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手宮町裏語

邂逅

作者: 黒雛 桜


 台所に差し込む陽光、鼻腔をくすぐる香ばしい匂い。

 穏やかに笑う声、それは、いま思えば幸福な時間だった。


 1


「良太郎、起きなさい! りょーたろー、おーい、りょーたろぉー!」

 階下から響く母の声は騒音の域に達している。

 良太郎は、うるさいクソババア、という文句をぐっと飲み込んで、ベッドから芋虫のように這いだした。

 母に暴言を吐こうものなら食事を抜かれるどころではないためだ。

 Tシャツにスウェット姿のまま重たいまぶたをこすって、ぎしぎしと不吉な音が響く階段を下りる。かなり古びた日本家屋のため、階段は狭く急で、子供のころはひどくへっぴり腰で下りていたものだった。

「遅いわよ! 高校生にもなって。東永寺とうえいじのとこの隆臣たかおみくんがみえてるわよ」

「げ、隆臣かよ……」

 廊下で仁王立ちの母はすぐさまくるりと向きを変え、玄関で待っていた青年に、ごめんなさいねぇ、と猫なで声をかけた。母とすれ違いざま般若を見た気がしたが、直視しないように心がけて良太郎は幼馴染の前に立つ。

「よっ、良ちゃん」

「いま何時だと思ってんだよ、バカ臣」

「おまっ……おれ、良太郎より三つも年上なんだけど。ほんと可愛くねぇーなあ」

 早朝六時四十五分に狩野(かのう)家を訪ねてきた隆臣は、いつものように挨拶を交わすと良太郎の首に腕を回し、おい、と声をひそめる。鳶色とびいろの作務衣から、ほのかに線香の香りがした。

「良太郎、頼みがあんだけど」

「いやだ」

「いやいやいや、まだ話してねーし」

 隆臣の頼みごとはだいたい察しがついていた。それに、隆臣自身の小遣い稼ぎの道具にされるのがオチである。

「俺は朝イチで母ちゃんに叩き起こされてものすごーく機嫌が悪いわけだ。早く境内の掃除なり写経なり、仕事しろ」

「ばかめ、今日はもう掃除も写経も終ってますうー」

 こんな軽薄な男が寺の跡継ぎで大丈夫か、と心配になって、良太郎は軽い頭痛に襲われた。なんてウザイやつだ。

 ため息をついて足元の愛犬に命令を下す。

「雪丸、バカ臣にとり憑いてやれ」

「ちょ、やめろよ、おれ犬嫌いなんだから!」

 隆臣はきょろきょろ足元に視線を配り、怯えたようにつま先立ちをした。玄関には靴があるだけで、犬はどこにもいない。それでも隆臣は犬を追い払う仕草で、シッシッ、と真剣な眼差しをあちこちに向けた。

 良太郎の愛犬、雪丸の姿を隆臣は見ることができないのだ。いや、彼だけではない。良太郎以外の狩野家の者さえも見ることができない。

 いわば、霊魂の存在――すでに死んでいるのだから。

「良太郎、ごめんって、お願いお願い! もう依頼受けちまったんだよ……今回だけ、なっ」

 玄関の引き戸にめいっぱいへばりつきながら隆臣が懇願すると、良太郎は腰に手を当てて、二度目のため息をついた。

「今回だけだからな。雪丸、隆臣の足舐めるのはやめろよ、臭いからな」


 2


「こちらが白河リサさん。おれんとこの檀家さんだ」

 東永寺の裏手にある庫裏くりで、依頼人である白河リサと良太郎は座卓を挟み、向かい合って座った。日曜の早朝、静謐な空気が流れる。

「はじめまして、狩野良太郎です」

 会釈をすると、彼女は小さく頭を下げてから不安げに隆臣へ視線を送った。良太郎とリサを左右にした一角に座る隆臣は、だいじょうぶ、と勇気付けるようにうなずく。

「安心してください。良太郎は僕の祖父すら凌ぐ稀有けうな力を持っています。きっとあなたのお母さまの力になれますよ」

 にっこりとさわやかに微笑む姿は、本性を知らなければうっかり魅力を感じてしまうのだろう。良太郎は腹の中でうなった。

 彼女はややためらったのち、決意を込めた表情で口火を切る。

「わたし、いまは地方の大学に通っていて、実家から離れて暮らしているんです。一昨日の夜、父からの電話で、母が倒れて危険な状態だ、って……心臓の病気だそうです。意識も途切れ途切れで……」リサが声を詰らせ、涙を細い指で拭う。

