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第六話 もう一人の僕

 夕闇の迫る時刻。

 逢魔が時。

 自身を高梨祐一(たかなし ゆういち)と呼ぶ少年は、いつものように人間を知るべく宙に浮き、眼下でひしめく人間たちを眺めていた。

 だがそれと同時に、自分に残された時間が、後わずかなことも気に掛けていた。


 ──そう。時間は無限じゃない。君は気にしないかも知れないけどね。


 タイムリミットは近い。

 だが、それがいつなのか分からない。

「そろそろだと思うんだけどなぁ」

 『元』の場所に戻ればそれはすぐに明らかになる。祐一の後、つまり祐一が抜けた『穴』を埋める存在が『そこ』にいるからだ。

 だがそれは、お互いの存在を賭けた壮絶な生存競争に発展しかねない。

「痛いのは嫌だなぁ」

 祐一はまるで他人事のように独り言ちた。

 ──と。

 祐一の周囲を風が巻き始めた。

「──来たか」

 空間が歪み、不自然な色彩が周囲を覆う。

 やがてそれは一点に収束し、人の形を成した。

 長い髪。

 か細い手足。

 それは祐一と『そっくり』な女性の姿を象った。

「まさか女の子とはね」

 祐一は口元を歪め、笑みを浮かべた。

 これから起きること。

 自分が成すこと。

 祐一は、それらをひっくるめて、ため息にして吐き出した。


 *


「私がここに来た理由(ワケ)は知っているわよね?」

 その『女の子』は、祐一の姿を捉えるなり、開口一番用件を切り出した。

 祐一が去った後、その『穴』を埋めるべく世界が作りだした存在。

 祐一の替わりに、抜け落ちた『機能』を補う存在。

 それが彼女だった。

「ああ、知ってる。そのうち来ると思ってたけど『今』だとは思ってなかったよ」

「あんたが自分勝手な理由で世界に『穴』を開けた。そのせいで私が生まれた。いい迷惑だわ」

「ずいぶんだね」

「あのねぇ……あんたはことの重大さを分かっているの?」

 少女は眉をひそめ、祐一を糾弾する。

「私たちの存在理由。それは一つでも欠けたら世界の存続が危ぶまれる。それをあんたは」

 祐一は少女の口上を遮った。

「知ってるよ。バランスを崩すのは僕の本意じゃない。ただ」

「ただ?」

 少女は訝しげに祐一を見た。

「僕たちの存在理由は、この世界の存続だ。出来る限り均衡を保ち、障害があればそれを排除する。そのために存在が許され、この世界の『機能』として特定の場所に収まっていなければならない」

「分かってるじゃない」

「でもね」

 祐一は少女の肯定を否定する。

「障害を排除する。単純だよね。とってもシンプルだ。でもさ、人間を知らずに人間を裁く。それは僕たちの本当の存在理由に合致するかなぁ。そう思わない? 君、いや、えーと」

