第一話 始まりの音
第一話
目の前を忙しなく車が通り過ぎる。夜だからか、あたりを照らす信号の点滅が目を引く。
他に道はなかったんだろうか。
そんな思いが脳裏をよぎる。
自分の行動一つ一つが怖くなって何に対しても臆病になってしまったのはいつからだっただろうか。
なぜ普通の人生を送ることもゆるされなかったんだろう?
ああ、そうだ。
全てが崩れ出したのはあの日、あの夜。今でも昨日のことのように覚えている。
思えば、あの日までは僕は人並みの人生を送ることができていた。
成績は中の上、運動神経は中の下程度。
友達もそれなりにいて、真ん中より少し上くらいの高校に進み、寮で暮らした。
僕には兄が1人いた。
医者の父、公認会計士の母の血を継いだのだろう。兄さんは成績優秀、運動神経抜群のいわゆる完璧超人というやつで、親戚の集まりでもいつも話題になるのは兄さんだった。
周りの友達から、嫉妬してるんじゃないか、なんて聞かれることがよくあったが、嫉妬などの感情は全くなく、純粋に尊敬していた。
なんでもできる兄さんが大好きだったし、誇りに思っていた。
恋愛においても人並みで、周りと同じように学校で人気だった先輩に恋をしていた。
声をかけることもできず、眺めているだけだったが、辛い時にはその人を見るだけで元気が出た。
ただ、そんなことが永遠に続くわけもない。
想いを伝えるなんて勇気もなく、その人もあっさり卒業してしまった。
その頃からか、良くない流れが始まったように思う。
受験勉強にも本格的に入り、そのストレスの一方で
、先輩の卒業によりその心が癒えることもなくなってしまっていた。
あのときの僕はそれまで感じることはなかった兄の成功からのプレッシャーに悩まされていた。
両親からも「兄さんが成功しているのだからあなたもやればできる子なんだ」などと繰り返し言われ、そのプレッシャーは一層重たく僕にのしかかった。
定期的に寮を訪ねてくる両親の言葉が僕には辛かった。
兄さんと僕を比べる両親が苦手だったし、2人が来る時は口論になることがほとんどだった。
そして。
受験勉強も終盤に差し掛かった高校3年生の冬に、それは起こった。
雨の強い夜だったというのがなぜか酷く頭に残っている。
夜7時ごろだったか、トントンとドアを叩く音がした。
ドアを開けてみると、そこには見慣れた兄さんの顔があった。
「お前の好きなぶどう、買ってきたから一緒に食べようぜ」
そんなことを言った。
兄さんはその頃、医学部に入り医者を志していたが、大学生活も順調なようで僕も兄さんも会話が弾んだ。
両親に僕の様子は聞いていただろうが、はじめは僕を気遣ってか、勉強については触れようとしなかった。
ところが、1時間が経とうかという頃、ようやくその話題に触れてきた。
「透ももう高3の夏か〜。ちゃんと勉強してるか〜?」
笑いながら言った兄さんの口調は柔らかかった。
なのに…。
「今のうちにやっとかないと後悔するぞ?」
兄さんの言うことが僕が嫌っていた両親に似てきたのが嫌だったからだ。
それまで溜まっていたストレスもあったのかもしれない。
「こんなとこに漫画置いてたら集中できないだろ〜?」
あの時叫んでしまったのは。
「うるさい!!!」
そこからのことは本当に覚えていない。
気づくと目の前で兄さんが倒れていて、もう息をしていなかった。
あの時何をしてしまったのか、いまだに思い出せない。
倒れていた兄さんの顔が頭に焼きついて離れない。
毎晩のように夢に出てくる。
そこから10年間は檻の中で過ごした。
僕は兄さんを殺していない…初めはそう強く信じていたが、僕以外に部屋には誰も入っていなかったし、殺していないことを証明するものは何もなかった。
なにしろ、当の僕でさえそれをはっきりと思い出すことができなかった。
あの時僕は…兄を……?
10年の刑期を終え、外に出ても、当然経歴に大きな傷のある人を雇ってくれるほど優しい会社はなかった。
生きる希望を失い、絶望に打ちひしがれていた時、僕を助けてくれたのはくしくも僕が嫌っていたはずの両親だった。
何もできなかった僕をここまで育ててくれた両親には本当に感謝している。
兄さんとばかり比べていた2人なりの償いだったのかもしれない。
だとしても、親孝行の一つもできていない自分が不甲斐なくて仕方がない。
30代を過ぎても実家暮らし。
本当に両親には迷惑をかけてきたと思う。
だからだ、先月生命保険に入ったのは。
僕は家から少し離れた大通りの道路脇に立っていた。
人生に悔いはない。
決心は付いていたが、死への恐怖もまたそれと同じくらいには強かった。
「お兄ちゃん!今日公園で遊びたい!」
「うーん、いい子にしてたらな?」
そんな会話が聞こえた。
「今日どこ行く〜?京ちゃん」
「その呼び方はやめろ」
そんなカップルの会話が聞こえる。
「斎藤さん、今日一杯どうですか?」
「おっ!いいですね〜!」
彼らの人生はきっと晴れていて、澄み切っていて。
「うえーん!痛いよ〜!!」
「もう大丈夫だから、ねっ?泣かないの」
たくさんの人に支えられていて。
「おばあちゃんあんま無理しないでね?」
「大丈夫、まだまだ元気よ。衰えちゃいないわ。」
そんな彼らを見るたび羨ましくて。
「受験まであと半年ってやばくね?」
「いや〜、早いな。」
と同時に、憎くて。耳を塞ぎたくなって。
「今日の焼肉まじで楽しみだな!!」
「文化祭頑張った甲斐あったわ〜!」
みんなもう這い上がることのできない谷底に落ちた僕だけを置き去りにして。
見捨てて。
だから、本当に…
(静かに…してくれ…)
そう思った途端、急に何も聞こえなくなった。
(な、なんだ?…)
声も出ない、いや、自分の声が聞こえてないのか?
辺りを見回しても風景は何一つ変わっていない。
ただ音だけが消えている。
(ど、どういうことだ?)
そんな状況を理解するまもなく、強い倦怠感が僕を襲った。
(やばい、、意識が…)
そのまま地面に倒れ込み、僕は気付けば意識を失っていた。
そして彼はその場から姿を消した。
それでも世界はそんなことを気にも留めないで、変わらず動いていた。
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初心者で拙い部分はありますが、応援いただけると非常に嬉しいです!!