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第二話



 それは偶々だった。


 営業で外回りをしている時に立ち寄ったカフェ。

 コーヒーを一杯飲み、仕事の書類を確認していた時だった。


 ふと前を向くと、そこには見覚えのある顔の女性がいた。スーツ姿の春子。スーツを着ているというより、スーツに着られている印象の彼女。スーツの型がそのフォルムを自己主張し、その中に女性が格納されていた。

 さすがに社会人になって一年程立っているためか、雰囲気は変わっていた。大学時代に比べると髪も伸び、化粧も少し大人びていた。以前より落ち着いた雰囲気の彼女。


 しかし、そんな違和感は数秒で消えていった。

 俺と目が合うと、春子はいたたまれないように肩をすくめた。ほっぺにできた笑窪と僅かに硬くなった彼女の上唇。小動物の様なそれ。

 彼女はまるで、自分が何か悪い事でもしたかのような雰囲気だ。目新しいスーツ姿とその愛嬌ある仕草は初々しさを感じさせた。そしてその仕草は、大学の講義室で見慣れた彼女の姿と被る。


 その姿が契機になって俺の頭の中に記憶が蘇る。

 大学の講義室で彼女は目線が合うと、いつもそんな表情をしていた。「ごめんね」っという言葉が彼女の雰囲気から伝わってくる。何故彼女がそんな風にするのか分からない。何故申し訳なさそうにしているのか。

 そんな時は俺もいたたまれなくなり、笑顔を作って軽く会釈していた。体が勝手に動いていた。彼女の持っていた雰囲気がそうさせたのだろう。俺は後から自分がそのように行動していたことに気付いた。



 そういえば、彼女には大学時代地味にお世話になった。俺はあまり大学に真面目に通う方ではなかった。大学は最後の遊び場で、それが終わると後は働く人生だと思っていた。

 俺は社会人にあまり良いイメージを持っていなかったんだと思う。周りの身近な大人を見ても「何が楽しいのか」と不思議だった。だからそれが灰色の人生に思えた。どうせ灰色に染まるなら、それまでは明るく生きたかった。だから遊んだ。


 そのため、授業も友達に代筆を頼むことが多かった。代筆というのは、授業の出席確認の名簿をとってもらったり、プリントを回収してもらう事だ。最近の授業では自分でノートをとるような事は少なく、プリントの説明で終わる講義も多いので、代筆はそれ程負担にならない。お手軽な行動。

 友達同士で上手く回しあい、お互いをカバーし合って上手く立ち回る。そして適度にサボる。しかし、進級と卒業に必要な最低限の単位と、就職に必要なある程度の成績は維持する。要は要領よく回す。社会人になっても必要な能力だ。


 大学生特有の仲間意識がそうさせる。高校の抑圧された生活から解放された俺達は、自由に憧れていたのかもしれない。だから抑圧の対象である授業や学校というものに対して奇妙な連帯感が合ったんだと思う。それが奇妙な連帯感を生む。


 皆、多かれ少なかれやっていることで大学生にはよくあることだ。寧ろ、何もやっていない方が少数派だろう。真面目に全ての授業を受ければ高校と変わらず自由時間が保てない。それではこれまで我慢し、いつかやりたいと思っていた事が何もできない。 

 高校で受験勉強を頑張り、大学で卒研&研究室&就職活動で忙しくなるまでの時間はわりと短い。長くて3年。短くて2年だろう。その間はやはり遊びたかった。


 でも、何かの用事や偶然が重なって時々代筆をしてくれる友達が見つからない時が合った。そういう時、俺は彼女に代筆を頼んでいた。彼女はいつも授業に出ていた。学生の中には彼女の様に真面目な人が少数ながらいた。その人たちは毎回授業に出ていた。いつも同じように教室の前方に陣取っている。


 そんな彼らを講義室の後方から眺め、いつも思っていた。飽きずによくやるな。何が楽しいのか。あの人たちの何を考えているんだろうと。大学まで来て何故高校と同じような事をしているのかと。

 そして最後には思った。多分、俺とは違うんだろうと。俺とは根本的に違うから、多分理解も共感できないだろうと。


 大学に入り、高校の時より多くの人と出会い、色々な人に出会った。いや、元々出会っていたと思う。ただ、大学という自由な空気に触れて彼らの中にあったものが解放されただけだと思う。その中で出会った人の中には、俺には理解不能で想像すらできない人がいた。理解不能はものを理解しようとするのは大変だ。かなりのストレスがかかる。


 だから一人一人理解しようとせず区分けした。そうやって自然に適応していったんだと思う。気付くとそう考えるようになっていた。

 俺が理解できる人とそうでない人。枠外の人には興味は持たない。決して近寄らない。枠内の人と仲良く暮らし、楽しく大学生活を送る。


 俺にとって彼女、春子は枠外の人だった。

 そんな彼女に代筆をお願いするのは気が引けたけど、試にお願いしたらOKしてくれた。俺は予想していなかった答えに驚いた。多分断られるか、嫌な顔されると思っていた。でも、彼女は特に表情を変えずに受け入れてくれた。


