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ルースの祈り  作者: ねるね
リゼ1
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2.冷酷な瞳の奥の熱

 調査官がとりつく島もなく立ち去ってから、三ヶ月ほどが過ぎた。

 ルースライン領は今、信じられないほどの活気に満ちている。


 ルース川で始まった、隣国の最新技術を用いた護岸工事。国から派遣された技師団及び工事人たちの賑わいは、陸の孤島だったこの領にかつてない活気をもたらしていた。


「このように賑わうルースライン領は初めてです。本当にギルベルト様には何とお礼を申し上げれば良いのか」


「いえ、礼など言われる立場ではありません。それに我々がやるのは治水工事のみ。そのあと人が定着するかどうかはあなた方次第です」


 工事の統括責任者として戻ってきたギルベルトは、相変わらず堅物の仕事人間そのものだ。

 あの時、泥にまみれた川原で冷たく領地を見捨てたはずの彼が、なぜ今、誰よりも熱心にこの地を救おうとしているのか。

 無表情の奥に秘められた彼の真意を、リゼはまだ知る由もなかった。


◇◇◇


 ある時、リゼはアルフレートを探してルース川の工事現場に来ていた。

 隣領から来客があることを失念し、兄が出掛けてしまったのだ。


 リゼは兄に連れられて進捗を見て回ることも多いため、技師たちや現場で作業をしている領民がリゼに声を掛けてくる。



「おおリゼさん。今日は一人ですかい」


「お邪魔しています。兄を探しているんですが、見かけませんでしたか?」


「今日はまだお会いしてませんねぇ。資材置場の方じゃないですかい」



 言われたとおりリゼが資材置場に向かう途中、横から作業員が飛び出してきた。彼は手に持っている荷物に気を取られ前を見ていなかったようだ。


「おい、あぶねえなぁ! あ? 何で女がこんなとこにいるんだ?」


 リゼが見たことのない男だった。領の外から工事に来た人足だろう。

 邪魔にならないよう注意していたつもりだったが、作業員でもないリゼが現場にいるのは確かに安全とは言えない。


「すみません、家族を探しています。見つけたらすぐに出ますので」


「家族だか何だか知らんが、現場に女が入っちゃいけねぇのは工事の常識だ。さっさと帰れ」


 男と問答をしていると、作業員たちが集まってきた。顔見知りの者も何人かいて、リゼの肩を持ってくれる。



「おいおい、その人は領主さんの妹さんだよ。現場をよく知ってる人だから大丈夫だ」


「そうだぞ。いつも領主さんと一緒に来られてるんだ。お前はよそから来たから知らないんだろうがな」


「俺は色んな現場で働いてきたが、どこも女は立ち入り禁止だった! 危ないし現場の士気も下がるってもんだ! 事故が起こったらどうすんだよ!!」


 ぶつかりかけた男も間違ったことは言っていないが、多勢に無勢の様相を呈してきた。

 味方がおらず自棄になった男が叫ぶ。


「お貴族様の身内なんざどうせ道楽に決まってる! 馬車で乗り付けて現場を荒らされちゃ迷惑なんだよ!」


「何の騒ぎですか」


 そこにギルベルトが通りかかった。

 みなが萎縮するなか、最初の男が声を上げる。


「ここの現場は女がいていいんですか。工事に関係ない人がいたら危ないと思って、俺は……」


 ギルベルトは足を止めると、周囲の様子にさっと目を走らせた。

 作業員の手元、積み上げられた資材、作業を止めている者たちの顔──一瞬のうちに事態を把握したギルベルトは、視線を騒ぎの中心に戻し、静かに声を発した。


「彼女はあなた方の休憩時間を増やしたり、救護所の薬の手配なども行っています。現場に害をもたらすような人ではありません。それに馬で来て離れた場所に繋いであります。理解できましたね?」


 男はハッと息を呑んで、神妙な顔になり小さく頷いた。

 次にギルベルトはリゼに目線を移し、言葉を続ける。


「ただし、危険なのも事実です。今後は必ずご当主や供の者と同伴してください」


 騒ぎは一瞬で収まり、現場は元の落ち着きを取り戻していった。



 リゼはまた、彼の新たな一面に気づかされる。

 周囲を見渡し、全体を把握し、本質を見極める──その冷静さの奥に、他者への配慮と敬意が見えた気がした。


◇◇◇


 瞬く間に時は過ぎ、護岸工事が始まって半年が経った。

 今日は技師団の慰労会だ。



 工期はまだ半ばだが、技師団は引き上げ、ここからは自領で工事を引き継いでいく。中央からは定期的にギルベルトが経過観察に訪れる予定になっており、連携を取りつつ進めていくことになる。



