第三話 二度目のエカテリナ
「ユロフスキー公爵令嬢エカテリナ! 王太子である私アレクセイは、君との婚約を破棄する!」
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護符の力で『やり直し』して、今度はおふたりの邪魔をしないよう努めたのに、私はやっぱり学園の卒業パーティで婚約を破棄されてしまいました。
前と同じように自室のベッドで天蓋を降ろして閉じ籠り、手の中の護符を見つめます。
私の瞳と同じ氷青だった宝石は、力を使い果たしたのか色を失っています。いいえ、最初から無色だったのかもしれません。今が二度目だなんて妄想で、婚約破棄された後の私が『やり直し』をしたと夢見ただけだったのかもしれません。
相変わらず食欲がなく、水を飲む気にもなれません。
イヴが届けてくれる私の好物、炒った木の実の砂糖がけだけを齧る毎日です。
ベッドの中で丸まって護符を握り締め、カリカリとお菓子を齧る私の姿は怪しい化け物のように見えていることでしょう。
イヴは一度目のときも私にこのお菓子を届けてくれていましたが、私はそれを意識していませんでした。
いいえ、一度目だなんて妄想です。ただイヴが優しいというだけの話です。彼は学園でもアレクセイ殿下を想う私をずっと応援してくれていましたっけ。
殿下の瞳と同じ緑色の宝石を見つめます。絶対に私を映さない美しい瞳と違って、小さな宝石は私の影を映してくれます。
──父が持ち込む縁談に頷くことも首を横に振ることもなく過ごしていたら、なぜかアレクセイ王太子殿下と結婚することになりました。
私というお飾り妃がいないと、レーヴナスチナ様を側妃にも出来ないからです。
国民の目に晒される婚礼の場で痩せこけた骸骨のような姿を見せるわけにはいきません。
私は必死で食事を摂り水を飲んで体調を整えました。
心のどこかで期待していたのです。妃にさえなれば、殿下の瞳が私を映してくださるのではないかと。
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「……ははは、はは……」
初夜の床、ひとりで横たわった私は自嘲の笑みを漏らします。
アレクセイ王太子殿下はいらっしゃいませんでした。
産み月が近くて不安なお気持ちのレーヴナスチナ様をお慰めしているのだそうです。
私はなんて愚かなのでしょう。初めからそういうお約束、形だけの妃として嫁いだのではないですか。せめて公務だけは頑張らなくてはなりません。
私は毎日仕事をこなしていきました。
婚約破棄される前に教育されていたことなので、問題なく進めることが出来ました。
アレクセイ殿下が私の床へいらっしゃることはありません。形だけの妃に子どもが出来たら厄介なことになりますものね。
公務でご一緒するときに盗み見る、彼の横顔だけが私の喜びでした。
国王陛下ご夫妻はご多忙ですし、アリーナ姫殿下はガチンスキー大公家へ嫁がれて王宮にはいらっしゃいません。
イヴは母君のご実家、魔道大国である隣国へ留学なさったそうです。たまに手紙が送られてきますが、砂糖がけの木の実はもうくださいません。
彼からの求婚を断ってアレクセイ殿下へ嫁いだのだから当たり前ですね。お父様を始めとするユロフスキー公爵家の家人も、形だけの妃として壊れていく私に呆れたのか見放されてしまったようです。
毎日毎日仕事をします。
それ以外でアレクセイ王太子殿下に喜んでいただけることはないのですから。
食欲はありません。水を飲む気にもなれません。
でも大丈夫、大丈夫です。手の中にはいつも護符があります。この緑色の宝石だけは、いつも私を見つめてくれています。
「エカテリナ妃殿下、少しはお休みください」
「少しでいいからお食事を口にしてください」
「お水を……お水だけでもお飲みください」
大丈夫、大丈夫ですよ。
この護符がありますもの。『やり直し』は出来なくても、この護符を握り締めていたら思い出すことが出来るのです。優しかったアレクセイ殿下のこと、彼の緑色の瞳が私を映してくださっていたことを。
だから大丈夫。私は頑張れます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「エカテリナ!……エカテリナ、なのか?」
その日、殿下が私の執務室へいらっしゃいました。
珍しいことです。どうせなら先触れをちょうだいしたかったです。公務のときのように化粧をしたり服に詰め物をしていないから、痩せこけた姿をお見せしてしまったではないですか。
緑色の瞳を私から逸らし、殿下は言葉を紡がれます。ええ、大丈夫ですよ。私にはこの護符がありますもの。
「レーヴナスチナが子を産んだ」
「今日でしたのね。おめでとうございます」
「あ、ああ。いや……クソ。姉上の言った通りだったじゃないか……」
お言葉がよく聞こえなくて、私は首を傾げました。
首を傾げたつもりでした。でも自分の頭が思ったより重くて──
「エカテリナ!」
アレクセイ殿下の緑色の瞳が、床に転がった私を映します。
まあ、なんて嬉しいことでしょう。
でも少し寂しいのは、倒れた瞬間に握っていた護符を手放してしまったことです。護符の緑色の宝石が光っているように見えます。まさか……まさかね、『やり直し』は私の妄想だったはずです。だって違うことをしても同じ結果になりました。悲しい想いを繰り返すだけなら、『やり直し』なんてしたくありません。
私の意識は薄れていき──やがて目覚めたときは三度目の人生でした。
二度目のときと同じ、学園の入学式の朝です。
これまでと少し違っていたのは、鏡に映る私の氷青の瞳から光が消えていたことです。二度目の最後のように痩せこけてはいませんでしたが、死人のような顔だと自分で思いました。