河童に嫁入り
梅雨の晴れ間、茹り始めた肌の熱を風が心地よくさらっていく。土と草、そして水の匂いがする相手は此方がどんな気持ちで見ているのかも知らないで、愚痴を零しながら今日の野良仕事に精を出していた。
五月上旬。折角の大型連休がある時期。家族を連れてレジャーにくり出す者や気が置ける仲間と一緒に出掛ける者が多いシーズン。何処を見ても人や車で溢れ、其処彼処で紙幣に翼が付き羽ばたく。
賑やかで騒がしい季節の真っ只中。
「オイ、何で俺様が田植えなんか手伝わなあいけねぇんだ!」
静かにそよぐ風の声。涼しく聞こえる水の音。綺麗に整備された棚田の風景は何処か懐かしさを感じ。爽やかな日差しが汗を輝かせる。
「っるさい。人ん家の野菜盗み食いするのが悪い。」
長時間曲げ続けた腰を伸ばすように上半身を起せば、目の前で地団駄を踏む大人気ない姿と跳ねた泥が危うく目に入りそうになった。
つばが大きい麦わらを揺らし、不服を込めた視線で睨むと余計に相手が腹を立て始めている。
緑色に染まった筋骨隆々の体。太陽光を反射し輝く皿。円形の皿の縁から伸びる毛髪は黒い海藻を彷彿させ、黄色い嘴は幅広で鋭い。背負う甲羅は大層立派な物で、両手足の指の間には薄い膜が張っている。
つまり…。
「だからってな! 河童に田植えを手伝わせるなよ!!」
此れでも一応此処近辺の守り神なんだぞ!
稲を掴んだ水掻きで指を差し豪語する。だが、残念な事に棚田を所有する乙女は聞いちゃいない。黒髪を一括りにした尻尾が河童の方向に向き揺れている。
沸き立つ怒りで河童は歯を食い縛り、頭から湯気が上る。力一杯握り締めてしまっている稲は萎び。其れを思いっきり水田に叩きつけようとした瞬間、背筋が凍りつく殺気を背に受けた。不服に染まった顔で河童が振り返る。視界端の時点で花も恥らう乙女の般若姿を拝むことになった。
***
夕暮れに染まる棚田はとても綺麗で風情がある。しかし、現実はとても辛く手の掛るものだった。傾斜がきつい場所で作られた水田の大きさはまちまち。立地と狭さ故に農業機械が入れず、泣く泣く人の手でしか稲は植えられない。
だが、追い打ちを掛けるように少子化高年齢化。棚田を所有する乙女の村も例外では無く、広大な棚田を一人で背負う事になってしまった。でも乙女は悲壮感に打ちひしがれる事も無ければ村を出ていくという薄情でも無い。唯ひたすら黙々と棚田を守っていた。
広大な棚田を管理すると同時に畑で野菜を作り食べる分は自給自足。今年の作物は出来が良かった。などと一人喜びながら畑に向かった、向うには向かった。向かった先に居たのは野菜泥棒。産地直食いする様に一瞬、我が目を疑った。
バリボリバリボリ、ポキンッ
瑞々しい音に今年の作物の出来の良さを知る。緑色に染まる作物、緑色の背中もとい甲羅を朗らかな顔で見詰め近付き。加減せず、しゃがみ込んで作物を食らう河童を足蹴にした。
『おぐふっ!?』
豪快に地面に顔がめり込んだ河童に追い打ちを掛けようとすれば、その前に河童が怒りの形相で乙女に食い掛る。嘴に付いた土を払う事無く、取って掛る。
『てんめぇな! 何しやがる!』
『其れはこっちの台詞。手塩に掛けた野菜を盗み食いなんて。…いい度胸してるじゃない。』
乙女が被害に遭った作物に指を差し、更に続ける。
『しかも何アスパラガスなんか食べてるのよ。河童なら河童らしく胡瓜食べなさいよ。』
『何で、俺様が、てめぇ如き、人間の、言う事をきかないといけないのかなぁ?』
『…その顔で好き嫌いとか。』
『オイ、コラ。今老けてるって思っただろ! つかよ、好き嫌いと老け顔は関係ねぇだろ!?』
強かに笑う乙女に腹が立って仕方ない河童は苛立ちに身を任せ。再びアスパラガスを地面から引っこ抜きかぶり付いた。ワザと大きい音を立て食い散らかし鬱憤を晴らす、…何とも幼稚な反撃。腰を下し食らう姿は梃でも動かないアピールなのだろう。
しかし、河童はその後自分の行動を悔む事になった。
『…なに、堂々と食ってるの?』
『うっせーっ。誰がてめぇの指図なん、か。』
影が覆い、振り向けば其処に般若が居た。
河童の頭の中は一気に混乱。掴んでいた食べかけのアスパラガスはポトリと地面に落してしまった。逆光で見辛いにも関わらず、鋭い眼光は浮いた様にギラ付いている。
気迫に臆され尻を着き後ずさる河童。其の後をジリジリ追い詰める乙女。
