真っ黒な心(虹色幻想3)
私立和泉高等学校には、沢山の不思議がある。そのうちの一つに旧校舎の不思議がある。
旧校舎は木造で、今は使われていない。二階建ての小さな校舎だ。生徒はそこをサボるときに利用している。その噂は、サボっている生徒が実際に体験したことだという。
その男子生徒は旧校舎の二階で昼寝をしていた。暖かい光の差す、午後だったそうだ。急に日が翳り、目を開けた。すると目の前に知らない女がいた。制服を着ていたから、生徒だと思った。男子生徒は不振に思い、女子生徒を見た。
女子生徒は口を歪めて笑った。その顔は美しくも、恐ろしかった。制服には黒いシミが付いていた。まるで何かが飛び散ったようだった。
女子生徒は男子生徒に向かって手を伸ばした。その手は男子生徒の首をつかんだ。男子生徒は驚き、動作が遅れた。強い力が首を締め付ける。一瞬呼吸が出来なくなった。
「どうして?」
女子生徒は問いかけた。
「知らな…」
男子生徒がそう言うと、首の圧迫がなくなった。慌てて咳き込み、目を開けるとそこには誰もいなかった。男子生徒は恐ろしくなり、急いで教室に戻った。
「お前、首どうした?」
「首?」
首には絞められた跡が付いていた。男子生徒は恐怖で震え、友人に訳を説明した。
旧校舎の噂は、その日の内に広がった。
「旧校舎の不思議って知っているか?」
「不思議じゃなくて怪談だろ?」
克己は読んでいる漫画から目を離さず健太に言った。
「違うよ。最近の話じゃなくて」
「なくて?」
相変わらず、克己は漫画から目を離さない。
「…十年前、旧校舎で三人が行方不明になったんだ」
克己は顔を上げた。その様子を見て、健太は笑った。
「興味もった?」
「何か調べたいのか?」
「ああ」
健太は話を始めた。
昔、近所に住んでいたお姉さんがいた。当時、健太は六歳だった。お姉さんは高校二年生だった。健太はよくお姉さんに遊んでもらった。健太はお姉さんが大好きだった。そのお姉さんは梅雨の雨の日に消えた。最後に目撃されたのは、旧校舎へ向かう姿だった。
「それが何で旧校舎で三人行方不明の話になるんだ?」
「どうやら待ち合わせをしていたみたいなんだ」
三人の間で何があったのだろうか?
「で、確かめたいと?」
克己は健太に確認した。健太は頷いた。
「つきあってやるよ。今日の放課後にでも行くか?」
「ああ」
梅雨の時期の晴れ間は、じめじめしていた。放課後、二人は旧校舎へ向かった。旧校舎は意外と涼しく、肌に心地よかった。
「で、どうするの?」
克己は健太に聞いた。二人は男子生徒が首を絞められた教室にいた。使われていない教室は机がなく広かった。
「どうしようか?」
「…ただ待ってるだけかよ」
克己はがっくりした。真剣な顔で話をするから、何か考えているかと思った自分が間違いだった、と克己は思った。
「う~ん、会えればいいんだが」
健太は天井を見つめた。
「会ってどうするんだ?」
「話が聞きたい」
克己は眉をひそめた。
「話が出来るのか?」
「さあ?」
そうだ、健太はこういう奴だった!
克己は諦め、健太の好きにさせることにした。
「お前がいれば、話が出来るかと思ったんだ」
美術準備室で女の子と話してただろ?と健太はうつむきながら言った。
「あれは、特別だよ。紗江だけは特別なんだ」
克己は肩をすくめて言った。
「紗江?」
「あの肖像画の少女。あれは昔、俺が描いたんだ」
「お前が?いつ?」
「克己に生まれる前」
「…」
「お前、今疑っただろ?」
「そんなことは、ない」
うそくせぇ、と克己は言った。
「まあ、いいけど。俺が知っていればいいことだ」
それから二人は黙っていた。健太もそれ以上は追及して聞こうとはしなかった。窓の外は夕焼けが綺麗だった。教室が赤く染まる。
「健ちゃん。危ないから、帰りなさい」
教室の入り口に女子生徒が立っていた。顔は教室の暗さと、夕焼けの赤でよく見えない。しかし、健太はその声を聞くと慌てた。
「ねえちゃん?」
「いい子だからお帰り。帰れなくなるわ」
そう言うと女子生徒は廊下に出て行った。克己は急いで追いかけた。廊下はただ暗い闇を広げているだけだった。克己が教室へ戻ると、健太は呆然としていた。
「大丈夫か、健太」
「ああ、平気だ」
ねえちゃん、と健太はうめいて手で顔を覆った。
「お前、他に何か隠しているだろう?」
健太は手で顔を覆ったまま話した。
「ねえちゃんが他の二人を殺して、旧校舎に隠したんだ」
そうして自分も自殺した。
三人の遺体はまだ見つかっていない。
「…まさか」
おかしい。それでは変だ。今、彼女は警告していた。帰れ、と。
「他に何かありそうだな」
克己はつぶやいた。
いつの日からか、心に黒いシミが出来た。それは段々と大きくなり、やがて心を黒く染めてしまうのだろう。
私はその時、どうなるのだろう?
今の私と変わってしまうのだろうか?