「ごめんなさい……それで、昨日の夜、母に声をかけたら、返事があったんです。なにか、してほしいことはある? って聞いたら、『お母さんに会いたい』って」

 良太郎はなぜ自分がここに呼ばれたのかを悟った。そして、ゆっくり視線を隆臣へと向ける。

「彼女の祖母、能登シヅさんは、昨年、亡くなっているんだ」


 3


 白河リサの母親、白河りか子はすでに他界した自身の母である能登シヅに会いたい、とうわ言のようにつぶやき、病床についているとのことだった。

 良太郎は眉間にしわを寄せ、しばし逡巡する。

 ――いいか、良太郎、おまえは狩野の血をすべて受け継いだんだ。わしにも、おまえの父さんにも与えられなかった力だ。困っているひとのために、使いなさい。

 祖父から託された言葉を胸のうちで反芻した。ちなみに、祖父はまだまだ健在である。

「なあ、良太郎。おれからも頼むよ」

 沈黙を破って、隆臣がずいと身を乗り出した。白河リサが清楚な美人だから特に熱がこもっているのだろう。それくらいのことは付き合いが長いため、簡単に察しがつく。

「……わかりました。なんとかしてみます」

「あ、ありがとうございます!」

「準備が整ったら連絡しますんで、それまで、お母さんについてやってください。それと、ひとつお借りしたいものがあります」

 良太郎の出した条件を聞いて、リサはたったそれだけ? と不思議そうな表情を浮かべた。それもそのはず、必要としたのは、能登シヅの写真、たった一枚だけなのだから。


 4


 ぽかぽかと暖かい陽射しが事務所として使っている庫裏くりの縁側を照らし、日曜の午前中らしいのんびりとした静けさがそこにあった。

 東永寺の空気はいつだって清浄で、良太郎の精神を研ぎ澄ましてくれる。

 卓上に乗せた一枚の写真に神経を集中させて、両手を組み合わせる。そこから、指を組み替え、三度、印を組んだ。両手を離すと、座卓の脇に広げておいた古い書物に目をやる。そこには、「狩野流魂魄反魂(こんぱくはんごん)ノ法」と縦書きで達筆につづられている。

 鼻から息を吸い、口からゆっくり長く吐き出す。そして、紙の上でやさしげに微笑む人物に鋭い眼光を向ける。写真に手をかざすと、目をつむった。

 その異様な緊張感を、隆臣はいつも間近で感じていた。良太郎が手をかざしたまま動かなくなって、十分経過したことを部屋の振り子時計で確認する。

 もうじきだ――邪魔をしないように部屋の戸口に背を預けて眺めていた隆臣は、すっと目を細めた。

 すると、タイミングを見計らったように良太郎が深く息をつき、肩の力を抜いて座卓に突っ伏した。

「……とりあえず、成功」

「よっしゃ、上出来!」

 打ち合わせなどしてはいなかったが、互いに親指を立てていた。


 5


「能登シヅさん、享年七十七歳、女性。能登正治氏と結婚後、女児を出産、りか子と名付ける。のちに孫の白河リサさんが誕生。定年まで料理教室の講師をしていた。夫が亡くなってからは生まれ育ったこの手宮町で一人暮らし。温厚な人物と友人達から慕われていた……ご本人で間違いないですね」

 良太郎は写真から読み取ったリサの祖母、シヅの簡単な経歴を読み上げた。走り書きのメモにはこと細かい情報がびっちり並んでいる。

 写真から情報を得る――これも、良太郎の特異な力のひとつだった。

 だれも座っていない一角を見つめ、まるで返事があったかのようにうなずく。

 真剣な表情で独り言をぶつぶついう姿は、だれからみても頭がおかしいか、演劇の練習をしているように見えるだろう。

 だが、良太郎の目に映る光景は普通の人間が見るそれではない。

「さっき説明したように、あたなたの娘さんはいま、危ない状態と聞いています。孫のリサさんから頼まれて、シヅさん、あなたを呼びました」

 良太郎は目の前に座る、黒装束姿の白髪の女性に向けていう。彼女は沈痛な面持ちで胸に両手を置いた。

 だが、同じ座卓を囲む隆臣は、良太郎の向かい側――だれもいない一角をただ眺めるだけだ。そう、隆臣には見えず、良太郎に見えている白髪の女性、能登シヅは、俗にいうところの、幽霊である。

