3.大いなる前進
ギルベルトは前を向く。なすべきことが見つかったのだ。
◇◇◇
アルフレートから手紙が届いた。
そこにはギルベルトへの感謝の言葉が綴られていた。
曰く、王都の貴族から資金援助や投資の申し入れがいくつもあったという。
アルフレートは王都に人脈はないため、ギルベルトが広めたことに気づいたそうだ。
しかしながら、ギルベルトが周知を行った貴族家はそれほど多くはない。
おそらく出資希望者の半数ほどは、イアンから話を聞いたのだろう。
王都にいる自分がルースライン領のために出来ることを考えた結果、思いついたのは資金集めだった。
父に話してきたルースラインの展望を何人かの知り合いに話したところ、「そのような素晴らしい領の助けになれるのなら」と相手が資金援助を申し出てくれた。
やはりかの地は発展の可能性に満ちている。
父への説明に苦心した日々も無駄ではなかったと思えた。
資金援助を持ちかけて最も好感触だったのがイアンだ。
彼はルースラインの将来性に大きな関心を寄せ、自身が出資するのはもちろんのこと、知人にも広めると言ってくれた。
その言葉どおりさっそく動いてくれたようだ。
今度会ったらお礼を言わねばと思うギルベルトだった。
それから間もなく、ギルベルトは彼に会う機会を得た。
しかしそれはとても礼を言えるような状況ではなかった。
ヴィンロード侯爵家の応接室でイアンとグレイスが深々と頭を下げている。
「それで? 代替りをしたから前伯爵の決めた婚約は無効にしたいと?婚約というのは家同士の契約だ。一度決めたからにはそうそう覆して良いものではない」
「侯爵のおっしゃるとおりです。ですが父は以前より判断能力に疑わしいところがあり、それもあって当主を交代した次第です」
「一方だけの話では納得できぬ。先代を呼びなさい」
当主交代と婚約撤回の旨を告げに来たイアンとグレイスだったが、ギルベルトの父はやはり難色を示した。
自邸で代行業務中だった前伯爵は、呼び出しを受け嬉々として駆けつけた。
「侯爵! 私をお呼びだとか!やはり息子では役者不足でございましょう。代行の身となりましたが、まだまだ私にお任せください」
「ふむ。しかしそちらは体調が思わしくないと聞いておるがな。婚約継続の是非を検討する必要があるが、元々はそちらがどうしてもと言うからこちらは話に乗ったまで。それをやはり撤回しろとは、侯爵家を虚仮にするも同義だと思わぬか」
侯爵の憤りを感じた前伯爵は冷や汗をかいている。
対して堂々とした態度のイアンが答えた。
「当方のお家事情に巻き込んでしまい誠に申し訳ございません。責任は全て我が家にあります。金銭という形になりますが謝意の準備もございます。どうかお気持ちを収めていただけないでしょうか」
「何…? そんなことわしは聞いとらんぞ」
イアンの言葉に、取り繕っていた前伯爵の声がわずかにうわずる。
狸の仮面にひびが入ったように見えた。
◇◇◇
慰謝料を渋る前伯爵をグレイスが諌める。
「本来まとまりかけたお話を反故にするのなら慰謝料くらいは考えておくべきなのです。それをお父様はあちらの伯爵家にも筋を通さずに……。そのようなことは不義理なのだとご理解くださいませ」
「グレイス! 何を偉そうに! お前が素直にギルベルトさんと結婚すれば慰謝料など要らぬではないか! 今からでも遅くはない、予定どおり婚約するのだ!」
錯乱した様相で前伯爵がグレイスに掴みかかり、イアンとギルベルトが止めに入る。
やがて頭に血がのぼった前伯爵がグレイスに向かって拳を振り上げた。
「いい加減にしないか。場所も忘れてそのように取り乱すなどどうかしておる。先代のその様子ではイアン殿が言うことはあながち嘘やでたらめではないようだな」
静かによく響く声で諍いを止めたのは、冷めた目で事の成り行きを見ていた父だった。
眉間に皺を寄せた父は一度深く嘆息し、話を続ける。
「私は前伯爵のことをそれなりに買っていたんだがな。どうやら見込み違いだったらしい。今回は私の見る目のなさが招いたことだ、慰謝料も謝罪もいらぬ」
そう言い残し父は応接室を出る。
ギルベルトはイアンに目線を送り、退出を促すと父のあとを追った。
ギルベルトが父の執務室をノックするも返事はなく、声をかけて入室する。
父は額に手をつきうなだれていた。
「ギルベルトよ、お前もこの顛末を知っていたのか」
