4.王宮の臨時侍女と、贈り物のリボン
リゼが王都に来て間もなく一月になる。
その間、ケイブ邸に仕立て屋や雑貨商がやって来て、これからの生活に必要なものを揃えてもらった。ロランツ夫妻は後見人として当然だと言い、何くれとなく世話を焼いてくれる。
夫妻がいない日には、邸の使用人が王都を案内してくれた。環境を知ることも新生活への準備として必要と言われたからだ。
ある日、散策にギルベルトが同行した。
彼は案内役の話に耳を傾けながら、ただリゼと共に街を歩いた。
寡黙なギルベルトから話題が提供されることはなかったが、彼と並んで歩くと自分も王都に馴染めた気がして心が弾んだ。
そろそろ邸に戻ろうかという頃、ギルベルトが使用人に何かを告げ、馬車とは反対方向へと歩いていく。ついていくと、到着したのは貸し馬屋だった。
「ギルベルト様、貸し馬がご入り用なのですか?」
「あなたが子爵に便りを出す際に、ここの馬具も一緒に送ると良いと思いまして。それにあなた自身も乗馬をするのですから、こういう所を知っておいて損はないかと」
「素敵ですね。王都の馬具なんて領ではお目にかかれませんから、きっと兄も喜ぶと思います」
貸し馬屋の片隅には、華美ではないが質の良さそうな馬具が領地とさほど変わらない価格で売られている。手袋などの価格を確認し、いつか兄のために買いに来ようと思うのだった。
もと来た道を戻り馬車へと向かう途中、ギルベルトに話しかけられる。
「正直、領への思いが強いあなたが室長の請願に応じたのは意外でした。郷里を離れるのは辛くはなかったのですか」
「もちろん迷わなかったわけではありません。ですが離れた地にいても領のために出来ることはあると信じていますから。不安はありますが、辛いとは思っていません」
それはリゼの本心だ。
兄には自分のことだけを考えるよう言われたが、やはりリゼの中心にはルースラインを思う気持ちがある。
「そうですか。領の話がしたくなったら言ってください。あなたの郷里を知る者として話を聞くくらいはできるので」
ギルベルトはリゼに目を向けると穏やかな声でそう言った。
ルースラインをよく知る人がこの王都にもいる。そしてその人がリゼの寂しさを掬い上げてくれた。
ギルベルトのさりげない優しさにリゼの胸は温かくなるのだった。
いよいよ明日から王女宮へ出仕する。
世話になったケイブ邸を離れて、宿舎での生活が始まるのだ。
「一月なんてあっという間だねえ。ローラと一緒にうちから通えばいいんだよ。今からでも宿舎の方に断りを入れないかい」
「まったくあなたときたら。何度も同じことをおっしゃって。とは言えリゼさん、もうここはあなたの家も同然ですからね。主人も私もいつでもあなたの帰りを待っているわ」
「本当に良くしていただき、楽しいばかりの一ヶ月でした。また近いうちに必ずお会いしに来ますね」
「楽しみにしているよ。いつでも大歓迎だ。ところでリゼ、これは明日から身につけてほしいのだけどね」
ロランツは二つの箱を取り出した。
「この小さな箱はギルベルトからだ。自分で渡すよう言ったんだけど、会う機会もないからと言われてね。就職祝いだと思って受け取ってやってほしい」
「ギルベルト様が?」
箱を開けると白いリボンが入っていた。
ギルベルトと王都を歩いた穏やかな時間を思い出す。家族以外の男性からもらった初めての贈り物に、リゼの胸は小さく音を立てた。
「それとこっちは僕とローラから。僕の故郷ではね、子どもが独り立ちする時に靴を贈るんだ。リゼの足に合わせて作ってあるから、それを履いて頑張ってね」
「ありがとうございます。おじ様たちに胸を張れるよう精一杯頑張ります」
「うん、期待しているよ」
リゼを思ってくれる人、リゼが大切にしたい人が増えていく。
胸に灯ったのは親愛と、敬愛と、憧憬と───
◇◇◇
初出仕の朝。
