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5 モラトリアムの終焉

「魔法特区から、脱出……?」

 阿澄は呆然と、丈の言葉を繰り返した。丈は小さく頷き先を続ける。

「もっと『鍵』に合わせて言い換えるなら、『外の世界への道を開く』ってところかな。今は閉ざされている扉を、こじ開ける……そういう感じだ」

「丈は、外の世界に出たい?」

 阿澄の問いかけに、丈は口を噤む。それが本当に自分の願いなのか、実感が湧かないのだ。だから、自分のことを答える代わりに、「とある男」の話をすることにした。

「……俺の知ってる奴に一人、魔法特区を出て行った奴がいる」

「丈の友達?」

 ひとまずそれには答えず、丈は先を続ける。

「魔法特区は、魔女にとっての楽園だと言われていた。そういうふうに言って、国中に散らばっている魔女たちを呼び寄せた。確かにここは楽園かもしれない。だが、それだけがすべてではない。魔女にとって不利な事実を隠して、聞こえのいいことだけを言って魔女を集め、一度入ってしまえば、魔女は外に出られない。魔女の血縁も外に出ることはできない。魔法特区の中で生まれた魔女の子どもは、この国の国土のたった二パーセントくらいの狭い街から出られずに、外を知らずに生きていくんだ。魔女だったら納得できるかもしれない。だけど、魔女でもないのに魔法特区に縛られる奴にとっては……ここは楽園ではなく、牢獄かもしれない」

 それに耐えきれなくなった男が一人、かつてこの地を去った。

「そいつは魔女の血を引いていた。そして、外の世界でとある魔女と出会い、その魔女の幸せを願って、二人で一緒に魔女の楽園へ移り住んだ。けれど、魔女の世界に嫌気が差して、結局、かつて愛したはずの魔女を置き去りに外へ逃げた」

「それってもしかして……」

「俺の父親」

 丈の父親は、丈が生まれて間もなく、魔法特区を去った。丈は父親の顔を覚えていない。名前すらも覚えていない。姉たちは当然知っているだろうが、姉たちは全員、父親を嫌っているようで、名前を口にすることすら嫌だという調子である。当然写真の類も一枚もない。

「でも、魔女の血を引いてる人は、一度入ったら出られないんじゃなかったっけ」

「普通はそうだ。が、例外規定がある。本当にどうしても出たい奴は、一応出られることになっている。まずは申請して、外で問題を起こさないような奴か厳正に審査する。で、最終的には、外で魔女の子どもを産めないようにする」

 魔女でない男でも、血を引いていれば外に出られない。それは、魔法特区の外で新しい魔女が生まれるのを防ぐためだ。逆に言えば、外の地に行っても、その魔女の遺伝子が絶対に受け継がれないことを確実にすればいい。

 早い話が不妊手術である。

「本当に『どうしても』の奴のための奥の手だ。俺はそこまでして外に行きたいわけじゃないからやらない。でもあいつは、『どうしても』だった。家族全員置き去りにしてでも、外に出た。よほどなにか、腹に据えかねたらしい」

「丈は……外の世界に興味がないわけではないけど、家族を捨ててまで行こうとは思わない、って立場なのね」

「そういうことだ。姉さんたちは魔女だからどうあっても外には出られない。俺だけ脱獄ってわけにもいかないだろ」

「そうよね。お姉さんたちを置いては、いけないわよね」

 それがいいよ、と賛同する阿澄の声が、どこか沈んでいるような気がした。

「……阿澄?」

 怪訝に思って名前を呼ぶと、阿澄はなぜか俯いてしまう。

 阿澄はそうして、しばらく沈黙していた。

 やがて何かを決心したように、阿澄は溜息をつき、顔を上げた。

「あのね、丈」

 その瞬間に、ああ、と丈は理解した。阿澄が何を言おうとしているのか、解ってしまった。

 いつかそんな日が来るのではと思っていたが、どうやらそれが今らしい。

 ずっと一緒だった幼馴染は、いつになく真面目な顔で告白した。

「私、高校を卒業したら魔法特区を出る。たぶん……戻ってこない」



 魔法特区計画。それは、魔女たちのための楽園を作る計画のはずだった。

 魔女だという理由で迫害されない。魔法を隠さなくていい。魔法を使っていい。魔女は職業として認められる。魔女が、異端分子として狩られることのないエリアを作る、そんな、魔女たちにとっては夢のような計画。それは確かに実現し、魔法特区は完成した。

 初めは、ほんの一握りの魔女と、大勢の一般市民が暮らしていた。そんな中で、魔女たちは、魔女でない者たちのために、魔法を使った。怪我を治せば喜ばれた。空を飛んでは楽しませた。そんな噂を聞きつけて、魔法を自由に使いたいと願う魔女と、魔法の恩恵にあずかりたいと願う市民たちが移住した。

 彼らの利害は一致し、魔法特区は上手く回っていった。

 ――ただし、そこには落とし穴があった

 魔女の楽園と言われた魔法特区は、しかし、その正体は、魔女の牢獄だった。

 魔女でない者は、結局のところ魔女を恐れていた。自分たちには理解できない力を使う魔女。科学の法則を捻じ曲げてしまう魔女。そんな魔女たちが怖かった。だから、一カ所に集めて、閉じ込めて、見えないように蓋をした。

 魔女を受け入れることのできる少数派の人間は、一緒に魔法特区に入れておけばいい。そうして、魔女と一緒に住まわせることで、「魔女でない者も決して魔女を恐れているわけではないんですよ」とアピールする。魔女が変な気を起こさないように、おだてて、崇めて、褒めちぎっておいて、そこが牢獄であると悟らせないようにした。

 魔女を封じ込めると同時に、特区の外の魔女にも広く呼びかけ、集まるように言った。魔法特区は素晴らしいところだと謳った。情報を規制して、都合の悪いことは外に漏れないようにした。一度入ったら出られないという大事な事実を、中に入るまで教えなかった。気づいた時にはすべてが手遅れになっているシステムだ。

 納得がいかないのは、新たに生まれた子どもだ。魔女の血をひいてはいるが魔女ではない子ども。生まれてくる子どもに罪はないはずなのに、魔女の子どもは生まれながらに罪人とでもいうように、牢獄の中に閉じ込められた。外の世界を知らないまま生きるように宿命づけられた。

 魔女と非魔女の共生だなんて、とんでもない幻想だ。現実はこんなにも、薄汚い。

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