第二話 少年の選択
Chapter 2
His answer was always wrong. But could it be true?
連休明けの週初めは誰にとっても最悪だ。
会社だったり学校だったりと様々だが、目的地へ向かう気持ちが折れそうになる、そんな日だ。
近藤孝夫も、そんな中の一人だった。
孝夫は素っ気ないアスファルトを見ながら、重い足を引きずるように学校に向かっていた。
下を向いていても、何かが落ちているわけでもない。もちろん何かが変わるわけでもない。
ただ重い。体も足も重い。
そして辛い。
まるで得体の知れない何かを引きずっているかのようだった。
孝夫は中学生だ。つまり義務教育の範疇なので学校には行かなければならない。
だがそれは誰が作ったルールなのか。
少なくとも彼のためのルールではない。それだけは確かだ。
「天変地異でも起こらないかなぁ」
ポツリと呟く。
学校に行きたくない。
行ってもいいことなんかない。
これらの言葉が、孝夫の呟きに込められているようだ。
それは大なり小なりどこの学校にも存在する問題であり、陰湿だったり直接的だったりと様々だが、思春期というデリケートで人間形成の大事な時期にそれに巻き込まれるのは肉体的より精神的に辛い。
孝夫は、いじめられっ子だった。
*
「下ばかり見てると電柱か何かにぶつかるよ?」
突然後ろから声をかけられた。
振り向くと同年代と思しき少年がいた。
髪の毛は日光の具合でちょっと茶色に見える。
背格好も孝夫と同じくらいだ。学校の制服を着ているので多分同じ学校だろう。
ただ、顔に覚えはなかった。
「き、君は……?」
孝夫はおどおどしながら、尋ね返した。
「僕? 僕のことが気になる?」
「い、いや気になるとか、そんなんじゃなくて……」
本当は気になる。孝夫も年相応の好奇心くらいは持ち合わせている。
ただ、孝夫には聞けなかった。
その少年の人懐こそうな目、顔。いじめとはほど遠い立場にいるだろうその雰囲気。
決して暴力を受けることもない。罵声を浴びせられることい。
きっとこいつは、自分とは真逆の立場にいる。
そう直観したからだ。
孝夫はコンプレックスの塊だった。
何をしても上手くいかない。
何をしても笑われる。からかわれる。
自分が選択した答えは全て間違っている。
だから、気になるかと尋ねられても「はいそうです」とは答えられない。
なぜなら、きっとそれも『間違った選択』だからだ。
「俺、いや僕は、その、学校があるから」
自分を僕と言い直した。相手より下の立場であることを態度で示すためだ。
誰が相手でも恭順の意を表しさえすれば、何かされても被害は最低限で済む。
それが孝夫が持つ価値観であり、処世術だった。
「学校? へぇ、そうなんだ」
少年は空を見上げた。
雲一つない快晴だった。
「こんな日は学校に行ったって面白いことなんてない。そう思わない?」
孝夫は体をびくっと震わせた。
少年の言葉のその先にある、孝夫には決して選択出来ない『答え』を感じ取ったからだ。
「……いや、面白いとかそんなんじゃなくて、学校は行かないといけない所だから」
「人生ってさ」
「は?」
唐突に話題が変わった。
「一回だけでしょ?」
「そ、そうだけど……」
「二回も三回も人生を送れる人間はいない。違う?」
「そ、そりゃそうだよ。人間は死んだら、何も残らない」
「本当にそう思う?」
──何を言ってんだ、コイツ?
孝夫は少年の目を初めて直視した。
好奇心が、孝夫を構成する様々な感情──怯え、不安、苦痛に打ち勝った。
「もしさ」
「もし?」
「そう、もし。もし、もう一度人生ってのをやり直せるとしたら、君はどうする?」
──人生をやり直せる……?
