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第三話 月夜の晩に

 ──夜。

 真夜中は静寂の中にあり、何人も穏やかな夢に見入る時間。

 そんな中、香川香(かがわ かおり)は、当て所なく彷徨っていた。

 照明のない裏路地。

 あるいは、夜であるにも関わらず人がごった返している繁華街。

「なんでこんな時間なのに人がいるんだろう」

 ついこぼしてしまう独り言。

 香は長い前髪を掻き上げ、メガネを指で押して位置を直した。

 学校ではひたすら目立たず、成績も中の中。

 運動神経も悪くはないが良くもない。

 身長、体重も世の女子高生の平均値。

 そう。何もかもが平均値。

 悪く言えば何の特徴もなく、没個性的な女の子。

 そんな香は夜になるとこっそり家を抜け出し、街中だったり郊外を彷徨い歩く。

 見上げれば満月。

 覆い隠す雲もなく、あまねく世界を照らしていた。

「月はなんで孤独に耐えられるのかなぁ」

 町外れの高台にあるちょっとした展望台。そこに隣接している広場で、空を見上げながらそんな言葉をつぶやく。

 香は友達がいないわけでもない。

 だが、特に親しくしている友人がいる訳ではない。

 希薄な人間関係。

 両親もそこそこの成績を取っていれば特に干渉して来ない。

 そこにある家族関係も希薄に感じる。

 ──私は孤独なのかな?

 一人っ子である香には、しばしばクラスメイトの話題にでる兄妹関係は鬱陶しいだけに感じる。

 孤独であること由だ。

 現に今、香を束縛するのは月明かりだけだ。

「静かで寂しい所だね」

 ふいに声がした。

 さっきまで誰もいなかった展望台。

 香は手すりにもたれかかり夜景を眺めていた。

 誰もいないことを確認した上で。

 だが今、香の孤独で自由な『テリトリー』に異物が存在している。

「……誰?」

 香は夜景から目を離さず、声の主に問いかけた。

 不機嫌そうに。

 あからさまに邪魔であるかのように。

「僕? 僕が誰なのか気になるの?」

 声の質から、まだ変声期を迎えていない少年のようだが、どこか大人びている印象があった。

「……気にはならない。でも私の邪魔しないで」

 香は孤独な自由をこの場で得ている。

 クラスメイト相手に一緒になって『面白がって笑う』なんて演技をしなくてもいい。

 両親相手に『大人しく、言うことを良く聞く娘』を演じる必要もない。

 ここには香のテリトリーだ。誰であろうが立ち入る権利はない。

「邪魔? そっかぁ邪魔かぁ」

 その声は明らかに面白がっている。

 ──何がそんなに面白いの?

 香は不思議に思った。

 少しだけ。

 ほんの少しだけ興味が湧いた。

 視線を声の主へ向ける。

 そこには予想していた通りの少年が一人、香と同じく手すりにもたれかかり夜景を眺めていた。

 ──中学生、かな?

 自分のことはさておき、こんな深夜にこんな所にいる。だが不良の類いには見えなかった。

 自分と同じ?

 孤独が好き?

 自由を求めて?

「そのどれも違うよ」

「──!」

 少年は香の胸中を見透かすようにそういい、香に向き直った。

「僕は観察してたんだよ」

「観察?」

「そう」

 一体何を観察していたというのか。

「僕は人間のことをもっと知らないといけないんだ。だから観察してたんだ」

 何を言っているのか。

 香には少年の言葉が理解出来なかった。

「ほら、例えばあそこの電柱」

 少年が指差す先は闇の中だった。

「電柱? 見えないわよそんなの」

「よく見てみなよ。あの電柱だけ照明がちかちかしてる」

 そう言われてやっと少年が言う『電柱』を見つけた。

「それがどうしたの?」

「うん。あの電柱、ここ最近ずっと調子が悪いんだ。そろそろ蛍光灯を交換しないとあの辺一帯が真っ暗になる」

 今ここも闇の中だ。月明かりと申し訳程度の照明はあるが、周囲に民家はなく人気もない。なのに少年ははるか下方の蛍光灯が切れかけた電柱を気にしている。

 それに『人間観察』がどう結び付くというのか。

 香にはその『繋がり』が理解出来なかった。

「お姉さんはさ」

 突然少年の興味の対象が香に向けられた。

「な、何よ」

「なんでここにいるの?」

 随分ストレートな質問だと思った。

 だから香もストレートに答えを返した。

「私はあんたみたいに人間に興味がない。孤独が好きなの」

「じゃ、あの『電柱』も気にならない?」

 香は即答した。

「ならないわ」

「そっか……」

 少年は、顔だけ『あの電柱』へ向けた。

「さっきも言ったけど、一週間くらい前から特に酷くなった。でもそこを通る人がそれを気にする様子がない。照明が切れれば、あの辺は真っ暗になる。そうなって困るのはそこを通る人間だと思う。違うかな?」

