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第七話

 「みかん食べる?」

 「いいや」

 「そう・・・・あむ」


 春子がソファでみかんを食べている。傍には、携帯ゲーム機。乙女ゲームは一時中断中らしい。待機中のBGMが鳴っている。春子は丁寧にみかんの皮を剥き、ミカンの筋をとってから食べている。剥いた皮を机の上に並べ、動物の様なシルエットをつくっている。


 その形は何かの動物?キャラを表しているようだ。犬の様にみえるが、多分違うだろう。だが、その様子は春子らしい。

 よく分からない、身近な事で楽しめることはとても良いことだと思う。春子は、そのような小さな楽しみを好んでいた。俺が知らなかった楽しみだ。初めは興味なかったが、最近では俺もそんな楽しみを味わうことができるようになってきた。それに、俺はそんな彼女を見ることが好きだった。


 いつもどおりの風景。ゆるやかな時間が過ぎていく。だが、俺の心の中だけは違った。

 俺はなんともいえない罪悪感を感じていた。


 普段ならこの空間は俺にとって癒しになる。だが今は違う。伊達さんと親しくなってから、俺は徐々に変わっていたのだろう。その証拠にここでの時間を心から楽しむことができなくなっている。でも、笑顔は崩さない。春子には悟られたくない。俺は伊達さんの事を春子に話していないのだから。


 正確にいうと違う。英会話スクールに新しく生徒が来たことは話した。その人が伊達という名字だという事も。伊達正宗みたいに凄い人だと。その人が凄いから俺も負けないように勉強していると。


 春子はそんな俺を応援してくれる。コーヒーを注ぎ、みかんの皮をむいてくれる。自分でできるが、春子がそうしたそうだったから俺はそれを受け取る。春子が笑顔で渡してくれるみかんを受け取り俺は食べる。


 自分でみかんを剥いた時とは違う味がする。そこには春子の気持ちが入っているのかもしれない。多分、春子は伊達さんの事を男だと思っているだろう。俺がそう仕向けているのだから。


 「そんなに凄い人なら私も合ってみたいな。隻眼で韋駄天なの?」

 「そこまで伊達っぽくはないよ。きっぱりとした人なんだ」

 「そうなんだ。私と正反対だね」

 「そうかもね。でも、俺は春子は方が好きだよ。その穏やかなところが」


 俺はそんな事を言う。春子の事を好きだと言わなければいけない気がした。そうしなければ、俺はこのまま流されてしまうと思った。


 伊達さんはただの英会話スクールの知り会いだ。別に恋愛感情はない。ただ、俺は彼女のことを尊敬しているし、仲間だと思っている。それだけのことだ。自分に言い聞かせるように思いを確認する。


 「どうしたの?今日はなんか変だよ」

 「そうか、いつもどおりだよ」

 「そうかな」

 「そうだよ」


 それで伊達さん話は終わった。彼女の前で伊達さんの話が出ると俺の心が痛む。何故痛むのか?

 それは春子に意図的に勘違いを起しているからだろう。俺は春子の事は裏切りたくない。でも、同時に春子を悲しませたくもない。だからこうする。

 これでいいと思う。これで正しいと思う。俺は伊達さんの事は別に何とも思ってないし、春子の事が好きだ。そう心に念じる。心がそうさせる。



◆◇



 英会話スクール。英語の授業はどんどん難易度が上がっていく。

 そのせいか、俺の英語の技術もプレゼンの技術も上がったと思う。それに俺は伊達さんの事に詳しくなった。プレゼンでは各自自分が興味があることを発表する。そしてそのことについて討論する。


 そのため、自然とお互いについて事情通になる。だから彼女もスコット先生も俺の事をよく知っている。俺は伊達さんの考え方や、興味があることについてどんどん知っていく。それはとても楽しい事だった。


 伊達さんは植物が好きらしい。毎回、花や草などのプレゼンをする。時々果物や野菜の話もする。それも含めての植物なのだろう。

 彼女のプレゼンはよくできている。よっぽど植物が好きなんだと思う。そうしなければ作れないような内容だ。彼女から情熱も伝わってくる。

 それに、伊達さんの声を聞いていると心が安らぐ。「タイタニック」という映画の主題歌を思い出す。声は似ていないけど、同じような感覚を受ける。


 彼女の情熱に触れると俺の心が燃えてくる。何か一生懸命になっている人はやはり魅力的だと思う。それが人に伝染する。俺はそんなに夢中になれるものがなかった。だからこそ、伊達さんに惹かれるのかもしれない。

 彼女を見ていると、自分の不甲斐無さを感じると共に、俺も頑張ろうとという気持ちになる。その場その場で頑張って生きてきたつもりだが、彼女を見ると俺は自分が怠けていたと思う。


 怠けることは別に悪い事じゃないと思う。春子と暮らすことで、のほほんとした日常がどれ程心地よいかを実感した。それはまやかしではないし、良いものだと思う。それが間違っているとは思わない。

 それに頑張る事は素晴らしいとは思うが、それが一番だとも思わない。でも、伊達さんを見ていると俺は自分が許せなくなる。伊達さんの存在が俺を心を鼓舞する。



◆◇



 そんなある日。俺は伊達さんを夕食に誘った。もう十分に親しい中だ。別におかしくもない。友達と夕食を食べるのは普通の事だ。


 「夕食?どこいくの?」

 「近所の中華、中々美味しいんだよ。マーボー豆腐が。少し汚い店だけど味だけは良いんだ」

 「そう、なら行くわ」


 俺は彼女と中華料理屋に入った。そこは頑固おやじ風のおじさんがやっている店だ。小まめに掃除はしているようだが、やはり年季には勝てない。建物にボロがきている。それに換気扇の性能が悪いのか店内がけむたい。


