第五話
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するとある日、新しい生徒が来た。
俺はまた、どうせすぐ辞めるんだろうと思い期待していなかった。期待して裏切られるのはつらい。最初の方はそれでも期待していたが、それが何度も続くと期待しても無駄だと思うようになっていた。それで、基本姿勢が「期待しない」だ。
先生と二人きりでする授業は楽しかった。ある程度慣れてくると、自分の意思を伝えられるようになる。それが何故か嬉しかった。そもそも、俺と先生の性格的な相性がよかったのかもしれない。
だが二人なので毎週プレゼンを作る必要が有った。俺はそれには苦労していて、「出来たら辞めない人こい。お願いします」と心の中で何度も願っていた。
俺は授業の三十分前に教室に来ていた。先生と仲良くなって授業前に雑談するようにしていた。通いだした頃は、会社からの帰り道、どこか別の場所によって時間を潰していたが、今では居心地がいいのでまっすぐに教室に来る。
すると、開始五分前に見知らぬ女性が入ってきた。
彼女は黒のスーツ姿だった。俺も同様だ。会社帰りにここに通っている。すらりとした体系の彼女にスーツはよく似合っていた。健康的で体系もしっかりしている。その見た目から学生時代は運動部だろうと思った。運動を子供の頃やっていた人とやっていない人では体系が違う。それは見て分かる。
彼女は肩甲骨の辺りまで伸びる長くしとやかな黒髪を、ゴムの様なものでまとめていた。きりっと身なりを整えている彼女。その髪は綺麗にまとめられていた。髪質にもよるが、それが中々大変な事を春子を見て知っていた。よく手入れされている髪だった。
顔のパーツはくっきりしており、特に彼女の眼は印象的だった。目尻が鋭いせいか、彼女の瞳には力があった。目力というものだろうか。
彼女からは何故か冷たい印象を受けた。それは、彼女の綺麗さ、隙のなさから来ているように思えた。
彼女は俺を見て「よろしくお願いします」と、軽くお辞儀する。ビジネス挨拶だ。俺も同じように対応する。彼女の名前は伊達冬子というらしい。俺と春子と先生と同じ、戦国大名系だ。どうでもいいが。因みに、先生の名前はザビエル・スコットである。あの種子島のザビエル氏とは関係ないらしい。
先生は夜なのに、「ハロー」言いながら元気いっぱいに手を上げている。彼女も「ハロー」と返したが、手は叩かなかった。先生はちょっとがっかりしているようだった。数秒して上げた手を降ろし、いじけたように「シャイガール」っと小言で呟いた。
この先生、最初は俺も陽気なアメリカ人と思っていたが、どうやら違うらしい。結構はずかしがりやというか、普通の人だった。
先生はその理由を教えてくれた。無理やりテンションを上げているんだとか。アメリカ人講師はそうした方が受けがいいとかなんとか。まぁ、仕事モードという奴なんだろう。俺も仕事の時は少し明るくなる。勿論、愛想笑顔満載だが。
「ささ、二人共椅子に座って」
初めてだからか、先生は日本語で俺達を促す。その指示に従う俺達。いつものやりとりだ。それから先生がこの授業の説明をしていく。授業の間は全て英語で話すといった基本ルールや、プレゼンの件など。
教室のパンフレットにはあまり詳しい事がかかれていないので、この部分で驚く人は多い。俺もその一人だ。というか、俺はこの内容を知っていたらさすがに申し込まなかったかもしれない。今ではその事に感謝している。
因みにこの教室の存在は彼女の春子から聞いた。一応、最初の一回は安価で提供されているので詐欺という話でもないだろう。
そうしていつも通り授業が始まった。
毎回新しい人が来るときは先生がプレゼンする。今日は、「風車の作り方」についてだった。
俺には全く興味が惹かれないテーマだがいつものことだ。先生の選ぶテーマは微妙の一言だった。「何故それを?」の連続だったが、俺はあまり気にしなかった。
とにかく耳をすまし、PCに示される資料を見ながらメモを取る。そうすれば、興味がない事でも多少は面白くなる。簡単に言うと仕事と同じだ。
慣れてきたとはいえ、ぼけーとしながら聞いていると言葉がすーっと頭を通り過ぎていく。だから集中して話を聞く。これが大学の講義だったらあくびでもしながら携帯をいじってるとこだが、そんなことしていたらたちまち置いてかれる。先生は普段は緩いが、授業は厳しい。
俺はメモをしながら、ふと横の彼女を見る。
髪をかきわけ、綺麗な形の耳が現れている。彼女も俺と同じように紙にメモを取っている。それも綺麗な字だった。
そして・・・
あれ?
ささっと動く指。英語を書きなれているのだろうか。それに、先生の英語を理解している?
