1.歓喜の日々に立ち込める雲
無機質だったギルベルトの日常は、リゼという存在によって鮮やかな色彩を帯びる。彼女の昇任を祝う会食の席で、彼は己の内側に渦巻く感情の正体を知るのだった。
◇◇◇
職場で祝いの会食とは、我ながら味気ない提案をしてしまったものだと思う。
しかしリゼが好意的に応じてくれたおかげで食事会は和やかに始まり、無口を自認するギルベルトも楽しい時間が過ごせた。
気負わない会話とともに味わう食事がこんなにも心を満たすことを、ギルベルトは初めて知った。
「新たな持ち場には慣れましたか?」
「はい。業務内容は以前と変わりませんし、使者様と先輩方が本当に親切にしてくださるので毎日が楽しいです。先輩方もそれぞれロランツおじ様やローラさんと関わりがおありで、そのおかげもあってみんな仲が良いんですよ」
リゼは職場の快適さを周囲のおかげだと言う。
しかし王宮の侍女、ましてや賓客の部屋付きともなれば、容易いばかりの仕事ではないことは想像に難くない。
それを楽しいと言えてしまうのは、彼女の能力と人柄あってのことだろう。
彼女の活躍を今後も間近で見守りたい。
いつ何時も頼ってほしい。
そんな庇護欲のような願いが止めどなく湧いてくる。
けれど落ち着かない鼓動や触れたいと思ってしまう、そんな自分らしくもない衝動が、自身がリゼに寄せる想いの正体を否応なく自覚させた。
そしてこの時間の終わりが惜しくてたまらないと思うに至ってようやく、ギルベルトは自身の気持ちを認めるのだった。
食事会に先立ち祝いの品を選ぶため、ギルベルトは宝飾店へと足を運んでいた。
女性への贈り物だと告げ、店主に数点の品を見繕ってもらった中で、ギルベルトの目はエメラルドのイヤリングに吸い寄せられた。
柔らかく澄んだ色味と、小ぶりで派手すぎずけれど凛とした輝きがリゼに似合うと思ったのだ。
そうやって選んだ祝いの品は、アクセサリーとしては控えめで遠慮など無用であるというのに、リゼはかぶりを振って受け取れないと言う。
そしてギルベルトの縁談に差し障ると震える声で告げられた。
ギルベルトへの縁談は、ルースライン領への長期滞在を機に断っている。誰かのためではない、リゼ自身が望むことを、彼女の口からどうしても聞きたいと思った。
「ギルベルト様……」
これほどまでに切実な声で自分の名を呼ばれたことがあっただろうか。
そのあまりにも雄弁な一語が自分だけに向けられたものだと気づいた瞬間、ギルベルトは歓喜に肌が粟立ち、安堵のあまり膝が震えた。
言葉にしてはもらえなかったが、ギルベルトにはそれで充分だった。
リゼが人を優先して自身を抑えようとするのなら、ギルベルトがリゼの想いを汲んでやればいい。
そう思いながら、彼女を守るようにそっと腕に閉じこめた。
◇◇◇
いったいいつからの想いだったのか、改めて考えても明確なところはわからない。
けれど彼女を知るほどに心はとらわれ、リゼ・ルースラインという人の有りようにいつしかどうしようもなく惹かれてしまった。
希う相手から想いを返してもらえた。
それがどんなに得難く幸運なことであるのかをギルベルトは日々噛みしめている。
誰かを想って心が浮き立つなどと、そんな感情は演劇や物語の中で語られるだけの、自分には縁のないものだと思っていた。
多くの言葉と想いを交わし、互いへの好意が深まる一方で、リゼは二人の交際がギルベルトの将来を変えてしまうことに対して罪悪感を捨てきれずにいるようだった。
二人の仲が深くなりすぎないよう、また、人の噂にならないようにと気を遣っている節がある。
父に彼女との仲を認めてもらいたい。
ギルベルトはリゼの躊躇を感じ取るにつれそう考えるようになった。
自身が忘れかけていた、何ならもう終わったとすら思っていたハイモンド家との見合いについてリゼから問われたのは、リゼとの交際を父にいつ話すべきかとギルベルトが時機を計っているまさにその時だった。
ギルベルトは侯爵邸に向かった。
音沙汰のないハイモンド家には断りを入れ、想う相手がいると父に知らせるためだ。
侯爵邸で父と向き合い自身の想いを切り出すと、父は驚きを露に話の先を促した。
王女宮で侍女をしており早々に部屋付きに抜擢されたと続けると、感心したそぶりで家名を訊ねられた。
