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光輝の楽しそうな声が響き渡る。
「さてさて、ここはなーんにも変哲のない森に見えてます!しかし、ここには確かに…」
光輝はとある森の中で大袈裟に身振り手振りをしながら、ノリノリにそう叫ぶ。
「……エルフの、隠れ…里…」
りのは相変わらずの無表情にゆっくりとした口調だが、光輝に付き合ってそう続けた。
志狼はそんな光輝に少し呆れた顔をした。
「一応隠れ里なんだろうが。んなに叫んでいいのかよ。」
「えー、大丈夫っしょ。だって、絶対に音消しの魔法も使われてるだろうしー?あ、見張りくらいはいるかも?」
まぁ、大丈夫大丈夫と相変わらず能天気な様子である。
だが、志狼は呆れてはいても、それを咎めはしない。
別に志狼だって本気で心配していたわけじゃないのだから。
そもそもこの3人が揃って大丈夫じゃない方がどうかしている。
「そんで?どこらへんにあるのー?エルフの里って。」
光輝はりのを振り返ってそう尋ねる。
「…もう…少し、行った…ところ…」
そうして彼らは再びのんびりと歩き出した。
しばらく歩くと、りのが歩みを止めたので、2人は目的地に着いたことがわかった。
「んじゃ、ぶん殴るか?」
志狼はとても軽く言う。
この場に他の者がいれば、志狼のいきなりの発言に驚くだろうが、2人は志狼が結界をぶん殴って壊そうとしているのがすぐにわかった。
「…待って……私が、やる…」
もちろんそれはりのが物理攻撃をするという意味ではない。
しかし、目に見えない結界相手にりのはどうするつもりなのだろうか。
すると、りのは至って自然に歩いて落し物を拾うかのように、拳サイズの石を手に取った。
何の変哲もないかと思われたその石をりのが持ち上げた瞬間、今までただの森だった場所に里が現れたのだ。
そう、それこそがエルフの里。誰も見つけることのできない"はず"の幻のエルフの隠れ里である。
「わぁお、さっすがー!」
光輝はいつも通り楽しそうである。
志狼に至ってはまるで自動ドアが開くかのような、当然のことのような態度でエルフの里を見ていた。
「て、てき、敵襲ぅぅぅーーー!!!」
外から見れば何もないところに急にエルフの里が現れたかのように見えるが、内側からは外の景色がそのまま見えるため、視覚的な変化はない。
もちろん、3人がエルフの視界にうっかり入ってしまうなんて間抜けなことはしない。
しかし、こと魔法や魔法陣において人間よりかなり優れているエルフたちはすぐ様異変に気がついた。
そこに光輝の能天気でテンション高めな場違いな声が響く。
「おお、まさにエルフ!って感じだねぇ!耳が尖ってて金髪が多いかな~?」
エルフの結界が破られるなどエルフたちにとっては最大級の危険に直面していると言っても過言ではない。なぜなら、エルフの結界はエルフの叡智の結晶であり、絶対破られるはずもなく、もしも破られるとすれば、その相手はエルフの全てを持ってしても太刀打ちできない敵という可能性が出てくる。
つまり、エルフたちは現在最大級の警戒の下、弓や杖などの武器を光輝たちに向け、臨戦体勢を取っているのである。
りのはいつも通りである。
「べつに…敵意、は…ない…」
りのはまっすぐエルフたちを見てそう言った。
それに応えたのはエルフの若い男である。
彼もまた金髪である。
「そんなこと言われて信じる馬鹿がどこにいる!?」
警戒心マックスで付け入る隙もなさそうである。
りのはおそらく単純にエルフの結界に興味があったので、その結界を崩したのである。
人の感情に疎いりのはその後にこのような警戒状態が待っているとは考えていなかったのかもしれない。
しかし、光輝が止めなかった。
よって、りのは実行した。
彼らにはそんな単純なことなのである。