それは幾度となく考えたことだった。
あの時、別な選択をしていれば。
あの時、ちゃんと断っていれば。
あの時、プロレスの技をかけていいかと聞かれ、嫌だと言っていれば。
今の自分は違う自分だったはずだ。
「人間は常に弱者を差別する。自分より弱い人間を見下す。その先にあるのはなんだろうね」
──いじめだ。
孝夫はその言葉を辛うじて飲み込んだ。
自分がその対象だということを告白するのは、自分の弱点を晒すのと同義だ。
孝夫は少年から目を逸らした。
こんな会話は無駄だ。
それで何かが変わる訳ではない。
孝夫は腕時計を見るふりをして、その場から逃れようとした。
「時間が気になる?」
「い、いや……」
孝夫はいつもぎりぎりに学校に着くように、時間を調整しながら歩いている。
たとえ僅かでも自分の安全を確保するためだ。時間が空けばその分いじめられる時間が増える。
だから時間が気にならないなんてのは嘘だ。
実際、後一分もここで無駄話をしていたら遅刻になってしまう。
「僕、行かないと」
遅刻なんかしたらヤツらにつけ込む隙を与えてしまう。またいじめられてしまう。
孝夫はきびすを返し、学校に向けて足早に歩き出した。
「ふうん。そっか。じゃ僕も行くよ」
「え?」
「学校行くんでしょ? なら一緒に行こう」
まるでそれが自然であるかのような口調だった。
「一緒に?」
「そう」
「それは……困る」
「どうして?」
「どうしてって……」
孝夫は目立つことはしたくない。目の前にいる少年が同級生なのか下級生なのか分からない。見覚えがないので、違う学校かも知れない。あるいは転校生なのかも知れない。そんな少年と一緒に登校したら目立つに決まっている。
目立てばいじめの口実が増えてしまう。
全てが悪循環だ。
孝夫は現状維持で精一杯だ。これ以上厄介事を背負うのは無理だ。
「とにかく困るんだ。これ以上僕にかまわないで」
「それは、君が出した答え? それとも」
少年は、一歩孝夫に近づいた。
「……いじめられるから、かな?」
孝夫は瞬時に一切の思考を停止した。
何で? 僕はまだ何も言っていない。ボロは出していない。
──それなのに何でコイツは知っているんだ?
孝夫は少年に背を向け走り出した。
──コイツは敵だ。
孝夫の頭の中に危険信号が灯った。
得体の知れない少年に、自分がいじめられっ子だとバレてしまった。
僕をいじめる相手を増やしてしまった。
もう、一人だって増やしたくないのに。
孝夫の足は、最早学校には向かっていなかった。
*
遮二無二走り続け、辿り着いたのは跨線橋だった。
五分おきに電車が行き交うその場所は、当然だが鉄の柵で仕切られていた。
もう学校には間に合わない。
遅刻確定だ。
今さら学校に行ってもいいことはない。
先生に叱られ、クラスメイトにいじめられ、そして嘲笑の対象になる。
理由なんてとても言えない。
知らない少年と会話していたら遅れました。そんな言い訳を誰が信じるだろうか?
孝夫は鉄柵に両手を絡ませ、息を整えた。
運動が苦手な孝夫は体力がない。
それもいじめの原因の一つだ。
──そうさ、僕は何もいいところなんてないんだ。
成績は悪くはないが良くもない。
運動は苦手で、色白で痩せている。
女子と会話したこともない。きっと毛嫌いされている。
そんな人間がこのまま生き続けて何になる?
いつも選択を間違え、その都度嘲笑に晒されて何が面白い?
孝夫は鉄柵に絡ませた指に力を込めた。
もちろんワイヤで編んだ鉄柵は、孝夫の握力ぐらいではびくともしない。
上を見上げる。鉄柵の上部は有刺鉄線が張り巡らされていた。
でも。
孝夫は思った。
──これから死のうとしている人間が、その寸前に感じる痛みなんて怖がるかな。
孝夫は何の躊躇いもなく、鉄柵に右足を掛けた。
「手伝おうか?」
場違いに明るい声がした。
背筋が凍る思いとは、きっとこういう時に使うのだろう。
孝夫は鉄柵に登りかけた姿勢のまま、動けなくなった。
──いや、違う。これは……?
体が意のままに動かない。
──僕は何をされた?
