愛を貫いてもいいですか?
ハイランド家の人間には古くから不思議な力が宿ると言われている。それは古の記憶を垣間見る事が出来る『夢見』という力。
ハイランド家嫡子デュオ=ハイランドはこの日の夜、夢見を承けた。それはチエという少女との最後の記憶だった。
『チエ!!』
もう逃げ場なんて何処にもない。周りは焼け野はら。人も家も町も、全てがあっけなく一瞬にして消えた。化け物。天から降り注ぐ悪魔。死に神。天使。終わりの日。最後の時間。
『チエっ、チエ早く!!』
『ねぇ、もしもさ、もしも戦争が終わってこの国が平和になってさ』
『何だよこんな時にっ!!それより早く『ボウクウゴウ』へ……』
『もしもこの国が平和になって私達に子供が出来たら、……その時は━━━━』
「ち、エ……」
デュオは目を覚ました。開いた瞳からは一筋の涙が零れ落ち頬を緩やかに濡らしていく。カーテンの引かれていない窓から入ってくる朝の眩しい光が目に痛くて、デュオはすぐに目を瞑る。広がったのは黒い暗い闇。デュオはそれにほっと安堵した。ああ、ちゃんと『暗闇』だ。デュオがゆっくりと目を開けると朝の眩しい光はもう目に痛くはなかった。
半身起き上がりぐいっと伸びをする。数ヶ月前、夢見を承けてから何度かこの夢をこうやって見てきた。だが、今日のはまたやけに鮮明だったなとデュオは思い立ち上がる。
涙の痕を拭い寝巻から外着に着替え部屋を出る。すると、とたんデュオの心がどくりと一層騒やいだ。
「そんなにも心残りなのか?『私』よ」
デュオは苦笑する。魂とは器を変え心を変え世界を変え受け継がれて行く唯一のもの。『夢見』とは魂に刻まれた記憶を夢を介して見てしまう、ハイランド家の古くからの宿命。
デュオが承けた夢見はチエという少女との最後の記憶。こうやってこの魂がデュオの魂となるまでの、その中の誰かが愛した人『チエ』。
「つけてやりたいな」
心臓、『魂』に手を当てデュオは呟く。夢見は魂に残された熱き想い。熱き願い。
『私達の間に子供が出来たなら━━』。
チエ、もしも君が許してくれるなら。
「チエとの間に出来た子供、ではなく私と『誰か』の間にこれから出来るだろう子供に、その大切な名前を付けてもいいだろうか」
愛する子供への名前。
それを君は許してはくれるだろうか。それを君は喜んではくれるだろうか。デュオは笑う。きっとチエならそれでも嬉しそうに微笑んで、喜んでくれるに違いない。
そんな事を考えながら階段を下り広間に出ると、何やら書類らしき物を手に持った弟、シュナが玄関前に立っていた。どうやらついさっき届いたものをシュナが受け取ってくれたらしい。
「シュナ」
「あ、兄貴。おはよー。なぁなぁ、なんか見合い写真が来てんだけど」
頭の上ソレをヒラヒラさせた後、ガサガサと乱雑に開けて中身を取り出してしまうシュナ。そんなシュナに頭をこずいて一応注意してから一緒になってソレを覗きこむ。
お見合い写真。今までにも何度かこうやって送られては来ていたのだが、『夢見』をうけてからはチエの事ばかりが頭の中にあってあまりそれを見ても乗り気にはなれずにいた。だが、そんな事も言ってはいられないのだろう。私ももう結婚すべき時期なのだ。
デュオはお見合い写真を見つめる。少しキツメの顔立ちの女性がこちらを見て優しく微笑んでいる姿が写真には納められている。そして何故かその写真の他にも隠し撮りとおぼしき写真が数枚、封筒には同封されていた。
「へぇ……。結構可愛い、つか美人だな。でも何で隠し撮り写真付き?」
「…………ぇ……」
「ん?何か言ったか兄貴?」
時が一瞬止まった気がした。その瞬間へと時間が巻き戻った気がした。
デュオは直ぐにお見合い写真の入っていた封筒の住所を確認し駆け出した。
「えっ、ちょっ、兄貴っ?!」
シュナの声はデュオにはもう届かない。何故ならソレを一目見てデュオには分かったのだ。
その女性が『チエ』であると。
馬を全速力で走らせた。途中、休む事は一度もしなかった。デュオには今『チエ』の事しか頭に無い。