 技師団はこれからまた別の川の調査に入るという。

 何でも、支援を要する領がここ以外にもいくつかあることが判明したそうだ。

 ギルベルトがそう話しているのを、リゼは兄の隣に座って聞いていた。


「国からの支援というものは、私どものような地方の者にとっては本当にありがたいものなのです。他の領の人たちもきっと首を長くして待っていることでしょう」


「いいえ、むしろ遅すぎると叱責を受けることも覚悟しています。あなた方もご存じのとおり、あのような調査を長年続けてきた我々は怒られこそすれ、歓待など受けていい立場ではないのです」


 そう言ってギルベルトはわずかに目を伏せる。

 その表情には悔恨の色が見えた。

 

「そんな。こちらこそあの時は礼を失しておりました。それでもギルベルトさんはこうして支援に来てくださった。領民一同みな感謝しております」


「礼を失していたのは我々の方です」


 言いながらギルベルトはリゼの方へ目線を移す。


「リゼ嬢、あの時のあなたの言葉は全て正論でした。不愉快な思いをさせてしまったことを詫びさせてください」


 ゆっくりと頭を下げるギルベルトに驚く。隣ではアルフレートも息を呑んでいた。


 彼の実家であるヴィンロード侯爵家と言えば、国中に名を轟かせる名家だ。その子息が一介の令嬢へと示した態度は、あまりにも真摯だった。




 お酒が進むにつれ、楽しげな声があちらこちらから聞こえる。ほとんどの技師たちは単身で滞在しており、隣国に残してきた家族とは長らく会えていない者ばかりだった。

 皆口々に家族に会いたいとこぼし始め、やがて家族の自慢大会が始まった。アルフレートもいつの間にか参加して、誰よりも声高に妻への愛を叫んでいる。



 混迷する宴を一人静かに眺めるギルベルトに、リゼは声をかけた。


「兄はお義姉様の話になると止まらなくて。そろそろ散会にすべきですのにすみません」


「ご当主も技師の皆も楽しそうで何よりです。あなたこそ大丈夫ですか。未婚の女性がこのような場に遅くまでいては良くないのでは?」


 そう訊ねるギルベルトの目には労りの色が浮かんでいた。

 思いがけず紳士的な彼からの問いかけにリゼの頬は熱を帯びる。


「兄がいますので大丈夫です。私は婚約者もいませんし、気楽なものですよ」



 大げさな身ぶりで返事をするリゼに、自慢大会を追い出されたアルフレートが近づいた。


「リゼにも結婚して幸せになってほしいんです。なのにうちには縁談なんてちっとも来ないし、来てもがめつい商家くらいですよ。世の中の男はどうなってるんだ! リゼはこんなにいい子なのに!」


 徐々にヒートアップするアルフレートに対し、ギルベルトは冷静に訊ねる。


「裕福な商家と縁付くのも、政略として悪いことではないと思うのですが」


「貴族としてはそう考えるのが正しいんでしょうね。けどね、差配は愛人がするから妻は子供だけ生んでいれば良いと平然と言ってのけるような家になんて妹をやれませんよ。不甲斐ない私の自慢の妹なんです。私ばかり幸せになって、リゼは、リゼにも……ううっ」



 がばりと突っ伏したアルフレートはそのまま寝息を立て始めた。

 リゼはそっと兄の眼鏡を外し、脇に置く。


「困った人ですが、私にとっても自慢の兄なんです。早くに子爵を継いで苦労ばかりの毎日でも、このとおりいつも明るく笑わせてくれて。兄のためならどこへだって嫁ぎますのに、まったく私のことを高く見積もりすぎなんですよ」


 リゼは眉を下げて小さく笑った。


「私の父も似たようなものです。四男などそう欲しがる家もないでしょうに、見合いを繰り返しては熟考していますよ。家に繁栄をもたらす駒となるのは貴族の務めだというのに、肝心の行き先が決まらず難儀なことです」



