5.手を伸ばす
イアンの策により、心の準備もないままに再会を果たしてしまう二人。リゼにまた、手を伸ばすことは叶うだろうか。
◇◇◇
なす術なく見送る彼女の後ろ姿に、白いリボンが揺れた。
それを見た瞬間、考えるよりも先に体が動いた。
「リゼ嬢」
リゼの瞳がギルベルトを映す。
濃い青のそれは、水を湛えた湖面のように揺れていた。
リゼはまた堪えてしまうのだろうか。
こんなにも傷ついた顔で、それでも一人で抱え込んでしまうというのか。
眩しいほどの笑顔や、理不尽に対する憤り。多くの表情を見せてくれる彼女が愛おしかった。
どうか我慢をすることなく、悲しみも辛さもすべて表に出してほしい。その発露を受け止めるのがたとえ自分ではなくとも構わないからとギルベルトは思った。
すると、その思いが届いたように彼女の目から涙が零れた。
それは次々に滴となり、彼女の頬を濡らしていく。
ギルベルトはリゼの涙を拭った。
涙と共に憂いも悲しみもすべてが流れ去るようにと切に願い、自身のハンカチを愛しい人に託すのだった。
「ギルベルトさん、こんなにも我が領のために尽力していただきありがとうございます。それに記念式典の協賛金もたくさん声を掛けてくださって……。返しきれない恩ばかりが増えていきますね」
リゼとの邂逅からしばらくの後、ギルベルトは最後の査察を終えた。
アルフレートは式典準備の合間を縫って、ギルベルトのために時間を作ってくれた。
彼とはこの二年でずいぶん親しくなった。
初めて会った頃からは想像もつかないほどに。
感傷的になったギルベルトは、知らず言葉が零れる。
「私にとってはリゼ嬢と、いえ、あなた方と会えたことが僥倖でした」
「リゼですか。あの子こそギルベルトさんたちのお陰で広い世界で羽ばたくことができた果報者です。近いうちにまた新たな場所での仕事に引き立ててもらえるそうで張り切っていますよ」
「ああ、使者殿の後に仕える方がもう決まっているのですか」
「いえ、別の方を受け持つというわけでもないようですがそこら辺は曖昧で……。まあ追々わかるのではないでしょうか」
リゼはまたも自身の力でより良い持ち場に就くようだ。
このルースライン領と同じく、彼女の前途も明るく拓けている。
リゼにふさわしい人間になって、今度こそ隣に並び立ちたい。心の中で静かに燃える炎が、輝きを増した気がした。
◇◇◇
中央に戻ったギルベルトは、ロランツを探した。
同僚に聞くと、少し前に慌てて執務室を出て行ったという。
自席に積み上がった書類に目を通していると、知った声に話しかけられた。
「ギルベルトさんこんにちは。あなたがそんなに書類を溜め込むとは意外ですね。お忙しいようなら出直しましょうか」
「ああイアンさん。先程地方から帰ったところです。今日は室長への報告で来たのですが不在のようで。イアンさんはどうされましたか」
彼は時々こうしてふらりと現れては、ロランツやギルベルトと少し話して帰っていく。
雑談に飢えているというのはあながち嘘ではないのかもしれない。
「そういえば今そこで室長とすれ違いましたよ。リゼ嬢のことで外務部に行くと言っていました。もしや噂の件でしょうかね」
「噂とは何のことでしょう」
「おや、ギルベルトさんはご存知ないのですか」
イアンはギルベルトを地方調整室から連れ出し、廊下の隅で声をひそめた。
「隣国の使者が王女宮の侍女を供に連れて帰るという噂がありましてね。部屋付きの誰かが行くと決まったとか。まあ噂ですから真偽は不明です」
「それがリゼ嬢ということですか? そんな……彼女が故郷からさらに離れた地に行くだなんて───」
「ないと言い切れますか? あの領はもうリゼ嬢が気にかけずとも栄えるのは必定です。彼女の不安の種はなくなりました。この躍進の機会を彼女ほど意欲のある人が逃しますかね」
『新たな場所での仕事に引き立ててもらえるそうで張り切っていますよ』
『別の方を受け持つというわけでもないようですが』
脳内にアルフレートの言葉が蘇り、イアンの声が素通りする。
ギルベルトは一つの結論に辿り着こうとしていた。
「ギルベルトさん、大丈夫ですか? まだそうと決まった訳じゃありませんよ。ああほら、室長が戻ってきました。聞いてみてはいかがですか」
イアンが指す方を見ると、確かにロランツが戻ったところだった。心なしかその顔色は優れない。
イアンが暇を告げ立ち去ると、ギルベルトはロランツの前に立った。
「室長、本日査察より戻りました」
「やあ、ギルベルトか。ご苦労様」
上の空で返事をするロランツに不安が募る。