馬が疲れてへろへろになるまでデュオは走り続けた。そうして東の果て、お見合い写真の差し出し人である小さな国エヴァニアのリトアール邸にデュオが辿り着いた頃には、馬は疲労で歩く事すら出来なくなっていた。
デュオは馬を置き広い庭を走り抜け扉をガンガンと叩く。ゆっくりと静かに開かれたソレからはビクビクとした表情でデュオを見る若いメイドの姿。
「…な、…何か…ご…」
「チエ、ち、チエに……っ!じゃなくて、えっとぉ……!」
何だった。あの女性の名は。確か……。
デュオは必死に視界の端に見えた女性の名を思い出す。
「あ、アデリア!アデリア姫にお目通り致したく!」
「騒々しいですね。一体何の騒ぎですか全く」
ため息と共に騒ぎを聞き付けたらしい一人の女性が、眉間に皺を寄せ階段上からカツカツと靴の音を響かせながら現れた。膝丈のふわりとしたイノセントドレス姿に、手には何故か白いチェス駒。その後ろからはまだ見習いなのだろう燕尾服に身を包んだ若い執事の姿もあった。
「お嬢様。騒ぎにかこつけて負け戦から逃亡はいけませんよ」
「ちっ、違うわよセイバスっ!私は逃げてなど……っ、チェスは最後の最後まで勝敗はつかないのですっ!!戻ったら貴方なんてこの私がバキバキのボキボキに潰して差し上げます!!」
「チェスはどちらかと言うと頭脳戦なので、バキバキにもボキボキにも潰れたりはしませんよ」
「言葉のアヤに決まってんだろうがぁぁぁっ!!」
ああ。チエだ。デュオは思った。あの人の魂は紛れもなくチエのそれ。
「……っ!アデリア姫!!」
デュオは叫んだ。チエとの約束。チエとの願い。遠い遠い古の記憶。それを叶える時が来た。
「どうかっ、どうか私の子供を産んではくれませんか!!」
「…………は?」
デュオの叫びに一声だけ発し固まるアデリア。だがアデリアの隣にいた見習い執事はそれとは対照的に、何処からか取り出した小さなお祝いクラッカーをスッと手に取りパァンッと小さく鳴らした。シンと静まり返った空間に響き渡ったソレからは細かく千切られた色とりどりの紙と紐がヒラヒラと空に舞い、落ちる。
「おめでとうございます。お嬢様」
「…………は?」
「……で、あっさり断られたと」
「ああ。…………何故だっ!!」
「何故って、そりゃいきなり子供作ろうは流石に引くだろ」
シュナは冷静にデュオにそう諭す。だが、デュオはいまいち納得していないのか、渋面で唇を引き結ぶ。
こんなにも近くにチエがいたというのに今まで気が付かなかったとは。そうデュオは自分を悔いていたのだ。だが、デュオが夢見を承けたのはついこの間の事。気付けずにいても何ら不思議ではないし、そもそも気付ける要素は微塵もない。
「つか兄貴もさ、どうしてそんなに過去……前世?前の魂の持ち主にそんなにこだわっちゃうんだよ。前の自分に敬意を払ってもしょうがないじゃん」
「お前も夢見を承ければ分かる。この魂が騒ぐのだ。自分の事じゃないのに、それがあたかも自分の事のように思ってしまうのだ」
「……ふーん」
それになにより、チエの叶わなかった想いを叶えてやりたい。そう強く思う。
それからは何度もデュオはアデリアに会いに行った。だが、何度通ってもなかなか良い返事は貰えずにいた。というよりは、ほぼほぼ門前払いを受けている始末なのである。
「うぅ……どうすればいい」
「んー……。じゃあ、アデリア姫に事情を説明してみれば?もしかしたら考えてくれる余地があるかもしれない」
「そうかっ、そうだな!そうしてみる!」
シュナのアドバイスを受け、デュオはアデリア姫に会いに行った。事情を説明して再度子供を作ってくれと頼んだがやはりきっぱりと断られた。
「何故だっ!!」
「うん。つか、兄貴は根本から間違ってるよね」
シュナはやはり冷静に言う。
「そもそもさ、結婚すればいいんじゃねぇの?アデリア姫とさ」
「結婚?」
お見合い写真が送られて来たんだから、あっちは結婚がしたいわけだろ?結婚したら子供だって作れるじゃんとシュナは言うが、デュオはひどく真面目な顔でそれは駄目だと宣った。
「シュナ、結婚は愛するものとしないといけない神聖なものだ。アデリアにそれを強いる事は出来ない」
