6 迷いを断ち切る言葉たち
予想はできた話だった。今までの話の流れ、このタイミング、深刻そうな顔。おおかた察しはつくというものだ。だから、さほど驚かずに済んだはずだ。ただ、驚かないこととショックを受けないこととは別問題である。
「……やっぱ、お前は外に行くんだな」
「……うん。ほんとは随分前から、戻って来いって言われてたんだけど。もうちょっと、もうちょっとって粘って……でも、ここらが潮時かなって」
阿澄は両親の仕事の都合で、幼いころから祖母の家に預けられていた。祖母は魔女ではなかったが、たまたま魔法特区の計画地内に居を構えていたのだ。魔女ではないが、もともと住んでいた場所が後から魔法特区となり、出ていくタイミングを逸したという者は少なくない。阿澄は魔女とは関係ないながらも、そんな偶然から、魔女の牢獄で幼少期を過ごした。そんな偶然から、丈と知り合った。
阿澄の祖母が他界したのは、阿澄が中学生のときである。阿澄の両親は、一人になってしまった阿澄を迎えるため、仕事の方の都合をなんとかつけようと苦心したらしい。だが、肝心の阿澄は、両親の元、魔法特区の外へ出ていくつもりがなかった。
「外の大学でやりたいこともできちゃったし……これ以上両親に心配かけ続けるのもよくないかなーって。私は一人っ子だし、将来的に両親を世話するのは私だし、でも二人はこっちに来る気がないから、やっぱり私が戻るしかないわけで……」
だからごめん、と阿澄は謝った。
「別に、お前が謝ることじゃないだろ。なんとなく、解ってた。きっといつかはそういうことになるって。だって、阿澄は魔女じゃなくて、俺は魔女の血を引いているから」
「簡単に、諦めちゃうのね」
「諦めないでほしいのか?」
「……我が儘を言っていいなら、諦めないでほしい」
躊躇いながらも、しかしはっきりと、阿澄は希望を述べた。阿澄の綺麗な瞳が、まっすぐ丈を見つめていた。丈はその視線から、もう逃げられなくなった。
「本当に叶えたい願いって、なんなのかな」
「え……?」
「何を犠牲にしてでも叶えたい願いが、本当の願いなのかな。けど、本当に何もかもを犠牲にして願いを叶えたとしても、たぶん幸せになれない気がする」
姉たちを置いて外に行けば、父親と同じように家族を捨てていけば、きっと後悔する。強く願った望みを叶えたのに嬉しくなくなる……そんなジレンマがついて回るのだ。
「私は、そのために鍵があるんじゃないかって、思う」
今までに見たことがないくらい、阿澄の瞳が、切望しているのを感じた。
「丈のお父さんは、家族を捨ててしまった。それを知っていた丈のお母さんが、丈に同じ道を用意したりはしないと思う。きっと、別の方法なんだと思う。誰も悲しまなくていい、誰も犠牲にしなくていい方法で、道を開いてくれるんじゃないかって、信じてるの。信じたいの。だって、魔法は人を幸せにするんだって、中学生だって知ってるもの。だから」
阿澄の白い手が、丈の手を握った。懇願するように頭を垂れ、阿澄は願う。
「だから、私と一緒に外に来てください」
がりがりがり、と凄まじいスピードでシャーペンが文字を綴っていく。残像が見えそうなくらい超スピードで動く白い右手を、丈はぼんやり見つめていた。
すると、不意にその手が止まった。
「……そんなじっと見られると、集中できないんだけど」
四葉は不機嫌そうに抗議した。丈は「悪い」とさほど悪く思っていないような調子で謝った。すると四葉は不思議そうに丸くする。
「妙ね。いつものあんたなら、『だったら帰れ』とか言いそうなのに」