 最後の『違うかな?』で、少年は香に顔を向けた。

 香は何と答えたらいいのか躊躇した。

 確かに照明が切れれば、あの場所を通る人間は不便だろう。

 でもそれならその場所を避けて通ればいいだけだし、町内会か市役所に誰かが照明が壊れたことを伝えれば済む話だ。

 自分には関係ない。

 だから香はこう答えた。

「私には関係ないし、きっと困らない」

 その答えを受け、少年は明るい笑みを浮かべた。

 ──え? 何が面白いの?

 香は訝しげに眉をひそめたが、少年は意に介さない。

 それどころか口元を歪め、不敵な笑みを浮かべた。少なくとも香にはそう見えた。

「じゃ、これはどう?」

 ぱちん。

 少年が指を鳴らした直後。

 展望台の照明が一斉に消えた。

 ──え?

 そこは一切の闇。

 香には自分の手先さえ見えない。辛うじてもたれ掛かっている手すりと地面の感触がある程度だ。

 ──そんな? 月明かりは?

 雲一つ無い夜空には満月が煌々と輝いていたはずだ。

 それが今はどこにも見当たらない。

「これでも『困らない』?」

 少年の姿は見えない。

 だがその声だけが朗々と闇に響く。

 香は口を開けることすら出来なかった。

「人間は闇を恐れる。恐れるが故、明かりを求める。それが絶たれた今、お姉さんは何を感じる?」

 それは恐れ。

 恐怖、危機、焦燥、そして──怒り。

 そう。

 今香は、少年に対し怒りを感じた。

 なぜ自分がこんな目に遭う必要があるのか。

 ただ夜空を、そして夜景を孤独に眺めていただけなのに。

「あ、あんた今何をしたの? 一体私に何をしたの?」

 はっきり自覚出来た。

 香が発した声は震えていた。

「お姉さんは怖がってる。そうだよね?」

 闇の中、少年の声だけが世界を繋ぐ。

 だがその先にあるのは絶望かも知れない。

 ぐるぐると巡る思考の中、ただただ『怒り』を少年にぶつける。

「怖がってる? 違うわ! さっさと元に戻しなさいよ!」

 膝が震える。嫌な汗をかく。

 それでも香は精一杯、声を絞り出した。

「何か言いなさいよ!」

「メガネ、外してみなよ」

「は?」

 香は混乱した。

 ──メガネ……?

 メガネを外せば、この闇から逃れられるのだろうか?

 一体なんの手品なんだろう?

 そう思いつつ、メガネのフレームに手を掛けた。

「っと、その前に」

 少年の言葉が香の手を止めた。

「何よっ!」

「耳を澄ましてごらんよ」

 ──耳?

 こんな真夜中だ。耳に入る音なんてないだろう。

 そう思っていた。

 だが。

「聞こえない? 僕以外の『音』がさ」

 月と自分しかいないと思っていた世界。そこに『音』があるなんて気にも留めなかった。

「人間の音、聞こえない?」

 自分は孤独で自由だと思い込んでいた、この時間、この場所。

 その『音』は徐々に形になり、香の耳に飛び込んで来た。

 遠方を走る自動車の音、救急車のサイレン、わずかに聞こえる人間の雑踏。

 自分だけが許されたと思っていたこの世界に『他人』がいる。

 自分だけの世界に、他の人間の意思、息吹を感じる。

「……聞こえる……」

「お姉さんはさ。孤独がいい? それとも沢山がいい?」

 随分両極端な質問だと思った。

「孤独よ。誰にも邪魔されない。誰も邪魔しない。この時だけ私は自由になれる」

 香はそう言い切りながら、なぜか胸中に不安を抱えていた。

 本当に一人がいいのか。

 共に時間を過ごす友人、家族、恋人。

 そんな存在がいたら、それは楽しいのだろうか? それとも煩わしいだけだろうか?

