ヒラタさんは文芸部に通う
*百合要素あり。
昼休みを告げるチャイムが鳴ると、封を切ったように騒がしくなる教室。
それぞれが持参したお弁当を持ち寄り、隣席の友人たちとお互いのイスを寄せ合う。
窓から斜めに差し込む温かな陽光は、まだわずかに春の名残を残して。
姦しく笑い声の絶えない教室に、温かな陽だまりをもたらしていた。
高校二年生に進級してから1ヶ月が経過しようとしていた、5月のある日のこと。
私、比良田楓は今をときめく女子高校生。
楽しい友だちと、素直でカワイイ後輩たちと、個性豊かな先生たちに囲まれて、今ここにしかない青春時代を、めいいっぱいに謳歌している。
最初は不安だったクラス替えだけど、1年生の時には知らなかった新しい友だちもできて、なんだか新鮮な気分。
面白いコトが毎日起きるから、学校に行くのがホントに楽しい!
「ヒラタ~数学の問題教えて~」
「ヒラタさんの髪型カワイイね~」
「ヒラタさ~ん」
昼休みを終えた友人たちが、私の席の周りに集まってくる。
クラスで私は、7人ぐらいのグループに属している。
個性豊かで、趣味も部活も違うけれど、みんな仲良し!
私にはできすぎた友人たちだ!
そのグループで私は、みんなのお姉さん的な存在。
困ったときは私を頼りにして、私が会話を盛り上げて、みんなが笑う。
こうしていっしょにお昼を食べたり、放課後はたまにファミレスに寄ったり、学校から帰っても、SNSでいっしょに盛り上がったり。
みんな、このクラスになってからはじめてできた友だち。
ワタシ史上最高の、友だちだ!
それ以上でも、それ以下でもない友達だ。
高校に入ってからの人間関係は、中学のときのそれよりもさらに希薄になった気がする。
住む地域が違う、週の予定が増えた。理由を探せば尽きない。
それなのに人間は不思議なもので、はじめは部活や中学での繋がりから、関係の輪がだんだん広がっていって。
なんとなく気の合ったクラスメートと、いつのまにか仲良くなっていく。
最初は、そこまで好きでもなかった人たちと。
徐々に距離を詰めていって、うわべだけの握手を交わす。
人は、剥き出しのままでは付き合えないから。
笑顔を、言葉を、感情を、角が立たない程度にならしていって。お互いに妥協点を探り合って。
そうして毎年、自分を作り替えていく。
「本当の自分」を示して、着飾って、偽って。
その裏に、隠された黒い鬱屈に。
いちばん醜いものに、気付かないふりをする。
友情。
望めばいともかんたんに生まれて、一年間かけてそれを積み上げて。
育んで、確かめ合って。
けど、時間が経てばあっさりと脱ぎ捨てられる程度には軽々しい。
薄情かもしれないけど、友達付き合いなんてそうなものだと思う。
裏を返せばそれは、人との関係を築くのが前より簡単になったということで。
そう考えれば別に悪いことではない。
人は一人では生きていけない。
その言葉の重みは、これまでの人生で痛いほど身に染みた。
だって、現実は厳しすぎるから。
友達という強固な鎧を作って、自分を守るしか術はない。
そして。
持たざる者は。
孤独な戦士の、見るも無残な末路は。
*ーー*ーー*ーー*--*--*
「ねぇ、いつまで読んでるの?それ。」
「ウチらはやくご飯食べたいんだけど。」
不良グループの女子たちが言う。
話しかけられた女子の名前は、たしか「天宮」、だったはずだ。
読書好きなのか、休み時間に一人で本を読んでいる姿をよく見かける。
不良グループは座るイスが足りないらしく、天宮さんがいま座っているイスを使いたいようだ。
一見、穏やかに諭している風にも見えるが、語気や言い方に棘があって、高圧的な印象を受ける。何か口答えでもしようものなら、彼女たちの逆鱗に触れてしまってもおかしくはなかった。
冷たい緊張感が走る。
天宮さんは不良たちにすっかり怯えてしまったようで、彼女たちの罵倒にも似た言葉に、震え声で返事をしながら、カバンの中にあるはずの弁当箱をあたふたと探し求めていた。
「てか天宮さんてさ、授業中もずっと一人でなんか書いてるし、メガネかけてて地味だし超ガリベンって感じだよねー。」