「りか子さんはお母さんに会いたい、といっているそうです。それで、リサさんは、他界した祖母とどうしても会わせてあげたい、って」

 彼女は短くうめいたあと、喉から絞り出すように娘の名をつぶやいた。

「あなたの魂魄を一時的に現世に呼び戻したけど、せいぜい一日くらいしかもたないんです。それに、普通の人間には魂魄の……わかりやすくいうと、魂だけのシヅさんの存在は見えない」

「ああ、なんて神さまはひどいんでしょうね……わたしだけじゃ飽き足らず、娘の命まで奪おうなんて。できることなら、会って声をかけて、あの子を励ましてあげたいのに」

 シヅは着物の袖で目元を拭って、良太郎くん、と声をかけた。

「どうか、あの子の願いを、叶えてあげてくださいませんか」手をつき、叩頭する。

 子を想う母の気持ちがどんなに深いか、良太郎には知る由もなかったが、それでも絶対に叶えてあげなければ、という強い衝動に駆り立てられるなにかを、感じた。

 もう一度、うなずいてみせた。


 6


「はぁ? なんでかぼちゃ団子作る話になってんだよ。もっとほかにあるだろ、例えばさ、一緒に写真に写ってやるとか。心霊写真になるけど……」

「うっせーな。直接会えないんだから、間接的な方法しかねーじゃんか。さっさと皮剥けよ。隆臣、おまえ、笑われてんぞ」

 庫裏の隣にある隆臣たちの住居――彼らの専門用語でいう方丈ほうじょうの台所を借りて、良太郎はシヅと一緒に料理を作ることになった。横から家主の孫がちゃちゃを入れてこなければ、もっとはかどるかもしれないのに、と良太郎は包丁片手にその孫をじろりとにらみつける。

「仲が良いのねぇ」シヅがくすくす笑う。

「全然すよ。俺にからんでくるだけです」

「そう? 仲良しに見えたものだから。わたしも、女学生のころ、友人とこうしてよくお団子作ったわ。お互いおばあさんになってもずっと仲良しでね」

「親友っていいですね」良太郎がシヅに向かってにっこり微笑むと、彼女越しに立っていた隆臣がきらきらと目を輝かせて振り向いた。

「おれも思ってたんだ、やっぱおれたち、親友だよな! いやあ、良太郎の口から聞けるなんて思ってなかったぜ!」

 シヅの声が聞こえない隆臣は、なにをどう勘違いしたのか、鼻息荒くうなずいてみせた。このようなおめでたい男が由緒ある東永寺の跡取りとは、なんて悲しいことだろう。

 良太郎は自称親友の隆臣を無視して、隣に立って料理の手順を説明するシヅに耳を傾けることに集中した。


 シヅの娘、白河りか子が早くあの世で母と会いたい、という意味でリサに伝えたのでなければ、単に母が恋しくてそうつぶやいたのだろう。肉体から離れた魂魄は、たとえ娘であっても視ることがかなわない。

 だとしたら、どうやって再会させればいいだろう。

 そこで良太郎とシヅは、りか子に「お母さんが会いに来た」ことを知らせるため、ある方法をとることにしたのだ。

「変わったことを思いつくのね」

「きっと、懐かしい手料理を見たり食べたりすれば、わかるんじゃないかな。もし俺だったら食べてもわかんなそうだけど」良太郎が苦笑すると、シヅはころころ笑った。その笑顔に、ふと祖母を思い出す。

