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ルースの祈り  作者: ねるね
ギルベルト1
8/10

3.想いの在り処

 ギルベルトは今朝ルースライン領から届いたばかりの定期報告を読んでいた。



 かの地からの報告書はいつも丁寧だ。こちらが求める情報は全て抜けなく書かれている。

 ただ難を言えば、丁寧すぎるきらいがある。日報を全てそのまま書き写しているのではと思えるほどに事細かで、時には雑多に見えることさえあった。


 しかし今回届いた報告書は、構成が整理されており明らかに読みやすい。

 問題点や対応策がこれまでの経緯と共に併記されているのは、一目で比較するための工夫だろう。さらに報告書の最後には、工事に対する領民からの感謝の声がつけ加えられていた。



「ギルベルト君、これはいいねえ」


 しばらく後、部署内にロランツの感嘆の声が響いた。

 彼の手には先ほど渡したルースライン領からの定期報告があった。



「今週の報告書はとても読みやすいね。前のも問題はなかったけど、何しろ最近目がショボついてねえ。細かい文字が見づらいから、大事な部分をまとめてくれているのは助かるよ。領の人の言葉も嬉しいじゃないか。役人冥利に尽きるね」



 ロランツが賞賛した報告書はその後もきっかり週ごとに届けられ、その時分になるとそわそわと待ちわびるロランツの姿はいつしか馴染みのものとなった。


「ギルベルト君、今週の報告はもう届いたかい? 読み手のことを考えている良いまとめだといつも感心するよ。これを書いているのは領主補佐の人だろうか。是非うちで働いてもらいたいけど、領主さんが手放さないだろうなあ」


「でしたらご本人と子爵に打診してみてはどうですか。査察の際に訊ねたところ、子爵の妹君が書いているそうです」


 言いながらギルベルトは報告書に目を落とした。

 もはや見慣れた整った文字が並んでいる。


「これを女性が書いたのかい? うちの仕事は女性には不向きだからなあ。しかし地方で埋もれさせるには惜しい……。よし、うちの奥さんに聞いてみるか」


 それから間もなく本人と家族の了承を得て、リゼを王都へと招くこととなった。




 リゼを迎えるまでの一月ほどの間、ロランツはギルベルトの顔を見る度にリゼのことを訊ねてきた。

 しかし年齢や背格好はわかっても、服の好みや食べ物の好き嫌いとなると見当がつかず答えられない。


 そんなギルベルトにロランツは呆れた様子だ。


「ギルベルト、君は六ヶ月間も何をしていたんだい? 近くにいたのに彼女のことを何も知らないじゃないか。そんなことで迎え役を任せて大丈夫なのかなあ」


「見知った顔がいた方がリゼ嬢も多少は安心するのではないでしょうか」


「それはそうだろう。ただねえ、リゼ嬢が君のことを怖がっているのではと心配でね。まあ査察と合わせて行ってもらうから君が適任ではあるのだけどね。よろしく頼むよ」



 生まれ育った地を離れることは十九歳のリゼにとってどれほど大きな決断だっただろうか。


 慣れぬ地で余計な負担を感じさせないよう配慮する必要がある。ギルベルトはそう考えながら迎えの日を待つのだった。


◇◇◇


 ルースライン領での別れの朝。


 きっと大きな不安を感じているだろうというギルベルトの予想に反し、リゼはにこやかに家族と挨拶を交わしている。むしろ見送るアルフレートたちの方が辛そうだった。


 やがて馬車が出発し、騎乗したギルベルトも後に続く。

 馬車の窓から顔を出し、遠ざかる家族に笑顔で手を振るリゼの頬には涙が見えた。家族に心配をかけまいとずっと堪えていたのだろう。

 こぼれ続ける涙を見ても、ハンカチを差し出すことすらできない馬上の身がもどかしかった。



 何度か休憩を取りながら王都を目指す。

 食事をしながらリゼに訊ねた。


「失礼ながらリゼ嬢は書類の書き方をどちらで学んだのでしょうか。女学校ではそのようなことは教わらないかと思うのですが」


「読み書きは領の子供たちが行く学校で学びました。あとは学校には行っておらず、兄たちに教わったり、見よう見まねのようなものです。報告書は不備がないように兄に確認をしてもらいました」