想像してみる。黒い自分。すべてを壊したい、そんな衝動にしたがう自分。
悪くないと思った。自然と笑みがこぼれた。
悪くない。
今日は生憎の雨だった。梅雨は嫌いだ。そう思いながら由紀は旧校舎へ向かった。
旧校舎は雨でジットリしている。待ち合わせの教室へ急いだ。ドアを開けると、待ち人はいた。
「遅れてごめんなさい」
由紀は謝りながら、その人物に近づいた。
「平気だよ」
彼、斉藤は由紀の先輩だった。あこがれの人だ。今日、由紀は先輩に告白をするのだ。
由紀は緊張しながら思いを告げた。斉藤は申し訳なさそうに、由紀に答えた。
「付き合っている子がいるんだ」
その言葉に由紀の呼吸は一瞬止まった。斉藤の顔を見る。
「憲子と付き合っている」
それは由紀の親友の名前だった。由紀の頭が真っ白になる。雨の音が耳に大きくなった。
由紀は無理に笑顔を作って言った。
「そうなんだ~憲子ったら全然そんな話してくれないから」
由紀の目から涙がこぼれた。斉藤が慌てる。
「ごめんなさい。今、止めますから」
由紀は慌てて目を覆う。涙はなかなか止まりそうもなかった。斉藤の手が、由紀の頭を優しくなでる。ごめんね、と斉藤はつぶやいた。由紀は頭を横に振った。
「先輩は悪くないです」
由紀は涙を拭き、斉藤を見つめた。柔らかく微笑む。
「今日は来てくれて、ありがとうございました」
斉藤も笑って頷いた。帰りましょうか、と由紀は言い身を翻させる。由紀の体が硬直した。斉藤は不振に思い、由紀に声をかける。由紀の目線は入り口に吸い寄せられていた。
「憲子?」
斉藤は入り口に声をかけた。憲子は俯き、入り口に立っていた。
「ひどい、ひどいよ!」
教室に憲子の悲鳴がこだました。憲子の心は黒く染まった。
次の日は生憎雨だった。梅雨空が戻ってきたようだ。二人は黙ったまま旧校舎へ向かった。校舎の中は暗かった。
二人は昨日の教室へ向かった。健太が入り口を開けて、止まった。克己は健太の肩越しに教室を覗いた。中には、男子生徒が一人いた。
生徒が健太に声をかける。
「人を探しているんだ。見なかった?」
健太は教室へ入り、生徒に近づく。三年のバッヂをしていた。名札には斉藤とあった。
「いや、誰にも会わなかったけど」
健太はそう言うと克己を見た。克己も頷いて同意する。
斉藤は落胆して下を向く。
「ずっと探しているんだ」
悲しそうに言った。
「健ちゃん」
振り向くと女子生徒がいた。健太はねえちゃん、と呼んだ。
「健ちゃん、また来たの?悪い子ね」
女子生徒、由紀は苦笑した。そして斉藤を見る。
「先輩、行きましょう。ここにはいないみたい」
「ああ」
「ねえちゃん達は誰かを探しているの?」
「親友。見つけてあげなくちゃ」
由紀と斉藤は悲しそうな顔をした。二人は教室を出て行こうとした。その時だった。
「どうして?」
女子生徒が入り口に立っていた。
「憲子!」
由紀は叫んだ。憲子は由紀を通り過ぎ、健太の前に立った。健太の顔を睨み、言う。
「どうして?どうして?どうして!」
そう言うと健太の首に手を伸ばした。克己は健太を自分の後ろにかばい、憲子の手を振り払った。由紀が克己の前に立ち、憲子を見つめる。
「誤解なの。違うのよ」
「誤解なんだ」
斉藤も言う。憲子は聞いてなかった。二人が見えてないようだった。
「お願い、気づいて…!」
由紀の悲痛な声が教室にこだました。斉藤が健太と克己を振り返って言う。
「逃げるんだ!」
克己は健太の腕をつかみ、後ろの入り口から廊下へ出る。
「許さない」
教室から憲子の声が聞こえた。手には光るものを持っていた。憲子が腕を振り上げる。健太はハッとして教室へ戻ろうとした。
「やめろ、あれは過去の出来事だ!」
克己は健太を後ろから抑えた。教室では憲子が由紀をナイフで刺しているところだった。由紀が崩れ落ちる。斉藤が由紀を支える。憲子が斉藤に向かってナイフを振りかざす。
克己は目をつぶり、下を向く。健太は教室を凝視していた。
教室に憲子の泣き声が響いた。やがて泣き声は、笑い声へと変わっていった。
「ねえちゃんは二人を殺してなかった」
「そうだな。殺したのは親友の方だった」
「よかった」
健太はそう言うと、顔を手で覆った。それだけが、気になっていた。優しい由紀が人を殺したなど、信じられなかったから。
「遺体を捜さなくていいのか?」
克己は健太に聞いた。健太は首を横に振った。由紀の望みが叶っていないのに、探すのはいけないだろう。そうだな、と克己はつぶやいた。
あれから旧校舎には行っていない。
二人は放課後の教室で、夕日を眺めていた。
由紀と斉藤は、今も彷徨っているのだろう。何度も同じ出来事を繰り返し、憲子が気づいてくれるのを待っているのだろう。憲子の心の闇は暗すぎた。
「帰ろう」
健太が克己を見て笑った。もう平気だから、と健太は言った。
「初恋は実らないって言うからな」
克己は健太の肩を叩いて歩き出した。廊下は赤く染まっていた。健太が少し遅れて歩く。二人の影が廊下に長く伸びていた。