 祐一は言い淀んだ。

 それは名前だ。

 今まで祐一には名前がなかった。

 だが、人間と接するには名前が必要なことを知った。

 だから祐一は、少女に名前を与えようと考えたのだ。

「いつまでもあんたとか君じゃやりにくい。名前付けようよ」

 その意外な提案に、少女は驚いた。

「それに意味があるの?」

 まさに然り。意味があるのかないのか、少女には図りかねた。

「あるさ。会話しやすくなる」

「それだけ?」

「他に理由が?」

 祐一の提案は至ってシンプルだ。確かに個を判別するには、固有名詞があった方がやりやすいように思えた。

 だから少女は尋ねた。

「じゃあ……私は、何と名乗ればいいの?」

「そうだなぁ……、僕とは兄妹みたいなものだからね。僕が高梨祐一だから、えーと。高梨由羽(たかなし ゆう)とでもしとこうか」

 祐一にとって少女の名前がなんであれ、自分と異なる存在として識別する必要があった。だが、口から出た『由羽』と言う名前は直感で適当だった。

「高梨、由羽……」

 少女は、たった今自分に与えられた名前を反芻するかのように、小さく何度も呟いた。

「気に入ったかな?」

「……まぁまぁ、かな」

 どことなくはにかんだ笑みを、ぎこちなく浮かべた『高梨由羽』だった。


 *


「じゃ、由羽。話の続きをしよう」

 祐一は宙に浮かんだまま、軽い調子で会話を切り出した。

 これから起きることは、きっとお互い無傷では済まない。

 そんな『話し合い』をしなければならない。

 ──どうせ痛い思いをするなら、これくらい軽い調子の方がいいや。

 どこか楽観的な考えだった。

「ええ、そうね。私がここにいる理由。そこから説明した方がいい?」

「いや。用件は大体分かってるつもりだよ。僕たちはお互いが分身みたいなものだ。でも世界には僕か君──由羽のどちらかがあればいい」

 祐一は視線を下に向け、人気のなさそうな場所を探していた。

 『話し合い』をする上で、適度に広くて人間に被害を出さない場所はどこか。

 祐一は今まで、色んな人間と出会った。

 ふと目が止まる。

 そこは、矢作亜由美と出会った公園だった。

 ──あの公園ならちょうどいいかも知れない。

「いつまでも宙に浮かんでてもしょうがない。場所を変えよう」

「え、ああ、うん」

 由羽はまだ、自分に名前が付けられた真意を知らない。

 自分に起きている変化を自覚出来ずにいた。

「見えるかな。右手の下にある公園。あそこなら『話し合い』にちょうどいいと思うんだけど」

 由羽は祐一が指し示す『公園』を見た。

 生まれたばかりの由羽には、その『公園』が果たして『話し合い』に対してちょうどいいのかどうなのか判断出来なかった。

 とはいえ、分からない、では話が進まない。

「そうね。ちょうどいいかも」

「じゃ決まりだ」

 その祐一の言葉と同時に、二人の姿は掻き消えた。


 *


 公園には誰もいなかった。

 夕闇が迫り、公園に設置してある年期の入った照明灯達が点灯を始めた。

 まるで、これから始まるショーを盛り上げようとしているかのようだった。

「さぁ、何から話そうか」

 祐一が何もない空間から忽然と姿を現した。

「そうね。まずはお互いの主張ってヤツを披露しましょう」

 由羽が、祐一と同じく姿を現した。

「主張ねぇ」

 祐一は気怠そうにブランコに腰掛けた。

 由羽もそれに倣う。

「じゃまず僕の主張から。いいかな?」

「ええ」

 『話し合い』が始まった。

「僕がここに来た理由。知りたい?」

「そうね。それを知らないと先に進みそうにない」

「そうだね。でもきっと由羽の考えと相当食い違うと思う」

「それは聞いてみないと分からない。違う?」

 祐一は驚いた。由羽が疑問を持ち、自分に投げかけている。

 それは本能が如く振る舞う自分たちには、そもそも持ち得ない『機能』だからだ。

「あ、ああ。うんそうだね。そうだ。違わない」

 祐一はそう応じながら、この公園で出会った少女のことを思い浮かべた。

 この世界に降りてきて初めて出会った少女。矢作亜由美。

 彼女は父親の死を自分のせいだと悔い、悲しんでいた。そしてそれを思い出として受け入れる道を選択した。

「人間はさ、色んな思いが詰まっているんだ」

 祐一は言葉を選びながら、自分の思考を形にした。

「悲しい、嬉しい、苦しい、楽しい。それらは人間と人間が重なって初めて生じる現象なんだ。そしてその思いは時間を超越することだってある」

