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ぱりりとみどり(卅と一夜の短篇第13回)

作者: カラスウリ



 台所でそら豆のさやをいていた。

 毎年南に住む知人が、春の浅いこの時期に送ってきてくれる。

 そら豆は好物だ。くさいと毛嫌いする者の気がしれない。味よし。形よし。新鮮なそら豆を剝く楽しさは格別だ。

 さやはぱりりと濃いみどり色をしている。

 さやの真ん中にはしっている線にそって、両の親指をかろく突き立て剝いていく。剝くとしろい産毛うぶげに包まれ、出番を待つ豆たちがいる。


「二。一。二。二」


 でてくる豆を数えながら剝いていく。

 たまさか三個はいっている。そういうのに当たると、こころがはずむ。なんとも安上がりな幸福感だ。


「そらまめが病気になったら そらまめの医者を呼べばいい そらまめが死にたくなかったら パチンと割ってとびだすさ 何のはなしか おわかりか?」


 興が乗り、気に入りの詩をひとりごちる。

 最期のひとつをざるから摘みあげる。ずしりと重い。これは期待できそうだ。

 さやを開ける。途端。ひゅるりとナニかが飛び出してきた。目にもとまらぬ早さであった。それでもソレが、細くてながい事だけは目の端で確認した。

 細くてながい奴は、よりによってわたしの左の腕に着地した。

 見た目は、いとみみずに似ている。だが格段としろっぽい。虫であろうか。虫なのだろう。

 あいにく水仕事の後に袖をまくっていたままだ。肌のうえで、うねうねとうごめさまは、見ていて気持ちの良いものではない。小学生の娘などが目にしたら、悲鳴のひとつもあげるであろうか。


 はたき落とそう。

 右手を近づけると、細くてながくしろっぽい奴がするんと逃げる。目があるかないか、わからぬくらいであるのに素早い。気配でわかるのか。とにかく逃げる。

 虫は格段苦手ではないが、知恵があるような動きがうす気味悪い。そうしてしばらく払っては逃げられを繰り返すうちに、ツキリとあさい痛みを覚えた。細くてながくしろっぽい奴が、ふいと姿を消したのだ。だた消えたわけではない。消えた先は、わたしの腕のなかだ。

 もぐられた。

 しくじったと思ったがもう遅い。ぞわぞわと皮膚の下をう感触がある。

 うす皮一枚のしたを、虫が這っている。しかも細くてながいものが皮膚を押し上げるようにして、どんどん大きく。もっと長くなっていく。クスリか病院か。慌てているうちに、左手の先から肩までを、すぐにも乗っ取られた。力がはいらず、腕がだらりと垂れ下がる。

 余りの気持ち悪さに、ばたりと気を失った。



 時計の針が七時をさしている。

 居間の電気がついている。

 ひかれたカーテンの隙間から、ふかい夜が覗いている。

 気がつくと、部屋のなかが妙にぼやけて見える。目玉が自分のものとは思えない。くろ目がばらばらに動いている様に思える。目をこすりたいのに、手は意に反して別の動作をする。


