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11 いばら姫が願うこと

 熱に浮かされた頭の中で、記憶がぐるぐる回って混乱する。さっきめくったカードは、さて、どこだったか。そんないい加減な具合ゆえに、信じられないようなミスを連発した。その隙をついて、邦子は着々とペアをそろえていく。ぴたりとカードをそろえられなくなった丈を、邦子はにやにや笑って見つめていた。

「丈君、ちゃんとやる気ある? このままじゃ死んじゃうかもって解ってる?」

 邦子の獲得枚数は、おそらくもうすぐ過半数に届く。丈の負けが決まる。このまま負ければ、いろいろと困ることになる。

 首筋を汗が流れていく。場のカードは残り少ない。邦子はおそらく、一度めくられたカードはきっちり記憶している。押し切られる。記憶力では勝てない。

 おそらく、神経衰弱では、勝てない。そんなことは、丈はとっくに解っていた。

 ゆえに、別のことを考えている。神経衰弱ではなく、戸隠邦子に勝つ方法を。

 カードを覚えられなくなったのは、呪いのせいもあるが、そもそも覚える気がなくなったからでもある。まともに動く思考を、カードの記憶に充てるのをやめたのだ。

 Kの呪い、Qの解呪。

 ギブアップの規定。

 絵札だけの神経衰弱。

 先刻頭を掠めた微かな違和感。

 そして、フラッシュバックする、カードを用意したときの邦子の手。

 このゲームのルールには不自然な穴がある。一つどころではなく、いくつも。穴だらけだ。だが、巧妙を通り越して狡猾ですらある邦子が、そのミスを単なるうっかりで犯したはずもない。そう考えると、不自然に開いていた穴に綺麗に通る一本の糸が見えてきた気がする。

 ゲームの裏の絡繰。戸隠邦子が書いたシナリオが。

「……そういう、こと」

「え?」

 丈は小さく嘆息する。解ってしまうと、本当に馬鹿馬鹿しいことだと気づく。

「……やっと、あんたの真意が解った。あんたが、なにをしたいのか。俺になにをさせたいのか」

「何の話かしら」

 邦子はうっすら微笑み首をかしげる。種を暴く前に、丈は少々迂遠に話を進め始める。

「三恵姉は、大学で怪しげなサークルにばかり熱意を傾ける不良学生なんだが、実際のところ、その本分は一応、日本文学らしい」

「はあ」

 唐突に始まった話に、邦子はきょとんとする。話の流れが見えず、「はあ」と間の抜けた返事をするのが精いっぱいだったろう。

「そのせいで、やたらと古典の講釈をしてくる。特に、平安あたりの恋愛観について。その頃の恋愛は、男が女の元へ歌を送るところから始めるらしい。だが、女はすぐには返事を書かない。最初の何回かは、あえて無視する。そうやってそっけなくして、男の愛情を確認するらしい。そっけなくされてもしつこく手紙をくれる奴は合格ってこと」

「ふうん。気があるのにそっけなくするの? 好きな女の子にちょっかいばっかりかける小学生男子みたいな思考回路ね」

「俺を同じことを思って三恵姉にそう言ったら殴られたぞ」

「あらまあ。で、その話、今の状況と何か関係ある?」

「身につまされる話じゃないか?」

「……」

 それにはノーコメントだった。ただ、邦子の笑顔はほんの少しぎこちなくなった気がした。

「ところで、あんたは四葉姉が何の魔法を使うか知ってるか」

 唐突な話題転換に、邦子は虚を突かれたようだった。

「知らない。彼女は、誰にも魔法のことは話さなかったもの」

「だろうな。あいつは滅多なことではバラさない。だがまあ、あんたになら言ってもいいだろう。あいつは人の心を読める」

 邦子は僅かに目を見開いた。

「なんで四葉姉が秘密にしてるか、察しはつくだろう」

「……怖がられるから」

「そうだ。四葉姉は、特別な呪文も準備もなにもいらない、ノーモーションで心が読める。相手からしてみれば、いつ心を読まれるか解らないんだ。だから、四葉姉は秘密にする。魔法のことを知られれば、魔法を使おうが使うまいが恐れられるから。……あんたもそうなんじゃないか」

「私が?」

「そう。ラプンツェルの件で、俺や阿澄はあんたの正体を知った。『いばら姫の魔女』、またの名を『呪詛の魔女』……指を弾いただけでグリムの魔女の一角を落とす、チートじみた魔女だ。対策不能の呪いの魔法。知れば、大体の奴はあんたを恐れるだろう。あんたにその気がないにもかかわらず、『呪われてしまうかも』と思われる。きっとあんたは、そういうのが嫌なんだろ」

