3.石の導き 氷の訣別
使節団の一時帰国が迫り、王女宮が慌ただしさに包まれるなか、リゼは一つの希望を胸に抱いていた。それは、大切に磨き上げた「自分の瞳の色をした石」を、愛する人へ贈ること。忙しさゆえに重ならない時間を埋めるため、彼女は再会の約束を取り付ける。
◇◇◇
使者の一時帰国が近づくにつれ、王女宮の雰囲気は一層慌ただしいものになっている。
出入国にかかる種々の手続きのために、様々な部署の官吏が頻繁に出入りしている。
侍女たちも仕事量が増えて何かと忙しい毎日だ。
リゼがルースラインへ行って以降、ギルベルトとは会っていない。
リゼと入れ違いにギルベルトが査察に行き、その後も互いの時間が噛み合わずすれ違いが続いていた。
その日、リゼは外務部へと赴いていた。
書類を届けて王女宮に戻るリゼの前を、一人の男性が急ぎ足で歩いている。
やがて王女宮に差し掛かると、男性はあたりを見回し始めた。
リゼが声をかけると、外務部から人を訪ねて来たが行き先がわからないと言う。
さらに詳しく聞けば、男性は隣国出身で旧知のライナスに会いに来たということだった。
「私、ライナス様のお部屋付きをしておりますので、ご案内いたしますよ」
「それはありがたい。ということは、あなたがリゼさんですか?」
名前を言い当てられ疑問に思うリゼに、男性が理由を話した。
「ライナス卿からお借りしている根付けが持ち主の方の瞳と同じ色だと聞いていましてね。ちょうど良かった、ここであなたに直接お返しします」
男性はポケットから凝った装飾の小箱を取り出すと、リゼへと差し出した。
リゼは箱の美麗さに気後れしつつ訊ねる。
「この箱はライナス様にお渡しすれば良いのでしょうか?」
「中に根付けが入っていますのでこのままどうぞ。箱はあなたに差し上げます。興味があり調べてみましたら、少々珍しい石だとわかりまして。良い物を見せていただいたので、この箱はお礼です」
「良い物、ですか?」
「市場価値は低いですが、鉱物好きの間では人気のある石なのです。一説によると木が化石になったものだとか。豊富な色柄に魅せられて収集している好事家もいるのです」
子どもの頃からいつも身近にあった石がそのようなものだったとは。
リゼはこれまでに磨いてきたいくつもの石を思い出す。二つとして同じものはなく、どれもが美しかった。
あの色艶が太古の命の名残なのだとしたら、魅了される人がいるのも頷ける。
「それにしてもお借りしていた石は、あなたの目と本当によく似ています。もし恋人がいらっしゃるなら、渡してあげると喜ばれることでしょう」
そう言って根付けを箱ごとリゼに手渡し、男性は外務部へと戻っていった。
恋人と聞いてギルベルトの顔が浮かぶ。
宝石ではないがリゼが磨いて大切にしてきた石だ。
リゼの色をギルベルトが懐に入れて持ち歩くところを想像し頬が緩んだ。
忙しくてしばらく会えていないが、根付けを渡すくらいはできるだろうか。
リゼは、短時間でもいいので会いたいとギルベルトの宿舎に宛てて書きつけを送った。
やがてライナスたち使者一行が一時帰国のため王女宮を発った。
ライナスが不在の二月ほどの間、リゼは部屋付きではない以前の業務に戻っている。
領地のことも気がかりな今、時間の融通が利く持ち場に戻れたのはありがたかった。
リゼは領地の兄へと手紙を書いた。
知らせたかったのは、用意してもらった石のことだ。
付いている賓客がとても喜んでいたこと。評判が良ければさらに調達を頼む可能性があること。実は珍しい木の化石かもしれず、世間には収集家もいるらしいこと。
それらを書き連ね、この石を領の特産にできないかという提案をして手紙を締めた。
◇◇◇
ギルベルトに会う日。
リゼは根付けをハンカチに包み懐に忍ばせた。
ライナスからもらった緑色の石は、小さな巾着に入れて根付けの代わりに身に付けている。
ギルベルトと会うのは一月以上ぶりだ。
久々の逢瀬に浮き立つ気分で待ち合わせ場所の中庭に向かい、すでに来ていたギルベルトを見つけたリゼは笑顔になった。
「ギルベルト様、お待たせして申し訳ありません」
リゼが小走りで近づくと、ギルベルトが一歩後ずさる。
違和感を覚えて見上げると、ギルベルトは出会った頃のように温度のない表情をしていた。
「ギルベルト様?」
リゼの問いかけを遮り、ギルベルトが硬い声を発した。
「父が薦める縁談を受けることにした。こうして会うのは今日が最後だ」
ギルベルトの言葉を咄嗟には理解できなかった。
そうしていくらか遅れてリゼは、心のどこかでああやはり、と思う。
二人が釣り合わないことは初めからわかりきっていたはずだった。
だからこそ、時期が来たら身を引く覚悟もしているつもりだった。
けれど真摯な言葉を聞くたびに期待は膨らみ、様々な表情を見るたびに想いを募らせてしまった今、いつしか彼との未来を当たり前に望んでいたことに、リゼはようやく気づく。
思いのほかあどけない驚いた顔も、焦る表情も、柔らかく緩む目元や口元も、全てがリゼの心に焼きついている。今すぐ全部を忘れてしまえたらこの胸が痛むことはないだろうか。
今の彼の瞳には、悲しみも、申し訳なさすらも浮かんではいなかった。いっそ不自然なまでに感情を排したその姿は、リゼの目にはこの上なく痛々しく映った。
リゼの胸に目に熱が込み上げる。感情のままに泣いて縋りたい。しかしここで自分が泣いてしまえば、責務とリゼとの板挟みにあるギルベルトは、きっとさらに苦しむことになるだろう。
そんな彼の苦悩がわかるからこそリゼは堪え、そして彼の目をまっすぐに見つめて微笑んだ。
「わかりました。──ギルベルト様、どうかお幸せに」
これから先もずっと、彼の表情をいちばんそばで見ていたかった。
もう叶わない想いを胸のうちに閉じ込める。
今にも壊れそうな心を抱えて、リゼは遠ざかる彼の背を目に焼きつけた。
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次はギルベルト2です。