 「本当にいいの?」と毎回頼む時に聞いたが、「いいよ」と答えてくれた。

 俺は彼女に断って欲しかったのかもしれない。だから同じように質問したんだと思う。でも、その願いは叶わなかった。


 普段接しない枠外の彼女とのやりとりは俺には新鮮だった。彼女が何を考えているのか気になったし、どういう風に世界を見ているのか興味が沸いた。でも、俺にはその頃別の彼女がいたし、他にも興味があることが合った。彼女が放つ深く静かな光より、分かりやすいものに飛びついていたんだと思う。


 だからその気持ちと向き合う事はなかったし、振り返ることもない。彼女と出会うたびに現れては消える気持ち。俺の心を揺らす彼女。それは常に俺の中に存在していたけど、それを俺は枠外においやった。


 そうした一番の理由は俺の中にある罪悪感かもしれない。彼女を利用している気がして、自分の中の倫理観が揺れていたのか原因かもしれない。客観的に見れば利用していると言えるだろう。俺はその頃、自分のその揺れが怖かったんだと思う。それと向き合いそれを取り込むことができなかった。だから罪悪感としていつまでも残ったんだと。


 他の人が彼女に代筆を頼んでいるのを見ると心が痛んだ。何故他人のお願いを受けるのかと。利用されることは馬鹿らしい、断ればいいと。それに、依頼している奴には腹も立った。


 いつのまにか、俺は彼女を仲間と認識していたのかもしれない。でも、自分も彼らと同じことをしているせいか、その怒りは俺に向かってきた。自己嫌悪。彼女を見るたびにその感情が湧き上がるようになった。


 だから俺は、彼女を見るたびに湧き上がってくる感情を無視した。それは、彼女の静かな光と俺の暗い気持ちが合わさったものだったから。その混沌とした歪みのある感情を俺は受け入れることができなかった。



 そんな彼女が今目の前にいる。知り会いに合った懐かしさからか、俺の心に喜びに似た感情が湧き上がる。あの時に感じた罪悪感など微塵も感じない。


 俺は気づくと立ち上がり、彼女の元に向かっていた。彼女は俺がまさか近づいてくるとは思わなかったのか、ピクッと体を動かす。椅子の背もたれに背筋をつける。目をパチパチと動かす。そして、やや口元を緩めて笑顔になる。


 「やぁ、織田さん。久しぶりだね」


 それが彼女の苗字だった。織田春子がフルネーム。

 俺の声を聞いてか、緊張したように目の下を張る彼女。でも、すぐにその緊張は解ける。彼女の表情が柔らかくなる。


 「うん。武田君も、その・・・元気だった?」


 俺の苗字は武田。武田龍二がフルネーム。

 久しぶりに聞いた彼女の声。それはまるっこい声というのか、声色はちょっと低いけど冷たくはなく、心を包み込む様な声だった。とてもしっくりとくる声で、俺の中に染み込んでくる。そして、その声を契機に様々なイメージが蘇ってくる。


 大学時代を過ごした寮。

 大学の講義室。 

 サークル棟。

 研究室。

 友達や彼女。

 そして彼女が講義室で座っていた姿。


 俺の頭の中に浮かんだイメージ。それは温かみを持ったものだった。そのせいか、俺はほのかに興奮した。大学時代の楽しさや自由な雰囲気が蘇ってくる。そのなんともいえない心地よさが俺を包み込む。


「仕事が忙しくてあまり元気じゃないけど、大方元気かな。織田さんは?」

「私も元気だよ。特に病気もしてないし」

「良かった、嬉しいよ。あぁ、ごめん。久しぶりに知り合いに会ってテンションおかしくなってるかも」

「ううん。私も驚いてるから」

「そうなんだ。あまりそうは見えないけど」

「よくそう言われるんだ。私、あまりそういうの得意じゃなくて」

「でもよかったよ。合えて嬉しい。席、移ってもいいかな?もし迷惑じゃなく、時間があればだけど」

「いいよ・・・でも」


 彼女の視線が先程まで俺がいた机の上の書類に向かう。俺の仕事の事を心配しているのだろう。彼女らしいと思った。


「大丈夫大丈夫。今日の仕事はほぼ終わっているから。それに少しぐらいサボらないと仕事はやっていけないよ」

「・・・そうなんだ」


 彼女はちょっと心配そうな声を出した。その声から、彼女は全ての仕事に真面目に取り組んでいるように思える。


「ちょっと待っててね」


 俺は書類を鞄にしまい、彼女の席に移動する。

 彼女はちょっぴり緊張しているようだった。背筋がぴしっと伸び、肩が強張っている。彼女の温かい雰囲気からするといささか違和感がある姿勢。

 でも、俺は彼女に会えた嬉しさからその事をあまり気にしなかった。それから俺と彼女は雑談をした。


 何を話したか覚えていない。時があっという間に過ぎていった。こんな感覚は久しぶりだった。

 ただ、楽しかったのは覚えている。彼女も笑っていたと思う。学生時代はほとんど会話しなかったのに、何故かこの時は会話が弾んだ。不思議な感覚だった。




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