 リゼとギルベルトはどちらからともなく目を合わせると、同じタイミングで息を吐いた。そして思わず笑ってしまったリゼと同様に、ギルベルトも目元をかすかに緩めていた。

 そこが少しだけ赤らんでいたのも、いつになく饒舌だったのも、きっとアルコールのせいなのだろう。



 夜も更けてきた頃、不意に起き出したアルフレートが散会の言葉を告げる。和やかな空気のなか慰労会はお開きとなった。




 翌朝、技師団が出立に向けて居並ぶ前で、ギルベルトとアルフレートが握手を交わす。


「ギルベルトさん、技師の皆さん。ここまで本当にありがとうございます。ここからは我が領が引き継ぎます」


「週に一度は定期報告をお願いします。送られた報告は私と上司が必ず目を通します。この護岸工事の成功が国内の治水事情を大きく変えるのです。あなた方もそのつもりで残りの工事に当たってください」




 こうして大きな責任と賑わいを残し、ひとまずの区切りを迎えた技師団は領から去った。


「寂しくなるね、リゼ」


「ええお兄様、本当に。でもここまでやってくださったのだもの。あとはこの活気を維持していかないと、ギルベルト様に顔向けが出来ないわ」



 そう言ってリゼは、技師団一行の姿が見えなくなるまで、ただひたすらに街道の先を見つめていた。


◇◇◇


 朝日が差し込むルースライン子爵邸のエントランスホール。

 夫人と使用人に見送られて出発するアルフレートのもとに、リゼが駆け寄る。



「お兄様。今週の定期報告はもうお出しになりました?」


 あっという顔をしたアルフレートが気まずそうに言葉を返した。

 

「合同会議の準備でばたついてすっかり失念していたよ。まいったな、これから隣領まで行かなきゃいけないのに……」


「実はお兄様がお忙しそうでしたから、見よう見まねで書いてみたんです。おかしなところがないか見てくださいますか?」


 そう言ってリゼが取り出したのは、一束の書類だった。


「リゼ!! お前は本当になんて出来た妹なんだ。ああ、馬車の中で確認しておくよ。ありがとう! 土産ははずむよ」



 アルフレートはこのところ街道整備の方にかかりきりだ。これから出掛けるのも、合同で工事を進めてきた近隣領主との話し合いのためである。

 いつでも自分のことは後まわしで、それでも時間が足りないのか遅くまで灯る執務室の明かり。リゼはそれを数え切れないほど見てきた。

 亡き父の悲願を継承し奔走する兄の肩の荷を、少しでも軽くすることができただろうか。



 国に出す書類など作るのは初めてだったが、兄の部下が快く協力してくれたおかげもあって何とか書き上げた。

 専門用語に手こずり何度も計算間違いをしながらも完成させた報告書は、兄ほどの緻密さには遠く及ばない出来だったが、書類を作るのは意外にも楽しかった。

 リゼは、兄が許してくれるならこれからも自分に任せてほしいと思うのだった。





 会議を終えたアルフレートが帰宅したのはそれから四日後だった。

 その日の夕飯の席で兄は嬉しそうに話し出し、リゼと義姉に包みが手渡された。


「報告書は隣の領で出してきた。あちらの方が王都に近いから間に合ったはずだ。本当にありがとう。約束どおり向こうで土産を買ってきたよ」


「まああなた。リゼさんはともかく私にまでいただけるのですか」


「君にはいつも家のことを任せきりだからね。二人とも開けてみてくれ」


 包みの中身は綺麗な宝石のブローチだった。義姉の方はイヤリングだ。どちらもキラキラと複雑に光を反射して美しい。

 こんな高価な土産などもらって良いのかとリゼが困惑していると、兄がいたずらが成功したようにニッと笑って種明かしをした。


「綺麗だろう? 実はガラス玉なんだ。隣領もうちと同じで資源に乏しくてね。今はガラスを研磨する職人の育成に力を入れているらしい。宝石じゃなくて悪いけど、高いものじゃないから遠慮は無用だ」


 機嫌の良さそうなアルフレートを見て、少しでも兄の力になれて良かったと思っていると、続けて話しかけられた。


「それにしてもあの報告書は全部リゼが書いたのかい? 私はてっきり下書きを作ってくれたと思っていたから、報告書そのものだとわかって驚いたよ。手直しの必要もほとんどなかった。私より上手く書けていたくらいだ」


「まあお兄様ったら。でしたらこれからも私が書いても良いですか?」


 兄に上手く乗せられたようにも思えるが、リゼとしても兄の助けになるのに否やはなく、一も二もなく飛びついた。

 提出前の最終確認で、兄は「リゼに間違いなどないよ」と笑いながらも、私の書いた数字を丁寧に見てくれる。


 兄のため、領のため、そして――いつかまた彼に会えた時、胸を張れる自分であるために。

 私はペンを握る手に、そっと力を込めた。


お読みいただきありがとうございます。

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