リゼは早くに起きて身支度をしていた。
目の前の鏡には、貸し出されたお仕着せを身につけたリゼが映っている。
足にはロランツ夫妻からもらった大切な靴を履いている。柔らかい革で作られており、足に馴染んで歩きやすい。慣れない場所でも、この靴があれば大丈夫だと思えた。
髪はこざっぱりとまとめて、ギルベルトから贈られたリボンをあしらった。
何の変哲もない白いリボンに見えるが、光沢のある糸が織り込まれて繊細にきらめいている。自身の髪で揺れているリボンの存在に、不思議と背筋が伸びた。
浮き足立つ気持ちのままに何度も鏡を覗き、最後に大きく深呼吸をしたリゼは、大事なことに気づく。
慌てて引き出しから石の根付けを取り出して胸元にしまった。子どもの頃から身につけているこの根付けは、リゼのお守りだった。
根付けをひと撫でして心を落ち着けると、リゼは初めての出仕に臨んだ。
臨時雇いの侍女の仕事は実に明確だ。
控えの間で待機し、指示に従って各所へ赴き業務をこなす。呼ばれるまでは静かだが、声がかかれば一瞬で慌ただしくなる。
それは書類の運搬や物品の買い付け、来客対応といった内容で、いわゆる雑務全般を都度指示どおりに行うだけのことだった。
指示されるのは単純な業務ばかりだが、王女宮という場所柄ゆえに身分の高い人物と関わることも多く、気を張る必要があった。
所作にはもちろん気を配り、どんな仕事にも積極的に手を挙げた。部屋の位置や備品の場所、さらには廊下を行き交う人の顔と名前を覚えることも、今のリゼには大事な仕事だった。
当然ながら時には失敗もしたが、同じことを繰り返さないよう細心の注意を払った。
何ら特別なことはしていなくても、リゼはいつの間にか顔見知りが増え、名指しで指示が来ることも増えていった。
見聞きすること全てが新鮮で興味深く、日々精力的に業務をこなすのだった。
この日もリゼは、控えの間で指示を待っていた。
そこに一人の侍女が顔を出す。
「誰か使者様の部屋へ行ってくれないかしら? 荷物整理の仕事よ」
婚姻を控え、王女宮には隣国の使者が長く滞在していると聞いている。かの国の王太子との成婚に備えて、歴史や文化を事前に学んでおきたいという王女のたっての願いで招いた賓客だ。
「あら? ドレスの人はいないの?」
王女宮では、自前のドレスを着た侍女が賓客の対応にあたるという暗黙の了解がある。この時、控えの間にはリゼも含めお仕着せの侍女しかいなかった。
「仕方がないわね。じゃあリゼさん。あなた手際が良いからお願いするわ」
こうしてリゼは、隣国の使者ライナス・ジョイフェルの元へと急いだ。
使者の部屋に向かいながら、呼びに来た侍女から指示を聞く。
「ライナス様は大らかな方なのだけど、とにかくお話がお好きでね。あなたには荷物整理をお願いするけれど、もしライナス様からお声がかかったらお話し相手になって差し上げて」
話というのはせいぜい挨拶や業務の指示程度かと考えていたリゼは、使者の部屋に着いて早々に考え違いを知ることになる。
「おや、あなたは初めて見る人ですね。お名前は?」
「リゼと申し…」
「そう、リゼさんというのですね。リゼ君とお呼びしても? いや、やっぱりリゼさんが呼びやすいですね。私は隣国のライナス・ジョイフェルです。元は平民ですから気軽にライナスと呼んでください。
それでここにある荷物なんですが、王女殿下に随行する皆さんの衣装の生地見本と、向こうで流行っている戯曲の台本と、食文化について記された書物と、他にも色々一度に届いてしまいましてね、私にも何が何やらで困っているんですよ。
とりあえずは紙類とそれ以外に分けるところから始めましょうか」
「かしこまりまし」
「あ、リゼさんが持っているのは台本の一部ですね。台本は全部で六種類ありましてね──」
