1.痛みと喜びと
ギルベルトから告げられた残酷で静かな決別。リゼはその悲しみを飲み込む間もなく、故郷ルースラインからの急報を受け取る。
◇◇◇
ギルベルトとの関係が終わりを迎えた。
胸の奥から熱いものがせり上がり喉を締め付ける。その苦しみは深く心を苛むのに、リゼはどこか安心もしていた。
以前は家族のことを優しい顔で話していたギルベルトが、いつの頃からか父親のことを話す時にだけは翳りを帯びるようになった。
片や国中に名の知れた侯爵家、片や地方の子爵家だ。リゼとの交際が歓迎されていないことは容易に想像がついた。
ロランツ夫妻は、ギルベルトのことを感情がわかりづらいと言う。けれどリゼは、そのわかりにくさの中から彼の想いを見つけることが好きだった。
そんなリゼがギルベルトの苦悩に気づかないはずもなく、別れを切り出されたことに安堵したのは無理もないことだろう。
それにしても、とリゼは思う。
──無表情まで雄弁に思えるなんて不思議ね
ふふっと笑った拍子に涙が溢れる。
その場でうつむいたリゼは、しばらく顔を上げることが出来なかった。
宵闇に助けられ宿舎に戻ったちょうどその時、リゼのもとに早馬の知らせが届いた。差出人はルースライン領の義姉だ。
リゼは不安に駆られながら封を開く。
それはアルフレートが病に倒れたとの知らせだった。
リゼが王都で仕事に注力できているのは、兄がルースライン領を守っているからだ。
後継のいない兄にもしものことがあれば、リゼは一人領外にいるわけにはいかない。
リゼは王女宮へと出向いた。
幸い侍女長とローラはまだ勤務中だった。リゼの顔を見て侍女長が話し出す。
「あらリゼさん。今ちょうどローラさんとあなたの話をしていたところです。リゼさんなら女官としてもやっていけると思うのですが、目指してみる気はありませんか?」
「それは──もったいないほどありがたいお話ですが、先ほど領地の兄が倒れたと知らせがありました。誠に勝手なことを申し上げます。今しばらくお暇をいただけないでしょうか」
リゼが申し出ると、二人は顔を見合わせ慌て出した。
「それは大変だわ!侍女長、彼女の御兄君は彼女のたった一人の肉親なのです。行かせてやってもらえませんか」
「ええ、ええ。行っておあげなさい。リゼさんのお顔を見たらきっとお力も出ることでしょう。目処がたつまでは休職という形にしておきますからね」
賓客の部屋を担当していれば、こうもすんなりとはいかなかっただろう。
女官にという話には驚いたが、アルフレートの病状次第でリゼの未来は大きく変わる。
今は考えても詮ないことと意識の外に追いやった。
明日は早くに王都を出よう。
宿舎に戻り寝支度を済ませたリゼは固くまぶたを閉じた。
◇◇◇
翌朝、まだ日も上らないうちにケイブ邸に向かう。
ロランツもローラもすでに起きてリゼを待っていてくれた。
「リゼ、大丈夫だよ。子爵はまだ若いんだ。きっと君の帰りを待ってくれている。だから気を確かに持って向かうんだよ」
「ご心配をお掛けします。向こうに着いたら状況をお知らせしますね」
挨拶を終えて邸を出る。
裏手にまわり、貸し馬屋から借りた馬に跨がって早朝の王都を駆けた。
後ろではリゼより遅れて邸から出てきたロランツが大きく手を振っている。
リゼは束の間振り向いて一度手を振り、ルースライン領に続く街道を目指した。
リゼが街道を通るのは四度目だが、通る毎に良い道だとの思いを新たにする。
街道の周辺には宿や食事処なども増え、ルースライン領のみならず他の二領の人々にとっても、もはや欠かすことのできない道路になっている。
逸る気持ちを抑えつつ夢中で馬を走らせていると、いつの間にか隣の領に入っていた。
リゼはそこでようやく、以前あった関所がなくなっていることに気がついた。
もしかして、と不安がよぎる。
アルフレートはあの法外な補償金を支払ったのかもしれない。そして一人無理をして、体を壊してしまったのではないか。
前回会った時の兄の酷い顔色を思い出し、リゼは悔やんだ。
自分が商家に嫁いでいれば、関所の騒動も兄が倒れることもなかったのだろうか。
今からでも間に合うのなら、兄がどう言おうとも縁談を進めよう。自分の婚姻で兄や領民の生活が守れるのなら安いものだと思った。
「リゼ、早すぎないか。もしかして馬で来たのか!?」
ルースライン邸に着くとアルフレートはベッドで体を起こし目を丸くしていた。
「お兄様! 起きていて大丈夫ですか! ご病気だと聞きました」
「わざわざ知らせまでやって心配かけたね。すまなかった。ほら、子どもの時にかかると成人後にぶり返すあの病だよ。睡眠が足りていなかったようでね、よく寝たらすっかり治ってしまった」
「リゼさんおかえりなさい。あなたにもお仕事があるのに早馬なんて送ってしまって申し訳ないことをしたわ。この人が執務室で倒れていて、どうやっても目を覚まさないものだから動転してしまったの」
兄も義姉も少しばかりばつが悪そうにしているが、リゼは二人を責めるつもりなど毛頭ない。
兄の無事を確かめると力が抜けて座り込んでしまった。
「お兄様が回復されていて何よりだわ。でも元気になったからといって、また無理などしないでくださいね」
「それはどうだろう。せっかく補償金の件が片付いたから、私としてはこれから本腰を入れて領を盛り立てていこうと思っているところなんだ。多少の無理ぐらい……おっと、それはまあ追い追い考えようかな」
