1.それぞれの祈り
突然のリゼの帰郷を知り取り乱すギルベルト。彼女のために、できることはあるのだろうか。
◇◇◇
リゼがルースライン領に帰った。しかも一人馬に乗り向かったという。
ギルベルトは思わず飛び出しかけたがロランツに止められた。
それよりもリゼがどうやって馬を調達したのかを調べるように言われ、馴染みの貸し馬屋に向かった。
貸し馬屋で訊ねると、確かに今朝早く若い女性に馬を貸したという。たまたま同じ方面に向かう店主が同行したと聞いて、ギルベルトは心底安堵した。
部署に戻ると心配そうな顔のロランツが声をかけてくる。
「どうだった?リゼが乗っていたのはきちんと世話されている馬だったかい?怪しい馬貸しから借りていなければ良いんだけど」
「私が紹介した貸し馬屋で借りたようです。店主と共に向かったと聞きました」
「それなら少しは安心したよ。彼女、ご当主の知らせを聞いてずいぶん慌てていたからね。誰かと一緒だと一人よりは心強いだろう」
ギルベルトはそこで初めてリゼの帰省の理由を知った。リゼはきっとギルベルトと話した直後に領からの知らせを受けたのだ。それならば彼女は今どれほどの不安の中にいることだろう。
誰のせいでもない事態だ。ギルベルトはただ己のタイミングの悪さを呪った。
リゼとアルフレートの身を案じながらも、しかしギルベルトに出来ることはなく、結局はいつもどおりに過ごしている。それは惰性のように、ただ淡々と作業をこなすだけの日々だった。
そんななかハイモンド伯爵と連絡を取り付け、ようやく見合いの運びとなった。
グレイスを連れて侯爵邸を訪れたハイモンド伯爵が長らくの無沙汰を詫び、ヴィンロード侯爵が鷹揚に頷く。
父親二人は共に上機嫌だった。
「ギルベルト殿、我が娘グレイスはいかがですかな。なかなか芯の強い娘でして、任務で多忙な貴殿を支えてしっかりと家政を取り仕切ることも出来ましょう」
「そうですか。グレイス嬢の兄君とは最近業務で助け合っていますので、これを機に家同士の繋がりを作るのも良いかもしれませんね」
「なんと! これは嬉しいお言葉ですな。グレイス良かったじゃないか、ギルベルト殿がこのように言ってくださっておるぞ」
満足そうな父親たちを応接室に残し、ギルベルトとグレイスは庭を散策すると言って外に出た。
使用人たちから少し離れると、にこやかな表情を崩さないままのグレイスに話し掛けられる。
「ヴィンロード様、あなたご自分がどんなお顔をなさっているかご存知です? 目に生気が感じられませんわ。兄からも聞いておりましたが、やはりどう考えても私のお願いが発端なのでしょう? お相手の方が怒ってしまわれましたか?」
セインと同じような言葉をかけられ、それほど憔悴しているように見えるのだろうかとギルベルトは自分の頬をひと撫でした。
「いいえ。彼女のせいでも、あなたのせいでもない。私の問題です。気にすることはありません」
「ですがヴィンロード様にばかりそのように負担をかけてしまっては私も心苦しいのです。どうか私をその方に会わせてください。誤解を解けばきっと──」
「必要ありません。もうその話はしないでください。あなたにどうこうできることではないのです」
思わず強く遮ると、グレイスは口をつぐんだ。
そもそもリゼは怒ってなどいない。
怒った彼女を宥めてなんとかなるような事態だったならばどれほど良かっただろうか。
さほど打ち解けた様子もなく二人は応接室に戻り、これから婚約の手続きを進めたいと父親たちに告げた。
◇◇◇
ハイモンド親子を見送ったあと、父はギルベルトに話しかけた。
「あれほど田舎貴族の娘に拘っておったのに、変わり身が早すぎるのではないか。何を企んでおるのか知らぬが、了承するからにはもう反故には出来んぞ。違約金でも要求されかねん」
「わかっています。私から断ることはありません。先方から必要書類が届けば手続きのうえ婚約します」
「わかっているなら良いがな。ハイモンド家は資産が潤沢で爵位もいくつか持っている良家だ。結婚しても今と変わらぬ暮らしが出来るだろう」
伯爵邸内の使用人の人事はあらかた長男が掌握済みとセインから聞いている。
ギルベルトは書類が届くことはないと知りながら素知らぬ顔で答え、父の追及から逃れた。
それは婚約という名の猶予であり、彼に許された最後の足掻きでもあった。
婚約者らしく交流を図るため、ギルベルトは時々グレイスと茶会の席につく。
話題は当主交代の進捗やグレイスの惚気が主だ。時にはセインが同席することもあった。
この日グレイスは会うなりギルベルトに封筒と小箱を手渡した。
