの日以来お気に入りだったベンチには運の悪い事に先客が居た。
「あれ? 鵬高さんじゃないですかー」
二人いた、そのうち一人は俺を見て陽気に手を振っている。もう一人はバツが悪そうに俯いている。二人とも購買で買ったパンやジュースを間に昼食をとっていたみたいだ。
「沢田……と、木田」
誤算だった。二人はてっきり食堂へ向かったものだと思い込んでいた。成る程、どうやらお気に入りの場所を見つけたのは俺だけじゃなかったというわけか。
「見て下さいよ鵬高さん。こうやって今の僕があるのも鵬高さんのおかげなんですよ。どうですか? お昼まだなんですよね、一緒に食べませんか?」
俺のおかげだと?
「あ、いや。邪魔したみたいでなんか悪いから」
即刻立ち去ろうとした俺の腕を沢田は無邪気そうに掴む。
「いいじゃないですかー、僕たちの仲なんですし」
仲だと?
「と、とにかく俺は嫌なんだって……っ!」
必死で振り払おうとした。しかし、何故か解けるどころか沢田の力はより一層増して放そうとはしてくれない。その様子を見ていた木田の表情もやや曇ってきた。
「え~、だって今後の僕たちってどうしていけばもっと仲良くなれるかとか教えて貰いたいですし。今の僕には鵬高さんしか頼りが居ないんですよぉ」
俺は沢田の一言に、何か心の奥のモヤが膨れ上がった。
こいつは本当に狂ってやがる。ここでその言葉を口に出すことに意味が分からない。意図が知れない。怖い、怖い怖い怖い。
「ふざけんな」
「はい?」
今まで耐えてきた何かが壊れたような音が俺の中で響き渡る。
「ふざけんなよ! どうして俺がそこまで面倒見なくちゃならないんだよ!! 俺はお前の保護者じゃないんだ、色恋沙汰なんて微塵も興味がないし、そんなのは当人たちで勝手にやってればいいだろ!」
どうやら我慢の限界だったようだ。俺は頭の中で考えている言葉よりも先に心の言葉が先に、そう真っ先に出てきている状態だったと、後悔した。
「だいたい何故、そこまで図々しくいられるんだ? 俺は確かに無償で相談に応じているけれど、それだって無限に答えをやれるわけじゃない、普通分かるだろ?」
この時にやっと気付いた事といえば、いつの間にか沢田の腕が俺から放れていたことくらいだろうか。
「悪いがお前の相談は今後受け付けない。これからのことくらい自分で考えろ」
そう言い終えたとき、俺は何故か肩の荷が下りた気がした。ここまで誰かに、こんな風に言った事は無かった。レアケースと言えばレア過ぎだった。沢田という男も、俺の心境も。だけどこれで沢田が変わってくれたら、少しは反省してくれたらと俺は心のどこかで少しは願っていた。
けど、
「なんですか、それ」
その口調は今までと変わらなかったはずなのに、重苦しい感じがした。背筋に寒気さえ奔った。
俺は何かおかしなことを言ったか? いや、そんな筈はない。
自分の言った事を今さらながらに思い返そうとした、そんな思考も遮るかのように沢田は俺の胸ぐらを掴み引き寄せた。そして勢いよく壁に叩き付けながらも尚、その手を緩めようとはしない。
どうしてだ、何故俺はこんな目に遭っている。
「離れ、ろ」
俺は沢田を引き剥がそうとするが、向こうには容赦というものが一切感じられなかった。下手をすれば怪我どころじゃ済まされないというのに。
「誰の相談でも受け付けてるんですよね? 言ったじゃないですか、僕は頼れる人がもう居ないんですよ。ようやくここまで掴んだ幸せを見過ごせっていうんですか? ねぇ!」
胸ぐらを掴んでいた手がやがて首に差し掛かってきた。フッと手を放した沢田が今度は俺の首を絞めてきた。
加減が分かっていないんだ。人の首を絞め慣れていると言えば変な話になるが、限度が分かっているやつは、殺さない様にできるものだけど沢田はそんな事を日常茶飯事にやっている人間ではないだろう。ケンカ慣れしてないから加減の仕方さえも知らない。だから突発的に行なってしまうことの危険性を理解していない。
このままでは殺される。
俺は苦し紛れに沢田を蹴り飛ばした。
「ごぇっ」
床に転がった沢田は俺の蹴りがみぞおちに入ったのか、息を切らしながらこちらを睨み付けてくる。俺は呼吸を整えることで精一杯だった。
あの眼はまだ何か仕掛けてくる気か。そう思った矢先、沢田が突進してくる。再び壁に打ちつけられ背中が痺れる。
「ああああああああああああああ――――」
ひたすら叫びながら俺に掴みかかって挙句の果てに顔を殴られる。俺は力づくで沢田を引き剥がし地面に抑えつけ拳を振りかざした。すんでのところで我に返った俺は殴ることをしなかった。未だに暴れている沢田をどうにか抑え込むことしかできなかった。しかし沢田の叫び声に誰もが気付かないわけではない。
「おい! いったい何をしているんだ!」
屋上へやってきた数名の教師によって俺は沢田から引き剥がされ、未だに暴れている沢田は力のある体育教師が無理矢理に抑え込み、やっと制止する。一先ずは俺と沢田を触発しない様に注意を払う措置だろう、沢田がどこかへ連行される。だけど最後まで俺を睨み付けることだけは止めなかった。
助かった、恐らく誰かが事態に気付いて先生を呼んでくれたのだろう。安堵の息を漏らす。
「鵬高は、今すぐ職員室にきなさい」
俺は比較的、落ち着いていたので担任に連れていかれるのではなく促される形での連行となった。木田は今にも泣きそうな表情で事の顛末を見ていた。
「ごめんな」
俺は木田に頭を下げて大人しく職員室へと向かった。担任には俺がカッとなって沢田を挑発したという話をして沢田に出来るだけ非がいかないように話を織り込んだ。自分でも何故そうしたのか、沢田が悪者になることで困ってしまうやつが一人だけいたからだろうか。
結果、俺は一週間の停学となった。
後編は一週間以内に投稿予定です。