おっと、そんな事に意識を集中している暇はない。俺は先生のプレゼンに集中する。そうしなければ俺はついていけない。
その後、討議タイム。
今のプレゼンに対して話し合う時間だ。たっぷり一時間ほどある。これが中々きつい。頭を総動員して言いたい事を英語で伝える必要が有る。
まず、今のプレゼンに対して質問がないか俺に聞く先生。
俺はメモしていた疑問点のリストを見て、適当に選ぶ。
「風車の設置に適している地形条件の区分けについてなのですが。スライドの3番です。ここでは・・・」(英語)
俺が質問をすると、先生はそれにすらすらと答える。
俺はこっそり横の彼女を見る。多分この授業のレベルの高さに驚き、声も出ないんだろうと思いつつ。
そうしていたならば、かわいそうだから援護してあげようと思っていた。俺も最初はつらかった。「イエスマン」はつらい。それに、彼女に辞められると俺のプレゼンの機会が多くなる。
俺は新規生徒に関しては毎回援護していた。それを先生はあまり快く思っていないようだったが、するしかない。仲間が欲しい。苦労を分かち合う仲間が。是非欲しい。
彼女の表情は変わらない。
おっ、なんだ。
あまりの事で思考停止して表情を忘れているのかもしれない。過去にもそういう生徒はいた。南無南無。彼女にとってこの時間が苦痛にならなければいいが。俺はそんな思いを心に抱く。
スコット先生は彼女にも俺と同じように質問をする。
僅かな間があく。
俺が彼女の代わりに何か言おうとした瞬間。
「では、風車の性能測定の件について。スライド5番になります」(英語)
え?
俺はぽかーんとした。
彼女、伊達さんは何事も無いようにすらっと英語を話した。しかも、先生の様に発音が上手かった。俺の様にどうにか意味が通じているレベルではない。スコット先生も驚いていた。三秒ほど教室の時がとまったが、先生は質問に答え始める。
俺は彼女の顔を見つめていた。口をあけてポカーンである。
おでこを隠す前髪。まつげは長く、目元は鋭さがある。白い肌に高い鼻。そして英語がとびでた唇はぷるっと艶やかに光っている。
数秒で我に返り、俺は顔を逸らす。先生の回答に耳を傾ける。そうしなければ俺の今の英語力ではついていけない。
それから俺と先生と伊達さんは英語で会話した。だが、それは予想していたものとは違った。予想では、俺と先生が話しながら新入生である伊達さんがあたふたするかと思っていたが、実際は違う。先生と伊達さんの会話に俺があたふたしている。
おかしい。絶対おかしい。本当におかしい。
伊達さんの発音はかなり綺麗だった。まるで海外ドラマや映画の役者のようだ。
先生がその事について聞くと、彼女は答えた。伊達さんは物凄く小さなころ海外にいたらしい。それで英語が若干得意だと。
それなら来る意味ないんじゃないかと思ったが、発音以外は時々ミスしていた。俺は気づかなかったが、先生が注意していた。それは中々細かな点だった。俺も時々間違う点だ。その注意で俺は安心した。「俺と同じだ」となんとか平静を保てた。
しかし、それはかりそめの安心だ。俺の英語は明らかに彼女に劣る。特に発音は雲泥の差だ。レベルが違う。発音についてはそうそう上手くなることはないから諦めるしかない。
その他の部分でも、やはり俺の英語は劣っていた。自分の英語力の向上に満足していた俺にはショックだった。満足していた分その落差が大きい。英語を習いに来ているのだから下手であたりまえかもしれないが、やはり女性に能力で劣っているのは恥ずかしい。古い考えなのかもしれないが、俺はそう思った。
そんな気分を抱きながら授業は進んでいき、気付くと伊達さんとの初回授業は終わっていた。
「グッバイ」
スコットさんが毎度おなじみの大げさなアクションで俺達を見送る。そのテンションにやや引きながらも俺は返事を返す。
伊達さんは「さようなら」と言っていた。伊達さんがいた位置は、英会話教室の外だったからだろう。一歩分教室の外に出ている。だから日本語だ。
教室をまたいでいる場合はどのように返事をするのだろう?と興味が沸いたが、それを彼女に聞くことはしなかった。
俺と彼女は建物を出るまで一緒に歩き、そこで別れた。世間話の様なことをしたと思う。
詳しい会話の内容は覚えていない。俺は自分の不甲斐無さに落ち込んでいた。彼女といるとそれを実感する。彼女との物理的な距離が近づき、彼女の存在を意識するとそれが大きくなる。
新規生徒が来るたびに、俺はその生徒を誘って夕食を共にしていた。落ち込んだ彼らをなぐさめ、どうにか辞めないように引き留めるためだ。勿論、男性の場合のみだ。さすがに初めて会う女性をの場合は気が引けた。今回は誰か俺を慰めてほしい気分だった。