『お、おめぇ人じゃないのかっ…。』
『いいえー列記とした人ですよー? けど人はね……怒りに身を任せると鬼や悪魔にだってなれるんだよー。』
語尾が上がり、明るい口調の筈なのに這い上がる恐怖に河童の嘴は噛み合わない。
乙女の閉じた瞼が弧を描く。口元も上がる、が未だに黒い靄らしきものを背負っている。
その後、力関係が逆転。河童は盗み食いをした分だけ田植えを手伝う事になった。
***
柔らかな草が生えている畔に腰を下し、少し遅めの昼食。
「おおっ。いっただきま~す。」
嘴を舌で舐め、両手に握り飯を其々掴み食べ始めた。白い握り飯は塩気がきいており、漬物の沢庵と(河童専用)生のアスパラガス、トマトを頬張る。
良い食べっぷりを見た後、仄かに笑い乙女も握り飯に手を伸ばした。
鳶が旋回し鳴く風景は正に古きよき日本風景。懐かしき田舎の光景。
数週間掛けた田植えは全て終わり。まだ若い稲が風に吹かれ小刻みに震える。サーっという何とも涼しげな音を奏でながら。
「若いやつはてめぇだけなのか?」
嘴に米粒を付け話す河童の顔は変に真面目で、不思議と笑いが込み上がらない。
乙女は一回河童を見てから棚田に視線を向けた。
「働けるのは私だけだね。他の子は村から出て行っちゃって、村に居るのはお年寄りだけ。…田植え出来るのは事実上私一人ってとこ。」
小さな畑位なら大丈夫でも広大で働くのがきつい棚田は無理、だから。
そう言う乙女に河童は適当な合図を打つ。其れに小うるさくは突っ込まない。唯、少し寂しげな視線を旋回する鳶に向けていた。
憂いを帯びた瞳に河童はある冗談を言ってみる事にした。
「それじゃ嫁の貰い手もいねぇだろ。どうだ? 俺様の所に嫁いでみねぇか。」
強かに笑い様子を窺った。すると乙女の顔が真顔になり、河童の方に目を向ける。
大方「何馬鹿なこと言ってるんだ」と考えているに違いない。そう河童が心の中で呟くが、予想と反する返事が返ってきた。
「一応、考えておく。」
目を頭部の皿の如く丸くする。無表情で言うから余計に腹の底が見えない相手に河童はとりあえず、
「お、おう考えといてくれや。」
と微妙な返事しか返せなかった。
そこそこ一緒に過していたが未だに腹の底が分からない、見えない。そんな乙女に河童の表皮はカラカラに乾き始めてしまった。まるで米粒が乾き薄い膜が張るように。
一時停止していれば急に皿に冷たい水が掛けられた。漸くモノを捕え、其の情報を脳内に送れるようになった視神経は目の前に仁王立ちする乙女を把握した。ゆっくり見上げる。ミネラルウォーターの水が惜しげも無くコポコポと掛けている乙女と目が合った。
「お皿、乾くとよくないんでしょ?」
「あ、嗚呼。すまねぇな…。」
歯切れの悪い言葉で返すが、矢張り乙女が深く追求する事は無かった。
***
翌日。薄暗い森の中。笊に入れられた新鮮な野菜を祠に収める為、せっせと山道を歩く。
「ふぅ。到着っと。」
辿り着いた祠は小さくも威厳があり。古くから存在している雰囲気を醸し出していた。
祠の前に笊ごと備え、一歩下がり手を合す。目を閉じ、顔を俯かせていると小気味良い音が乙女の耳に入り込んでくる。
「偶には魚食いてぇな。」
「自分で取ってくればいいじゃない。」
何時の間にか笊を膝に抱えトマトを頬張る河童。瑞々しいトマトの汁を啜り食らう。
河童の食べ方に顔を渋くさせ乙女はその場から立ち去ろうとした瞬間、後ろから声を掛けられ振り向くと前から飛んでくる赤い塊。其れを胸の前で捕え、視線を河童に戻せば、手招きをしていた。
「俺様のおごりだ、食って行けよ。」
「…元は私が丹精込めて作ったトマトなんだけど?」
「細けぇことは気にするなって。」
河童はてっきり乙女が渋い顔をして近付くと思っていた。しかし、乙女の顔は嫌そうに見えない。不思議と首を傾げ、水かきがある指で器用に頬を掻いた。
すると、乙女が緩やかに円を描くように歩き始めた。
「ちょっと昔のことを話していい?」
そう言いながら。
小さい頃から此の土地を御守りする神様の事を聞いて育ったんだ
―んなこった知ってる。
『此処を御守りしてくれる水神様に感謝しなさい』って耳にタコが出来る位に
―ふーん。
でも神様なんて目に見えるものじゃないし 文字と言い伝えだけじゃ 姿なんて細かく想像出来るわけないじゃない?
