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ルースの祈り  作者: ねるね
ギルベルト1
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1.氷った瞳に灯る火

 調査を終えたギルベルトの胸には、拭い去ることのできない違和感が沈んでいた。冷徹な調査官として任務を全うしたはずの彼を動揺させていたのは、泥濘の地で聞いた少女の叫びだった。


◇◇◇


 ルースライン領から王都に戻る間、ギルベルトの頭からリゼの声が消えることはなかった。



 報告が終われば任務完了──そのとおりだ。案件ごとにいちいち心を痛め親身になるなど、自分たちがやることではない。

 調査官が作成した報告書を別の者が精査し支援の必要性を判断する。そこに私情を挟むことは公平性を失わせる愚行に他ならない。


 だが頭の中の声が、いつまでも思考の邪魔をする。



「今回の調査書はこっちで書くからな。ギルベルト。おい、聞いているか?」


 セインの声に、ギルベルトの思考は中断する。どうやら何度か話しかけられていたらしい。


「珍しくぼーっとしてどうした。まさかさっきの女が言ったことを真に受けているのか?あんなの国から金をせしめるために大袈裟に言ってるに決まっているだろう」


「そうでしょうか。私には本当に困っているように見えましたが」


「おいおい、まさか絆されたのか? 高潔な大貴族様も結構だが、女に免疫くらいつけといた方がいいんじゃないか?」


「いえ、そういうことでは──」


「まあいい。とにかく見たままを報告するだけだ。自分の懐が痛むわけじゃなし、多少は色をつけてやってもいいが、ああいうのはつけ上がると際限がないからな」


 つけ上がるも何も、際限がないのは当然だ。川がそこにある限り洪水は起こり続ける。

 支援金を渡してあとは各領の裁量でというのは効率的で無駄がないように思えるが、頻発するとわかっていることを放置しているのは領の、ひいては国の損失とも言えるのではないか。


 しかしそれは己の職務の範疇外のこと。調査報告を基に対応を考えるのは別の担当者や上司であり、調査官ではないのだ。




「やあ、ご苦労様。思っていたより早く帰れたね。道中はスムーズだったのかい?」


 割り切れない思いを抱え帰還したギルベルトを出迎えたのは、にこやかな笑顔のロランツ室長だった。


◇◇◇


 しばらく前に閑職といえる部署から地方調整室長に就任したロランツ・ケイブは、ギルベルトの亡き母の弟、すなわち自身の叔父である。


 ギルベルトを見るロランツの眼差しは就任当初から常に柔らかく、それでいて何者でもない自分自身を見られているようで、どうにも居心地の悪さを感じさせた。



 ロランツは新室長に就任してすぐに仕事の進め方を刷新すると宣言し、部署内一同が大いに戸惑っていた。



 前任の室長は、地方調整室の生き字引きのような人物だった。

 彼は頭の中に、過去の災害の種類や規模、支援内容をすべて記憶していたそうだ。そして調査官から報告を受けると記憶していた前例を紐解いて、瞬時に支援策を決定した。


 凄まじい能力だと思ったが、個人主義と前例重視に偏りすぎだという声もあった。



 対してロランツ室長は、新たに支援チームを立ち上げ、その名のとおり必要な援助を様々な専門家と共に検討し行っていくという。

 ロランツ室長の最初の仕事が、ルースライン領への支援の検討だった。




 調査官二人は共にロランツの前に立ち、セインが帰還の報告をする。

 ギルベルトは先輩であるセインの後ろに控えていた。


「セイン・ハイモンド、ギルベルト・ヴィンロード、ただ今ルースライン領より戻りました」


「うん。ご苦労様。あそこは最近街道ができたそうだね。新しい道はどうだった? さぞ走りやすかっただろうね」



 前室長ならここで返ってくるのは形式的な挨拶だけだっただろう。しかしロランツは違うらしい。世間話のような何とも気の抜けた返答にセインも戸惑い、答えあぐねているようだった。



「えー、と。調査内容については近日中に私の方から報告書を作成し提出します。以上です」


「あ、報告書だけどね。ギルベルト君も提出してくれるかい? それぞれが見たものを教えてほしいんだ」



 前室長は徹底的に無駄を嫌った。

 重複した報告を読むのは時間の無駄。だから報告書の提出は案件につき一通という指示だった。ロランツ室長はその点も変えるようだ。





「セイン君、ギルベルト君、ちょっと来てくれる?」


 それからほどなくして、二人はロランツの執務室に呼ばれた。

 ロランツは困惑した顔で待っており、「報告書の件なんだけどね」と切り出す。


「二人ともほとんど同じ内容なんだけど、一緒に書いたわけではないよね?」


 ロランツ曰く、二人の報告書が項目やその記載順までもが全く同じで、一方が作成したものをもう一人が書き写したのではないかと思ったそうだ。

 セインはやや呆れた様子で答える。


「いいえ。別々に書きましたよ。その上で同じなんですから、不正や忖度がないということだと思いますが? 報告書の書き方は前任の室長に教わりましたから、この部署の人間はみなずっとこのように書いてきたんです」