「……その話とこのゲーム、何か関係があるのかしら」

 邦子はいつの間にか、表情から笑みを消していた。地雷を踏んだか、逆鱗に触れたか。だが、丈は話を続ける。

「あんたはゲームの前にこう言った……『あなたが私に勝てたら』と。俺は最初からこの言葉に違和感を覚えていた。たとえば、前に戦った灰かぶりなんかはこう言った……『あんたが勝てば』って。こっちのほうが、しっくりくる。一対一の対人ゲームにおいて、わざわざ『私に・・』と強調するのはなぜなのか、考えていた。それは、俺の勝利条件が文字通りあんたに・・・・勝つことであり、神経衰弱に・・・・・勝つことではなかったからだ」

 言いながら、丈はカードをめくる。一枚めくり、二枚めくってもその手を止めない。三枚目、四枚目とルールを無視してめくり続ける。邦子は止めなかった。やがて、場に残っていたカードがすべて表向きに返される。

 すると、不自然なことに気づく。ジョーカー以外がすべて二枚ずつ残っているはずの場に、しかし、ペアにならないカードが交っている。

「そもそも、この神経衰弱に勝ち負けはない……というか、ゲームは終われないようになっている。ジョーカー以外のカードがなくなったら終了というルールにもかかわらず、この場にはジョーカー以外で、ペアになりようのないカードが交っている。それが、クラブのJ」

 丈は、表向きになったクラブのJを指さした。

「俺とあんた、お互いにクラブのJを獲得していたはずなのに、あるはずのない五枚目のクラブのJが場に現れた。カードをめくってた時に感じた違和感の正体はこれだったんだ」

 そうすると、邦子がカードを用意したときのことが思い出される。邦子は初め、まだ箱に入ったままのトランプを取り出し、そこから絵札以外のカードを抜いた。カードに仕掛けがないことを証明するために、新品のトランプを箱から取り出すところから始めるのは、マジシャンだったら当たり前にやっていることだ。

 だが、その後の邦子は、同じことを繰り返さなかった。新品のトランプを箱から出したのは最初の一つだけで、残りの三セットについては、すでに用意ができていたものをポケットから出して、中身の確認をせずに全部を交ぜた。

 つまり、あとから出した三セットの方には、仕掛けの余地があった。

「思えば、あんたはトランプの絵札を使用するといったが、絵札の内訳までは説明しなかった。まあ、絵札の内訳なんて当たり前のことを説明するまでもない、というのもある。だが、実際には、クラブのJが一枚多く、その代わりに別のカードを一枚抜いていたから、説明しなかったんだ。確率的には通常ルールとたいして変わらないのに、似たり寄ったりの柄の絵札だけを使うルールも、呪いだなんていってカードへの注意をKとQに偏らせたのも、ジョーカーによるシャッフルも、一枚多いJに気づかせないためのトラップだった」

 そうだろう、と問いかけると、邦子は少しの間をおいて、静かに「解らないわね」と口にした。

「どうして私が、そんな手の込んだ真似をしなきゃいけないのかしら。なぜ、純粋なゲームをしなかったのか」

「前にあんたが言っていたことだ……イカサマゲームじゃ、ゲーム本番なんか茶番だとか、なんとか。今回もそうだった。神経衰弱自体はお飾りだった。最後まで進行すれば、ゲームが終われないことが発覚し、ゲームは無効になる。勝者も敗者もないまま無効試合、そうなることが、俺があんたに・・・・勝つシナリオだった。逆に言うと、俺が負けるのは、途中でギブアップしたときのみだ。『いばら姫の魔女』の呪いに臆して降参したとき、俺は神経衰弱にも負け、あんたにも負ける……そういう話だ。あんたは俺を試したかったんだろう。散々に脅して怖がらせて悪ぶって、それでも嫌われ者の十三番目の魔女を信じるのか、否か」

 追及が終わった。部屋には沈黙が下りる。

 テーブルの上には、ネタの割れたトランプ。クラブのJが一枚多く、その代わりにクラブのQが一枚少ないトランプだ。最後まで進めば、ジョーカーに加えてこの二枚が残り、すべてが発覚する手はずだったのだろう。

 途中で丈が見抜いたのは、邦子にとって誤算なのか、計算通りなのか。

 長すぎる沈黙の後、邦子はふっと微笑んで、

「――よくできました」

 ぱちん、と指を鳴らす。

 その瞬間、視界が真っ暗に染まり、丈は床に崩れ落ちた。

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