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第十一話

 ある日。


 春子がいつものようにみかんの皮を剥いていた。その皮を机の上に並べていた。携帯ゲーム機は机の上に置いてある。乙女ゲームは一時中断中のようだ。待機中のBGMがなっている。


 みかんの皮でつくられるシルエット。それは動物だった。今日はそれが何か分かった。兎だった。初めてそれが何か分かった。今まで何度みても分からなかったが、今日は分かった。

 その事に俺は喜んだ。これまで分からなかった春子の一面が知れた。春子の内面を探ろうとして分からなかった俺には、その発見がとても嬉しかった。


 俺はその時、ふとある事を思い出し口から言葉がでる。


「そういえば、みかんって正式名称はウンシュウミカンって言って、ミカン科の常緑低木になっているんだよ・・・ets」


 冬子のプレゼンで知った知識。それが自然と口からでていた。つらつらとあふれ出る言葉。話そうとして意識した言葉ではない。冬子の口調がまるで自分に乗り移ったようだった。冬子が俺に話している言葉を、俺が春子に話している。冬子の中の一部が俺に中に入っていることを実感した。


 春子は驚いてこちらを見ていた。ミカンを手に持ち、口を開けたままこちらを見ている。

その瞳は揺れていた。まるで、見てはいけないものを見てしまったように。これまでは決して見ないようにしていたものが目の前に現れたように。


 「なんで・・・そんなこと言うの?」


 その声は春子にしては珍しく含みのある声だった。そんな彼女の声を聞くのは初めてだった。春子がそんな声を出せることを知らなかった。そして、その声は震えていた。

 

 その様子に俺は「しまった」と思った。とっさに頭を働かせる。が、上手く動かない。

俺の頭は空回りする。何も考えが浮かばない。頭は真っ白だ。

 だが、言葉を紡ぎださなければいけない。体が自動的に動く。


 「えっと、英会話教室で伊達が言っていたんだよ」


 さらっと口からでる言葉。伊達という名前。今では冬子の前では呼ばず、春子の前でのみ男友達の様に呼ぶその名前。

 春子の前では意識的に避けていた単語を今この場で言ってしまった。


 春子は手に持っていたミカンを机の上にちょこんと置く。食べるのを辞めたようだ。彼女はそのまま机の上のみかんを見つめている。それはみかんだ。それ以外の何物ではないが、彼女はずっと見つめている。見つめていれば、みかんが何かに変わるかもしれないと思っているようだった。


 「おい、どうし・・・」


 俺が春子に問いかけた時、ミカンが俺に飛んできた。春子が俺に投げたのだ。春子らしくない俊敏な動作。

 俺はそれをとっさによける。


 「な、何するんだよ。食べ物を粗末にするなよ」


 俺はみかんを拾って机の上に置く。

 だが、彼女は机の上のみかんの皮を俺に投げつけてくる。

 そして次は携帯ゲーム機を投げてくる。ゲーム機は壁にあたり、先程まで鳴っていたBGMの音が消える。


 みかんの皮で描かれたうさぎの絵は、机の上にもうなかった。

 彼女の愛する乙女ゲームも停止した。

 春子が楽しんでいた小さな幸せが消えていた。


 「ねぇ・・・私、知ってるの」


 春子はそう呟いた。俺の心は一瞬止まった。喉がつまり、吐き気が湧き上がってくる。

 喉の奥底に感じる違和感。それがどんどん大きくなる。

 胸に湧き上がってくる灰色の空気が灰を満たす。


 『私、知ってるの』


 その声が俺の頭の中でループする。その事が何を意味しているか、春子が言わなくても分かる。だが俺の口は動いた。そう言わずにはいられなかった。


 「何を知ってるんだよ?」

 「それを・・・私の口から言わせたいの?」


 春子は静かに呟く。その声は春子の声ではないように聞こえる。一体誰の声かと耳を疑った。はっきりとした口調の言葉。それはまるで冬子の様だった。春子がそんな声を、雰囲気を出せるとは思っていなかった。

 でも、その声の主は春子だ。目の前の春子。この部屋には俺と春子しかいないないのだから、それ以外はありえない。


 俺は恐る恐る彼女を見る。

 彼女の顔は髪で隠れて見えない。ウェーブのかかった黒髪。でも、決して良い表情はしていないだろう。彼女から発する空気で分かる。いつものような穏やかな春の陽気のような温かさはない。そこにあるのは絶望的な冷たさだった。


 彼女の顔から涙が落ち、机の上に落ちる。それが机に落ち水滴になる。





 何故こうなってしまったのか?




 俺は彼女を悲しませたくなかった。ずっと心地よい関係を続けていたかった。でも、それは叶わなかった。俺はただ、自分の夢、目標を叶えたかった。だから一生懸命頑張って勉強した。それをすればするほど春子との溝は広がっていった気がした。まるで昔の彼女と俺の関係に戻っていくかのようだった。


 講義室で真面目に机に座っている彼女。俺はその彼女を眺めていた。彼女は何を感じているんだろう?彼女はどんな世界を見ているのか?それを知りたいと思った。


 春子に代筆を頼む友人達。

 彼女を利用する人たちを見て俺は腹が立った。

 でも、俺も利用しているからそれは自己嫌悪になった。俺は彼女を利用なんかしたくなかった。それは間違っていると思った。正しくない事だと。だから俺は彼女のためにつくそうと思ったし、そんな誰にでも優しい彼女の姿に憧れた。その満たされた空間にいる間は俺は幸せだった。


 でも、それはやはり俺の願望が見せた夢だったと思う。俺が見ていた虚像なんだと思う。俺は彼女を利用した。


 春子は誰にでも優しい。勿論俺にもだ。だから冬子との関係をひきづってしまった。

 春子なら何でも許してくれるかもしれないと思っていたんだと思う。でも、現実にはそんなことありえない。優しい春子だって俺と変わらない人間だ。怒るし泣く。そんな事を俺は意図的に忘れていたんだと思う。


 俺はただ自分の中の幻想にいただけなんだと思う。だから自分が見たいものだけを、見たい角度から見ていた。見えない物には蓋をして。


 だからこうなった。


 成長したと、正しい事をしたいと思っていた俺だったが、それは間違いだった。俺は昔と変わらない。中途半端にその時々を都合よく生きていただけなのかもしれない。


 俺の頭の中で記憶がカードの様になりシャッフルされる。

 その中には、春子の姿もあるし、冬子の姿もある。俺の中の彼女たち。


 彼女たちのおかげで俺は楽しい時間も過ごせたし、夢も果たせた。

 でも、それは間違った方法で手に入れた物だと思う。俺は誰かを犠牲にするつもりなんかなかった。


 ただその時々に反応しただけだ。そう言い訳もできる。でも、俺はやはり自分が悪いと思う。冬子の事をもっと早く春子に伝えればよかった。慣れない酒など飲まなければよかった。ずるずると関係を続けなければよかった。


 何度もチャンスはあった。でも、それを俺は無視した。

 何もしなかった。

 ただ現状維持をし、心の底で彼女達に救いを願っていた。


 だから今の状況がある。俺は決断すべきだろう。この後どうすべきか。今度こそ正しい選択をすべきだ。道はいくつかある。でも、俺はどれを選べばいいか分からなかった。今の俺には意思がなかった。自信がなかった。自己がなかった。


 崩壊する世界の中で、俺はただ目の前で泣いている春子を見ていた。










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