 一〇年前に亡くなった友人の死を、ずっと抱き続けていた江藤という男性。

「その思いは、人間の心を成長させたり、強くしたりする」

 近藤孝夫は、自分の選択を後悔しても前に進む心を持つに至った。

「後悔しても自分が納得すればそれでいい。これって強いよね。たとえ間違った選択をしても、それは自分が選んだことだと割り切れる。僕たちにはそれは出来ないと思うよ」

 由羽は黙って祐一の話を聞き入っている。

 自分に与えられた知識、思考との相違点を見い出そうとしている。

「そして人間は孤独の中に自身の自由を求める。でもそれは寂しさの裏返しなんだ」

 香川香は、寂しいという感情を自覚し、孤独と自由はその延長線上にあるものだと理解した。

「それにね、人間は欲張りなんだ。自分の居場所を作るために仕事も、家も、全部欲しがる。でもそれは自分という人間を作るためには必要なことなんだ」

 工藤は、仕事も家も自分のものだと言い切った。その両方が自分だと。

「人間は僕たちが考えている程単純じゃない。知れば知るほど、会えば会っただけサンプルが増える。それが何を意味するか。由羽、君に分かるかい?」

 由羽は答えない。

 いや、答えられない。

 生まれたばかりの由羽にあるのは、自分の名前だけ。そして持って生まれた『機能』があるだけだ。

「僕たちの成すべきことはさ、世界の安寧と継続。それを頑なに守ること。それはそれでいいんだけどね」

 祐一はブランコを勢い良く漕ぎ出した。

 風を切る音。古びたブランコが軋む音。これら全ては人間が体感していることだ。

「障害を排除する。そんな単純な理由で人間を裁く。それは本当に正しいと思う?」

 ぎぃ。

 ブランコが軋んだ。

 一瞬、周囲の音が全て消え、由羽がブランコから立ち上がった。

「私たちの『機能』はその単純な理由から生まれたモノ。祐一はそれを否定するの?」

 凜とした声だった。

 自分自身の存在は実は強固ではなく、複雑な人間の感情、思考、行動を知らなければ正当性を得られない。

 そんな祐一の考えを受け入れるか否か。

 由羽は迷っていた。

「それならなぜ私たちがいるの? 人間は人間同士でぶつかり合い、自然をもコントロールしようとして世界を破壊しようとしている。それを排除するのが私たちの役割じゃないの?」

「そういう人間がいるのも確かだけどさ」

「ならなぜ、祐一は人間を知る旅に出たの? 一体そこで何を得たの?」

 祐一は答えない。

「人間を個別に見て、多種多様な思考や行動を知って、祐一は何を思ったの?」

 祐一は答えない。答えは既に出ているからだ。

「私には分からない。人間がこの世界で何をしてきたか。この世界に必要なのか不要なのか。それを判断する条件は何? それがなければ私たちは何も出来ないの?」

 由羽は迷っている。自分が生まれた理由が不明瞭になっているからだ。

「私は人間を見て、人間を裁き、人間を導くために存在する。でもそれは、祐一のいう人間の感情や思考、行動が正しければ不要になる。違う?」

 祐一は由羽に向き直った。

「そう。違う。人間を知らない君には人間を裁くことも導くことも出来ない。それが答えだよ」

 存在を否定された。

 由羽は、自分の足元が崩れるかのような感覚に襲われた。

「これは何? 私が今感じているのは何なの?」

「不安、恐怖、焦燥。人間が持つ負に至る感情だよ」

 祐一は即答した。

 そして避けられない戦いに向け、覚悟を決めた。

「僕も由羽も、同じ機能を持っている。でも僕は人間を知っている。由羽は人間を知らない。これは決定的に違うんだ」

 祐一の目の色が(くら)く赤く沈んだ。

「僕たちは、お互いの存在を賭けて戦わなければならない。世界に同一の機能を持つ存在が複数あることは危険なんだ。意見が異なれば、それだけ世界の均衡に亀裂が生まれかねない」

「そう、なの?」

「僕は人間のために戦う。由羽はどうする?」

 祐一は由羽に問う。自らの存在を問う。

「私は……。私は」

 由羽は迷っている。自身がなぜこの世界に存在しているのか、疑問を持っている。

 しかし。

「私は」

 由羽は、声を張った。

「この世界に産み落とされた貴方の分身。でも、この世界に機能は同じでも二つの異なるシステムは必要ない」

 戦って自らの存在を主張する。

 勝った方が世界に認められる。

 単純な理由。

 だがそれが世界の安定に繋がる。

「さぁ、私と戦いなさい。高梨祐一!」


 *

 