「…………なんか微妙に兄貴と話が噛み合わないんだけど」
とどのつまり、デュオはアデリアを好きではないとそういう事なのだろうか。シュナは眉間に皺を寄せ首を傾げる。
「それに、なんか良いこと言ったっぽいけど、兄貴の中で子供を強いる事は良くて結婚を強いる事は駄目なのかよ」
「うぅう、どうすればいいんだっ!」
デュオは頭を抱える。そんなデュオにため息一つ、シュナはまたアドバイスを授ける。
「んじゃあ、とりあえずご機嫌取りに花をプレゼントすれば?女は花束とか喜ぶだろ。確かリトアール邸は庭が広いって兄貴言ってたよな。だったらアデリア姫が花嫌いなわけないからきっと喜ぶよ」
「そうか。そうだなっ、そうしてみる!」
そうしてデュオはこの辺りの地域にしか咲かない珍しい花を入れた花束をアデリア宛に贈った。その後暫くして、デュオ宛にアデリアからお誘いの手紙が来た。
「アデリア!この度はお誘いをありが」
「デュオ様っ!こちらですっこちら!!」
リトアール邸に辿り着いたデュオをアデリアはぐいぐいと引っ張り何処かへと連れて行く。連れていかれた先は広大な庭の一角の、見慣れた花々が咲き乱れている場所。
「これは……」
デュオは目を丸くする。
そこに咲いていたのはデュオがアデリアに花束として贈った花達だったのだ。
「花束を、植えられたのですか」
「ええ。本来なら花束で頂いた花は根がないので地面に植え直しても直ぐに萎んで枯れてしまうのですが、……というよりもその様な事は本来しないのですが見てください!皆凄く元気でしょう?」
まるでそれはそこに最初から咲いていたかの様に、デュオが贈った花達は瑞々しく生き生きとして咲き誇っていた。地面にしゃんと立ち、元気よくその小さな顔を太陽に向けているその姿はまるで最初からそこに咲いていた花かの様だ。
「庭師のエドムの才もありますが、このお花達の生命力そのものが凄いのだと言っていましたわ。茎から新たな根が出ているそうですのよ。こちらの花は最近そちらの国、シチリカで発見されたそうですね」
「はい」
茎から新たな根。そんな花だったのかとデュオは驚きに肝を抜かれた。確かに「実はちょっとした秘密がある花なんですよ」とは聞いていたのだが。
暫く二人でそんな花達を眺めて過ごした。穏やかな時間がゆるゆると流れていく。と、アデリアがデュオの名前を呼んだ。デュオがアデリアの方を見るとアデリアは真剣な眼差しでデュオを見つめていた。
「デュオ様に一つお聞きしたい事があるのです」
そう言ってアデリアは言葉を口にした。
「デュオ様。私は子供を産むための道具ですか」
「えっ!?ち、違いますっ!!」
デュオは即座に否定する。アデリアに子供を生んでくれないかとデュオはずっと頼んでいる。だが、道具だなどとそんな事は一度も思ったことはない。
「私はただ……」
チエの願いを。若くして『戦争』という脅威に巻き込まれ死んでいった愛しきチエとの約束を。チエの笑顔を、守りたいと思っただけ。
うつ向いたデュオにアデリアは何も言わない。そんな沈黙がデュオの肩に重くのし掛かり胸が苦しくなってくる。
もう諦めた方が良いのかもしれない。アデリアにこんなにも迷惑をかけてまでソレを叶えても、チエは喜ばないだろう。
そう思いデュオは顔をあげた。そんなデュオの目に写ったのは、顔をあげたデュオを見て優しく微笑んでくれるアデリアの姿。
「…………」
どくりと胸が騒やいだ。それは夢見でのチエに対して感じるものと、似ているようで似ていないもの。
どうしてアデリアは微笑んでくれるのだろうか。どうしてこんな自分に優しくしてくれるのだろうか。無作法で無礼でかって極まりない行動をしているデュオ。最初は門前払いも受けていた。なのに。
デュオはアデリアに手を伸ばし、その頬にそっと触れた。ぴくりと体を揺らしたアデリアだったがデュオのその手から逃げる事はなかった。
二人は一時見つめ合い、そしてデュオはそっとそのままアデリアに近付いていった。
チエ、この気持ちは一体何処から来るものなのだろうな。
デュオのそれは『何』で『誰』へのものなのか。
デュオ自身もそれは分かってはいなかった。