パスワードは声認証で
「お早うございます課長。金庫の解除お願いします」
出社早々、経理の辰野さんが今朝も俺に声をかける。
彼女は今日も元気だ。
「あー。開けゴマとか簡単な言葉にしておけばよかったな」
二重扉の金庫室へ入るのは社員証をかざせば済むのだが、奥にある大金庫の鍵は特別仕様だった。
「それは安易すぎますよ。それに今どきゴマって」
金庫の前で唸りながらパスワードについて考えるのは最近の俺の日課だ。
「セキュリティが万全だっていうから導入したってのに、面倒だな」
「そうですね。風邪をひいたりしても個人を認識してくれるのに、登録してない人が私たちのモノマネをしても開かないってすごい技術ですよね」
金庫の鍵は声認証。
人の声を高性能マイクで解析・分析し…とかなんとか。
「あぁ。音の波なんて見えないもの、初めは信用できなかったけどな」
中に入っている金額を考えると、呑気に喋っている場合ではないような気もするが。
「うちの社長、新しもの好きですよね」
「そうだな」
今回は最新技術のモニターとして使用状況を報告することで格安で設置できたのだが、社内にはあちこち見たことのない機械が置いてある。
「けどそのお陰で社内設備は整っているしいいんじゃないか?」
「はい。仕事の効率化アップで助かってます。って、これじゃぁ言わされてるみたいですね」
まぁ、無理に感謝の言葉を言わせてるといえば、そうなるかな。
と、金庫からモーター音が聞こえ、ゆっくり中の歯車が動き出す。
第一段階はクリアだ。
俺はたっぷり息を吐いて心の中で2つ数えてから口を開いた。
「先日のことだが。また、最新機器のカタログが社長室にあったぞ」
「そうなんですか?今度は何に興味を持ったのか…気になります」
そろそろだ。
「ま、購入前には相談してくれる人だし、これ以上変なものには手を出さないと思うんだが」
「ですね」
ガシャン。
狭い部屋に響く施錠の音。
あ。
あぁー。
失敗だ。
「辰野さん!最後は『ですよね』だ」
「え?す、すみません。私なんて言いました?」
「いや、いい。誰でもミスはあるし、今日は比較的スムーズに行っていた」
「すみません。あの、次で開くように頑張りますから」
仕方ない。もう一度最初からか。
イントネーション、間合い、全て許容範囲内に収めないと開かないとは。
なんとも厄介な。
「あー。開けゴマとか簡単な…」
けれどまぁいい。何人か、何パターンか登録してあるうち、彼女とのパスワードは開けやすい方なのだから。