 互いが創り出した光の刃がぶつかり合い火花を散らす。

 そもそも剣戟の心得などない二人は、ただ闇雲に光の刃を振り回していた。

 避け、躱し、照明灯をなぎ倒し、光の軌跡が夕闇に舞う。

「ええい、同じことしてても決着しない!」

 祐一は光の刃を由羽に向けて投げつけた。

 由羽は光の刃でそれを弾き飛ばした。

「次はこれだ!」

 祐一が手を振るうと、大気が刃と化し由羽に襲いかかった。

 由羽は両手を前に突き出し光の壁を出現させ、その刃を阻む。

 逸らされた衝撃波は、ブランコに当たりその支柱をへし折った。

「機能が同じなら、戦っても無意味かな?」

 掌に光球を創り出しながら祐一が問う。

「その無意味なことを始めたのは、祐一、あなたよ」

 両手を広げ、光の刃を創り出しながら由羽が応じる。

 祐一の光球は直線的に由羽に襲いかかる。

 それを光の刃で弾き飛ばす由羽。

 その間に祐一はさらに多数の光球を創り出し、由羽に向けて放つ。

「くっ」

 由羽は捌ききれないと判断し、咄嗟に宙に舞う。

 だがそれは祐一が読んでいた行動だった。

「沈め」

 祐一が重力を操り、由羽を大地に叩き落とした。

 由羽が砂場に落下し、大地が大きく陥没した。砂場がその姿を大きく崩した。

「ぐっ」

 生まれたばかりの由羽と様々な人間と関わりを持ってきた祐一とでは、形成する思考に圧倒的な経験の差があった。

 人間との対話で、その思考の先に何があるのかを予測する。

 何を考え、どう行動するか。

 それは戦いの場においても同じだった。

「どうした由羽。まだやれるだろう?」

 祐一には余裕すらあった。

 機能は同じでも、経験値が違う。

 それがほんの僅かな差であっても、戦いの場でイニシアチブを取れるということは、常に優位に立てることと同義だ。

「私は」

 由羽は立ち上がり、再び宙に舞う。

「懲りないね」

 祐一は宙に向け、掌を突き出した。

「それでも!」

 由羽は祐一に向け、両の手を突き出した。

「何?」

「同じ手なんか!」

 祐一と由羽の同じ『力』がぶつかり合い、二人の間で火花を散らした。

「くっ……押し合いしても!」

 祐一は足を踏ん張り、手に『力』を込める。

 祐一が宙を舞わない理由はここにあった。

 大地に足を付けていれば、それだけで『力負け』はしない。

 反面、宙に浮かぶ由羽には足場がない。押されて押し返すには『力』が足りない。

 だが。

 その均衡を破ったのは、由羽が持ち、祐一にはない『無知』だった。

 生まれて間もない由羽は、意外性を知らず、限界も知らない。

 逆に祐一は自らの限界を知っている。

 これが祐一が持っていたイニシアチブを覆した。

「うわあああっ!」

 由羽は最大級の『力』を一点に絞った。

 二人の中央でぶつかり合っていた『力』の均衡が崩れた。

 由羽の放った『力』は祐一の『力』を突き破り、祐一に向かう。

「な!」

 咄嗟に体を捻った祐一は、直撃を避けた。

 だが、衝撃は大きかった。

 祐一が大地に這う。

 由羽はその隙を逃さなかった。

 肩で息をしつつ、大地に命じる。

「つ、潰せ!」

 祐一が倒れている周囲の大地が隆起した。

 そして、祐一を包み込む。

「くそ。押し潰す気か!」

 祐一は僅かに動く手に『力』を込め、光球を創り出した。

「行け!」

 光球は無数の小さな光球に分割され、複雑な軌跡を描き、大地を砕いた。

 この間で由羽が大地に舞い降り、間合いを取った。

 能力は同等。

 由羽は祐一と戦うことで、祐一が持つ経験の差を埋めつつある。

 もはや戦い自体に意味がなくなりつつあった。


 *


 そこまでだよ。

 

 突如、天から声がした。

 それは常に祐一に問いかけ、祐一の替わりに由羽を生み出した存在。


 もういいんじゃないかな?


「まだだよ。まだ僕たちは二つだ。一つにしなければならない」

 祐一は天を仰いだ。

 その目は、まだ『力』を失っていない。

「そうよ。私たちは戦わなくてはならない。どちらか一方が消滅するまで」

 由羽は肩で息をしつつ、天を睨んだ。

 

 でも、決着はつかないよ。


「なぜ言い切れる?」「そうよ、なんで?」


 だってさ、君たちはそもそも同じなんだ。ちょっと差がある程度で、それは誤差の範囲内なんだよ。


「でも僕は人間を見て、知って、色んなことを!」

 祐一が気色ばむ。

「私だって、祐一から色んなことを聞いて、戦って、何かを見つけようとして!」

 由羽の声が重なる。


 だからさ。結局君たちは同じなんだよ。人間を知ったモノと知らないモノ。そこにある差はなんだろうね?