文や贈り物など、そこまでの婚約者らしさは求めていないギルベルトが困惑していると、グレイスは珍しく心底可笑しそうに笑った。
「心配なさらなくとも、私からではありませんわ。お一人になられてからご覧になって」
その言葉に従い、ギルベルトは官舎の部屋で封を開く。
そこにはあの伸びやかで柔らかい文字が並んでいた。
「リゼ……」
リゼの文字を目にして、その名を口にして、自分がどれほど彼女に焦がれているかを思い知る。
手紙に書かれていたのはたったの一文だった。
『あなたの幸せを心より願っています』
それは、リゼとの幸せだけを望んできたギルベルトにはあまりにも酷な言葉だった。
けれど全ては己の不甲斐なさが招いたことだと短い文面をしばし見つめ、目に焼き付けた。
そして小箱を手に取る。中身がイヤリングではないことを願いつつ、躊躇いがちに開いた。
すると箱の中には、リゼの瞳を思わせる美しい根付けがあった。
領を離れても出来ることはある──そう話したリゼのまっすぐな目を思い出す。
二人の道は分かれても、彼女の幸せのために出来ることがまだあるはずだ。
ギルベルトは根付けを手に取り、そっと胸元にしまった。
翌日、出仕するなりセインに話し掛けた。
「グレイス嬢に私の想い人のことを教えたのはセインさんですね?」
「挨拶もなくいきなり驚くだろう! そうだよ。堅物のお前があんな調子なんだ、気づいてないのは室長くらいだろうさ」
ギルベルトとしてはリゼとのことを隠すつもりもなかったが、特に吹聴もしていない。
なぜグレイスがと考えた時に思い出したのは、リゼが突然ルースラインに帰った日の自身の動揺と、セインの唖然とした顔だった。
「それで? 妹が気にして一人で動いていたが、お前はあれからあの娘とうまくいってるのか? 今日はいくらかマシな顔してるようだが」
「まあ気持ちの切り替えが出来たといいますか……グレイス嬢には礼を言わなければなりません」
「よくわからんが、妹が引っ掻き回してなければそれでいい。こっちが借りを作るばかりなのは気分が悪いからな、お前も何かあれば頼れよ。さ、仕事だ仕事」
セインは手を振ってぞんざいにギルベルトを追い払う。その耳は赤く、照れ隠しであるのは明らかだった。
他人の関与を嫌っていたかつてのセインとはまるで別人のようだ。
ギルベルトは彼の背に軽く頭を下げ、席に戻った。
◇◇◇
グレイスは仮の婚約者となったギルベルトのことを考えていた。
グレイスが次兄の手引きで内務部を訪れた時の彼は、感情の読み取りにくい冷ややかな青年という印象だった。
しかしそんな彼が恋人のことを話す時だけは、ほんの一瞬まとう空気が緩んだ。
その後協力してもらえると知らせを受け喜んだのもつかの間、見合いの席に現れたギルベルトは冷ややかを通り越して感情が抜け落ちたかのようだった。
「お兄様、ヴィンロード様の恋人ってどなたなのかしら」
「王女宮の侍女で、上司がよく呼んでるが何だったかな。エリゼだかルゼだかそんな名だ。キャンキャン小うるさい女だったから、大方お前のことがきっかけで揉めてるんじゃないか」
グレイスはどうにかしてリゼに会わなければと考えた。
昔、遠縁の女性が父の仲介で王女宮の女官になったことを思い出す。
──せっかく女官にしてやったのに大して重要な仕事も任されておらん。無駄なことをした。
そう父がこぼすのを聞いて勝手なことをと思ったものだが、今は疎遠になったその女性を今度は自分が頼ろうとしている。
認めたくはないが、こういう図々しいところはやはり自分はあの父の子なのだと思う。
遠縁の女性はよい顔をしなかったが、半ば脅すように頼み込んでどうにかリゼに会うことが出来た。
彼女は次兄の言葉から想像されるような女性ではなかった。
少し話しただけでもその聡明さは伝わってくる。これほどまっすぐな人に理不尽を強いて、恋人と仲違いをさせてしまったことに罪悪感が募った。
謝ることしか出来ないグレイスに、リゼは怒っていないと言ってくれた。無理やりついでに、ギルベルトへのメッセージと彼の励みになりそうなものを託してもらう。
遠からず、頼りになる長兄が当主交代に踏み切るだろう。
そうすればグレイスは、待ってくれている伯爵家嫡男と晴れて婚約することができる。
けれど多くの人の力を借りておいて自分だけがのうのうと幸せになるなど、己の矜持が許さない。
グレイスは封を開いたギルベルトの反応を想像しかけるも、彼の喜ぶ表情が思い描けず断念した。
代わりにギルベルトとリゼの幸せを心から願うのだった。
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