リゼの返事を待つことなく矢継ぎ早に話すライナスの勢いに最初は圧倒されたリゼだったが、炊き出しの女性たちの賑やかさに比べればまだ静かなものだった。
何しろ彼女たちはみながめいめいに話す。対してライナスは一人だ。作業をしながらの会話も何ら苦になることはなかった。
「リゼさん、あなたすごく作業が速いですね。荷物の中身を私よりも把握しているみたいです。では次は紙類の仕分けをお願いします。
ああ、台本は綴じてあったはずなんですがバラけていますね。書物の方が台本に比べて紙が薄いでしょう? その薄さにも我が国の技術の粋が詰まっていましてね──」
立て板に水のごとくライナスは話し続ける。
しかし意外なことに作業の妨げにはならず、軽妙な説明を聞きながらの片付けは想定よりも捗った。
作業が終わり控えの間に戻りかけたリゼに、ライナスから声が掛かる。
「リゼさん、今持ち場が決まっていないのでしたら、これからはここの仕事を優先的にしてくれませんか?」
リゼはひとまず上司に相談すると返答し、ライナスの部屋を辞した。
先輩方もリゼの仕事ぶりを褒め、口添えを申し出てくれたのだった。
それからすぐにリゼはライナスの部屋付きとなるよう侍女長から命じられた。
業務はこれまでと同じく雑務がほとんどだが、賓客のプライバシーや機密情報にも接するため、部屋付き侍女には確実性と信頼性が求められる。
侍女長から知らせを聞いたローラが、すぐにリゼの元に駆けつけた。
「リゼさんおめでとう! 出仕して日も浅いのにすごいことだわ。ドレスの仕立て直しを急がせて……ううん、それよりもお祝いに新調してもいいわね。使者様のところの侍女はみんな明るいいい子ばかりよ。リゼさんが入るとますます楽しいお部屋になるでしょうね」
ローラの喜びように事の大きさを知り、部屋付きへの就任がいかに光栄なことかという実感が湧いてくる。
ロランツにも早く報告をするべきだとローラから背中を押され、リゼは内務部へと足を運んだ。
しかし、地方調整室に彼の姿はなかった。出直すべきかと扉の前で迷っていたその時、背後から不意に声がかけられた。
「室長ならもうじき戻る予定です」
「ギ、ギルベルト様……っ!」
跳ね上がるように振り返ったリゼは、その場に固まった。
突然のことに目を丸くして焦るリゼの様子が、よほどおかしかったのだろうか。ギルベルトは吹き出すのを堪えるように拳を口元に当て、わざとらしく咳払いをしてみせた。
ふとギルベルトの動きが止まった。
彼は吸い寄せられるように、おもむろに手を上げる。リゼの髪に触れようとしたその指先が、ハッとしたように空中で止まり、慌てたように引っ込められた。
彼の鋭い眼差しは、リゼの髪の一点を凝視している。
リゼは姿勢を正し、少しだけ緊張しながら言った。
「ギルベルト様。お礼が遅くなりましたが、こちらのリボン、ありがとうございました。とても素敵なお品で、毎日愛用しております」
「あ、ああ……。構わない。あなたによく似合うと思って、選んだものだ」
ギルベルトらしからぬ、あまりに率直な言葉。
驚いて顔を上げると、片手を自身の口に強く押し当てたギルベルトが立っていた。
言葉が続かないまま、二人の間に沈黙が流れる。
時間が止まったように感じた。
そこにタイミング良くと言うべきか、ロランツが戻ってきた。
「リゼが来てくれるなんて嬉しいね。おやギルベルト、妙な顔をしてどうしたの」
「室長はじきに戻ると伝えていただけです。失礼します」
ギルベルトは赤らんだ頬を隠すように顔をそむけ立ち去っていった。
気を取り直して部屋付きになったことを報告すると、ロランツは手放しで我がことのように喜んでくれた。
リゼは先ほどのギルベルトの様子が頭から離れないまま、報告を終えた。
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