リゼの視線に気づいたアルフレートは慌てて口をつぐむ。
「お兄様、補償金が片付いたとは支払ったということですか?」
「ま、まさか!そんな無駄なことはしないさ。ギルベルトさんが商人を追っ払ってくれたんだ」
リゼはアルフレートから経緯を聞いた。
前回の査察の際の出来事だという。
またギルベルトはルースラインを助けてくれた。しかも今度は任務外のことだ。
感謝の気持ちを伝えたいが、もうリゼは気安く彼に話し掛けられる関係ではないと思い出し、胸が痛んだ。
◇◇◇
兄の病状に安堵するも義姉たちの生活も気がかりだ。リゼは、王都に戻る前に数日間を実家で過ごすことにした。
ロランツと侍女長にその旨を記した手紙を送り、しばらくぶりにルース川を見に行く。
洪水の被害を避けるため、決壊が頻発する場所に建造物はない。
工事が行われた今もそれは変わらず、護岸のまわりにはだだっ広い河原があるばかりだ。
リゼは足元の石をひとつ手に取る。久しぶりに石磨きがしたいと思った。
「リゼ!お前の手紙が今届いたよ。あんなありふれた石が木の化石だなんて本当なのか?」
邸に戻るとアルフレートが紙を握りしめて驚いている。リゼが王都から送った手紙だ。
「私も聞いたばかりの話ですが、鉱物に詳しい方がそうおっしゃっていました」
「そうなのか。確かにあの石は磨くと美しいものだ。何らかの付加価値をつけてうまくやれば欲しがる人は多いかもしれないな。何しろ元手はタダなんだ。加工を請け負ってもらえないか隣領にも相談してみよう」
アルフレートの目は、ルースライン領の明るい展望を映し出して輝いている。
「お兄様、くれぐれも無理はなさらないでくださいね。お義姉様にあまり心労をかけては愛想を尽かされますよ」
「ああ、わかっている。今は特に彼女の体を労らないといけない時期だしな。もうあんな風に心配をかけることがないよう気をつけるよ」
「お兄様、それって……」
兄は笑顔で頷きを返す。リゼは破顔するなり義姉の元へ向かった。
お腹にそろりと手を当てさせてもらうと、義姉は「まだそんなに動く時期じゃないのよ」と照れくさそうに笑った。
その夜、リゼは石を磨いた。
無心で磨いた石はルース川の川面のような薄碧色で、どこかギルベルトの色にも似ていた。
彼のことを考えるとまだ胸は痛むが、以前ほどの辛さはない。
辛さと共にギルベルトと過ごした日々の想いまで薄れていくような気がして、リゼはそれならいっそこの胸の痛みごと覚えていたいと思うのだった。
◇◇◇
ルースライン領の未来は明るい。
往路の悲壮感は霧消し、リゼは希望を胸に灯し王都に戻った。
ケイブ邸には夫妻が在宅しており、リゼが顔を出すと二人そろって駆け寄ってくる。
そして正面からはローラが、横からはロランツが、リゼを抱き締めた。
「リゼさん、無事に帰ってきてくれて嬉しいわ。領から出してくれた手紙で御兄様のことは知らせてもらったけれど、こうしてあなたの顔を見るまでは心配でたまらなかったもの」
「そうだよ、リゼ。君は無謀すぎる。女性が一人で遠乗りだなんて。僕は止めようとしたのに君はあっという間に行ってしまった。あの時はどうなることかと思ったよ」
「貸し馬屋の人が一緒に行って下さって……おじ様たちには言っていませんでしたね。心配をかけてごめんなさい」
「リゼはもっと自分自身を大切にしなければいけないよ。君のことを思う人は君が考えるよりもずっと多い。ギルベルトなんて君のあとを追いかけようとしたくらいだ」
「そうなのですか……」
不意に聞いたギルベルトの名に、まだリゼの胸は痛む。けれど今はそれで良いのだと笑みを作った。
王女宮に出仕したリゼは、侍女長に復帰の報告をする。
侍女長からは労りと共に、王宮勤めを続けられることに喜びの言葉をかけてもらった。
帰省前に聞いた女官への登用については、今すぐではなく王女殿下の輿入れ後の話だそうだ。
「使者様が戻られたらかの方のお部屋で引き続き励んでください。お輿入れまでの間は、その後の身の振り方を考える時間だと思いながら過ごしてもらえるかしら」
思いを新たに仕事に励む。
侍女の仕事は前と変わらず様々な業務があって楽しいと思える。
使者一行が不在の分、以前よりも少しだけ余裕があった。リゼは手隙の時には女官の姿を目で追うようになった。
女官の数は侍女ほど多くはない。けれどリゼがいる控えの間は、王宮の勤め人が多く行き交う場所にあり、気にして見ていると日に数回はその姿を目にする。
見かけた女官がどんな用件でどこに行くのか、そういったことを向かう方向や持ち物から想像するのも一興だった。
この時もリゼは、女官の証である金のバッジをつけた女性を、控えの間から眺めていた。
彼女はリゼと同じか、それよりも少し年若の女性を連れている。
二人はさほど親しくはないようで、特に会話などをしている様子はない。
若い女性はいささか尊大な様子で、出仕希望者という風にも見えなかった。
やがて二人連れは控えの間まで来て、リゼはいるかと訊ねる。女官は案内のためだけに同行したらしく、若い女性を残して仕事に戻っていった。
「リゼ・ルースラインは私です。どのようなご用件でしょうか」
「初めまして。グレイス・ハイモンドと申します。突然お邪魔して申し訳ありませんが、ヴィンロード様のことで少しお時間をいただけませんか?」
お読みいただきありがとうございます。




