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12 最後の謎を明かして

 熱い吐息が前髪にかかる。どことなく危険な気配のする荒い呼吸が耳朶を掠める。

 誰かが近くにいる。それはもう、尋常じゃなく、ほぼゼロ距離に。

 小さく呻きながら、丈はうっすらと目を開ける。目の前に、真っ赤に染まった阿澄の顔があって度肝を抜かれた。落ちた前髪を耳にかけ、意を決したように唇を寄せてきた阿澄は、はたと丈と目を合わせた瞬間、

「馬鹿ッ!!!」

 丈の頬を引っ叩いた。

 ばちーん、と小気味よい音だった。本気すぎることが痛いほどによく伝わる、というかすごく痛い。

 目覚めた瞬間に頬を叩かれた丈は、理不尽だとしか言いようがない。全力で叩かれてひりひりする頬を押さえながら体を起こすと、そこはリビングのソファの上である。

 混乱する記憶を整理する。邦子を追及した後、邦子が指を鳴らした。そこで意識が遠のいて……気が付いたらソファに寝かされてた、というわけだ。

 つまり、これは完全に邦子が悪いわけだな、と丈は視線を巡らせる。箒に乗った魔女がけらけらと腹を抱えて笑っていた。

「おっしーい! あとちょっとだったのに!」

「……何を吹き込んだ」

 リンゴ並みに頬を紅潮させて目を逸らす阿澄と、抱腹絶倒中の邦子を交互に見遣って、丈は問い詰める。邦子は目に涙を浮かべるほどに大笑いしながら、

「いやあ、あなたに、『阿澄ちゃんを起こすには王子様のキスが必要なの!』って言っても相手にされそうになかったので、趣向を凝らしてみました」

 つまり、悪ふざけのためにわざわざ丈の意識を奪って、先に阿澄を起こし、『キスしたら起きる』などというベタベタの嘘を吹き込んだということらしい。丈だったら「ふざけんな」と一蹴するような嘘を、阿澄は真に受けたのだ。

「ひっ、ひどいわ、邦子さん! こ、こここ、こんな悪ふざけってないわ!」

「ごめんねー。でもいい雰囲気だったわよ。私、席外すから仕切り直す?」

「直さない!」

 きっぱり阿澄が宣言すると、邦子は少し残念そうに肩を竦めた。それから阿澄は、小さく溜息をついて切り替えて、ずいと丈に詰め寄った。

「それで、丈。結局勝負はどうなったの」

 その手の中には、丈が勝手に預けておいた鍵を握りしめている。

「――彼は勝ったよ」

 丈が答える前に、代わりに邦子が告げた。

「それはもう、えげつない勝ち方だったよ」

「え、えげつない!? 何をしたのよ、あんた……」

 胡乱な目つきで睨む阿澄の視線を避けて、丈は邦子をじろりと睨む。邦子はぺろりと舌を出す。

「途中で見抜かれることは想定外だったのよね。途中で諦めちゃうか、最後まで行くかのどっちかだと思ってた。理想としては、神経衰弱でぼろ負けてたあなたが、最後の最後になってトリックに気づいてあらびっくり、というのがよかったの」

「俺が勝ち越した状態で最後までいくという選択はないのか」

「それは無理だったと思うの。だって、私はトランプの傷と掠れでどこにどのカードがあるか知ってたし」

「なっ!」

「全部じゃないわよ? 最初に出したセットは箱から出したから新品だけど、残りの三セットはあなたの言った通り仕掛けアリ。そのうちのKのカードにだけちょちょっと仕掛けをね。どうせゲームは茶番なんだし、折角だから枚数度外視で、不自然にならない程度にKを優先的にそろえて、あなたをいじめてやろうかと……ほら、男の子が死にかけてるとこってそそられない?」

「ない」

 おかしな同意を求めてくる邦子を、丈は一蹴した。

「まー、死にかけるっていったって、仮に私が全部のKをそろえていたとしても、ちょっとインフルエンザと熱射病と肺炎を併発したくらいの気分になるだけだから、問題はなかったんだけどー」

「問題あるだろ」

 邦子はけたけたと笑う。どうやら彼女は笑い上戸らしく、笑いだすと止まらなかった。そのうち、笑い転げすぎて箒から転落した。たいした高さではなかったとはいえ、びたん、と大きな音を立てて、頭から転げ落ちた。もしかしたら、邦子が箒に乗っていないという初めての貴重なシーンかもしれないが、そんなことを喜んでいる場合でもないだろう。

「あたたっ……ちょっと調子に乗りすぎちゃったね、うん」

 床にぶつけた後頭部をさすりながら、邦子はよいしょ、と再び箒に乗った。

「この箒ねぇ、御影が私にくれた最初で最後のプレゼントなのよ」

「母さんが?」

「だから大事にしてるの」

 昔を懐かしむような目で、邦子は箒を撫でる。

「……さて、鍵の話だったね。約束通り、教えてあげる、その鍵の使い方」

 視線が鍵へと集まる。お守り代わりに持たせておいた鍵を、阿澄は丈に手渡した。

 手の中で鈍く光る鍵。魔法の鍵。

「もう察しはついていると思うけれど、その鍵は、自由への扉を開く鍵よ。魔女の牢獄――魔法特区に閉じ込められたあなたを自由にするための、ね」

「やっぱり、そうなのか」

「御影はね、あなたが生まれた時から危惧していたのよ。魔女でもないのに、生まれながらにこの地に縛られることになったあなたの行く末を。旦那に逃げられたときに、御影は決意した。いつか自分の夫と同じように、息子がこの地を去りたいと願ったときのために、魔法を用意しておこうと。あなたが未練なくこの地を去れるように、残された者が悲しまないように……そういう魔法を、用意しようと」

 そして、鍵をいつかのためにと丈に託し、その使い方を友であった邦子に教えていった。

「魔法の鍵の存在を他の魔女に漏らしたり、使い方を本人ではなく私に教えていったのはね、あなたに強くなってほしかったから。大切な人を、守れるくらいに。ついでに、自分の気持ちをちゃんと自覚できるように」

 後半は、悪戯っぽく笑いながら告げた。丈と阿澄は、わざとらしくお互いに目を逸らす。頬が上気するのを感じた。が、それを邦子がにやにやしながら見ているのに気づいた瞬間、憮然とする。

「さて……この魔法の鍵が、どうやってあなたを自由にするかというと。御影はね、こう言ったわ」

 そこで言葉を切った邦子は、不意に深刻そうな表情になって、静かに告げた。

「『この鍵は、桐島丈が魔女の子であるという一切の記録・記憶を抹消する』とね」

 時間が止まったような、気がした。

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