第三話
◇◆
そしてほどなくして、俺と春子は付き合い始めた。
俺から春子に告白した。
彼女はちょっと間をおいて、「いいよ」っと言ってくれた。
彼女が答えるまでの数秒の沈黙は、俺にとって心臓が止まるような恐怖だった。ばくばくとなる心音が耳に響いていた。でも、「いいよ」という彼女の声を聞くとそれは胸の高鳴りに変わった。
彼女との生活は、なに不自由ないものだった。
穏やかに過ぎていく日々。変わり映えのしない日常。
彼女に対して不満はない。付き合っていくうちに、彼女も前の女性たちみたいに子供の様になっていくのではないかと心配していたが、そんなことはなかった。
春子は常に春子だった。さすがに関係が進んでいくうちに、口調や雰囲気は変わってくる。親しくなるとくだらないこともする。
でも彼女には、俺が過去の女性たちに感じた嫌悪する部分を感じることはなかった。一人の大人として接してくれるし、俺の事を気遣ってくれることも分かる。変に依存し、強制してくることもない。
よく付き合って三ヵ月で熱がさめるという話を聞くが、俺達にはそれが無縁だった。そもそも熱がなかったという話でもない。付き合い始めからこれまで、彼女の事を嫌いになったことはない。多少の喧嘩はあるが、それも許容できる範囲だった。
多分、波長が合ったのだと思う。俺と彼女は同じような性格というわけではないが、何故かウマがあう。そんな関係は初めてだった。 気の合う男友達とは違う感覚。性質が違うからこそ混ざり合う関係なのかもしれない。
そして付き合い始めて驚いた事がある。それは、人から好かれるという事がこれ程心に安定を持たすとは思っていなかった。他の女性と付き合っていた時は感じた事がない居心地の良さ。ゆっくりと、じんわりと心を満たしてくる感覚。春の陽気のような空気が俺の体を満たしていた。彼女から伝わってくるゆったりとしたその感情は、俺の心を温める。
しかし、俺はどこか満たされていなかった。ゆるやかな幸せの中、ふいに訪れる寂しさ。それを常に感じていた。その寂しさは何なのか分からない。でも、それは俺の心の中で強く自己主張していた。それは引き付けるような魅力をもっており、俺の心を乱す。
勿論、彼女の前ではその感覚を無視する。いつも楽しんでいるように装う。実際楽しいのだから。それでいい。この寂しさなど、大したことのない感情だ。心の隅っこに居座るささいな光。そんなものに気を留める必要はない。
それに彼女に悟られたくない。それは彼女に悪いだろう。彼女のせいでこの感情を抱いているわけではないと思う。なのに彼女の前で退屈な顔をするのは筋違いだと思う。この感情は俺の心の中に封印する。決して表には出さない。
彼女はいつもぽわ~んとしているが、鈍感ではなく人の気持ちを察するのが上手い。ふとしたことで俺はその事を感じていた。彼女はそう思われたくないのか、褒めると毎回否定する。それが悪い事の様に。本心からそう思っているように。
だからか、彼女は何か嫌な事があっても極力顔に出さない。笑顔でそれを隠す。でも、長くいっしょにいる間にその笑顔の違いに気づくようになった。
俺はそんな含みのある笑顔は見たくなかった。彼女に心配はかけたくなかった。彼女には幸せになってほしかった。彼女は俺によくしてくれる。だから俺も彼女につくす。それが正しい事だと思うから。
俺の中にうずくまっている、このなんともいえない寂しさが消えるのを、俺は待とうと決めていた。時間が経てばいつのまにか消える。こんな事を考えていた事すら忘れる。そう信じていた。
他の感情と同じだ。アイスが食べたい、漫画を読みたいと思っても、数分我慢すればその欲望は消えていく。少しの我慢だ。人の感情なんて直ぐに変わる。それまでは俺の心の中にこの感情を留め、彼女に心配をかけないと決めていた。
これは俺の問題であった、彼女の問題じゃない。だから彼女に迷惑はかけない。
俺はそう思っていた。いや、そう強く念じていた。そうしなければいけない思っていた。
そんな時、俺はとある女性と出会った。それが始まりだった。