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第六話

 彼女の春子はソファに座りながら、携帯機でゲームをしている。俗にいう乙女ゲームだ。画面をニコニコしながら見つめ。指を僅かに動かしてボタンを押している。


 春子は乙女ゲームを好んでいた。暇を見つけてはゲームをしている。そんな趣味を知ったのは付き合って暫らくしてからだった。それまでは頑なに俺に隠していた。俺があまりゲームやアニメに関心がなかったからかもしれない。趣味がばれると変に思われるんじゃないかと心配していたんだと思う。


 俺がなんとも思わない事に気が付いたのか、それからは俺の前でも乙女ゲームをするようになった。でも、僅かに緊張していると思う。その雰囲気からそう思う。


 春子がゲームをしている姿を眺めることは多い。彼女の表情は明るかったし柔らかかった。本心からゲームを楽しんでいるようだ。その笑顔を見ていると俺も嬉しくなる。娯楽であれなんであれ、純粋に楽しめることは良い事だと思う。春子は子供の様に屈託のない笑顔だった。乙女ゲームに関する些細な事で嬉しがっていた。


 少しプレイしてはセーブし、ひとつ前のセーブポイントに戻ってロードする。

 何回も同じところを読みながら、少しづつ進んだ方が面白いらしい。なんとも大変な事だと俺は思った。俺にはその面白さがよく分からなかったが、自分で楽しみ方を見つけられる事は凄いと思うし、俺はそんな彼女を見るのが好きだった。


 彼女と同棲を始めてから一年。彼女の様々な面を知る事が出来たと思う。

 彼女が乙女ゲームをしながら俺を見ている。前髪がふさっとゆれこちらを見る。


 「最近、よく勉強してるね」

 「あぁ。ちょっと勉強頑張ろうって思って」

 「へぇ~そうなんだ。よくやるね。大学の頃は全然してなかったのに」

 「いったろ、俺は海外勤務がしたいんだ。だから勉強している」

 「上手くいくといいね」

 「あぁ」

 「そういえばね~、・・」


 そこで英語についての会話は終わる。

 彼女は決してその後の事を聞いてこない。「海外勤務になった場合、どうするか?」という事について。遠距離恋愛になるのか、それとも別れて向こうで暮らすのか。一緒に行くのか。その時になったら嫌でも関係をはっきりさせないといけない。


 俺もその事を口にしない。

 まだ先の事だ。そもそも、英語が上達しても海外勤務になるかどうかは分からない。募集も必ずあるわけじゃない。

 それに俺はまだ心を決めきれていなかった。その時になればその時判断する、それが俺の考えだった。つまり先延ばし。生産的ではない答え。それが今の俺の考え。


 今はまだこの生活を続けていたかった。それ以外の可能性を考えたくなかった。考えてしまえば今の生活が崩れると思っていたのかもしれない。

 今の生活は心地よい。それは春子がいるからだ。だからこそ、春子と別れることは想像したくなかった。俺は心のどこかで、「春子が別れたいといってくるんじゃないかと」と怯えていた。

 彼女がそんな事をいうはずがないと思いながらも、その考えは俺の頭の片隅にあった。その時、俺はどうするのだろうか?想像もしたくない現実だ。


 それに、春子は俺がどんな答えを言っても俺の考えを認めてくれる気がしていた。それが例別れ話であっても。俺が別れたいと言ったら、彼女は俺を引き留めず、「いいよ」と笑顔で返事をするかもしれない。そんなイメージが浮かんだ。


 でも、それではだめだと思う。それはいけない。彼女は自分の気持ちをめったにいわない。だからこそ、俺が彼女の気持ちをくんでその意味を言葉にして確かめないといけない。彼女がOKしたから、彼女が何も言わなかったからというのは駄目だと思う。それは卑怯だし、俺はそういう事をしたくない。それは正しくないと思う。そういう自分は嫌いだ。


 俺の脳裏にふと、大学の講義室にいた春子の姿がちらつく。春子は机に行儀よく座り、授業の開始を待っている。彼女は友達と何か話している。その姿を見ると、俺の心は痛んだ。



◆◇



 英会話スクール。俺と伊達さん先生の新しい体制になってから数回の授業がすぎていった。


 じんわりと授業のレベルが上がっていた。

 原因は伊達さんだ。スコット先生は常にレベルが高い方の生徒に授業のレベルを合わせる。つまり、現段階では伊達さん基準だ。授業のレベルが上がると先生の質問や間違いの指摘の精度が厳しくなる。これまでは見逃されていた些細な点も必ずつっこんでくる。いくら仲良くなっても授業では別だ。俺は必死だった。


 ようやく慣れたと思ったらまたしても猛勉強の日々だ。春子に「すっごい頑張ってるね」と驚かれながらも、俺は黙々とこなしていた。乙女ゲームの陽気なBGMが響く。


 次の授業までにあれをやる。次の授業までにこれをやる。

 授業ででた間違いを次に活かし、より精度の高いプレゼンをする。単語や文章の使い方も、今までは言葉の使い回しという「のり」のようなもので誤魔化していたが、内容を理解し適切に使う必要がある。そのために参考書で勉強だ。


