第一話 一度目のエカテリナ
「ユロフスキー公爵令嬢エカテリナ! 王太子である私アレクセイは、君との婚約を破棄する!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そう宣言されたのは、学園の卒業パーティ開催挨拶の最後でした。
パートナーとして迎えにも来てくださらなかった婚約者は、壇上から冷たい瞳で私を見下ろしていました。
アレクセイ王太子殿下の恋人である男爵令嬢レーヴナスチナ様を苛めていたというのは冤罪だと証明されましたが、だからといってなにが変わるわけでもありません。
私は王都の公爵邸に引き籠り、幼い日アレクセイ殿下に買っていただいた護符を握り締めて過ごしています。
これは『やり直し』の護符なのです。
ガチンスキー大公領のお祭りで魔女のような女性が売っていました。心から強く望んだとき、時間を遡って失敗を取り消すことが出来るといいます。
ベッドの天蓋を降ろし、孤独な空間で望み続けます。
……やり直せますように。時間が遡れますように。アレクセイ王太子殿下を取り戻せますように。
『やり直し』が発動するときは飾られた宝石が光ると聞いていましたが、一向に光る様子はありません。宝石はみっつ──私の瞳と同じ氷青、殿下の瞳と同じ緑色、最後のひとつは琥珀色。
「……嘘つき……」
手の中の護符に、私の涙がこぼれ落ちました。
婚約破棄されたあの日から毎日望んでいるのに『やり直し』は出来ません。
私は捨てられた公爵令嬢のままです。アレクセイ殿下はレーヴナスチナ様をどこかの伯爵家の養女にして妃にするつもりだといいます。彼女のお腹が大きくなってきたので焦っているようです。
父は毎日のように縁談を持ってきます。
独り身のままでいたら、公務を押し付けるために形だけの妃にされるかもしれないというのです。それでもいいと思う心と、幸せなふたりを間近で見るのは嫌だと叫ぶ心が渦を巻いて暴れています。
幼なじみの私に同情して婚約を申し込んでくれた大公家のイヴとくらいは会ってみようかと思いながらも、彼と会えばアレクセイ殿下のことを思い出さずにはいられないので二の足を踏んでいます。
ああ、あの日はなんて楽しかったのでしょう。
幼かったあの日、私とアレクセイ殿下、アリーナ姫殿下、イヴとフリストフォール様で大公領のお祭りに行ったのです。もちろん護衛は一緒でしたが、買い物は自分達でしたのです。
みっつの宝石が飾られた護符に目を奪われていた私に、一番最初に気づいたのはイヴでした。だけど最終的に買ってくださったのはアレクセイ殿下でした。
──エカテリナは私の最愛の人だから、彼女の欲しいものは私が贈るのだ。
「……嘘つき……」
嘘つき嘘つき嘘つき……アレクセイ殿下の最愛の人は私ではなかったじゃないですか。
それともあのときは最愛の人だったのに、私の愚かな行動が殿下の気持ちを変えてしまったのでしょうか。
レーヴナスチナ様を苛めたというのは冤罪でしたが、おふたりの仲を注意したり窘めたりした覚えはあります。余計な口出しをせず、おふたりを見守っていれば良かったのでしょうか。
わかりません。なにもわからない。
私は握り締めた護符を見つめ、宝石を濡らす涙を指で拭いました。
望む心が弱いから『やり直し』が起こらないのかもしれません。……そうですね。形だけの妃として娶られるかもしれないなんて希望を持っているから、望みが弱いのでしょう。
私は天蓋を少し上げ、愚かな真似を仕出かさないかと見守ってくれている侍女に飲み物を頼みました。
最近は食欲がなく、水もあまり飲んでいません。家人や侍女達に泣きつかれて、やっと口にものを入れるような日々です。
侍女はとても嬉しそうな顔をして用意をしに行きました。
「……ごめんなさい……」
彼女が帰る前に終わらせましょう。
あの子が怒られたら申し訳ないけれど、『やり直し』するのだから大丈夫かしら。今から起こることは消えてしまうはずだもの。
私は護符を握り締めて、部屋の窓から飛び出しました。死に至る直前ならば、強く強く望むことが出来るでしょう。
地面に叩きつけられて、全身が痛みます。
衛兵達が集まってきます。お父様もいらっしゃいました。あら? なぜかアレクセイ王太子殿下のお顔も見えます。
大丈夫、大丈夫です、みんな。だって護符の氷青の宝石が光っています。すべてを『やり直し』するのです。