「でも、なんでかぼちゃ団子なんですか? ほかに、肉じゃがとかカレーとか、お袋の味的なのってある気がするけど」

「ふふ、娘が子供のころ、すごく好きだったの」意味深にシヅは含み笑いを浮かべる。

「さ、かぼちゃを薄く切ったら、たっぷりのお湯でゆでてちょうだいね」そういわれて、危なっかしい手つきで包丁をかぼちゃに突き刺した。

「良ちゃんへったくそー」にやにや笑いを浮かべる隆臣をこのまま薄切りにしてやりたいと、本気で良太郎は考えた。

「ゆであがったら、そのめん棒できれいにつぶして」

 湯を切ったかぼちゃをボウルに移し、食卓机で指示通りにつぶすと、次の指示が飛んできた。

「片栗粉は大さじ四ね。少なすぎても多すぎても、美味しくならないのよ。砂糖を小さじ一。ほんとうはかぼちゃの甘味だけでいいと思うんだけど、甘いほうが好きだったから」

「あ、俺も甘いほうが好きだな」

 そうよね、とシヅがくすくす肩を揺らす。

 祖母の作ってくれたかぼちゃ団子もほんのり甘くて、とても、とても幸せな味がした。

「昔、ばあちゃんが台所に立ってるとき、俺いっつも木の踏み台使って隣にくっついてたんです。ばあちゃん子で」

「あら、かわいい」

「じいちゃんよりも、母さんよりも、きっと大好きだった。だから、死んでしまったとき、寂しくて会いたくて、魂を呼び戻そうと考えたことがあったんだけど……」

 良太郎はかぼちゃ団子を丸く練りながら、ぽつりと語った。隣でシヅが寂しげな表情を浮かべる。シヅが見えない隆臣もまた、俯いて黙々と団子を丸めた。

「自分の知る親しい人たちに反魂の術は絶対に使っちゃいけない、ってじいちゃんからそのとき初めて本気で怒られたんだ。魂を一時的に現世に戻す術だけど、俺の想いが強ければ、魂を縛って二度と常世とよこに――あの世に戻せなくなるから、って。いまなら理解できるけど、でも、やっぱ、もう一度会えたらいいのにって思う」

 コンロに火をつけ、フライパンを温める。

「やっぱりシヅさんも、バター?」

 良太郎は突然ひらめいたように、バターの箱をひらひら振った。

 あたり、と悲しげに微笑む彼女に、「俺のばあちゃんもバター派だったんだ」といって良太郎はにっと口の端を無理やり持ち上げた。


 7


 白河リサに準備が整った旨を、隆臣の携帯電話を通じて伝え、すぐに彼女の母親、りさ子が入院する大学病院へ良太郎と隆臣、シヅは向かった。バスに揺られるあいだ、だれひとりとして口を開かず、通り過ぎる手宮町の町並みを無言で見ていた。良太郎は作った団子が冷めてしまわないように、アルミホイルで包み、さらに手ぬぐいでぐるぐる巻きにして大切に抱える。

 大学病院前のバス停で降りると、リサが到着を待っていてくれた。

 手に抱える包みをリサに渡し、かぼちゃ団子を作ったいきさつを簡潔に説明すると、彼女は何度も頭を下げた。

「目には映らないけど、きっとシヅさんの存在はわかってくれると思うよ」

「ありがとう。おばあちゃんの味だって必ず気づいてくれるわ」

 祖母の魂魄を呼び出して、母が知る手料理を再現したことは伝えたが、いまここに祖母のシヅがいる事実は伏せておくことにした。ふつうの人からすると、幽霊が隣にいるのはやはりあまりいい気分ではないだろう、と判断したためだ。

 三階の一番右側の部屋は個室で、親族以外面会謝絶のプレートが掲げられていたが、すでにリサが病院側に話をつけているらしく、良太郎たちは誰にもとがめられることはなかった。