 が、俺と伊達さんの差は縮まらない。

 伊達さんはいつもぴしっとスーツを決め塾に来る。最初の方はぴったり五分前にきていた彼女だったが、俺が教室に行く途中で彼女を見つけ、中で待機できることを教えた。


 外で話しかけるのには少々戸惑った。授業で会話をする事も多いので、そこそこ打ち解けていたが、やはり彼女には壁を感じる。そのためこちらから積極的に話しかける事には躊躇した。でも、外で時間を潰すのは中々面倒だと思う。実体験からだ。だから彼女に声をかけることにした。


 彼女は最初驚いていたが、俺が話をするとついてきた。

 聞くところによると、会社が終わるのが俺と同じぐらいの時間のようだ。なので彼女も三十分ぐらい前から教室にきて雑談するようになった。


 俺から見たら完璧に近い発音で英語を話す彼女。女性に対して、いや、他人に対してここまで感心したのは初めてだった。

 それに彼女との英語の実力差が縮まらないということは、彼女も俺と同じぐらいだけ勉強しているからだと思った。さらっとしているが、裏ではしっかりと勉強していると思う。その事で仲間意識のようなものを感じていた。そしてライバルとも思っていた。


 教室で雑談するようになって、俺は彼女の事を知り始めた。

 英語ではない日本語での会話。英語の時に比べ、彼女はとっつきやすい。壁が僅かに薄い。伊達さんには最初は気を使って話していたけれど、スコット先生が「もっと素直に話そう。それ、日本人の悪い癖」と急に片言の日本語でわめきだした。

 スコット先生の日本語はかなり上手い。だからそれがスコット先生なりの気遣いなのが分かった。それから俺は伊達さんの前でもフランクに話すようになった。何かあってもスコット先生のせいにしようと思っていた。

 だが、案外素直に話しても問題なかった。伊達さんに不快な気配は見えなかった。フランクにといっても、そこまで大したことではないが。


 これは久しぶりの経験だった。春子との会話とは違う感覚だった。そもそも、春子と伊達さんは性質が全く異なる。 春子はぽわ~んだが、伊達さんはす~んという感じだ。擬音で意味不明だが感覚でいうとこうなる。


 春子は穏やかな性格で自己主張をしない、それでいて周りの空気に敏感だ。それが春の陽気を思わせる。春は温かく人を穏やかな気分にさせるが、その裏で人を繊細にさせる。春というのは終わりと始まりの時期で、自分の周りが変化していく。そこに適応しなければならない。


 伊達さんは、夏に冷蔵庫を開けた時のような空気を身にまとい、アメリカ式で自己主張はしっかりとする。その涼しさは周りに緊張感をもたらすが、それが合う人にはとてもよい刺激になる。その刺激があるからこそエネルギーが出てくる。


 伊達さんは空気や雰囲気というのを毛嫌いしているようだった。それは日本的なものに対する反発かもしれない。


 たとえば、「コンビニ行くけど何がいい?」と聞かれ、俺が「何でもいい」と適当に答えると、あからさまに表情を曇らせる。そのいらつきを隠さない。

 俺は慌てて「コーラ。500ml。特典無版」と正しく答える。

 それを聞くとニコっと笑ってでていく。春子だったら、「分かった」といってそのままコンビニ向かうと思う。


 それが彼女達の違い。他にもたくさんある。伊達さんと接するたびに、いつのまにか自分は春子基準で相手に接するようになっていたと気づく。それは俺がこれまで気づかなかったことだった。


 その事に気づくのは少し煩わしい。自分の習慣を変えるものはストレスになる。でも、そのストレスを俺は不快には思わなかった。久々に感じたこの感覚に心が沸いた。伊達さんと接していると新しい何かが俺の中に芽生えていく。それは新鮮だったし、俺の英語学習のエネルギーにもなっていた。


 俺はそうして過ごすうちに、伊達さんの癖を覚えていった。


 耳にかかる髪をあげる時には、親指を耳の上にかけるように動かす。その時、小指は僅かに曲がる。椅子に座る時は、必ず、左手の上に右手を重ねる。その際、親指は人差し指の付け根を触る。

 細かい事だが、その動きを見て彼女らしいと思うほどには彼女と親しくなっていた。彼女の存在が俺の生活に入ってきた。俺はそれを受け入れた。


 伊達さんといると俺は心の奥底が刺激される。彼女といる時のみ、俺が奥底に感じていた「寂しさ」を忘れられる。彼女の存在が、「その寂しさ」を打ち消してくれているのかもしれない。


 それは俺にとって予想外のインパクトがあった。あの「寂しさ」から解放されることで発生する解放感は、俺の意識を高揚させる。そのため、彼女といるだけで前向きな気分になる。

 俺はその発生するエネルギーを英語の勉強についやした。俺は彼女、伊達さんに負けたくなかった。発音では絶対に勝てないが、その他の部分では勝ちたかった。尊敬し、偶にイラつく伊達さんに追いつきたい。そして勝ちたいと思った。


 だから俺は秘かに勉強量を増やした。彼女に近づきたいと思ったから。




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