 わたしはちゃぶ台の前にいる。

 正座をし、真向かいに座る娘の茶碗にご飯をよそっている。だがしゃもじを持つわたしは、わたしではない。長くてでかくなった虫に取り憑かれたわたしだ。

 意識のほんの片隅で、わたしは娘を中心に部屋の様子をぐるりと見渡す。

 換気扇も。流し台も。かけているタオルも。手元のしゃもじもはしも。すべてがぼやけて見える。


「いただきます」


 ぼやけたぞうの娘が手を合わせる。

 夕飯を作った覚えはない。待て。まて。喰うな。これらは虫の手作りであろう。得体の知れぬものなど、食べてはならぬ。そう告げたいのに口は動かない。


「母さんは食べないの?」


 娘が聞く。

 箸は肉をつまんでいる。豚の生姜焼きらしい。

 とろりとした豚肉と玉ねぎを、娘が口へいれる。変ではないのか。わたしの味ではないであろう。気がつけ。きがつけ。一生懸命念を送るが効果はない。

 白米。茄子なすと油揚げの味噌汁。生姜焼き。胡瓜きゅうりの酢の物。ひじきとさつま揚げの炒めもの。虫は存外料理が好きなのであろうか。娘は美味そうに食べていく。


「コレモ」


 わたしの声で、わたしではないものが小皿をすすめる。

 そこにあるのは、そら豆の塩ゆでだ。ヤバい。アレはヤバかろう。咄嗟にそう思った。なにせ虫のでてきたそら豆だ。食べて良い事など、あろうはずもない。

 赤絵の小皿に乗ったそら豆は、ぼやぼやしていても尚、ふっくらとしていて食欲をそそる。

 娘が箸を置く。手を伸ばす。なんとかしたい。してやりたい。だと言うのに、躯はいっかな言うことをきかない。

 母親として、このなんとも悔しく、歯痒はがゆい状況をどうにかしたい。

 わたしは頭のなかに呼びかけた。


ーーおい。虫よ。


 虫はこたえぬ。しかし己の頭のなかに己で呼びかけるというのも、またけったいな体験である。

 成功しているのか否か。定かではない。だからといって、手をこまねいて見ているわけにはいかぬ。わたしはより一層強く念じた。


ーーおい、虫よ。娘に喰わすのはやめてくれ。


 反応はない。娘が小皿を引き寄せる。


ーーお前がなにをしたいのか、分からんが。もし言うことをきいてくれるのならば、この家で好きなものをお前にやろう。


「……マテ」


 虫に取り憑かれたわたしが娘を止める。


「なに。母さん」

「娘ト。オ前。ドチラガ良イカ」


 娘が小首を傾げる。

 虫が話しかけているのは娘ではない。これはわたしの問いに対する答えなのであろう。

 つまり欲しいものは、わたしか娘なのだ。なんたるずうずうしい虫であろうか。怒りがこみあげてくるが、いかんともしがたい。


「変な母さん」


 くれないならいいよ。娘は自分の生姜焼きを、ぶりぶり食べはじめる。良かった。よかった。とりあえず状況は、先ほどよりはマシになった。


「ドッチダ」


 虫が再び問いかける。

 それへ娘はちらと視線を投げかけた。その目は雄弁に語っている。母は変人だと。そうかもしれぬ。だが娘よ、これは母の優しさと愛なのだぞ。わたしは意を決して虫へ告げた。


ーーわたしだ。わたしにしろ。


「了解シタ」


 虫がそら豆をつまみ、口中へいれる。

 自分で言うのもアレだが、絶妙な塩加減だ。いや茹でたのは虫であったか。

 どちらでも美味いものは美味い。春の旨味だ。しかし止めろ。丸飲みは止めてくれ。いくら乗っ取られていても、それは無謀というものだ。喉につまって苦しむのは最終的にはお前だぞ。

 しかし虫風情むしふぜいにわたしの忠告が届くはずもない。

 虫は次からつぎへとそら豆を飲み込んでいく。案の定苦しくなってくる。無理があるのだ、止めてくれ。喉にぐりぐりと豆が当たる。むせる。えずきたくなる。


 娘がそっと席を立ち、流しへ行く。水音がする。

 ああ、そうか。無理な食べ方をする母へ水をもって来てくれるのか。なんと良い娘であろうか。こういう時。母親としての、ささやかな喜びがわきあがる。

 しかしアレだ。これがわたしの末期まつごの水となるのであれば、きりりと冷えた冷酒が良い。せめてビールだ。ビールでぐいと飲み込みたい。しかしそこまで小学生へ求めるのは難しいであろう。

