第十三話 【冬子√】
俺は家に帰らず冬子の家に向かった。
俺の突然の訪問に驚いた冬子だったが家に入れてくれた。
温かいコーヒーを飲みながら冬子は俺の話を聞いてくれた。
俺の荒れていた心を冬子は慰めてくれた。
「うちで暮らすといい」といい、俺を部屋においてくれた。
俺は心の弱さから冬子に依存した。
冬子なら、俺が憧れる冬子なら俺を救ってくれると思った。
実際、自信溢れる彼女の姿に俺は救われた。
春子がいないことから生じる不安。それを冬子と同棲することで、彼女との性行為に溺れることで紛らわした。春子の事が頭に浮かんでも直ぐにそれを追い払った。
春子がいる家には帰らなかった。冬子の家から会社に通い、冬子の家に戻る。
そんな生活。
春子の事は気になることはあったが、俺から連絡することはしなかった。
冬子と生活を共にし、常に刺激を受け、ストレスをためる。それを夜に発散する。
その生活を続けていれば満足だった。
俺はこうして日本での最後の日々を過ごしていった。
◆◇
数か月後。
結局、あの日の後、俺が冬子の部屋で生活するようになってから。
春子に合うことはなかった。
俺の荷物などは春子が全て実家に送ってくれた。
母から電話がかかってきてそれを知った。
俺は冬子とアメリカのロサンゼルスで暮らしていた。
ルームメイトだ。
新しい生活に新しい仕事。
それは刺激の連続だった。
俺はその日その日頑張ることで精いっぱいだった。
慣れない英語を使いながら、違ったルールで回っていく世界の中で俺は適応しようと必死だった。それに、ふと湧き上がってくる「春子を捨てた」罪悪感。それが俺の体を動かした。そのエネルギーは途切れることがなかった。
暫らくしてこっちの生活に慣れてきた。
俺は日本のことを懐かしく思うようになっていた。
こっちの生活は分かりやすい。多民族国家のためか、空気が日本とは違う。言葉で自分の言いたい事を言わなければならない。雰囲気では伝わらない。誰も察してくれない。
春子の様に常に心配りをして察してくれる人はいない。こっちでの暮らしが長くなるごとに、俺の中で春子の存在が大きくなっていく。それが俺の心を満たしていく。
冬子はこっちの生活が合っているようだった。
もともときっぱりとした人間だ。物事を言葉にして伝えないとストレスが溜まるような彼女には合っていたのだと思う。彼女はその性格を存分に発揮していた。
だが俺は違った。日本人特質というか、俺はやはり相手の事が気になったし、空気や心の内を察してくれない事に対してストレスを感じていた。冬子は環境の変化を割り切れたようだが、俺はそこまで強くなかった。冬子といることで、俺はその差を思い知った。
でも、俺は夢の海外勤務にきたのだ。そんな事を気にしている暇はなかった。とにかく働いた。細かい心の機微を気にせずがむしゃらに働く。そのせいか、俺は出世していった。
仕事ぐらいしか興味をもてるものが俺には無かったのかもしれない。
春子への罪悪感と、冬子から与えられる刺激がエネルギー源となった。
冬子とは途中で別れた。
彼女は出世してニューヨークにいった。
忙しい人だと思った。でも、それが彼女だ。俺は彼女を見送った。
俺も冬子も大人だ、互いの仕事や目標を優先する。お互いに体を重ねて求め合うが、それは体、心の中にたまっている何かをぶつけあうためで、そこに恋愛感情はない。そこに快楽にはあるが、それ以上のものはない。
俺は携帯でとある電話番号を見る眺めることが多くなった。
それは春子の番号。
懐かしい名前。
彼女は今どうしてるのだろうか?
俺は春子に会いたかった。
あの穏やかな空気を、時間をもう一度味わいたかった。
◆◆
数年後。
実家に帰るため帰国した。
その際に俺は、俺と春子の住んでいた家を見に行った。
別に彼女に会うつもりはなかった。
ただ、春子が気になった。
それにまだあの部屋に彼女が住んでいるか分からなかった。
あの日からずっと気にしていた。春子がどう暮らしているのか。
心の中に蓋をして気づかないようにしていたが、時よりその感情が俺の心をつついた。
俺は春子を見捨てた。その罪悪感。
それがエネルギーになって大変な事があっても常に奮起し、幾多の仕事や問題を乗り越えてきた。
昔の家の付近で春子の姿を見た。
彼女は一人で歩いていた。
一目でそれが春子だと分かった。
目の焦点が合い、視界が狭くなっていく感覚。
いつのまにか、俺の視界は春子に吸い寄せられていた。
髪は伸びていた。ウェーブのかかったその黒髪が歩くたびに揺れる。
懐かしさが浮かび上がってくる。
目頭が熱くなってくる。
彼女のその姿が俺の心に温かい物を呼び起こさせる。
数年ぶりに沸いた感情。
俺の足が勝手に動く。自然と彼女に近づこうとしていた。
しかし、足を止める。
彼女に傍に親しげによる優しげな男性に気付いたからだ。
その男は春子に大事そうに触れる。
彼女はその男に対して優しく微笑んでいる。
いつかの日の笑顔の様に。昔は俺に向けられていたその笑顔。
それが俺の見知らぬ男に向けられている。
彼女と男がどういう関係かはその姿から分かった。
その男は赤ん坊を抱いている。
それを春子が優しく受け取る。そして子供をあやす。
大事な宝物のように。
その雰囲気は幸せそのものだった。
絵にかいたような幸福。
それは良いものだった。
俺はその場を後にした。
春子が幸せそうでよかった。
俺には春子を幸せにできたか分からない。
俺が尊敬する彼女だ。彼女には良い人生を送って欲しかった。
俺の目から不意に涙がこぼれる。
何年も零れ落ちることがなかったそれ。
その涙の重みに俺は驚く。
こんなにも涙が思いとは思わなかった。
俺の心に空いた空虚な穴と思い。
俺の一つの人生は終わった。
これからまたアメリカに戻って仕事だ。
俺はまだ春子の事が好きだった。
心に沸き上がってくる気持ち。でも、それは見ないようにした。
その思いに蓋をする。
大丈夫。数年間春子なしでもやってこれたんだ。
それに俺は今、夢を実現している。
春子との思いは俺の中で宝物だ。
この思いを糧に、俺はアメリカで頑張っていこうと思った。
心に残る寂しさ、それはついに消えなかったけれど、俺はこの先も頑張れると思った。
【冬子√ END】
ここまでお読み下さりありがとうございます。
文章修練中のため、良点、悪点、違和感を感じた点など、ふとしたことでも遠慮なく書き込んで頂ければ嬉しく思います。ネガティブ評価でも構いません。今後に活かしたいと思っております。