「僕はこれからここで仕事をするにあたって何でも詳しく知っておきたいんだ。どんな些細に思えることでもいい、他に見聞きしたことはないかい? 溢れた岸の土はどんな色だったとか、どれくらい雨が続いたのかとか」



 おっとりと面倒なことを聞くロランツに、セインが苛立ちを滲ませながら答える。


「そんなこと言われても自分たちはずっとこのやり方でしたので。報告に書かないことなんて気にしませんよ」


「うーん。なるべく詳しく見てきてほしいと言っておくべきだったね。すまない、次からはよろしく頼むよ。それでギルベルト君は? 何か気づいたことはなかったかな?」



 気づいたことも、伝えたいこともある。

 何から話すべきかと逡巡していると、セインがかぶりを振って大きく息を吐いた。


「もう自分は下がっていいでしょうか?失礼します」


 そう言うなり返事も待たず退室してしまった。

 ロランツは苦笑しながらドアを見たあと、こちらに向き直る。


「なんともせっかちなことだね。担当調査官が揃った状態で話を聞きたかったんだけどなあ。ではギルベルト、君が気づいたことを教えてくれるかな」



 ギルベルトはルースライン領で見てきたもの、聞いたことを出来るだけ細部まで思い出して話した。前例どおりの調査は最低限にも満たないずさんなものだったと、今ようやく気づいた。




 やがてロランツは真剣な表情で問う。


「それで? 君はどんな支援が必要だと思う?」


「災害そのものを防ぐ手立てを考えることはできないでしょうか」


 口にしてすぐに、出過ぎたことを言ってしまったと一抹の不安がよぎる。



 しかしロランツは満足げに頷いた。

 その信頼に満ちた仕草が今は少し面映ゆく、そしてとても心強く感じられた。


◇◇◇


 報告が終わり立ち去るギルベルトの後ろ姿を、ロランツは感慨深く眺め、そして心の中で呟いた。


 ──姉さん、ギルベルトは良い目をしていますよ




 かつてロランツがギルベルトの姿を見たのは、姉マリアの葬儀の時が最後だった。


 棺に取り縋り、「お母様、お母様」と泣き続けるギルベルトの声は参列者の涙を誘った。貴族子息とはいえ五歳の子供。母親を喪って泣くなというのは無理な話である。

 ヴィンロード家は高位貴族には珍しく、親子の距離が近い家族だったからなおさらだ。



 そんな中、悲痛な空気を破って怒号が響いた。



「マリアが死んだのは貴様のせいだ!! 貴様が薬さえ飲ませていれば!! 貴様のせいでマリアは……マリアは……!!」


 目を血走らせ、くびり殺してやりたいと言わんばかりに侯爵が睨み付けているのは、彼の義父、つまりマリアとロランツの父親だった。



「し、しかしあれは子どもの頃に誰もがかかる病で……! 薬がなくても元気になったんだ!」


「侍医が言っておった! あの病は薬で完治させねば長らく潜伏したのち必ず再発すると!」


「そんな……あの時の医者は寝ていれば治ると言った。それに再発しても大人の体力なら重症化などしないだろうと……」


「それは貴様がろくな医者に診せておらぬからだ! 我が家の支援で生き長らえる程度の貧乏貴族だ。どうせ金を出し惜しんだのだろう!」


 ロランツの父は何も言い返さなかった。

 それは図星を突かれたからではない。

 ロランツの家には侍医などおらず、病気の際に診てもらっていたのはいわゆる普通の町医者だった。それは侯爵からすると『ろくな医者』とは言えないかもしれない。

 しかし決して金を惜しんだためではなく、地方の医者の少なさを考えればごく当たり前のことだった。


 その病の再発はほとんどが軽症で済むはずが、姉の場合はあまりにも不幸な偶然だった。それはおそらく侯爵も含めその場の者はみなわかっていたことだろう。



 最愛を喪った深すぎる悲しみを、何かにぶつけずにはいられない──侯爵のその哀惜が手に取るようにわかるからこそ、ロランツの父は理不尽な罵りをただただ受け止めた。



 故人を偲び慰め合うべき遺族たちはそのまま訣別し、以来ロランツがギルベルトに会うことはなかった。




 その後十五年余りを経て再会したギルベルトは、母親似の感情豊かだった目元はすっかり様変わりし、温度を感じさせない冷めた目の青年になっていた。


 けれど、彼がルースライン領の調査から戻った時には、その目に光が宿っているのをロランツは確かに見たのだった。



「彼を変えてくれる何かがあったのかなあ」


 訊ねたところでギルベルト自身も答えなど持ち合わせていないだろう。

 ギルベルトに笑顔が戻る日が来ることを、ロランツは願わずにはいられなかった。


お読みいただきありがとうございます。

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