第四話
女の名前は伊達冬子。名前の通り、第一印象はどこか冷たい印象の女だった。人を避けつけないような壁を感じる。それは社会人としての壁というよりも、彼女の内面からでているように感じた。彼女自身が人との触れ合いを拒否しているようだった。それは俺の勘違いかもしれないが、そう思った。
◆
出会いは些細な事だった。
俺が通っている英会話スクールに彼女が来たのだ。
海外勤務を狙っている俺は英語の勉強をしていた。
内の会社では、社内公募で海外勤務の社員を募っている。それは別にエリートコースなどというわけではない。つまり海外の大学院に留学してMBAをとり、帰国して会社の幹部になるという道ではない。
寧ろ、日本国内の本社で勤務してた方が出世という面では早いだろう。だが俺は海外勤務を希望していた。俺には出世欲などない。程々に生活できればいい。
だが、海外で働きたいという漠然とした希望、夢に近い物をもっていた。
今の世の中、ネットで海外の情報は入ってくる。グーグルマップ検索で実際の街の様子を画像で見ることもできる。海外で生活している人のブログを見ればその雰囲気を分かる。それらを見ればある程度海外の様子を想像することができ、興味は薄れ、憧れが魅力のない現実に変わる。
それに海外で生活しても何か劇的に変わる訳でもないと心の隅で思っていた。
でも、俺は海外で働きたかった。ただ日本から離れたいだけかもしれないが、そういう強い衝動があった。
それは学生時代からずっと消えずに残っている俺の数少ない思いだった。
だからかもしれない。中途半端で飽きっぽく、人に誇れるものがない俺の中で唯一といっていい程長い間持続した気持ち。その思いを大切にしたかったのかもしれない。
そうすれば、俺も多少は自分の事を誇れるようになるのではと、俺自身がどこかで思っているのだと思う。
俺が通っている英会話スクールは、先生一人に生徒が最大二人つく。そこで対話形式で英会話を学んでいく。
二時間の授業を一コマとして、俺は週に二回。火、金に通っている。
講義の内容は少し特殊だ。まず、生徒or先生が三十分程一人でプレゼンする。勿論英語だ。その内容は興味があるニュースの記事だったり、最近はまっていることだったり。各自が自由に決める。それに対して先生と生徒で話し合う。勿論英語だ。
はっきりいってかなりヘビーだ。この英会話スクールは上級者向けだと聞いていたが本当だった。初めてきたときは衝撃と焦りで一杯だった。俺はブルブルと震えていた。こんな感覚は久しぶりだった。
でも、俺はあえてそうした。俺は自分を追い込まないと能力をはっきできないことを身を持って体験している。これまでの経験からだ。
だからこそ無理にやらなければいけない状況を造り、後は頑張る。俺自身をコントロールできない俺は環境に頼る。俺はそこまで強くなかった。それを自覚し認めていた。
初回授業は「?」だった。先生も生徒も普通に英語で会話していた。ここはアメリカかと思った。俺は焦りで一杯で、始終何を聞かれてもイエスと言っていた。まさにイエスマンだった。
そしてあっという間に二時間が過ぎた。俺の英語力のなさを痛感する出来事だった。少しはできると思っていた英語だったがそれは勘違いだった。俺は全くと言っていいほど何もできなかった。
それから俺は焦って対策した。まずは仲間や先生のマネだ。よく聞いていると、同じような言い回しやセリフを繰り返しているようだった。まずはそれだけ覚えた。そんなに難しくはない。百個程の言い回しを覚えていればなんとか会話になる。
後は単語だ。単語は知らなければどうにもならない。受験生の様に単語帳を毎日持ち歩いて暇を見て覚えていく。
覚えるだけなら才能なんていらない。ただの作業だ。やる気さえあれば誰でもできる。だから俺はそうした。
そして最大の問題がプレゼン。英語でプレゼンなどしたことがない。それにまず英語で資料を作る必要が有る。俺はつたない英語を総動員して資料を作った。
資料にはなるべく単語を配置する。文章は書かない。そのため資料作成は思ったほど面倒ではなかった。だが説明が鬼門だった。いいたいことを英語で言えない。だから事前にいうことを全て英語で書き、全て暗記する。三十分のプレゼンの分量は思ったより多かった。
途中に関係の無い話を入れてなんとか誤魔化す。海外ドラマからひっぱてきたジョークをやりすぎない程度にいれ、時間を引き延ばす。
そうこうしてなんとか無理やり作った。
そんな生活をしながら、俺は徐々に授業に慣れていった。
◆◇
一ヵ月たったころ、俺と同じ先生の授業を受けていた人が辞めた。
すぐに新しい生徒が来たが、その人も二週間で辞めた。
俺は不思議だったが、先生はあまり驚いていないようだった。だから俺はその疑問を先生に聞いた。するとなんてことのないように教えてくれた。
先生曰く、長続きする人は珍しいらしい。最初はやる気があっても、一ヵ月たてば大抵の人が辞めると。自分の授業が厳しいということも大きな原因だと。でも、その事がわかっていても先生は授業のスタイルを変えるつもりはないとのこと。
授業内容を易しくすれば持続する人も増えるだろうけど、それは絶対にしないと。そんな事では英語は身につかないと。しっかりとした読み書き、会話ができるようになるにはある程度厳しく勉強するしかないと。
英語で金を儲けたいんじゃない。多くの人に、実際に英語を使えるようになってもらいたい。先生は熱く語っていた。勿論英語で。
後、俺はすぐ辞めると思っていたらしい。初回の授業で「イエス」しか言わなかったからしょうがない。「変なのが来た、すぐ辞めるだろう」と思っていたけど、長続きして驚いていると。
又、プレゼンをちゃんと準備してくる事にも驚いたらしい。普通は適当なニュースを選んでそれをそのまま読むか、少し付けたして説明するらしい。
一から作ってくるのは初めてだとか。
俺は会社でやっているように、プレゼン=「PCのパワーポイント使って資料を示しながら解説するあれ」だと思っていた。ちょうど授業の部屋にPCもあったので、そうだと勘違いしていた。それに先生もパソコンを使ってプレゼンをしていたので。
だが実際は違ったようだ。そんな感じで俺と先生は変わらず、もう一人の生徒だけ変わっていった。