呼吸さえ苦しい。指一本動かせない。
「自己紹介がまだだったね」
少年の飄々としたその口調からは、感情が感じ取れない。孝夫は本能的な恐怖を感じた。
「以前、初対面の時は男の子から名乗るものだと言われたことがあってね。あ、そっか君も男の子だね。この場合はどっちが先だろう?」
何を言っているのか不明だった。
片や自分の人生の選択肢の岐路に立ち、もう一方は自己紹介の順番を悩んでいる。
「こ、近藤、近藤孝夫」
何とか声を絞り出し、自分の名前を告げた。
途端。
孝夫は体の力が抜けていくのを感じた。
急に自分の体重を感じ、どさり、と鉄柵から落ちた。
きつく鉄柵に食い込んだためか、指が痛い。背中から受け身なしで落ちたので、腰も痛い。
死のうとした人間が、現実に帰った痛みだ。
孝夫はそう思った。
「孝夫君か。紹介ありがとう。僕は高梨祐一。祐一でいいよ」
祐一と名乗った少年は、孝夫に手を差し伸べた。
──コイツいいヤツかも知れない。
「あ、ありがとう」
孝夫は祐一と会って初めて緊張が解けた気がした。
「で、どうする。続き」
「は?」
「いやほら、登ってたでしょ?」
祐一は有刺鉄線を指差した。
孝夫は、一瞬でもいいヤツだと思ってしまったことを後悔した。
──ほら。また間違った選択をしそうになった。
目の前には高さ四メートルくらいの鉄柵。さらにその上には有刺鉄線。
さっきまで気にも留めなかった、それらを乗り越える苦痛を想像した。
既に祐一の言う『続き』をする気は失せていた。
「……学校に行かなくちゃ」
「遅刻でしょ?」
「それでも行かないと」
「登るのが怖い? それとも面倒?」
「面倒とかそういうことじゃなくて……」
孝夫は、祐一が何を言わんとしているのか分からなくなった。
どうしてコイツは僕を死なせたいのだろうか?
もしかして初対面じゃない?
からかっているだけ?
だとしたら。
──アイツらの仲間か!
怒りがこみ上げてきた。
「……ここを登ってどうすると思う?」
「飛び降りるんでしょ?」
──やっぱりからかってる!
孝夫は努めて冷静な口調で応じた。
「飛び降りたらどうなると思う?」
「うーん。痛い、かな」
「痛いどころの騒ぎじゃないよ。死んじゃうよ」
孝夫は鉄柵を乱暴に掴み、揺らした。
「だからこんな頑丈な檻があるんだ」
「檻?」
「そうさ。死のうとしている人間を中に閉じ込める『檻』だよ、これは」
孝夫は握った拳で鉄柵を叩いた。柵がたわみ、反響した。
拳から血が滲んだが、孝夫はもう、そんなことはどうでも良かった。
「皆で自分より弱い者、劣っている者を殺したくなくてこんな物を作るんだ。世界が汚い部分を隠したくて」
もはや孝夫は、自分を隠さない。
「俺みたいな人間を閉じ込めているんだ。こんな物で──」
殴る。
「こんな頑丈なモノで」
殴る。
「閉じ込めて、隠して」
また殴る。
「見えないフリをしているんだ!」
血が飛び散った。
不思議と痛みは感じなかった。
祐一は孝夫の行動を止めるでもなく、ただただそれを見ていた。
その目に宿るモノは何だろうか。
ふいに、孝夫が鉄柵を殴るのを止めた。
息も荒く、目が血走っていた。
「なぁ、祐一君。壊れないだろう? 俺がこんなに傷ついているのに、この『檻』はビクともしないんだ。いくら死のうと思っても、そう簡単には世界は俺を殺さないんだ。そして俺は」
孝夫は深く息を吸い込んだ。
「そして──」
祐一は孝夫の言葉を遮った。
「いじめられ続ける。それが世界の意思だと言いたいのかな?」
一瞬の間。
孝夫は虚を突かれたように、口をつぐんだ。
「君の今までの人生の中で、数限りなく登場してきた選択肢。でも、用意された答えはどれを選んでも外れ。結果、君はあらゆる人間の中の最下層にいる。そう思っている。違う?」
孝夫は一歩後ろに退いた。鉄柵が背に当たる。
「君の背中にあるモノ。『檻』だっけ? 君がそのせいで抜け出せないでいるのなら」
祐一はゆっくりと歩を進める。
「その『檻』を打ち破るのを『手伝って』あげるよ」