例によって、実家の方が酒臭いと言うので、四葉は丈の部屋に押しかけた。当たり前のように、狭い部屋中に勉強道具を広げてスペースを占めてしまう四葉に、丈は特に文句も言わず、壁に凭れて、何をするでもなくぼんやりと四葉の手元を見つめた。
「なんかあった?」
「……別に、何も」
「……あ、そう」
四葉は深くは追及しなかった。しかし、それは興味がなかったからではなく、問い詰めるまでもなく必要な情報は手に入れられるからだ。
ほんのわずかの間、四葉は丈をじっと睨んでいた。やがて、小さく息をつくと、「そういうことか」と呟いた。
「あんた、外に出ていきたいのね」
丈はじろりと四葉を睨む。
「無暗に読むなって言ってるのに」
「今のはあんたが悪い」
四葉は人の心を読める。そういう魔法の使い手だ。ふだんはその聡明さと研ぎ澄まされた洞察力をもって人の考えをずばりと当てるのだが、時々こうして「カンニング」する。プライバシーに配慮して、四葉はやたらめったらに魔法を使うことはない。本当に必要に迫られたときだけ、四葉は人の心を覗き見る。
今の一瞬で、四葉は丈の心を読んだ。丈が何に悩んでいるのか、すべて筒抜けてしまった。
ばれてしまったのなら仕方がない。丈は堂々と、四葉に問いを投げかける。
「姉さんたちって、父親のこと、嫌ってる?」
「他の姉さんたちのことは知らない。私個人の話でいいなら……私は、嫌いよ」
四葉は厳しい顔つきで吐き捨てた。
「まあ、私だってあんたとは一つしか違わないんだから、あんたが覚えていない父親のことは、当然私も覚えてないわ。でも、物心ついたころ……父親がいなくなった直後くらいの母さんが、悲しそうな顔をしてたのは覚えてる。当然よね、魔女だと知った上で自分を愛してくれたはずの人が、結局自分を置いて行ってしまったんだもの。子どもまで置き去りにしてさ」
「俺が出てったら、恨むか」
「別に」
即答だった。丈は思わず苦笑する。
「あんたに気を遣ってるわけじゃないわよ。ほんとに、別に怨みなんかしない。っていうか、そう言いだすのが遅いんじゃないかって思うくらいよ、私は。もっと早いうちに、あんたは出ていきたがると思ってた。だってあんた、昔っから苦労してたもの」
「そうか?」
「そうでしょうよ。だから家を出てったんじゃない。私は解ってた。きっと母さんも解ってたから、止めなかった。父親は、自分で道を選んでおきながら、それを反故にしたいい加減で無責任な人だと思うけど、あんたは違う。あんたは最初っから被害者だった。なまじ上に四人も魔女の姉がいるせいで、あんたはことあるごとに比べられてた。天才魔女の子どもだからって勝手に期待する奴は、すぐに、勝手に裏切られた気になって、あんたのことを出来損ない呼ばわりしてた。私は小学生にして、あんたに心底同情したわ」
「その割には、優しく慰められた覚えはないけれど」
「当然よ。私の優しさは全部、『この時』のためにとっておいたのよ。魔女の子のくせにって馬鹿にしてるくせに、魔女の子だからって閉じ込める。こんなクソみたいな場所に嫌気が差して、出ていきたいって言い出したら、その時は快く送り出してあげるって、私、決めてたから」
いつだったか四葉が言っていた台詞がよみがえる。
『あんたは自分でも信じられないような理由で、馬鹿みたいな選択をするんだわ』
その予想、予言が、本当になろうとしていた。魔法特区を出ていこうだなどという無茶。しかも理由は幼馴染のため。呆れるような話。だが、四葉はそれを全部知った上で、背中を押してくれるという。
「どうして、そこまで……」
恨んだっていいのに。詰ったっていいのに。なぜそこまで言ってくれるのか。丈が疑問を口にすると、四葉は、そんなことも解らないのと言いたげに、小馬鹿にしたように笑った。
「私、あんたのお姉ちゃんだから」