 驚いたことに、あの報告書はリゼの創意工夫の賜物だったらしい。

 確かに高等学校で教えられるものとは違うと思っていた。読みやすくはあるが、公的書類というよりは読み物のような印象さえ受ける。報告書として必要な情報はしっかりと表記されているため、決して不備というわけではないが。


「あれほど読み手のことを考えた書類は見たことがないと室長が言っていました。様式や前例に倣わないからこその発想だったのですね」


「素人の思いつきで始めたことですが、兄の役に立てていたのなら良かったです」


 リゼがそう言ってはにかんで笑う。

 褒められたことよりもアルフレートの役に立てたと喜ぶリゼは、彼女自身の能力の高さを自覚していないようだ。

 そんなリゼをギルベルトは謙虚で好ましく思うと同時に、自身の価値をもっと知るべきだともどかしさを募らせた。




 リゼが王都に来てからというもの、ロランツの機嫌がすこぶる良い。リゼの様子や予定などをこちらが聞かずとも細かく教えてくれる。

 ある時、ロランツがギルベルトに訊ねた。


「リゼは明日は王都散策に行くんだけど、どこかお薦めしたい店などはあるかい?」


「女性が好む場所についてはわかりかねます。ですが明日は休暇を取っていますので、散策に同行してもよいでしょうか?」


「ええっ、ギルベルトがかい? まあリゼも知り合いに会えて喜ぶかも知れないな。では使用人にそのように伝えておくよ」



 実のところロランツからリゼの話を聞くたびに、ギルベルトは彼女が無理をしていないかと気になっていた。


 ルースラインを発った日、リゼが家族には見せまいと堪えた涙をギルベルトは知っている。その後彼女が寂しい思いをしていないか、それを隠してまた一人で泣いていないかと、そればかりが気がかりだった。


 ロランツから王都散策の話をされたのはちょうどそんな折で、良い機会だとギルベルトは同行を申し出たのだった。



 およそ一月ぶりに会ったリゼは、以前と変わらない快活な笑顔を見せてくれた。

 よくよく考えると、ギルベルトが心配するようなことをあのロランツ夫妻が気にかけないわけがない。自分の迂闊さに呆れつつも、リゼの元気な顔が見られて胸を撫で下ろした。


 リゼと共に王都を歩く。

 リゼは見るもの全てに好奇心に満ちた眼差しを向けている。ギルベルトにとっては慣れ親しんだ街並みだが、今日はやけに新鮮に映るから不思議だ。リゼが王都の街に関心を寄せる様子が、初々しく微笑ましいせいだろうか。