孝夫は祐一の言葉に圧倒された。
孝夫にはもう逃げ場はない。
握っていた拳が俄に痛み出した。酷い痛みだ。
「やめろ、来るな」
「どうしてさ。君はそこから飛び降りたい。それにはその柵が邪魔。そしてその柵は君には壊せない。それにその手」
孝夫は、はっとして手を見た。そこには小刻みに震え、真っ赤な液体に染まった自分の手があった。
「その手じゃもう登れないだろう?」
祐一は、さらに一歩、孝夫に近づく。
「く、来るな」
「どうしてさ」
祐一は足を止めた。
「僕は手伝うだけだよ?」
「俺が死ぬのをか?」
「死ぬ?」
祐一は首を傾げた。
「孝夫は死にたいの?」
「そんな訳ない」
手の痛みが体の芯まで達した。頭が痛い。体が痛い。心が痛い。
「じゃあさ」
祐一は孝夫の直ぐ後ろにあるモノを指差した。
「何で孝夫は、『檻』に寄りかかっているの?」
孝夫は慌てて、鉄柵から体を引き剥がそうとした。
だが動けなかった。
体中の力は抜けているのに、背中だけがぴったりと鉄柵に貼り付いて動かない。
「俺に何をした?」
「僕が?」
祐一驚いた表情を浮かべた。
「とぼけるなよ。さっきみたいに、俺を縛り付けただろう。どうやったのかは分からないけど」
「縛り付けた?」
埒があかない会話だと思った。
話題が噛み合っていない。だが孝夫が身動き出来ない事実は変わらない。
「お前がやっていないのなら、なんで俺は動けない? おかしいだろ?」
「まぁ、そうだね」
「俺はここから離れようとした。でも離れられない。理由は何だ?」
「それは簡単だよ」
「何だって?」
孝夫は耳を疑った。
この不可思議な状況を、目の前の少年は簡単だと言うのだ。
「じゃ、説明しろよ」
孝夫はもう自分を隠さない。そんな余裕はない。
「君はそこから飛び降りたがっていた。だけど柵が、いや『檻』かな? が邪魔だった」
「は?」
「君は気付いていないかも知れないけれど、君の心の奥底では、その『檻』への執着がある」
「何を言ってるんだ?」
「その執着が君をそこに縛り付けた。簡単だろう? 君の内面の問題なんだよ、それは」
──そんなバカな。
「今君は『そんなバカな』と思っただろう?」
「!」
「表層意識では拒絶している。けれど、深層では選択が異なる。それが今の君が動けない、本当の理由だよ」
孝夫はもう何も考えられない。いや、きっと心の奥底では既に選択している。そのズレが体を動けなくしている? そんなことがあるのか?
「だから言ったでしょ? 『手伝おうか』って」
祐一が掌を突き出した。
途端。
孝夫を支えていた部分だけ鉄柵が消滅した。音もしなかった。
急に支えを失った孝夫の体は鉄柵があった場所を越え、跨線橋の縁で辛うじて踏みとどまった。
「飛び降りないの?」
飄々とした口調だが、言っていることは残酷だ。
祐一は孝夫に死ねと言っている。
孝夫は背中越しに下を見た。
十メートルほど下に線路が見え、その上に高圧線が見えた。
このまま落ちれば、良くて感電死、悪ければ墜落死、さらに悪ければ電車に轢かれて轢死する。
足が竦む。めまいがする。
死に直面するとはこういうことなのかと実感する。
死ぬ?
孝夫は思った。
俺が死ぬ?
それは、望んでいたことではなかったのか。これ以上いじめられ続けて、何かいいことがあるのか。
全ての選択肢において、全てを間違った選択をする人生に価値があるのか。
「人間はさ」
祐一の声がした。
「『死』という言葉を簡単に使いすぎる。あらゆるメディアでこの言葉が出てこない日はないよね」
「……」
「近藤孝夫君」
「……」
孝夫はそれに答える余裕はない。体のバランスを取るので精一杯だ。
それを気に留めるでもなく、祐一は言葉を続けた。
「君はそこから飛び降りたがっていた。その結果が死であることも分かっていた。でも今は違うだろう? 必死に生きようとしている。そこから下に落ちたくない。表層と深層の意識が一致した証拠だよ」
──僕は死にたいんじゃない? 生きたがっている?
