2.石の価値 食えない兄
ギルベルトとの別れから二ヶ月。リゼは自らにいつもどおりの日常を課し、欠けた心を仕事で埋めようとしていた。そんな折、一時的に隣国へと帰っていたライナスが王女宮へと戻ってくる。
◇◇◇
ライナスが王女宮へと戻ってくる。
使者一行が隣国に帰っていた二ヶ月の間にリゼはイヤリングをつけなくなり、根付けも手放した。
白いリボンは祝いとしてもらったものだからと自分に言い訳をして時々身に付ける。
別離の喪失感には未だ慣れることはないが、これまで以上に仕事に励んで、よく笑い、よく食べ、よく眠るようにしている。
ライナスの部屋付きに戻り日々の慌ただしさに身を置けば、この心の穴もきっといつか小さくなっていくことだろう。
「ライナス様、お帰りなさいませ」
「ああ、長い道中でしたが無事に帰ってきましたよ。皆さんお元気そうで何よりです。こうして離れてみると、あなた方の素晴らしさがよくわかります。やはり公務に関することは皆さんのお力がないと時間がかかっていけませんね。
こんなことではお輿入れのあと母国に戻って職務を全うできるかどうか怪しいものです。どなたか私の補佐役として一緒に隣国へ行きませんか?向こうで役職も用意しますよ。おっと失礼、こんなこと軽々しく言うべきではありませんね。とにかくまた皆さんにお会いできて嬉しいです。
さ、まずは荷ほどきからお願いしなければなりませんね」
相変わらずのライナス節だ。侍女はみな嬉しそうに笑みを浮かべている。
今回ライナスが隣国から持ち込んだ荷物は、リゼが初めて手伝いに来た日のものよりも格段に多く、片付けのために多数の侍女が駆り出されることになった。
いくつかの部屋に分かれて作業をする侍女たちそれぞれのもとを訪れ、ライナスが言葉をかけていく。
場を明るくしつつも騒がしいと感じさせない軽妙さは健在だ。
「ああリゼさん相変わらず、というか前よりもいっそう仕分けがお早くなっていませんか? 頼もしいことです。あなたがいるなら大丈夫だと思って、つい荷物が増えてしまいました。
お渡ししたい物もあるのですが、これじゃあ何処にあるのかわかりませんね。引き続き頑張りましょうか」
当初は一週間はかかると思われた荷ほどきだったが、日を追うごとにみな要領をつかみ、四日ほどで片付いた。
三つの部屋に分けて置かれた荷物を見てまわりながら、ライナスが何かを探している。
やがて一冊の本を手に取ると、リゼに手渡した。
「リゼさんに用意してもらったあの石はとても好評でした。相手の好みの色を選べるうえに、宝石よりも素朴だから相手に余計な気を遣わせることがなくて、小さな子からお年寄りまでどなたにも喜んでもらえましたよ。
この本は、外務部にいる例の同胞に教えてもらったものです。母国の愛好家が書いた本ですが、希少本なのかあちらの国でも見つけるのに苦労しました」
「そのような貴重なものをいただいても良いのでしょうか」
「もちろん。あなたのために持ってきたのです。これには木の化石のことも少し詳しく書かれているのですよ。郷里にはあの石がたくさんあると言っていましたよね? どんな価値がある石なのか知っておいても損はないと思いますよ」
◇◇◇
リゼはライナスがくれた本をありがたく受け取り、宿舎に戻ってからさっそく目を通した。
その本は『身近な半貴石』という題名で、五種類の半貴石のことが書かれている。
こう言っては何だが、手に取る人はそう多くはないだろう。探すのに苦労したというライナスの言葉も頷ける。
共通語で書かれているが、専門用語もしくは隣国特有の言い回しなのか難解な部分もある。リゼはわかる部分だけを拾い読みしながらページをめくっていった。
木の化石の項目は五番目、最後にあった。
本には、石のなりたちや採石地のほか、利用価値や加工方法などが書かれていた。
リゼは翌日、ライナスに訊ねた。
「ライナス様、あのような珍しい本をありがとうございました。実は今後あの石を領の特産品にできないかと考えているのです。いただいた本を領の方に送っても構わないでしょうか」