「何だと!? ルースラインだと? 田舎の貧しい領ではないか! 任務中に籠絡でもされたか! なんと情けない」
突然激昂した父に一瞬たじろいだギルベルトだったが、すくさま背を伸ばし、父にかける言葉を慎重に選ぶ。
「父上、どうかお聞きください。彼女は志の高い人です。私から乞うて応えてもらいました。それにルースラインは今後大きな発展が見込める地です。もう貧しい領などではなくなるでしょう」
「田舎の弱小貴族と縁付いたところで何になる。繁栄が伴わない結婚など無意味だとわからぬか!」
「父上のお考えはわかりました。では益があれば、繁栄が見込めるのならば良いのですね」
無益な婚姻など貴族には無価値──ギルベルトもかつてはそう考えていた。貴族家当主としての父の言い分は正しいとわかっている。
それならば父もルースライン領の展望を知れば、かの地が政略上も有益であると理解を得られるのではないか。
ルースライン領の発展性を誰よりも信じるギルベルトはそう結論づけた。
その日は一旦侯爵邸を辞したが、その後も空き時間があると父に会いに行った。
ルースラインの話をすると父は苦い顔はするもののギルベルトを追い出すことはせず、一縷の望みが見える。
父はどれだけ条件の良い縁談であっても、最終的な判断は本人にさせる人だ。
父なりに子どもたちを最大限尊重してくれていると知っている。時間はかかってもいつかはと思うギルベルトだった。
◇◇◇
「くそっ!気に入らないことばかりだ!」
セインは苛立っていた。
何もかもがうまくいかない。
これまで自分は何でも卒なくこなしてきたはずなのに──
学校の成績は努力せずとも常に人並み以上だったし、官吏になると出世が約束された部署に配属され、上の指示に従っていれば評価を得られた。
真面目な割りに大した成績を修められなかった兄ではなく、自分こそが後継だと信じて疑わなかった。
『この調子でお前が要職に就けば、議会での儂の発言力もますます強まるというもの。そうなれば後継に相応しいのは誰なのか、考えなくともわかるだろう』
そう父だって言っていたのに。
後輩のギルベルトがセインよりも先に大任に就いたと知った父は、息子二人に見切りをつけて優秀な娘婿を得ようと躍起になっている。
後継は娘と婿の間に生まれた子どもにすると言って、あちらこちらに縁談を申し入れているらしい。
二人もいる息子を差し置いて娘の子に継がせるなど聞いたことがない。
しかしあの父親はどんな無茶でも平気で押し進めてしまうから、うかうかしてはいられない。
ここからどうにか巻き返しをと考えるセインに室長が命じた任務は、ギルベルトの後追いだった。
ギルベルトが行ったものと同じ工事を、セインが責任者となって別の領で行う。後輩に教えを乞うなどまっぴらだと、ギルベルトには手出し無用と釘を刺した。
しかし意気込みに反し任務は順調とは言い難い。
技師団の取りまとめも、地方領主との意見の擦り合わせも難航している。
見かねた室長が時折り介入してくるが、助かったと思う反面、一人でも出来るのにと苛立ちが募る。
自分の輝かしい未来は、どこから変わってしまったのか。
室長がギルベルトの叔父に代わってから?
調査報告を途中で切り上げたから?
いずれにせよ、ルースライン領の支援要請さえなければ、ギルベルトだけが取り立てられるようなことはなかったはずだ。
今日、食堂の近くで件の子爵領の女を見かけた。
何が嬉しいのかヘラヘラとしていたから、ちょっと嫌味を言ってやったら顔をこわばらせていた。ざまぁみろと思ったが全く気は晴れない。
「お父様! 私はお見合いなど──」
「何度も言わせるな! あの話はもう終わりだ! お前はヴィンロードの四男を婿に取れと言っとる!!」
ああ、今夜もまた父と妹が喚き合っている。
家族はみな狼狽えることしか出来ない。けれど言い争いを放置するとまた妹が殴られるかもしれない。
どうにか父を宥めなければ。
「くそっ、どいつもこいつも好き勝手言いやがって」
セインは小さく舌打ちをして大声のする方へと足早に向かった。
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