―一理あるわな。
私は小さい頃から水神様って竜のお姿だと思っていたのよ こう?神々しいというか 神様です!って感じで想像し易かったのよ
―…棘のある言い方に聞こえるぞ。
そう考えながら 想像しながら
私は一人で棚田を守ってきたの「水神様、どうか私を見守っていて下さい」ってね
―そうかい、そうかい。
そうやって一人だけど此処まで頑張って来れたのよ
…そんな時 此処の守り神だ!って言う輩が現れたじゃない? 人ん家の野菜盗み食いする神様が
―そりゃあ随分とがっかりしただろうなぁ。こんな竜と程遠い河童でよぉ。
? がっかりなんてしてないけど
―…は?
隣に座り見上げてくる乙女は続けざまに同じ言葉を繰り返す。
「え、あ? だ、だってよ。おめぇ俺様が竜じゃなくてしかも勝手に野菜食って失望したんじゃ…?」
「失望? 確かに唖然としたし、吃驚したけど失望なんかしてない。」
河童の大きな黒眼に映り込む乙女の顔に嘘の色と文字は無い。まるで魅入られてしまったように動けない河童を余所に乙女は淡々と言葉を紡ぐ。
「ちょっぴり想像してたのと違うくらいじゃない。其れよりも私は此の土地の神様に会えて良かったって思ってるよ?」
「(強制的に野良仕事を手伝わせていた奴のいう台詞じゃねぇ。)」
「久しぶりに楽しい時間が過ごせて私は満足。」
「そりゃあ、良かったですなぁ。」
「貴方の所なら嫁いでも平気だと思うしねっ。」
満面の笑みで言う乙女の言葉。其れはちゃんと河童の耳にも届いていた。しかし聞こえるだけで全く以て頭の中に入って来ない。唯の戯言だと言い捨てたいのに、何故か…。心が締め付けられる。
気付けば一時停止している河童の頭からまた水が滴り落ち始めた。言うまでも無く乙女がミネラルウォーターをコポポっと皿の上に掛けている。可愛げに顔を覗き込みながら。
「(いやいやいや!? 何で可愛いって思っちまうんだ!?!)」
今まで特に気にせず見てきた乙女の一つ一つの仕草、表情に河童の思考回路がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられる。艶のある漆黒の長い髪、少し薄い唇、仄かに桃色の頬、意外と肉付きの良い体は出るところが出て引込んでいるところは引込んでいた。
「(――こいつ、性格は生意気で体も生意気、…って違うだろ!? 何考えてんだ!)」
頭を左右に振い不埒な考えを吹き飛ばしたい。しかし現実ではカチコチに固まり、顔を真っ赤に染めているだけ。そんな河童を見て乙女の顔は益々角度が付き、上目使いになっていった。見上げてくる乙女の 瞳に自分を映していると嘴にペットボトルの口が当てられた。
そして、有無を言わさず水を注ぎ込むものだから河童は咽かえり、咳込んだ。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃねぇよっ!」
無理矢理水を飲ませ苦しめたことを詫びろうと乙女が顔を下げた瞬間、両肩をグッと掴まれた。薄い皮が指の間に張り、薄くも丈夫な皮の下に乙女の服が薄ら見える。
其処まで怒らせてしまったのかと、流石にやり過ぎたのかと。乙女が聞くが河童は答えてくれない。ギンっと鋭くなった視線は乙女の罪悪心を増幅させた。知らず知らずの内に涙が溢れてきたらしく視界がぼやける。
そんな乙女の涙ぐんだ姿に思わず河童がたじろぎ。肩を放した。嘴を開け閉めし、何かを言いたいが幾分声が出ない。少し落ち着く為に深呼吸。2,3回した後、河童は静かにゆっくりと、だがはっきりと言い始めた。
「言いたいのは水じゃねぇよ。おめぇが俺様に嫁ぐって話だ。」
「…そうなの?」
けろりと返す乙女に河童はずっこけた。しかしめげずに続ける。
「適当に言ったとか、深く考えずに言ったなら撤回しろ。」
「如何して?貴方は前に言ったじゃない“嫁がないか”って。私は其の答えも言いに来たんだけど?」
「なっ! おめっ! あのなぁ! …俺様は河童だぞ。」
「知ってる。」
「人じゃねぇ。」
