第38話︎︎交渉
「それは……どうしても参加したいのですか?」
柊さんの言葉に、俺は少し言葉を選んだ。
彼女が心配しているのは分かる。
「うん、できれば参加したいと思ってる」
続けて————
「もちろん、柊さんの意見も大事にしたいから、無理にとは言わないけど……。でも、成瀬さんや涼さんが言ってたように、今は安全面もかなりしっかりしてるって聞いたんだ」
と、俺は伝えた。
「具体的にはどのような対策を?」
「聞いた話だと、売り子の場合『商品を渡す際以外の接触禁止』とか『運営が警護官を各地に配置、巡回させる』『一定の距離を保つ必要がある』だとか、その他にも厳しく定められているよ。『サークルの前に留まってはいけない』って言うのもあったね」
成瀬さんと涼さんに聞いた話を思い出しながら説明した。
確か、サークル前に留まってはいけないのは円滑に頒布を進めるのも含めてた気がするけど。
「なるほど。それならば……」
柊さんは少し考え込むように視線を落とした。
その反応はもしや……。
「少し安心できるかもしれません。それに私も足を運んだことがありますから、安全性について配慮されている場所であることは理解しています」
ッ!? そうだったのか。
てことは……賭けは涼さんの勝ちだな。
成瀬さんはコスプレ参加決定か。
許可降りたら連絡ついでに教えてあげよう。
「何ニヤニヤしているのですか? ちゃんと話を聞いてください」
「い、いや、なんでもない。ごめんごめん」
おっと、思わず顔に出ていた……危ない危ない……。
ゴホンッと咳払いをし、柊さんが話し始めた。
「当日は私たちも同行します。そしてサークルスペースから出ないでください。なるべくではなく絶対に、です」
柊さんは厳しい口調で言い切った。その真剣な表情に、俺は思わず背筋が伸びた。
「分かった」
「トイレについても私たち二人が同行します。絶対に一人で行かないようにしてくださいよ……? 気付かぬうちに攫われて、個室に入れられて、あららってことが起こりうるので」
「了解」
話す表情からも、これまでとは違う。
俺も気を引き締めていかないといけないだろう。
「ちょうどいい機会です。これを機になぜ危機感を持たなければならないか考えてください」
普段の声色とは違う声で言う柊さん。
心に重くのしかかるような気がした。
これまで安易な行動をしていた罪悪感だろうか。行く許可を出してくれるなら、ちゃんとしておこうと俺は感じた。
「ああ」
俺は真剣に頷いた。
正直、どんな魔境が来るのか興味半分、ドキドキ半分くらいだね。
コミケについて動画とかで人がごった返している様子は見たことあるけど、あんな感じなのかな。
「黒龍さんもそれでいいですね?」
「ん? いいよー」
これまでの雰囲気をかき消すような軽い返事が返ってきた。
「もう、黒龍さん、真面目に答えてくださいよ」
柊さんが少し眉をひそめながら、遥に注意する。だけど、彼女はそんなことお構いなしに、にやりと笑うだけだ。
「大丈夫だって、柊さん。ボクもちゃんと海を守るからさ」
その言葉に、柊さんはため息をついた。
「まったく……黒龍さんが言うと、なんだか逆に不安になります」
「ひどいなあ、柊さんは。ボクだってちゃんと考えてるんだから」
遥が肩をすくめると、柊さんは呆れたように微笑んだ。
多分、その飄々とした様子がね……。
「ということで行っても大丈夫です。きちんと言ったことは守ってくださいね?」
念を押すように言ってくる。
「おう!」
サムズアップして応える。
「それじゃあ、成瀬さんと涼さんに連絡しておくよ」
俺はスマホを取り出し、すぐに二人にメッセージを送った。
参加が許可されたことと、柊さんたちが同行することを伝える。
あと、賭けの結果について成瀬さんが負け、コスプレ参加になったことを————すると、驚きと倒れ込む猫のスタンプが送られてきた。
それにしても、コスプレか……。成瀬さんが一体どんな姿になるのか、想像するだけでドキドキするな。
どんなコスプレしてくるんだろう。
「どうしたの?」
遥が覗き込んできた。
「ん? 二人が賭けをしててね、成瀬さんが負けたから参加する際、コスプレをすることになったんだ」
「んふふ、それは楽しみだね」と遥が嬉しそうに笑った。
「でしょ? 成瀬さん、普段はあんまりそういうのやらないから、どんなコスプレするのか楽しみだよ」
俺もついつい笑みがこぼれてしまう。成瀬さんの新しい一面が見られるかもしれないと思うと、ワクワクする気持ちが抑えられない。
「じゃあ、当日はみんなでコスプレを楽しんじゃおうか! ボクも何か着てみようかな」
「え、遥も?」
「もちろんさ。みんなで盛り上がった方が楽しいに決まってるし、柊さんもどう?」
「だめに決まっているじゃないですか。何を考えているんですか? 私たちは阿宮様を守らないといけないんですよ? そんな動きにくい服を着てられるわけがありません」
バッサリと一刀両断された。
あらあら、遥がしょぼんって顔になってるよ……。
ごめんよ、俺もコスプレはちょっと勇気が出ないかな。
柊さんの厳しい言葉に、遥は大げさに肩をすくめてみせた。
「わかった、わかった。ボクはふつうの服で我慢するよ」
「その方が賢明です。私たちは阿宮様の安全を第一に考えなければなりませんから」
柊さんは真剣な顔でそう言い切った。
彼女の態度からは、俺たちを守るための強い決意が感じられる。だからこそ、冗談を言い合っている今も、どこか安心感があるんだ。
遥は少ししょんぼりしながらも、すぐにいつもの明るさを取り戻して笑った。
「何か問題が起きたらすぐに知らせてくださいね」
「了解だよ」
そして日は流れ、即売会参加当日になる。