辛いいじめに遭う毎日。常に選択を間違え、失敗ばかりの毎日。それでも自分は生きたいのか?
「人間ってのは不便だよね。人生が一回しかない」
祐一が当たり前のことを言った。
「あの時こうしていれば、とか過去の選択を悔やむことはあっても、それを繰り返すことはしない。その点については立派だと思うけどね」
褒めているのか貶しているのか。
孝夫には判断出来ない。
そんな余裕はない。
「君の選択は、正しい?」
眼下には死が待っている。正しいはずはない。
目の前には、祐一が立っている。
それならば。
選択肢はない。
答えは一つしかない。
「……助けてくれ」
小さな声だった。
そして、祐一は意地悪だった。
「聞こえないけど?」
「助けてよ!」
孝夫は、自分が思っていたより大きな声が出たことに驚いた。
刹那。
背中に鉄柵の感触が戻った。
気付けば孝夫は歩道にいて、鉄柵に寄りかかっていた。
架線強の縁になどいなかった。
「人間の選択は面白いね」
祐一が妙な感想を述べた。
「何が面白いんだよ。こっちは死ぬ思いで……あ」
孝夫はある結論に至った。
──俺は、始めから死ぬつもりなんてなかったんだ……。
「人間はさ」
祐一が言葉を紡ぐ。
「自らをこの星ごと滅ぼす兵器をたくさん持ってる。その手段も簡単。でも実行しない。なぜかな?」
なぜか。
そんなのは簡単だ。
選択肢が一つしかない。
「……自分が死にたくないから」
「ね? 面白いだろう?」
「悪趣味だよ、お前」
「そうかなぁ」
祐一は後ろ頭を掻いた。
「せっかく君の本性を引き出したのに、悪趣味はないだろう? お礼の言葉くらいは欲しいね」
「言わない」
「ちぇー。意地悪だなぁ」
跨線橋が振動し、電車が通り過ぎた。
──ヘタしたらあれに轢かれていたかもな。
「なぁ祐一」
孝夫は、祐一がいた場所へ目を向けた。
誰もいなかった。
「あれ?」
周りを見渡すが、跨線橋には孝夫しかいない。
「……祐一、君?」
それに応えるモノはいない。
「……夢、なのかな」
孝夫は思う。怪我をしたはずの手も何ともない。体のどこも痛くない。
それでも。
──いや、夢じゃない。
確かに祐一はそこにいて、色々変なことをしたけど大事なことを気付かせてくれた。
選択肢はいくつもあるが、どれも正しくはない。
最善でしかない。
曖昧な答え。
その曖昧さが人間を成立させている。
「お礼かぁ……」
孝夫は空を見上げた。
雲一つない快晴だった。
「確かに、こんな日に学校に行ってもつまらないよな」
孝夫は誰にともなくそう呟いた。
「人生一回きりかぁ」
こんな日もあってもいいと思った。
ついさっきまでの自分とは違う、別な自分がいた。
──俺は変わったのかな?
きっと変わったのだと思う。
孝夫は、小さな声でこう呟いた。
「……ありがとう」
この日を境に孝夫は変わっていった。
可能な限り最善の選択をする。間違ってもいい。自分が納得すればそれでいい。後悔してもいい。
不思議な少年との出会いは、孝夫をちょっとだけ強くしたのだった──その心を。
*
今度はどうだい? 何か見つかったかい?
「今回は面白かったよ。人間の両面を見た気がする」
両面?
「そう。裏と表。白と黒。生と死。目の前に広がる数多の選択肢から最善を選び取る。結果後悔の連続だったり、宝くじが当たったり。様々だよね」
ふうん? それで、君の目的は達成できるのかな?
『人間』を探すという意味では核心に近い気がするけど?
「違う、かな。確かに生と死という観点で『人間』を『観察』出来たのは収穫だったとは思うけどね。僕の感触としては、人間のひとつの側面を見た、その程度だと思うよ」
そっか。ならまだまだだよね。
「そうだね。まだ旅は続くと思う。世界は広いし、それに」
それに?
「こんなにもいい天気だ。たまには昼寝でもしてのんびりしたいよ」
それきり、周囲には喋る者も答える者もいなくなった。
ただ、青い空があるのみだった。