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雪明かりの反逆

作者:

 東京は白い静寂に包まれていた。普段なら冷たく乾いた風が吹き抜けるだけの冬の夜。だが今夜は違う。珍しく雪が降り積もり、霞ヶ関の高層ビル群も薄く白いベールをまとっていた。冷たく硬い東京が、どこか柔らかく見える奇妙な光景。


 しかし、その穏やかさの裏には、この国の未来を大きく揺るがす決意が隠されていた。


 北条遥大佐は、都心を見渡せる廃ビルの屋上に一人立っていた。雪は冷たく彼女の肩に積もるが、彼女はそれを払い落とそうともせず、ただじっと遠く霞ヶ関のビル群を見つめていた。軍靴の下で薄く積もった雪がわずかに軋む音だけが響く。冷え切った空気が肺にしみわたり、その清冽さが彼女の頭をさらに冴え渡らせる。


 彼女の視線の先には、この国を支配する革命政府の中枢があった。白い雪に覆われたその姿は、一見すると平和で整然としている。しかし、北条にはその内側に巣食う腐敗と恐怖が見えていた。かつて人々の希望となるはずだった革命政府。それは今や権力を握ることだけを目的とした支配者たちの道具となり果てていた。


「この攻撃が我々の夜明けになる」

 

 北条は低い声で呟いた。言葉は冷たく乾いた風に溶けるように消えていったが、その声に込められた決意は揺るぎないものだった。



 





 

 北条遥。その名はこの国の軍人たちの間で広く知られていた。女性でありながら大佐の地位にまで上り詰めた彼女は、軍部の中でも異端とされる存在だった。しかしその異端ぶりこそが彼女を唯一無二の存在へと押し上げた。


 その名を一躍日本全国に押し上げたのは、いわゆる「大連事件」だった。日本共産革命政府と中華帝国の間に緊張が高まる中、突如として日本共産革命政府が租借する大連に中華帝国軍の攻撃を受けたのだ。


 革命政府は対応に迷い、指導部が足並みを揃えられない中、北条大佐が率いる少数の部隊が現地に派遣された。彼女の迅速かつ大胆な指揮により、中華軍は壊滅し、大連は再び日本の租借地に戻ることとなった。


 この功績は、革命政府内でも高く評価されるはずだった。しかし、彼女の名声が急速に高まるにつれ、政府幹部たちは危機感を覚え始めた。北条はその行動や発言において、常に現体制に批判的だったのだ。彼女は現場で見た国民の貧困や不平等を訴え、軍の力を用いた実質的な改革を目指す姿勢を隠そうとしなかった。


「北条大佐は、我々革命政府に非協力的だ。もしこのまま軍内で彼女の支持が拡大すれば、体制そのものが脅かされる」

 

 革命政府幹部たちは彼女を危険人物と見なし、排除するための策略を企てた。


 政府は大連事件での彼女の功績を矮小化し、「指揮能力に問題があった」との捏造された報告書を作成した。そして部隊解散命令を発令し、彼女の支持者たちを軍内で分散させ、北条の影響力を断とうとした。さらには、「軍規違反」などの疑惑をでっち上げ、北条を地方へ左遷しようと目論んだ。








  

「指揮能力に問題あり」

 

北条遥に対する閉職命令に記されたこの言葉は、彼女の全てを否定する一撃だった。政府が掲げた理由が事実無根であることは誰の目にも明らかだった。だが、北条に与えられた時間は少なく、反論する術は限られていた。


 それでも北条は屈しなかった。

 革命政府はその成立から30年が経過していたが、理想として掲げられた平等と繁栄はすでに形骸化していた。かつて貧しき者を救うために始まったはずの体制は、いまや一部の特権階級が富を独占するだけの機構へと変貌していた。そして、最も苦しむのは国民――特に自分のような地方で生まれた者たちだった。


 北条自身もまた、地方の貧しい家庭に生まれた。革命政府による平等教育政策を受けるはずだったが、実態は遠く及ばず、彼女の家族は革命以前と変わらぬ貧困に喘いでいた。希望がない日々の中で唯一彼女が信じられたのは「軍」だった。そこにこそ、自分の未来を切り開ける可能性があると信じていた。


「革命政府は変革の名の下に、また別の階級社会を生み出したに過ぎない」

 

 彼女は軍人として、そしてこの国の一国民として、それを直視していた。腐敗した体制を変えるには軍の力しかない――その確信が彼女の心を突き動かした。


 左遷命令が下された後も、北条を慕う部下たちは次々と彼女の元に集まった。政府による命令を無視し、命がけで再結集を試みた彼らの姿に、北条は確信を抱いた。


「大佐がいなければ、この軍には未来がありません!」

「私たちはあなたに命を預けます」


 部下たちの言葉は、腐敗した政府に対する不満の象徴でもあった。北条は彼らの前に立ち、静かに宣言した。

 

「現体制を覆し、共産革命以前の軍部政権に戻す。それが唯一の道だ」


 軍部を中心とした新たな秩序が必要だった。それは混迷する国を安定させ、未来への道を切り開くための唯一の手段だ。そしてそれを実現できるのは、北条と彼女を信じる部下たちしかいない。


 



 




 夜の街は静まり返り、雪が降り積もる中で北条は建物を降りた。目指すのは、仲間たちが集う地下の作戦本部だった。そこには、共に戦うことを決意した兵士たちが待っている。


 地下通路の奥にある簡素な部屋。そこには既に数十名の兵士が集結していた。全員が疲れた表情を浮かべながらも、北条が現れると緊張感が一瞬にして場を包んだ。


「大佐、お待ちしておりました」


 副官の三島桜が声をかける。彼女は北条の信頼を一身に受け、部隊のまとめ役として活躍してきた若き指揮官だった。


 北条は皆を見渡し、静かに口を開いた。


「我々は、ただの反乱軍ではない。これは、この国を正すための戦いだ。腐敗した体制を終わらせ、新たな秩序を作る。それが我々の使命だ」


 彼女の言葉に、兵士たちは深く頷き、心の中で決意を新たにした。


 北条は時計を見つめた。予定された総攻撃の時間が近づいている。彼女は無線機を手に取り、冷静な声で全隊に命令を下した。


「各部隊、配置に着け。総攻撃は予定通り、23時30分に開始する」


 無線を通じて返ってくる返答は短いながらも力強く、彼女の胸に響いた。この瞬間、後戻りはできない道に踏み出したのだと北条は感じた。それでも迷いはなかった。


「我々の夜明けをつかむ」


 北条はそう呟き、最後に一度、作戦室に集まった兵士たちを見つめた。その目には恐れも不安もなく、ただ強い意志が宿っていた。


 そして、北条は静かに前を向いた。

 

 その先には、革命という名の嵐が待ち受けていても。


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