「あ、わかる。休み時間もずっと本読んでるしさー。マジメに学校来ちゃって楽しい?って感じなんだけど。」
「それw」
不良たちが好き勝手に言うのを、天宮さんは黙って、嵐が過ぎ去るのを待つように耐え忍んでいた。
不良グループの存在は一年生のころから有名で、クラス表を見たときはさすがの私も不安な気持ちになった。いわゆる「問題児クラス」というやつなのか、一年生のころには別々だった不良たちが、私のクラスにひとまとめにされていたのだ。
いまでこそ、私はあのグループともそれなりに上手く付き合っているけど、天宮さんはそうはいかないだろう。
なにより、天宮さんがクラスの誰かと話している姿を見たことは無かった。。
「てかさ、いつも何読んでるの?」
「ね、ウチらにもちょっと読ましてよ。コレ?」
不良のうちの1人が、天宮さんが携えていた本を雑に奪い取る。
ページをパラパラとめくったり、逆さにしたり。
それに飽きると、ふざけた声で文章を音読しはじめた。
いじめは度を越えてエスカレートしている。
そのことに、クラスの全員が気付いていた。
けど、誰も止めに入るものはいない。
かわいそうに思う気持ちはもちろんあるけど、でもやっぱり哀れだな、とも思う。
集団から浮いた存在は、それだけでいじめの標的になる。
天宮さんはきっと、人と上手く付き合っていくことができない人間なのだろう。
そしてこれからも、普通の人からはすこし出遅れて、小さな損を積み重ねていく。
不器用で、哀れで。
手を差し伸べてくれる優しい人なんて、いるはずもない。
だって、天宮さんは独りだから。
「……返せよ」
その時だった。
涙目で震えていたはずの天宮さんはいつの間にか立ち上がり、不良たちを見下ろす。
「……あ?」
それを挑発と受け取った不良が、威圧するように返事をする。
ドスを効かせた声に、クラスの緊張感が一気に高まった。
彼女たちを怒らせたら何が起こるかは、想像に難くない。
そして。
「返せよ!!!!!!」
叫び声が響いたあと。
遅れて、弾けるような音がした。
水を打ったように静まり返る教室。
天宮さんは堂々とその場に立っていて。
赤ぶちの眼鏡の奥で、瞳がぎらぎらと光っていた。
叩かれたのは、不良の方だった。
「おいアンタ……」
「……バカにしないで。」
その声色は、重くて、強くて、そして鋭利で。
その一言に凝縮された彼女の意志の強さが、心臓に直接、響いてくるようだった。
天宮さんは不良の手から本を奪い返して。
そして、教室を出て行ってしまった。
不良たちは、何が起こったのか分からない様子で、ただ茫然と、その場に立ち尽くしているのだった。
「……あーあ」
沈黙のあと、溜め息とともに、誰かが漏らすように言葉を吐いた。
目の前の一部始終は多かれ少なかれ、クラスの全員に衝撃を与えていた。
その一言を皮切りに、ひそひそとざわめきが広がっていく。
「あちゃー」
「やっちゃったね」
「あれは、あとで相当きついよ」
「ね。我慢すればやり過ごせたのに。」
自分が止めに行くこともできたはずなのに、天宮さん本人に責任を押し付けようとするクラスメートたち。
けど、そんなことはどうでも良かった。
頬打ちを喰らわせた天宮さんの、オオカミみたいな目つきと表情が、脳裏に焼き付いて離れない。
「バカにしないで」
自分のことなら、何を言われても怯えるだけだった彼女が、唯一怒りを露にした言葉。
自分よりも、大事にしたいもの。
強烈なもの。
最後の住処を守るようなオオカミの瞳が、私にもまた、何かを訴え続けている。
天宮さんはどんな覚悟で、それを言ったのだろう。
どんな覚悟で、孤独を選んだのだろう。
視線は彼女が去った後の席から動けなくなって、心臓がどくどくと波打っている。
錆びついた殻に閉じ込められていた何かが、自由を求めて、内部からヒビ割れていく。
そんなイメージが浮かんで。
剥き出しの何かが、露になろうとしていた。
容器に限界まで注がれた油みたいに、溜め続けていた怒りが、焦りが。
想いが。
火を噴くように、溢れだそうとする。
そして最後には、決壊して。
「……カッコいい。」
零れ出すそれを、はじめて愛おしいと思えた。