鬱病のまま死んだ俺は聖剣として転生した。
母子家庭で育った俺は、自己肯定感が足りていなかった。誰が悪いでもない。何かの責任にできればそれで良かったが、しいていえば、心の弱さだろうか。
新卒で入社した会社では、上司の言うことに頭が真っ白になってしまい、業務ができなくなることが頻発した。そのうち心の弱さからメンタルクリニックに通うようになり、今年で25才になる。病状は鬱だった。
自分で食い扶持も稼げず、母親に食べさせてもらっているどうしようもないニートである。そんな俺は、さらにどうしようもないことをしてしまった。
深夜のコンビニの帰り道、不注意で車道を渡ろうとしたところを、暴走する車に跳ね飛ばされたのだ。そうして俺の人生は終わった。
母親は悲しむだろうか、最後に思ったのはそれかも知れない。
ただし、それは一度目の死だった。
俺は、気づけば、だだっ広い光に包まれた神殿のような場所にいた。
「あなたは死にました。あなたの願いはなんでしたか?」
「俺は、人の役に立ちたかった。それで胸を張って生きたかった。そうして誰かを幸せにしたかった」
「では、あなたにその機会を与えましょう」
「え……」
「あなたは聖剣として生まれ変わるのです」
後に俺はそれに気づくことになる。彼女がこれからいく世界の女神だったのだと……。
※
「これが聖剣……」
そんな声が聞こえると共に聖剣は、刺さっていた岩から引き抜かれた。その中に青年の魂が眠っていることも、聖剣の担い手となったアーシア・ネビウスは知らないことだった。
長い赤毛の少女である。白い軽装の甲冑を身につける彼女こそ、この世界における勇者なのだった。
「長かった。この聖剣があれば、皆を助けられる。魔族達と互角以上に戦うことができる。待ってなさい、魔王ドラクーガ」
※
……気づけば、断続的に痛みが走るようになっていた。大きなドラゴンが見える。それに俺の身体を叩きつける少女の顔が、見えていた。
俺は女神の言った通り、聖剣になったのだ。言葉も発せず、誰かの役に立つだけの力を兼ね備えた聖剣に。
「折れないで!」
聖剣は頑丈だったが、相手のドラゴンの皮膚はそれ以上に強靱だった。その言葉に俺は、全身の苦痛を耐えて、意思をしっかりと持つ。すると、刃は、ドラゴンの皮膚をズバッと切り裂いたどころか、光の奔流が相手を包み込み、消滅させた。
「これならいける! 流石は聖剣ね」
どうやら褒められているようだったが、道具は道具。大事に整備されはするが、武器に過ぎない。――それでも聖剣という役目は、俺の願ったとおり、誰かの役に立ってくれた。
使われるたびに断続的に痛みや、精神のすり減りがあったが、俺は、二度目の人生だと、なんとか頑張った。俺以上に、少女は頑張っているはずなのだから。
そして――なんとか魔王という存在を少女は倒しきった。
すごい、俺より年下なのに、彼女はやり遂げたのだ。
そして、俺の役目は終わった。
「全部あなたのおかげよ。あなたは聖剣に恥じない力を見せてくれた。皆の幸せを切り開いてくれた、ありがとう。聖剣ダイチ・サカモト」
それは聖剣に記されていた俺の名前だったらしい。少女は俺が人間だとは気づいていなかったが、その言葉に、俺は涙を流しそうなほど嬉しかった。
ただ望むなら、俺は、元の世界で、このような頑張りをし、何かを得たかった。
あぁ、母親に会いたかった……。願いが母親に会いたいではなかったのは、俺の劣等感や気まずさから来るものだった。
眩い光が、世界を包み込んだ――。
※
「あなたは無事やり遂げました。折れない強さを示してくれました。もう一度あなたに生を与えましょう。この世界のことはぼんやりとしていていずれ忘れてしまうでしょうが、あなたが得たものは、何かの役に立つはずです」
「……いいのか、俺はまた、あの世界で頑張れるのか」
「はい」
「……そうか、よかった」
※
コンビニの帰り道、俺は横断歩道で踏みとどまった。車が暴走したようなスピードで目の前を突っ切っていく。
俺は母親が待つ、市営住宅へと戻った。母親は何故だか心配になったといって起きていた。
俺は母親と話をした。
「これからは地道にまた頑張る。長い時間かかるかも知れないけど、社会復帰してみせる」と。
「通院頑張ろうね……病気治そうね」と、母親は言った。
病気は治るかどうかわからない。メンタルクリニックで処方される薬を飲んで2年間、回復の兆候はまだなかったからだ。でも、そんな長きにわたる苦痛にも、今は耐えきれるような気がした。
耐えて耐えて、いつか、また人の役に立ちたい。そして、母親に楽をさせてやりたい。
それを告げると、母親は泣いた。
「……頑張ろうね。私はダイチをおいて先に死んでしまうし、どんどん老いていくから心配だったんだよ。でも、前向きになってくれてよかった」
俺も泣いた。俺はかつて何かを成し遂げた男だ。それはこの世界では役に立たないかも知れないけど、ほんのちょっぴりは背を押してくれるような気がするのだ。
これは聖剣ダイチ・サカモトが耐えて耐えて、折れなかったというただそれだけの冒険譚であり、明日を目指すための切っ掛けである。
俺は女神に二度目の人生を感謝した。
※
それから数年が経ち、俺はコンビニでバイトをしていた。今でも年下のバイトリーダーに要領が悪いと言われる始末だ。本当に生きるのに足りないことが多すぎるらしい。でも、俺はそれを自分の努力不足とは重く捉え、鬱の症状を悪化させたりしない。
……そうしなければ、付き合いは少ないが、周りの友人に迷惑をかけてしまうからだ。
少しずつでも社会に貢献できることが増えてきているような気はする。いつか胸をはって大人になれたと言える日が来るだろうか。
かつて俺は世界を守った聖剣だった。でも、今は、しがないフリーターだ。