「はい。どうせ望む相手と添えないのなら、当主の横暴に悩むハイモンド家のために時間を使うのも良いかと思い協力しました」
「愚かなことを。そのようなことをしてお前の経歴に傷が付くかもしれぬとは考えなかったのか。そんなことになってみろ、私はマリアに──お前の母に顔向けができんところだったぞ」
父はしばらく黙り込み、また口を開いた。
その声には自嘲の響きがあった。
「そもそもあの家との縁談を薦めたのは私だったな……愚かなのは私の方だ。私はもうお前を無理に結婚させようとはせんよ」
「───!! それでは私は結婚相手を自分で決めても良いということですか?」
勢い込んで訊ねたが、父の答えは期待したものではなかった。
「それはさすがに頷けん。お前は若くあらゆる経験に乏しい。仕事でも何でも良い、ひとつ大きな成果を上げてみろ。結婚を考えるのはそれからだ」
「大きな成果ですか。それは例えば昇進といったことでしょうか」
「まあそういうことだな。他人の人生を背負えるようになれば一人前と認めてやろう。それまでは愛だの恋だのにうつつを抜かすことは許さん。心して励めよ」
その声には一切の甘さはなかった。
望む未来へと再び手を伸ばす。
それが容易な道ではなくとも、ギルベルトは前進への確かな手応えを得たのだった。
◇◇◇
翌日、イアンが内務部を訪れた。
「おはようございますヴィンロードさん。昨日はお疲れ様でした」
「これはハイモンドさん。いえ、ハイモンド伯爵とお呼びすれば? 昼にでもそちらに伺うつもりでした」
「いやだなあ、そんな呼び方やめてください。イアンで良いですよ。私もギルベルトさんと呼ばせてもらいます。昨日はあれからいかがでしたか?」
イアンと事の前後を話し合う。
前伯爵は当主交代の際、婚約に関しても渋々ながら納得はしていたそうだ。
しかし侯爵に呼ばれたことで舞い上がり、野心が再燃した結果の暴走だったらしい。
「父は侯爵に見切りをつけられたのが相当堪えたようです。このままおとなしくしてくれると良いのですがね」
イアンは肩の荷が下りた様子だ。
「それで? ギルベルトさんは大丈夫でしたか?侯爵は一時はかなりお怒りのようでしたから、あなたの立場が悪くなっていないか心配です」
「父も似たようなものです。ずいぶんと自信をなくして、結婚相手は自分で選んで良いと言われました」
ギルベルトの返答を聞いたイアンは目を眇めて「ほう」と呟いた。
「それは良かったですね。我々家族のみならずあなたにも利があったと知って安心しました」
人の良さそうな笑みを崩さずイアンが続ける。
「ではギルベルトさんはこれから晴れてルースライン嬢に求婚できるというわけですね」
思いもかけず出てきたリゼの名に、ギルベルトは目を見開き返答に詰まる。
けれどすぐにグレイスから聞いたのだろうと思い至り、冷静さを取り戻した。
「確かに私が手を取りたい女性はその人ですが、今は時機ではないと考えています」
「おや、それはどうしてです? …と、根掘り葉掘りと失礼。まあせっかくご縁ができたのですから、差し支えなければ教えていただくわけにはいきませんか?」
ギルベルトは束の間逡巡し、イアンに話すことにした。
それは心のうちに秘めた覚悟を確固たるものにするためにも必要なことだと考えたからだ。
「実は結婚の条件としてまずは一人前になれと父から言われました。私としてもその点に異論はなく、今はまだ自分はその立場にないということです」
「そんなギルベルトさん。あなたが一人前でないとしたら、世の中の大半の人間は甘ったれの坊やも同然ですよ。侯爵が仰ることもわかりますが、せめて口約束でもすればいいじゃないですか。あちらに他にいい人が現れたらどうするんですか」
イアンが心底不思議そうに言うが、他の誰でもなく己が決めたことだ。元より理解を得ようとは思っていなかった。
「その時はその時です。今はただ自分に出来ることをするのみですよ」
「はあ、そういうものでしょうか。どうにもギルベルトさんは私のような俗物とは違ってストイックすぎる方のようですね。では私はかの領の良さをさらに広めて、領地とルースライン嬢の価値をせいぜい高めて差し上げますよ」
露悪的に笑うイアンに、ギルベルトは頭を下げた。
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