「自由かぁ。お姉さんは自由が好きなんだね」

「そ、そうよ。私は自由が好き。誰かに束縛されるなんてまっぴら」

「それで『寂しく』ない?」

 少年のその言葉は、鋭く硬質な響きをもって香の胸に突き刺さった。

 ──寂しい?

 考えたこともなかった。

 朝起きれば親がいて一緒に朝食を摂り、学校に行けばクラスメイトがいる。

 学校から帰ってくれば母親がいて、夕食を済ませた頃に父親が帰ってくる。

 そこに『寂しさ』が入り込む余地はない。

 現に今。

 得体の知れない少年と会話し続けなければ、その『寂しさ』に押しつぶされそうになっている自分がいる。

 ──そんな?

 香は愕然とした。

 ──私はこんなに孤独で自由なのに『寂しさ』を感じてる?

 そんな香の思考を読み取ったかのように、少年が言葉を紡ぐ。

「人間が恐れるのは、闇でも孤独でもない。一緒に誰かと過ごす時間。場所。それを失うのが怖いんだ。違うかな?」

 違う。

 そう答えようとした。

 だが、口が動かない。

 言葉が出てこない。

 孤独と自由は、香が答えようとする言葉を押しとどめ、躊躇させていた。

「さぁメガネ、取ってみてよ」

 香は少年に言われるがまま、メガネを外した。

 そこには闇の中、少年だけがいた。

 周囲は相変わらず漆黒に染まり、それでいて人々の意思を感じ取ることが出来る。でも香の目には少年しか見えない。しかも、メガネを外しているにも関わらず、少年の姿はぼやけることなく明瞭に見える。

 ──これは何の冗談なの?

 香にはもう理解出来ない。

 なぜ闇に包まれているのか。

 なぜ少年だけがはっきりと見えるのか。

 でも一つだけはっきりしたことがあった。

「お姉さん、今ほっとしたでしょ?」

 鼓動が跳ね上がる。

 顔が火照る。

「な、ち、違っ!」

 狼狽えてる。

 それが自覚出来る。

 先ほどまで何もない闇にいた自分の目の前に少年が姿を現した瞬間、香の感情のどこかで感じた『安心』。

 自分以外の人間が一緒にいることへの『安心』。

 普段から孤独を愛し自由を求めていた香にとって、この感情は自分の今までの行動を否定することに外ならない。

「違う? それならもっと深い闇に閉じ込めちゃうよ?」

 そう言う少年の顔は、明らかに面白がっている。

 しかしあれ以上の闇となると、本当に誰もいない、自分だけの世界を差すのだろうか?

 遠方を走る自動車の音も、救急車のサイレンも、わずかに聞こえる人間の雑踏もない、本当に自分だけの世界。

 香は恐怖した。

 それは、香が望んでいた世界ではない。求めていた自由でもない。

「ちょっと待って!」

 香は思わず叫んでいた。

「その前にあんた、この変な手品みたいなのやめてよ! 私があんたに何したってのよ! 私はただここにいたいだけ。邪魔しないで!」

 次の瞬間。

 周囲の景色が戻った。

 雲一つない夜空に煌々と輝く満月。

 月夜に照らされる自分。地面に落ちる自分の影。

 そして。

 遠方を走る自動車の音、救急車のサイレン、わずかに聞こえる人間の雑踏。

 人の息吹を感じる。

 だが。

 明らかにさっきとは違う世界。

 一つ違うのは、少年が目の前にいることだけだ。

「戻したよ」

 これでいい?

 と言いたげな表情の少年は、無垢な瞳で香を見つめる。

 ──吸い込まれそう……。

 香はその瞳に釘付けになった。全てを暴露されそうな、無垢で純粋な瞳。それでいて、この世界のあらゆることを知りたいと思う、好奇に満ちた目。

「人間はさ」

 少年は、ゆっくりと口を開いた。

「闇の中だと何も出来ない。でも、闇の中でも自分を見失わない。それはどうしてだと思う?」

 香は少年の問いの意図を図りかねた。

 だが、思い当たるのは一点しか思いつかなかった。

「……他にも人間がいるから?」

「そう。この世界は、どこに行っても人間で溢れてる。どんな時間でも人間が側にいる。でも、それらがなかったらきっと『寂しい』んだと思う」

「寂しい……」

 香は自分の口から出たその言葉を噛み締めた。

「人間が一番恐れているのは、自分だけが世界から切り離されることも側にいなくなることはそう思ってたんだけど、お姉さんはどうかな?」

 香は鼓動が静まるのを待ちつつ、少年の言葉を反芻した。

 ──恐れる……切り離される……?