アルフレートの快復後しばらく経ってから、兄より便りがあった。
ルース川の護岸の完成式典と街道の開通式典を同時に行うという。時期は五ヶ月後。何としてもそれまでに木の化石を特産品にする道筋をつけたいと兄は綴っていた。
この本は兄のために必ず役に立つはずだ。リゼはそう考え、ライナスに訊ねたのだった。
「リゼさんに差し上げたのですからあなたの思うように活用してください。あの石を特産品にするのですね。それは素晴らしいことです。きっと人気になりますよ。
それならあの石は資源としてきちんと管理した方が良いでしょうね」
「ですが領ではありふれた石ですし、領民はみな自由に拾って磨いているので、管理というのはそぐわない気がします」
「これまではそうでも、今後たくさんの人が領の外から来るようになると、悪いことを考える人も出てくるかもしれませんよ。特産品にするのなら悪用や乱獲を避ける手立ても考えるべきです。専門家を据えて法整備まで出来ると完璧なのですけどね」
リゼはなるほどと思う。
『身近な半貴石』によると、木の化石は川辺で散見されるが一ヶ所でまとまって見つかることはあまりないらしい。ゆえに一般的な認識では“ちょっと綺麗な小石”程度のものだそうだ。
それがたくさん採れて磨くと売り物になるとなれば、また話は変わってくる。
アルフレートは鉱物資源の利権の専門家に伝はないだろう。あってもおそらくあの商家くらいだ。
リゼはロランツを頼った。
彼は地方調整室長という仕事柄かそれとも人柄か、非常に顔が広い。ロランツは二つ返事で承諾し、数日後には適任という人物に引き合わせてもらえることになった。
その人物は、ロランツの前の職場の部下だという。
都合の良い日を訊ねると、暇な部署なのでいつでも良いと言われたそうだ。
「確かに国史編纂室は暇だけど、言い方ってものがあるよねえ」
そう言ってロランツは苦笑した。どうやらかなりはっきりした性格の人物のようだ。
約束の日の昼休憩にロランツと二人で国史編纂室の会議室へと向かう。目的の人物はすでに部屋の中で待っていた。
「やあイアン君、待たせたかな。この度は仕事に関係のないことを頼んですまないね」
「うちの仕事が暇なのはあなたがよくご存知でしょうに。私も弟も室長にはお世話になっていますから、何なりと申し付けてくださいよ」
「ああ、ありがたいね。ではさっそく話を始めようか。リゼ、彼の家は鉱山を持っていてね。それに彼自身が法律に詳しい。利権のことを相談するにはうってつけの人物なんだ。
イアン君、彼女はリゼ・ルースライン嬢。私が後見人になっているお嬢さんだよ」
リゼの名前を聞いたイアンは少しだけ眉を上げた後、にこりと笑って名乗った。
「初めましてリゼ・ルースライン嬢。イアン・ハイモンドと申します」
◇◇◇
人の良さそうな笑みを浮かべるイアンだが、何事かを言いたげに感じてしまうのはリゼの穿ちすぎだろうか。
ハイモンドの名に良い印象がないせいかもしれない。
「リゼ、彼はちょっと頼りなさそうに見えるけれど、この笑顔に騙されてはいけないよ。
言いたいことは言うし、やるべきことはきちんとやってくれる。安心して頼るといいよ」
「リゼ嬢に初対面の私を信用しろと言っても難しいでしょうけど、ロランツ室長のことなら信じられるでしょう? まあそういうことですので、私にお任せください」
確かに彼の言うとおり他でもないロランツの紹介だ。信用して任せるしかない。
報酬や謝礼は不要と固辞され、次回会うまでに素案を作っておいてもらうことになった。
帰り際、イアンがリゼに声をかける。
「リゼ嬢には妹がお世話になっているようですからね、しっかりやらせてもらいますよ」
「おや、イアン君の妹さんと知り合いだったのかい。いや~そうか、世間は広いようで狭いねえ」
ロランツはのんびりとした声を上げていたがリゼはそれどころではなかった。