「それは……」

 祐一は答えられない。

 由羽も答えられない。


 いいかい? 君たちが二つになったのは、そもそも、人間の存在理由を正当な条件で判断するためだ。違うかい?


「それは……そうだけど」

 祐一が力なく応じる。


 それなら、君たちがお互いを傷つけ合う必要はないんじゃないかな?


「どういうこと?」

 由羽が訝しげに応じる。


 システムが君たちを二つにしただけで、機能はお互い満たしている。

 それなら、役割を決めればそれで済む話じゃないかな?


「役割?」「私と祐一の役割?」


 そう。『祐一』は今まで通り、人間のなんたるかを追い求める。いずれ全てを知るかも知れないが、それはきっと遠い未来の話だろう?


「まぁ……そうかな」


 そして『由羽』は『祐一』が知った人間の本性なり感情をフィードバックしてもらいさえすれば、システム全体としては問題なく稼働出来る。違う?


「えと……そうね、それなら」


 ほら万事解決。そうだろう?


「そうだね。由羽さえそれでいいのなら」

「そうね。祐一がそれでいいのなら」


 じゃあ仲直りだ、握手して。


「握手?」「何それ?」


 人間がお互いを尊重しあう時、お互いの手を握りあうんだ。『祐一』が知らないとは思わなかったけどね。


「悪かったね。そこまで深く人間を知らなくてさ」


 責めてる訳じゃない。まだまだこれからってことさ。


「そうだね」「そうね」


 よって、この場は引き分け。いや、勝負すら意味がない。君たちの勝ち負けは世界に影響しない。二人いっぺんに消えられるとこっちが面倒だけどね。

 ということで、役割分担だ。

 『祐一』は人間のなんたるかを探求する。

 『由羽』はそれを知り、人間を正しく導く。

 二人合わせて本来の機能としてシステムに組み込まれる。

 これでいいかな?


「僕はそれでいいよ。痛いのは嫌だし」

「私は……たまに交替してもらいたいわ。私だって人間を見てみたい」


 だ、そうだよ『祐一』。


「いいよ。じゃ、たまに交替しようか」

「良かった。ありがとう」

 由羽はそう言って、はっと口を押さえた。

「? どうしたの?」

「いえ……つい、嬉しくて」

「え? 何が?」

「『ありがとう』って」

「ああ……そっか」

 祐一は由羽の思考の変化に気が付いた。

 それは、由羽に『名前』を付与した時から徐々に大きくなっていたある『変化』だ。

「そう、それが」


 そうだよ。それが人間が持つ感情ってヤツさ。


「そっか……」

 二人は感情がなんたるかを噛み締めつつ、握手を交わした。

 そして改めて公園を見渡した。

 公園の遊具のほとんどは原型を留めていなかった。二人の滅多矢鱈な攻撃合戦の結果だった。

「あー、直しとかないと」

「そうね……」

 ぐったりとした調子で応じる由羽は、辛うじて残っていたベンチに倒れるように座り込んだ。

「もうダメ。疲れた……」

 限界まで『力』を出せばそうだろうな。

 祐一はそう思ったが口にしなかった。

「仕方ない、ここは『兄』である僕が直すよ」

 その『兄』というキーワードに、由羽が敏感に反応した。

「ちょい待ち! 誰が誰の『兄』なのよ!」

「え? だって、同じ『機能』を持って先に生まれたのが僕だから……」

「先着順で変な権利を主張しないでよ」

「えー。僕だって苦労したんだよ? それに先に生まれたのは確かだし」

「それはあんたが自分勝手な行動をした結果でしょ?」

 つまり人間とは何か。それを探す旅に祐一が勝手に出たと由羽は言いたいのだ。

「いや、だって、それをしなかったら由羽はここにいないんだよ? 僕が旅に出なかったら君の出番は永遠に来なかった。そうでしょ?」

「う……それはそのえーと」

 それ見たことか。

 祐一は勝利の味を噛み締めた。

「うー」

 由羽は納得出来ないといった表情のまま、祐一を睨み付けた。

 とはいえ、自分がここにいる理由は祐一の言う通りだ。反論するには分が悪い。

「まぁいいわ。もう、ちゃっちゃと直してよ。『お兄ちゃん』」

 祐一はその言葉で動きを止めた。

 何かが心の奥底から湧き上がってくる。

 ──何だこの温かいのは?