 孤独が生む自由は、香が求めていたモノは、側に両親やクラスメイトがいて初めて成立しているのではないか? 

 だとしたら、今まで自分が『孤独』『自由』と思っていたのは何だったのか。

 どんなに遠ざかろうとも、どんなに拒絶しようとも、そこには必ず自分が見知った人間がいる。

 香は一人ではない。

 人間という群体の中にいる一人の女の子だ。

 両親や友人がいる、人間社会という世界にしか存在し得ない、その中の一人だ。

「お姉さんはさ」

 少年が問う。

 でもその答えは分かっていた。

 だから香は、論点をずらした。

「お姉さんじゃない。香川香(かがわ かおり)

「ああ、そういえば名前聞いてなかったね」

 少年は、まるで初めて会ったかのような、そんな態度を取った。

「誰かが言ってたっけ。こういう時は男の方から名乗るんだよね?」

「うん? ああ、そ、そうね」

「じゃもう一回だ」

 少年は手すりから手を離し、一歩香に近づいた。

「僕は『高梨祐一(たかなし ゆういち)』。学年とかは分からないけど」

「は? 学年が分からない? あんた学校行ってないの?」

「お姉さん、自己紹介の途中だよ?」

 少年──高梨祐一は、わざとらしく口を尖らせた。

 その表情が可笑しくて、つい香は吹き出してしまった。

「何が可笑しいのさ」

「いや、ゴメンね。そうね、自己紹介の途中だったわ、確かに」

 香はまた吹き出しそうになるのをこらえつつ、自分の『名前』を口にした。

「私は香川香。高校一年。こう見えても」

「書道初段?」

「は?」

 ──書道初段?

 香には何のことか分からない。

「いや、今のは忘れて。続きをどうぞ」

 祐一は柔らかい笑みを浮かべ、先を促した。

「? まぁいいわ。こう見えても、何だっけ?」

 香はさっき思いついた言葉を失念していた。

 ──私、さっき何を言おうとしてたんだっけ?