 普段なら女性は絶対に連れてこない店だ。春子もこの店にはつれてきたことがない。こういう店は春子には合わないだろう。

 俺はカウンターに座ると厨房のおじさんに向かって叫ぶ。


 「マーボ豆腐二つ」

 「らっしゃい」


 鍋で油がはじける音に混じって奥から聞こえてくる声。この店はおじさんが一人で切り盛りしているため店員はいない。なので注文は叫ばなければならない。そのため、初心者には難易度が高い。

 壁に「注文は叫んでください」と書いてあるが、その紙はふるぼけてよく字が見えない。

時々ふらりと新顔のお客さんが入ってくるが、訳が分からず出ていく人は多い。


 「ちょっと、何勝手に注文してるのよ」

 「いいから。これが美味しんだよ。絶対美味しいと思うから」

 「そう。少しでもまずいと思ったら怒るからね」


 伊達さんは不機嫌そうだ。多分、まずかったら本当に怒ると思う。でも、この店の料理は美味しい。俺はその味に自信を持っている。伊達さんの好きなお菓子から分析するに、必ず伊達さんはこの店の料理を好きになるだろう。俺は確信していた。


 「はいよ!」


 どかっと机の上におかれるマーボー豆腐。皿を置いた拍子に若干中身が机の上に飛んでいるが俺は気にしない。美味ければ問題ない。ちらっと伊達さんを見るが、彼女も気にしてないようだった。良かった。ちょっと安心する。


 彼女がスプーンでマーボー豆腐を掬い、口に運ぶ。俺はその様子をどきどきしながら眺める。絶対美味いはずだ、絶対だ。別に俺が作ったわけではないが、彼女にその料理を美味しいと思って欲しかった。俺が好きな物を彼女にも好きと言って欲しかった。


 彼女はごくりと喉を動かす。口に意識を集中して味わっているのか、目は閉じている。

 その間に俺も一掬いし食べる。やはり美味しい。辛さと熱さが俺の舌を刺激する。

痛みに似た感覚だが、それが癖になる。

 俺は彼女を見る。


 「どうだった?」

 「美味しい。うん、美味しい。本当に美味しい」

 「だろ」


 俺は嬉しくなる。俺が褒められたわけではないが、伊達さんが喜んでくれるのが嬉しい。

 俺は彼女の笑顔を見ると、心が躍り、とたんに元気になる、彼女が笑みが俺の心を高揚させる。

 それから俺と伊達さんは一心不乱にマーボー豆腐を食べた。

 そして、店を後にした。



 駅への帰り道。何気ない会話をしていると、名前の話になった。


 「ねぇ、私の名前どう思う?」


 伊達さんらしくないちょっと自信のない声だった。表面上は変わらないけど、長い時間彼女の声を聞いてきたから分かる。いつもどおり冷たい声だけど、その声に張りがない。彼女のこれまでの声に合った壁がない。


 「かっこいい名前だと思うよ。伊達正宗の伊達に、冬の子の冬子」


 俺は本気でそう思っていた。俺も武田という名前だが、俺は武田信玄より伊達正宗の方が好きだ。武田信玄の「風林火山」という四字熟語はかっこいいが、その人物自体には魅力を感じていなかった。


 「そう」


 ちょっとがっかりした表情の伊達さん。


 「どうしたの?」

 「私、伊達っていう名字が嫌いなの。響きが男っぽくて嫌いなの。もっと流れるような音の苗字がよかった」


 伊達さんは確かに音にはこだわっているようだった。それは英語の発音から分かる。いくら幼いころに海外にいたからといって、長い間離れていると発音は劣化する。それを劣化させず向上させている彼女の声は聴いていて気持ちがいい。

 それに彼女が口ずさんでいた歌声はとてもきれいだった。彼女の音へのこだわりは強いと思う。


 「俺は良い名前だと思うけど」

 「あなたが好きでも私は嫌いなの。だからだめなの」


 彼女は真顔だった。彼女が主張するときの癖で、親指が僅かに硬直している。


 「そうなんだ。なら伊達さんって呼ばない方がいいかな」

 「できたらそうして、これまで我慢してきたけど、本当はイライラするの」

 「そうか。ならなんて呼べばいい」

 「冬子でいいわよ」


 俺はドキリとした。心に冷たい水が流れ込んだみたいだ。それは俺の頭を一瞬真っ白にする。口が自動的に動く。その発音を確かめるように慎重に。


 「冬子さん?」

 「さんづけはやめて、冬子でいいっていってるでしょ」

 「分かった・・・冬子」


 その言葉を口にすると俺は恥ずかしさのあまり彼女から顔をそむける。恥ずかしさから笑えてくる。頬が緩む。腹が震える。


 「何笑ってるのよ!」

 「べ、べつに、ただなんとなくおかしくて」

 「私の名前のどこがおかしいのよ」

 「いや、おかしくない。そういう意味じゃないんだ」

 「なら、あなたの名前もこれからは龍二って呼ぶから。武田って音は嫌いよ。それに英会話スクール仲間なんだから名前呼びでも不自然じゃないでしょ」


 俺は思案した。そうなのか?確かに海外は名前呼びの様な気もする。


 「いいよ。そうしよう」


 先程笑ったせいか、俺の気分は高揚していた。彼女の綺麗な声で名前を呼ばれて心が泡立っていたのかもしれない。気付くとそう口にしていた。


 この時、俺の頭には伊達さん、冬子のことしかなかった。


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