2.出来ること
グレイスからもたらされた、大切な色の根付け。離れていても、きっとやれることはあるはずだ。
◇◇◇
技師団がルースライン領から引き上げて一年余りが経過した。
季節が一巡し、今回が終われば次の三ヶ月後の査察が最後となる。
査察後に引き止められたギルベルトは、またもアルフレートと杯を交わした。
「ご当主の快癒が早く何よりです。それに夫人もご懐妊とのこと。おめでとうございます」
「いやあ、思えばギルベルトさんがここに来てくださってから、うちの領は良いこと尽くめですよ。これからもこうして一緒に飲めたらいいのですが、査察が終わるとそうもいかないでしょうね。寂しくなります」
「ルースライン領は今後さらに賑わっていくのですから、寂しく思う暇などなくなりますよ」
ギルベルトがそう返すも、アルフレートの表情は冴えない。
「ご当主、何か心配事でもあるのですか」
「いやはや、これからが大事な時なのに弱気の虫が出ていけませんね……。ギルベルトさん、聞いていただけますか」
そうしてアルフレートが話したところによると、彼はこれから領を盛り立てていく自信が持てずにいるらしい。
父親から引き継いだ街道工事と水害への対応にただがむしゃらに取り組んできたこれまでと違い、アルフレートの手腕が今後の領の発展を大きく左右する。
その実感がのし掛かり彼の顔を曇らせているようだった。
「本当に情けない話です。こんなこと部下にも家内にも話せなくて」
「ご当主は素晴らしい領主ですよ。若い身空で難しい領を背負ってこられたんです。今後の繁栄も大切ですが、ここまで守ってきたものだけでも功績は図り知れません。自信を持ってください」
「ギルベルトさんにそんな風に言っていただけるなんて……うぅっ」
ギルベルトは居住まいを正して一呼吸ついた。
要する労力を考えると提案することに躊躇いがあったが、切り出すなら今日をおいて他にはないと気持ちを固めた。
「ご当主、護岸工事の予算には完成式典の費用が計上されているのをご存知ですか。これは我々地方調整室が主催する行事で、関係者が参列するだけの簡素なものになります。従って、予算はさほどもなく、領への還元も殆どないものだと思ってください」
涙の溜まり始めた目を数度しばたいて、アルフレートは頷く。
彼の背筋が伸びている間はまだ大丈夫というのは、これまで共にした酒の席で学んでいる。
「ここからは官吏としてでなく領を思う一個人の意見です。
あなた方に提案したいのは、護岸完成式典と街道開通式典を併せて行ってはどうかということです」
「そ、その式典はいつ行うのですか?街道は三領合同のものですから皆でやるとなるとある程度準備期間がないことには……」
「日程はこれから技師団と上司で検討します。早くて三ヶ月後、遅くとも半年後になると思われます」
「資金集めから始めなきゃいけないのに三ヶ月なんて無理ですよ! 護岸と街道を別々でやるのではいけないんですか」
「地方の街道となるとどうしても人々の話題には上りにくく集客力に劣ります。その点、護岸は国内初の工事ですから注目度は高い。より多くの人にこの地の良さをわかってもらうには、共催というかたちが一番効率が良いのです」
アルフレートはしきりに頭を振っている。酒を飲む前に話しておくべきだったか。
しかし次に顔を上げた時、彼の目には決意があった。
「ギルベルトさん。やります。他の領にも呼び掛けます」
「よく言ってくれました。私も出来ることは協力します。頑張りましょう」
その日はもう酒は止めにして、式典について、領の未来について、夜が更けるまで語り合った。
◇◇◇
王都に戻ったギルベルトは、早速ロランツや技師たちに護岸完成式典の日程を相談した。
相談とは言っても、参列者の都合に合わせて完成の区切りを決めるだけだ。
話し合いの結果、セインの受け持つ工事が一段落つく五ヶ月後に行うこととなった。
ギルベルトは式典の日程をさっそくアルフレートに伝えた。
資金集めや各領主との調整を考えると、五ヶ月という時間は決して長くはない。次回の査察までに、ギルベルトがこの王都でやれることを考える。
こんな時彼女ならどんな妙案を思いつくだろうかと想像し、しばし心を暖めた。
セインはいよいよ明日から長期出張に行く。
最後の準備に走り回るさ中でも、ギルベルトを見かけると声を潜めて話し掛けてきた。
「実はな、兄がついに決定的証拠を見つけたんだよ。父は用心深いから兄も手こずってたが、やはり狸のことは狸がよく知っているな。兄の方が父より上手だ」
セインはわずかに興奮を滲ませて話を続けた。
「それでな、当主交代が認められたら、兄とグレイスが挨拶に行くはずだ。そしたらお前は晴れて自由の身というわけだ。うちの都合に巻き込んで悪かったな」
ハイモンド家との縁談がなくなったところで、ギルベルトが政略結婚から逃れられることはない。おそらく父によってすぐさま次の相手が見繕われることだろう。
しかしそのことを知らないセインは晴れやかに笑い、ギルベルトはあえて訂正することなく静かに頷いた。
ギルベルトは今、馴染みのない場所に来ている。
国史編纂室というロランツの前任の部署だ。
内務部とは棟が違うため、ギルベルトがここに来るのは初めてだった。地方調整室と同じくらいの官吏が在籍しているとは思えないほど静まり返っている。
セインから教えられた人物はすぐにわかった。表情は弟妹よりも柔らかいが顔つきはよく似ている。
目が合い会釈をするとその人物が立ち上がり、こちらにやって来た。
「どうも初めまして。イアン・ハイモンドです。わざわざこんなところまで来てもらってすみませんね」
「ギルベルト・ヴィンロードです。こちらこそ突然の訪問で恐れ入ります」
「構いませんよ。どうせセインが言っていたんでしょう。暇な職場だからいつ行ってもいいって。まあ実際そのとおりですからね、気楽にやっていますよ」
そう言ってイアンが笑う。
セインともグレイスとも違う、一見すると気弱そうにも思える笑みだ。しかし細められた目の奥は笑ってはいない。
「さて、ではさっそく本題に入りましょうか。ヴィンロードさんのお陰で間もなく代替りの運びとなりました。あくまで我が伯爵家の責で婚約が成されないと侯爵にいずれご説明にあがりますが、その前にいくつか情報の擦り合わせをしたいと思いましてね」
その後の話し合いにより、当主交代の理由は伯爵の健康上の都合によること、縁談申し入れは伯爵の独断であったため当主交代により無効を願い出るということになった。
「まあどんなに取り繕っても私たちが侯爵を謀ったことは事実です。場合によっては慰謝料を払う心づもりもありますが、なるべくなら円満に収めたいものですね」
「伯爵は交代には納得しておられるのですか」
「まだ少々ごねていますがね。まあ証拠も揃っていますしやがて落ち着くでしょう。あの人は敵を作りすぎた。これ以上危ない橋を渡ると我々家族にも火の粉がかかりかねない。
というわけですので、妹のみならず家族みなが当主交代の必要性を感じていたのです」
しばらくは前当主が代行という形で当主業務を続けるそうだ。
ただし契約など権利や大金が絡む部分の権限はイアンが握ると。
「あなたには多大なご協力をいただきました。我が家に出来ることがあればどうぞおっしゃってください」
「ではひとつだけお願いしたいことがあります」
ギルベルトの頼みごとをイアンは興味深そうに聞き、話が終わるやいなや快諾してくれたのだった。
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