 何気に周囲を見回す。

 展望台には、自分と祐一と名乗る少年しかいない。

 見上げれば、満天の夜空。

 煌々と輝く月が眩しい。

 眼下には、街の明かりが瞬く。

 そこには何人の人間がいるのだろうか。何百人なのかも知れない。

 ──あ、そっか。

「そう。こう見えても、両親や友達がいる、普通の女子高生」

「普通の?」

「そうよ。何か文句あんの?」

「いえいえ。滅相もない」

 少年はおどけた姿勢で、謝意を表現した。

 ──そう。私は普通の人間。ただの女子高生。

 いくら孤独を愛し、自由を求めても、必ず周囲には人間が、両親が、友人がいる。

 人間がいて初めて孤独や自由を求められる。

 ──簡単なことだったんだ。

 祐一とのやり取りの中で、香はいかに今まで自分を『孤独』『自由』と言う言葉で縛ってきたのかに気付いたのだ。

「じゃ、香お姉さんに質問」

 少年は勢い良く挙手した。

 新しい悪戯を思いついたような表情をしていた。

「はい、祐一君」

 香は一人しかいない生徒を、おどけた調子で指名した。

「あの電柱、『気にならない』?」

 祐一が指し示す先にある、調子が悪く切れかかった蛍光灯を乗せた電柱。

 そんなに遠くない未来、あの蛍光灯は寿命を迎えるだろう。

 そうなれば、あの路地は月明かり以外の照明を失う。

「気になるわ」

 香は断言した。

 ついさっきまで、何の感心もなかった電柱。

 自分には関係ない。

 自分は孤独で自由だ。

 だから電柱がどうなろうと、蛍光灯が消えようと関係ない。

 そう思っていた。

 だが今は違う。

 あの道を歩く時、きっと不安になる。

 自分以外の誰かもきっとそう思っている。

 なぜなら。

 ここは人間がいる世界で、自分がいる世界だからだ。

 何事も無関心ではいられない。

 そんな窮屈な世界に自分はいる。

 でも。

 その世界があって初めて、孤独や自由を追い求めることが出来る。

 両親におはようの挨拶をして、一緒に食事をし、学校に送り出される。途中で出会う知り合いから声を掛けられ挨拶を返す。

 学校ではクラスメイトに会い、挨拶を交わし、談笑し、勉学に励み、苦楽を共にする。

 時には色恋沙汰で悩み、落ち込んだりする。

 悩みがあれば誰かに相談することだってあるだろう。

 もしかしたら誰かから相談を持ちかけられることもあるかも知れない。

 ──誰かと関わっていないとこの世界にはいられない。

 今自分がいる世界はそんな世界だ。

「誰かに教えないといけないわね」

 切れかかった蛍光灯を。

「そうだね」

 蛍光灯の寿命が尽き、照明がなくなった時誰も困らないように。

 そして香は感じた。

 自分の中で、ずっともやもやしていたモノが取り払われたような、そんな感覚。

 ──ああ、そういうことなんだ。

 香は理解した。

「そう。人間は人間の中でしか生きられない。支え合っているのか、なじり合っているのか、それは問題じゃないんだ。側に人間がいる。それだけで『闇』は取り払える。壁もなくなる」

「取り払う……」

「人間は、そうやって『寂しさ』を取り除くんだね」

「そう、なのかな?」

 香はちょっと自信がない。

 今まで考えたこともない感情だからだ。

 でも祐一は、それで納得したようだった。

「不安も寂しさも、同じモノなんだね。香お姉さんの顔見てるとそう見えるよ」

「うーん。そうなのかな?」

 香は自信がない。今までそれを意識したことがなかったからだ。

「うん、多分」

「そっか」

 二人は並んで手すりにもたれ掛かり、眼下に広がる夜景を眺めた。

 香には見慣れた景色なはずだが、今までとまるで違う景色に見えた。

 街明かりの分だけ人間がいる。

 ひとつひとつの明かりには、意思がある。

 そこに『不安』や『寂しさ』は感じない。

 香はもう孤独ではなかった。

 自由でもなかった。

 でも、そこにはもう不快感はなかった。

 ──私は今まで何を見てきたんだろう。

 自分も所詮はこの明かりの中の一つに過ぎない。

 たったそれだけのこと。

「孤独と自由はその中にあるんだわ」

 きっと今までの自分は間違っていた。

 でもこれからは違う。

 見た目は何も変わらないかも知れない。

 でも。

「もう『寂しく』はないんだわ」

 きっと。

 香は祐一を見た。

 だがそこには誰もいなかった。

「あれ? 祐一君?」

 月明かりが照らす展望台には自分しかいない。

 さっきまで側にいた少年がいない。

「何よ。黙って消えなくてもいいじゃない」

 香はぶすっとした声で独り言ちた。

「でも──もう『寂しく』ない」

 見上げれば、夜空には煌々と輝く月。

 雲一つない満天の夜空。

 香は手すりから身を離し、展望台を出た。

 両親が待つ自分の家に帰るために。


 *


「人間の感情って難しいなぁ」

 祐一は、宙から展望台を出て行く香を見下ろしながらため息をついた。

「でも、一つだけ分かったような気がする」


 そうかい?


「ああ。人間は孤独や自由を求める。でもその前に一人じゃないことが前提なんだ」


 それで人間のことが分かったつもりかい?


「──いや? まだ、だね」


 いつまでこんなことを続ける気だい?


「僕が理解するまでだよ」


 人間を、かい?


 祐一は満天の夜空を見上げた。

 月が煌々と輝いていた。

「そうさ。僕は人間を知りたい。そしてもっと知らなくちゃいけないんだ」


 でもさ。時間は待ってくれないよ?


「分かっているよ。でもそれは僕の問題なんだ。誰が何と言おうと、僕は人間が進む先、考える結果、思い描く感情を知らなければいけないんだ」


 そうか。ならいいさ。


「そう。いいんだ、これで」


 一陣の風が吹き、例の電柱の蛍光灯が音もなく消えた。

 同時に祐一の姿も消えた。


 ──さぁ次はどんな出会いがあるかな?


 世界に疑問を投げかけながら。


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