 戻って来た娘の手には想像した通り、水がはいったコップがある。


 虫も人さまの躯とはいえ、よほど苦しかったとみえ、素直に手を伸ばす。

 おい、虫よ。こんなにも良い娘なのだぞ。娘には一切手をだすなよ。

 誓わねば地獄のさたから舞い戻って来てやるぞ。わたしの呪いの叫びなど、いっかな気にする素振りもなく、虫がごくごくと水を飲む。

 つまりかけていたそら豆が、どっと喉から胃へと流れていく。そのはずであった。なんたることか。すぐにも逆になった。もの凄い吐き気がこみ上げてくる。

 慌てて両の手で口を抑えるも無駄だった。たった今飲み込んだ水と共に、まるのままのそら豆を、えぐりと吐き出す。


「ナニヲ飲マセタ」


 虫がうめく。苦しそうだ。ざまあみろ。わたしは内心舌をだす。


「塩みず」


 けろりとした顔で娘が応える。悪びれる風もない。我が娘ながらに恐ろしい。

 吐き気はとまらぬ。ずるずると喉のおくからこみあげてくるまま、さらに口を開ける。するとでた。ずるりとながく太い虫がでた。途端。視界がぴたりとさだまる。


「オオオオオゥ」


 ちゃぶ台のうえに落ちた虫がのたうち、声をあげる。しわがれた、なんとも珍妙な声であった。

 わたしはへたり込みながらも、近くにあった箸をとりあげると虫へ突き刺した。残忍かとも思ったが、いたしかたない。もぐられるのは一度限りで御免被ごめんこうむりたい。虫は傷口から体液をしたたらせ、のたうち回る。


「すごい。グロい」


 娘が密かに興奮した様子で呟く。悲鳴をあげる気配もない。


「わたしの箸じゃなくてよかった」

「近寄るな」わたしの警告に、「頼まれてもしない」娘がそっけなく応える。


 虫はぐったりと動きが鈍くなっている。「オ、オ、オオ」か弱い声をあげている。びたんびたんとのたうっていたが、やがてぴたりと動きがとまった。


「なにこれ?」

「知るか。そら豆のさやの中からでて来たんだ。それよりお前、どうして塩水なんて持ってきた?」

「母さん変だったから」


 やはり親子のきずなというものは、素晴らしい。わたしは感動で、そら豆の怪異が一瞬頭からぬけ落ちた。


「そうか、気づいていたか」

「うん」

 娘が頷く。わたしは誇らしさで胸がいっぱいになる。


「好物のそら豆を、お酒もなしで食べるなんて変だしさ。いつもは食べながら変てこな、うんちくをずらずら言うじゃない。今日は全然違うから。もう酔っぱらっているのかと思った」

「……そうか」

「そうだよ」


 娘よ。慧眼けいがんめても良いのだが、へんてこなうんちくではない。わたしが毎度語るのは寺山修司の短歌や詩だぞ。


「夕飯。……どうする?」

 娘が現実的な事を聞く。


「まだ半分しか食べていない」

「そうか。そうだな。ラーメンでも食べに行くか」

「うん」


 では片付けてから行くとするか。

 卓上をうんざりとした思いで振り返ると、虫の姿はどこにもない。やや角のはげた黒塗りの箸が、一本転がっているばかりだ。あとはもう丸のままのそら豆が、辺り一面散らばっている。

 不思議な事もあるものだ。わたしは雑巾で卓上をふいてから、おきよめの塩を盛った。夫のものである箸は、迷わず捨てた。




 後日そら豆を送ってくれた知人へ電話をすると、「そういえば。そろそろ啓蟄けいちつだからねえ」そう言ってあははと笑う。あははではない。こちらはもう少しで、恐ろしいめにあうところだったのだ。

 ではもうそら豆はいらないかと知人は尋ねる。

 とんでもない。これしきでそら豆への愛情を失ってたまるものか。どんどんおくれと伝えておいた。電話をかけているわたしの側で、娘が呆れた顔で見上げている。





                              完 


<注約>

本分中の詩は寺山修司「少女詩集」からの引用になります。





長くなる一方の短篇をなんとかしようではないか! と、ショートショートにチャレンジしました。尚読みやすい様に、改行はしています。

不可思議なことがあっても「まあ。……いいか」という風情のキャラは、わたしの大好きな『つげ義春』作品を目指しました。つげ作品では「ゲンセンカン主人」が最もスキです。あの温泉宿に閉じ込められたい。と思っています。


そら豆好きです。たち吉のそら豆形の小皿を愛用しています。


原稿用紙換算枚数 約12枚

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― 新着の感想 ―
[良い点] アングラな灯りの中に浮かび上がる恐ろしくも可笑しな世界、堪能しました! 独特のリズム感に酔い知れます。 むすめがもう!!好きです。 [一言] ソラマメ好きなので気をつけようと切に思いました…
[一言] 今日宅配でソラマメが届いてぞくぞくしながら皮を剥きました。日常が非日常に変わりますね、怖い。 でも茹で上がったら食べちゃうのは主人公と同類ですね。
2017/05/15 20:12 退会済み
管理
[一言] とても面白かった。 小説らしい小説ですごく良かったです。 そら豆は苦手ですけど…。 読ませて頂きありがとうございました。
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