「承知の上。」
余りにも難なく普通に何の感情の浮き沈みも無く答える乙女に何故か苛立ちが込み上がる。
其の衝動に身を任せ河童は乙女を押し倒した。散乱する野菜、転がり止まる笊。
二人の間に吹き抜ける風はさわさわと葉を揺らし音を立てる。
睨む視線では無く舐め上げるように河童は乙女の体を見詰めた。暑さ対策で穿いているホットパンツから伸びる太腿に触れた途端、ビクつく乙女の体。想像していない体温の低さに反射したのだろうか。だが、其れ気にせず今度は黒いタンクトップの上から豊満な乳を鷲掴みにした。
むぎゅうと指の間から柔らかな肉が逃げ出そうとするが、悉く水掻きに全て捕えられ逃げ出す事は出来なかった。固い嘴で挑発するように乳房の外側を掠め。そのまま上に上がり頬に嘴の側面を添えた。
カチカチ、カチ
嘴を噛み合せる音を立て。せせら笑い、蔑んだ目で乙女を見詰めた。
すると、河童の首に乙女の腕が回された。勢いよく河童が離れようと身を起せば、今度はがっちりと乙女の足が河童の腰元に絡み付き。離れようとはしない。
「生半可な覚悟じゃないって分かってくれた?」
慌てふためく河童の頬に口付けを落し、悪戯に笑う乙女。暫し其の姿に呆けていたが直ぐに河童は早口で撒くし立てた。
「分かってくれたじゃない! もし俺が神様じゃねぇ唯の物の怪だったり、悪い神様だったらどうすんだよ!? おめぇは自分が喰われちまうとか、無理矢理異形の子を孕ませられちまうとか、虐げられちまうとか、…殺されちまうって考えねぇのかよ!!? もっと深く考えろよ! 疑えよ!! 何で数週間そこいら過しただけで其処まで…っ、其処まで、よぉ…。」
「何で其処まで感情的になっているか良く分からない。だけど私の事を思っての事だよね?」
「――おめぇな!!「嬉しい。」」
「…あ?」
素っ頓狂な声を上げる河童に対し、乙女は囁くように甘ったるいような優しい声色だった。
鋭い嘴をなぞり、逞しい胸板に掌を置いた。掌を返し聞こえる早鐘に乙女は笑い。今度は河童の手を取り自分の胸の上に乗せた。少し押えられて分かる鼓動の速さに頬が熱くなる。
そして、何故だか分からない。けれど相手と同じ、そう感じただけで乙女の胸の内は暖かく甘くなっていった。
「神様が貴方で良かった…。初めて好きになったのが貴方で良かった…!!」
絞り出すように言われた最後の言葉に河童の精神は成仏しかけた。
しかし、無理矢理連れ戻し、下にいる乙女を見ればそれはもう幸せそうに此れ以上無い位に泣き笑っており、…河童はバツが悪そうな顔で乙女の頭を撫でた。
愛おしく、壊さないように、夢でなく現実である、と自分に言い聞かせるように相手が泣き止むまで撫で続けた。
***
六月の雨上がり、満月がおぼろげに浮かぶ夜。暗い闇に映える白無垢を羽織った一人のうら若き女性が河童の所に嫁いでいくという噂が山を越え、海を越え、機械とコンクリートに覆われた都市に広がったという。
だが噂故、誰しも見たという事が無ければ証拠も無かった。
「ほらっ。ちゃんと腰入れて鍬振るわないと美味しい野菜は育たないよ!」
「おめぇな…。俺様は旦那だぞ?」
「働かざるモノ食うべからずっ!これが終わったら休憩入れるから頑張って。」
「っよし。頑張るか!」
不慣れな鍬を振い笑う河童と、楽しげに幸せそうに笑う乙女の姿を。
「で、此れが終わったら隣のばあちゃん家の畑手伝いに行くからねっ。」
「………。面倒な嫁を貰っちまったぜ。」
誰も写真や映像に残した者はいない。
噂を聞き、興味を持った者が其の眼で見たというのは一切無かった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
この作品は別の投稿サイトに投稿していた作品を加筆修正したものになります。はじめましての方は、はじめまして。この文章どこかで…って思った方引き続きよろしくお願いいたします。
では、異種間恋愛が三度の飯より大好き担々狸の作品今後ともどうぞごひいきに。