 言葉では表現出来ない。

 今まで接した人間から得た知識でも当てはまるものはない。

「まぁ良いか」

 また人間と過ごせばきっと『これ』が理解出来る日も来るだろう。

 祐一は両手を天に掲げた。

 光が公園を満たす。

 夕闇が一瞬途切れ、公園は再び静けさを取り戻した。

 陥没した砂場も、へし折られたブランコも、なぎ倒された照明灯も元に戻った。

 そして──。


 *


「あーっ! あんた、あの時の!」

 矢作亜由美は、公園で一人ブランコを漕いでいた祐一を見つけた。

 学校の帰りだった。

「やぁ、えーと亜由美……お姉さん? 元気だった?」

 祐一は屈託のない笑顔で亜由美を迎えた。

「何で疑問系? それに元気とか言われてもなぁ。まぁ元気だったわ確かに」

 亜由美はそう応じつつ、空いているブランコに腰掛けた。

「そっか。それは何よりだ」

「何より?」

 亜由美は柳眉を逆立てた。

「何か偉そう」

「そう?」

 祐一は尚も笑顔を貼り付けたままだ。

「そうよ」

「うーん、まぁ亜由美がそう言うならそうなんだろうさ」

「相変わらずねじ曲がってるわねー」

 亜由美はわざとらしくため息をついた。

「それより、祐一君。あんた今までどこ行ってたのよ?」

「えー、それは色々」

「色々?」

「そう、色々」

 祐一はすっかり暗くなった空を見上げた。満月が綺麗だった。

 それを見た亜由美は、端的に祐一の表情を汲み取った。

「何か変わった」

「変わった? 誰が?」

「この公園、私とあんた以外に誰がいるの?」

 祐一は公園を見回した。祐一と亜由美以外、誰もいなかった。

「僕、かな?」

「そう、君」

 祐一は先ほどまで繰り広げられていた激戦を思い浮かべた。

 ──そういや一発食らってたっけ。

 避け損なった由羽の『力』は、祐一の脇腹を掠めていた。

 痛みはない。

 が、ちょっと悔しい。

「ケンカして妹に負けるとこんな感じなのかな?」

「何よ、あんたケンカしたの?」

 実際はケンカどころではないが、亜由美が言うとそうとしか聞こえない。

「まぁ、似たようなモンかな」

「女の子に手を上げるのはいただけないわねー」

「そうなの?」

「そうなの!」

 また一つ人間の考え方を学んだ祐一だった。

「って言うか、あんたに妹がいたの? 今度連れてきなさいよ」

 とんでもない脱線だ。

 ──由羽を連れてくるだって?

 祐一は、それだけで頭の奥に鈍い痛みを感じた。

「ね、似てるの? 歳は?」

 矢継ぎ早に質問が飛んでくる。

 口は災いの元。

 そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

「そう言えば、一つ言い忘れてたわ」

 しばらく続いた質問攻めの後、亜由美がそう切り出した。

「忘れてた?」

「そ」

 亜由美はブランコから立ち、二歩ほど祐一から距離を取り背を向けた。

「……りがとう」

「え? 聞こえないよ」

 亜由美は勢い良く振り向いた。

「ありがとうって言ったの! お父さんの思い出の大切さ。気付かせてくれて」

 祐一は、そんな亜由美を見て嬉しくなった。

 ──ああ、これが感情か。

 知ったつもりになっていた。

 理解したつもりになっていた。

 ──人間って複雑で難しいや、やっぱり。

 知っただけじゃだめなんだ。

 祐一は今、亜由美の一言で『本当の感情』を知った。

 だから祐一はこう言った。


「『どう致しまして』」


 もちろん、出来る限り『心』を込めて。


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