 病室に入るとほかに人はおらず、白く清潔なベッドには、点滴のチューブを何本もつけられた青白い顔の女性が横たわっていた。良太郎の心臓がどきりとはねる。

「お母さん、リサだよ」

 リサがベッドの前に歩み寄り、母の顔を覗きこむが、白河りか子は薄く目を開けただけだった。

「お母さん、おばあちゃんに会いたいって、いってたでしょう。直接会うことはできないけど、これ、作ってもらったの」

 そういって、リサは包みを広げた。

 バターとかぼちゃの、香ばしい匂いがひろがる。

 白河りか子は、ほとんど動かせない首をほんの少しずらし、娘と包みに目をやった。くちびるが震え、なにかを伝えようとほんの少し開いた。

「おばあちゃんのかぼちゃ団子だよ。お母さん、子供のころすごく好きだっていってたよね。食べてみて、ねえ……お母さん」

 リサの目から涙が溢れだす。

 そのときはじめて、良太郎は白河りか子の命が、ほとんど消えかけていることを悟った。食べられるはずがない。

 死は無常にも目前に迫っている。付き添いで良太郎の後ろに立つ隆臣も、同じように息をのんでいた。

 シヅは、その場から一歩たりとも動かず、しわを刻んだ目尻から、憂いに満ちた雫を落とした。

「……お母さん!」

 動くことのできない母にすがるようにリサが泣き崩れたそのとき、良太郎はりか子が穏やかに微笑んだのを見た。いや、そう見えただけかもしれない。だが、確かに、見たのだ。


 その日、陽が暮れゆくなか、白河りか子は静かにこの世を去っていった。


 8


「良太郎くん、隆臣さん、今日はわがままを聞いてもらって、ほんとうにありがとうございました」

 二人とシヅが病院を出たところで、あとを追いかけてきたリサに呼び止められた。彼女は精一杯涙を堪えながら、深々と頭を下げる。それが、良太郎にとって余計に辛かった。

「いえ、俺、結局なにもできませんでした。甘い考えだったし、お礼をいわれるようなこと――」

「そんなことないわ」さえぎるように否定したのは、他でもないシヅであった。鼻声ではあるものの、きっぱりと断言する。

「そんなことありません」リサも目に涙をためて、首を横に振る。

「お母さんはきっと、わかったと思います。わたしの勝手な想像だけど、気づいてくれたと思うの」

 ほんとうにありがとう、といって、良太郎の両手をぎゅっと握りしめた。


 良太郎と隆臣とシヅが東永寺に戻ってきたときには、遠くにそびえる山々の尾根に、太陽が沈み込もうとしていた。

「そろそろ、時間だわ」シヅがいう。

 寺の境内で良太郎が振り返ると、シヅの姿が薄れゆくのが目に飛び込んだ。

「おーい、良太郎中にはいらねーのか? もらった団子食おうぜー」

 いつもの調子で隆臣が方丈から声を張った。良太郎はそれを無視して、反魂の法が薄れていく様を見つめる。

「ありがとう、良太郎くん。娘に代わって、お礼をいわせてちょうだい。りか子は、きっと気づいたわ」

 お礼をいわれるようなことはできなかったのに。

 母の味を感じるどころか、かぼちゃ団子を口にすることができなかったのに。

 そんな良太郎の心を見透かしたように、シヅが首を振る。

「あの子、最期に笑ったでしょう? かぼちゃ団子は、りか子が子供のころの好物だったのだけど、高校生くらいだったかしら……『そんな田舎くさいおやつ食べたくない』って文句をいって以来、作ってあげてないの。だから、あの子は気づいたはずよ。見た目も匂いもあのころとまったく変わってないかぼちゃの団子を見て、ね」

 くすくす笑いにつられて、良太郎も妙に可笑しくなって肩を揺らした。

「そうだわ、良太郎くんにお礼をしないと……よーく聞いてちょうだい」

 オレンジ色に燃える太陽が、とうとう姿を消して空は藍に染まった。

 能登シヅの魂魄が常世へ戻っていく瞬間に、遠く彼方から響く声を、聞いた。

「あのかぼちゃ団子の作り方は、親友から教わったのよ。だから、彼女のほうが、とっても上手で、美味しかったわ」

 良太郎は空を見上げ、シヅの言葉を反芻する。だが、その意味はわからないままだ。

「おーい、良ちゃーん。早く来ねーと、団子全部食うぞー」

 隆臣の声が夕闇に乗って良太郎を呼んだ。


「あ、バカ臣てめぇほとんど残ってないじゃんか!」

「ふはは、弱肉強食という言葉を知らんのかね、良太郎くん」

「てゆーか俺が作ったやつだぞ!」

「おーおー、俺が作ったとくるか。レシピは能登のばーちゃんのだし、いわれたとおりに材料こねてただけだろ」

 隆臣は煎茶をすすり、にやにやと冷やかし笑いを浮かべる。

 そんな隆臣を無視してやりすごし、皿にひとつだけ残った団子を掴み上げると、良太郎はひと口かぶりついた。

 一度噛み、目を見開く。

 それから咀嚼し、ごくりと飲み込んだ。その瞬間、ふいに涙がこぼれた。ぎょっと慌てふためく隆臣をよそに、良太郎は能登シヅの最後の言葉を思い出す。

「おばあちゃん……」

 ほんの少し砂糖を入れたかぼちゃ団子はいつも幸せな気分を味あわせてくれた。

 これは、まぎれもなく祖母の味だ。

 ずっと、もう一度会いたくてたまらなかった祖母が、そばにいるように感じられる。


 台所に差し込む陽光、鼻腔をくすぐる香ばしい匂い。

 祖母が穏やかに笑う声、それは、いま思えば幸福な時間だった。



「ぼくはねえ、おばあちゃんのつくったかぼちゃのおだんごがいちばん、すき」

「あら、良ちゃんたら、嬉しいこというのね」

「でもねえ、もっとすきなのは、おばあちゃんなんだよ」



 おわり




このたびは最後まで本作にお付き合いくださり、ありがとうございました。


なるべくさくっと読めるように書いた作品でした。

まだまだ未熟者ですが、精進してまいります……!


目を通してくださったみなさまへ、心から御礼申し上げます。

そして、伽砂杜さま、すてきな企画に参加させてくださってありがとうございました!

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[一言] こんばんは、あかさとです! ぱんぷきん祭に、小説でも参加してくださって、本当にありがとうございます! 切なくて優しいお話に、なんだか頑張って生きよう。と思いました。 隆臣くんのテンション高…
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