 散策の折、ふと目に入ったものがあった。

 楚々とした白いリボンは、彼女の髪にきっとよく映える。案内人の話に耳を傾けていたリゼの背後で、ギルベルトはそのリボンを購入した。


 慣れない地で過ごす彼女の気が少しでも紛れればそれでいい。

 ただそれだけのつもりだった。


◇◇◇


 翌朝、査察に向かう前にロランツにリゼへの贈り物を預けた。



「ええっ、昨日一緒にいたのに渡してあげなかったのかい?リゼならきっと少し照れながら『ギルベルト様、ありがとうございます』ってさぞ可愛らしくお礼を言っただろうに」


 不満げにこぼすロランツは妙な声色で話した。

 リゼの真似らしき声音は全く似ていないが、細かい仕草や目線の動きなどが妙に特徴を捉えて、礼を言うリゼが頭に浮かぶ。


「どうだい、なかなか似ているだろう? ──おや、君、笑ってるのかい?」


 驚いた様子で詰め寄るロランツに、ギルベルトは首を傾げた。


「なんだ、僕の気のせいか。今回は君がしばらく王都にいないから仕方なく預かるけれど、次からは自分で渡すんだよ。いいね?」



 ロランツにリゼへの贈り物を託したギルベルトはルースライン領を目指す。

 己の道中の無事よりも、リゼが不安なく出仕できるようにと願いながら街道を走った。




 子爵邸に到着すると、アルフレートが挨拶の間さえ惜しむようにリゼのことを訊ねてきた。


「ギルベルトさん、リゼはどうしていますか? あの子はすぐに辛さを隠すから心配でたまりません」


「妹君は王都でも元気に頑張っていますよ。出仕までは後見人の邸で昼夜ともによく目をかけられていましたから安心してください」


「そうなのですね。あの子の手紙にも、後見人の方にとても良くしていただいていると書いてありましたが、やはり離れていると不安が尽きなくて。困ったものです」


 苦笑しながらアルフレートが懐から取り出したのは、一通の手紙だった。


 封筒の角や便箋の折り目はくたびれている。もう何度も読み返しているのだろうと窺えた。


「リゼが向こうに着いてすぐ書いてくれた手紙です。やる気にあふれているのに、ところどころ文字が滲んでいて、読むだけで胸が痛みます」


 アルフレートが大切そうに手紙を眺める様子に胸が痛み、自身が兄妹を離れさせた一因であることに罪悪感を覚えた。

 普段は業務の話ばかりの自分が、こんなことを話すのは良心が痛むせいかもしれない。



「ご当主。私はこのたび王都を出る前日に、妹君と会ってきたのです。よろしければその時の妹君の様子をお話ししましょうか?」


「そうだったんですか! それはもう是非ともお願いしたいです。では家内も一緒でも構いませんか? いや、先に査察を終わらせてしまいましょう。その後にまたうちに寄ってください」



 アルフレートに誘われるままに査察後も子爵邸に行くと、夫人が期待を抑えきれない様子で待っていた。


 ギルベルトは先日の散策の際に見たリゼの様子や、ロランツから聞いた彼女の王都での過ごし方をアルフレートたちに話して聞かせた。

 子爵夫妻はリゼが王都で様々なことに興味を持ち彼女らしく過ごしていることに安心し、これからも査察の折りにはこうして話を聞かせてほしいと言った。


 ギルベルトはこれに快諾した。

 これからはアルフレートの目の届かないときも、妹君のことをしっかり見守ろう──そう心に決めるのだった。


◇◇◇


 リゼが王女宮で勤め始めてそろそろ一月になる。


 ロランツ夫妻は週に一度ほどの頻度で彼女と会っているらしい。

 ギルベルトはロランツがリゼの話を始めると仕事の手を止め、相づちをうちながら聞くようにしている。


 ロランツ曰く、リゼは侍女の仕事がとても性に合っているそうだ。会うたびに仕事の楽しさを語り、疲れている様子もないという。

 ギルベルトは安心した。けれど続いたロランツの言葉には焦りを覚えた。


「リゼは見るたびに垢抜けていくよ。表情も生き生きして見ている方も笑顔になれると、奥さんの同僚からもすこぶる評判が良いらしい。お偉方に見初められるのも時間の問題だなあ」




 リゼが突然内務部に来たのは、ロランツがそんな話をした直後のことだった。ギルベルトはつい不用意に声をかけてしまう。


「ギ、ギルベルト様っ」


 驚いた様子のリゼが目を大きく見開き固まっている。

 ロランツから垢抜けたと聞いていたが、咄嗟の拍子に感情が表れてしまうところは変わっていないようだ。


 この一月ほどの間に、彼女はそれほど変わっただろうか。

 確かに活発さはいくらか鳴りをひそめ、落ち着いた物腰を意識しているように思える。そういうところが垢抜けたと言われると、そうなのかとも思うがよくわからない。

 白のリボンは素朴なリゼに似合うと思って選んだが、こうして見ると洗練された雰囲気も感じさせる良い品だ。

 ああ、やはりよく似合っている───


 自身の手がリゼの髪に触れる寸前、我に返る。

 リゼは驚いた顔でこちらを見ているが、おそらく自分も同様だろう。

 無意識に伸びた手を慌てて戻し、ちょうど戻ったロランツに救われる形でその場を離れた。



 その後ロランツが興奮しながら語った話によると、リゼはなんと隣国の使者の部屋付きになったらしい。


 ──お偉方に見初められる

 ロランツの言葉が早くも現実のものとなった。


 ギルベルトは名状しがたい焦燥感に駆られ、庇護者として為すべきことを考えるのだった。



お読みいただきありがとうございます。

次はリゼ2となります。

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