いつもの飄々とした明るさがどこにも見えず、悪い想像ばかりが膨らんだ。
ギルベルトは単刀直入に問う。
「外務部に行っておられたのは、リゼ嬢の隣国行きの件でしょうか」
「内密の話のはずだが、君は知っていたのかい。そう、そのことで外務部に呼ばれてね」
「では使者殿の部屋付きの方が隣国へというのは本当なのですか」
違っていてほしい──そう願いながら訊ねるギルベルトに、ロランツが消沈した声で答えた。
「どこから情報が漏れたのかは知らないが、そのとおりだよ。もう僕はショックでしばらく立ち直れそうにない」
ロランツは頭をかき回したあと、今度は力ない笑みを作ってギルベルトに告げた。
「そうそう、まだ内定だけど君の昇任が決まったよ。ルースライン領を含む東部の統括を任せることになりそうだ。式典の前には発令されるだろう」
待ち望んだはずの昇任。
しかし今は喜びよりも衝撃が勝った。
「頑張ってね」
動かないギルベルトにそれだけ告げたロランツは、また物思いに耽り始めた。
◇◇◇
リゼが隣国に行ってしまう。
ようやく雲が去った空に、稲妻が走ったような心地がした。
リゼが幸せならば、自分は身を引いても構わないと思っていた。
彼女の喜びや悲しみを受け止めるのが自分ではなくとも構わないと思った。
それは紛れもなく己の中の本心だった。
けれど、リゼへと手を伸ばすことが叶いそうな今、それはひどく受け入れ難いことだと知る。
「室長」
「ん? なんだい? 」
「王女殿下のご出立までにリゼ嬢に会うことは可能でしょうか」
「ご出立までって、あと四日じゃないか。今が一番忙しくてうちの奥さんも帰れていないくらいだ、無理だろうね。彼女に急ぎの用事でもあるのかい?」
「はい。一刻も早く伝えたいことがあります」
「うーん。それなら僕と見送りに行こうか。うまくいけばその場で一言二言くらいは話せるかもしれない」
あと一度、リゼに会うことが出来たら。
その時は伝えても良いだろうか。
この先もあなただけを想っていると。
いよいよお輿入れ行列が隣国へと出発する。
よく晴れた空のもと、居並ぶ馬車は壮観だ。
やがて行列が厳かに動き出した。
ギルベルトはロランツと共に人だかりの中にいた。
四日前の衝撃から立ち直ったロランツは、何としても使者の馬車を見つけようと意気込んでいる。
「室長、この状況で彼女を見つけて声を掛けるなど不可能ではないでしょうか」
「そうかもしれないね。それでも僕は見つけてみせるよ。何しろ今日を逃せばもうずっと会えなくなってしまうんだ」
ロランツは行列から目を離さずに答えた。
「ああほら、今そこを通っているのが武官たちだ。次に外務部の官吏と、おそらくその後に続く馬車が使者殿だろう。そろそろ前の方に行かないとダメだな」
同じような馬車が何台も連なり区別がつかない。
彼はどうやって見分けているのだろうか。
やがてロランツは「見つけた! 使者殿だ!」と声を上げるなり人垣の前方を目指して駆け出した。
ギルベルトもあとを追いながら人をかき分けその背中に声を掛けた。
「叔父上! リゼ嬢も乗っていますか!」
「いいやリゼは乗っていない! 君はそこにいてくれ!」
ギルベルトは、泳ぐように人の隙間を縫うロランツを瞬く間に見失ってしまった。
ここにいろと言われたが、それではリゼを見逃してしまう。
ロランツを追うのは諦めて、しかしどうにか一人で前方へと進み出た。
周囲の歓声に応えるように、馬車の窓は全て開かれ中から人が手を振っている。
ギルベルトは目を凝らしリゼを探した。
なんとか使者は見つけたが、リゼは同乗していなかった。
その後も通過する馬車を必死に見続け、しまいには沿道整理の係官に押し戻されながら身を乗り出して探した。
しかしそれでも、リゼを見つけることはついに叶わなかった。
最後の荷馬車と護衛の騎士たちが通りすぎ、見送りの人々は三々五々に去っていく。
いつの間にか周囲から人が引き、ギルベルトは長らく立ち尽くしていたことに気づく。
「おうい、ギルベルト。こんなところにいたのかい」
自身を呼ぶロランツの声に力なく振り返ったギルベルトは目を見開いた。
「リゼ嬢!!」
ロランツの隣には、こちらを見つめるリゼがいた。
すぐさま駆け寄って、手を伸ばす。
その瞬間、周囲のざわめきが遠のいて、彼はただ彼女の存在だけを抱き締めていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次はエピローグになります。短いものを3話、明日中に全部上げる予定です。
最後までお付き合いいただけますと幸いです。