グレイスと自分との接点など、彼女がギルベルトのことで王女宮に来たあの一度しかない。ということは、イアンはリゼとギルベルトの関係をも知っているということだ。
イアンはリゼに何を言いたいのだろうか。
貼りつけたような笑みからは何も読み取ることができず、つい先ほどイアンを信じようと思ったリゼの意志は早くも揺らぐのだった。
リゼは兄に書籍『身近な半貴石』を送った。
同封した手紙には、石の権利関係を調えるよう助言を受け素案を作ってもらっていること、素案ができたら送るので確認してほしいことを書いた。
気づけば式典まであと四ヶ月を切っている。
兄が無理をしすぎないよう、そして順調に準備が進むようにとリゼは祈った。
イアンから素案ができたとロランツづてに知らされ、リゼは国史編纂室へと出向く。
イアンは先日と同じ会議室で待っており、リゼは入室したあと扉を半分だけ閉めた。
彼は今日もあの笑顔を浮かべている。
「やあリゼ嬢。今日は保護者は一緒ではないのですね。まあうちと違ってあちらの部署は忙しいことでしょう。ではさっそく見てもらいましょうか」
素案なので簡単にということだったが、イアンはいくつかのパターンを作ってくれていた。
それぞれの違いを説明され、リゼに質問を投げかけながらその場で追記していく。
ロランツが推すだけあって相当に手慣れているようだ。さほど時間もかからずルースラインの実情に沿った素案を作り上げた。
「ハイモンド様、お力を貸してくださってありがとうございます。お陰様で必要な時期に間に合いそうです」
「あなたの故郷が発展すれば私にも利がありますのでね。お安いご用ですよ」
「あの、それはどういうことでしょうか」
「これは失礼。深い意味はありませんよ。私の経験が増えて良い勉強になったということです」
今日受け取った数種類の素案は、これからすぐに領地に送る。
アルフレートが修正を施した後、またイアンに戻して草案を作り上げてもらう予定だ。
式典の日は刻々と迫っている。
イアンの言葉には大いに含みを感じるが、今は彼の迅速さがありがたかった。
◇◇◇
木の化石のことはアルフレートも気に掛けているのだろう。送った素案に対する返事は思いのほか早く届けられた。
朱書き修正されたそれを、すぐさま国史編纂室のイアンへと手渡す。
イアンはその場で修正案に目を通し頷いた。
「兄上殿はしっかり確認してくださったようですね。実はちょっとした不備を仕込んでおいたのですが、きちんと指摘されています。もちろん兄上殿が見落としたとしても私の方で最終的には直すつもりでしたけども」
やはりイアンは食えない人物だ。
相手を試すような行動自体あまり愉快ではないうえに、それを平然と言ってのける意図がわからない。
リゼが戸惑っていると、イアンがさも楽しげに笑みを深めた。
「すみません、悪趣味でしたね。ではこのいただいた修正案をもとに正式な書面を作ります。仕上げたものをお渡ししますので、五日後の昼休憩にまたここに来てください」
本来ならもっと時間をかけて制定すべきものだが、何しろ時間がない。
『必要に応じ領主が修正を検討する』という一文を入れておけば良いというイアンの言に従い、最終案を仕上げてもらうことにした。
五日後、リゼは約束どおり国史編纂室の会議室を訪れた。
扉はいつものように閉まっている。リゼがノックをしたちょうどその時、中から声が聞こえた。
「イアンさん、それでは父との約束を違えることになります」
それは間違えようもない、ギルベルトの声だった。
仕事の際には見せることのなかった焦りが、その声には滲んでいる。
リゼの胸が不意に痛み、ギルベルトが感情を見せる相手は自分だけだと思っていたことに気づく。
立ち尽くすリゼの目の前で、会議室の扉が開いた。
「やあリゼ嬢。来てくれてありがとうございます。例の書類はここにあります。不備はないようにしておきましたからね。どうぞ確認してください」
扉を開けたイアンがリゼに入室を促す。
部屋の中では、ギルベルトが焦った顔でこちらを見ていた。
お読みいただき、ありがとうございます。