「まぁ、まぁ、落ち着いてよ。本当に危害を加えるつもりはないからさぁ。」
光輝の言葉を警戒心むき出しの彼らは当然のように信じない。
そこへどこからか落ち着いた女性の声が聞こえてきた。
「はい、そのようですね。」
光輝たちにはまだ彼女の姿は見えなかったが、その声は凛としていて、その表情にも一切の困惑も恐怖もなかった。
「武器を下げて。」
彼女はそう言いながら真っ直ぐ歩いてエルフたちの中から出てきた。
光り輝く金のサラサラとした髪を靡かせて歩いて来た彼女は、美しい美貌を持った若い女性であった。
その女性のエルフは警戒態勢のエルフたちと光輝たちの間に凛と立つ。
彼女の言葉に先ほどの若い男は反論する。
「はぁ!?何を馬鹿なことを…!?」
「馬鹿なことを言っているのはあなたたちの方よ。」
彼女は凛と光輝たちの方を向いたまま静かに彼に応える。
「彼らが本当にそのつもりなら結界が解かれたその瞬間から攻撃してるはずよ。それに結界を破ることができたということは彼らは私たちエルフを遥かに上回る魔法と魔法陣の使い手ってことよ。」
彼女は一切振り返らず前を見据えたまま、背後のエルフの青年にそう告げる。
「はぁ!?何を馬鹿なこと言ってるんだ!こいつらは人間だぞ!」
興奮している青年に彼女はついに声を張り上げる。
「黙りなさい!今自分たちが置かれている状況がわかっていないのはあなたたちだけなのよ!」
彼女にそう一喝され、彼は辺りを見渡すと武器を構えているのは若い連中だけなことに気がついた。
大人たちはただただ真剣に彼らを見つめているだけである。
そう、もはやエルフの里に戦意はない。
それほどの相手とエルフたちは判断した。
「武器を下げなさい。私たちを破滅させるつもり?」
真剣な彼女の表情とその気迫に圧倒された若者たちは次々と武器を手放した。
そして、彼女は美しい笑顔を貼り付けて光輝たちに語りかける。
「先ほどはとんだご無礼を。どうかお許しください。」
それに光輝は笑って応える。
「あははは、別にそんなに警戒しなくてもいいよ~。俺エルフとか好きだし戦闘になっても滅ぼす気とかないし~。……まぁ、戦うつもりはハナからなかったけどね。」
そう光輝は初めから気がついていたのである。
彼らが里に近づいた時からずっとこちらを伺っていたエルフの彼女のことを。
「先ほど結界を解かれた腕前はとてもお見事でした。そして、我々エルフに感づかせずに、周辺の魔法を全て突破した腕前もまたお見事です。」
「あはは、あっさり気がついて俺たちの接近を待ってた君にそんなこと言われるとはね~。」
彼女は気がついていたのだ。彼らの接近に。
そして、見ていた。りのがあっさり結界を解くのを。
「さすがエルフだね~。俺もまだまだか~。」
その光輝のセリフに落胆は全くない。それどころか少し楽しそうである。
そこにあるのは今より更なる高みを目指すことのできる喜びのみである。
まだまだ上がある。それがわかるから楽しいのだ。
「何でもいいが、さっさと用件済ませようぜ。そもそもあんなあっさり解かれる結界なんて使いもんになるのかよ。」
志狼は面倒くさそうに言う。
「普通はそんなにあっさり解かれたりしないって!まぁ、俺とりのにかかればこんなもんだけどね!」
楽しそうに言う光輝にエルフの若者たちは思うところがあるようだが、彼女の手前誰も言葉を発さなかった。
「申し遅れました。私はこの里の族長の娘、エルシリアと申します。」
彼女はエルフの中でも美人に分類されるであろうその顔に朗らかな笑みを浮かべた。
彼女も見た目は先ほどの若い男とそう変わらない年齢であるが、さすが族長の娘というだけあり、随分大人びて凛とした雰囲気を持っていた。
美しい金の髪はサラサラと彼女の腰まで伸び、動作も上品なものであるが、貴族であるクリスとは違い、エルフの族長の娘としての立ち振る舞いである。
そう、その丁寧さや上品さの中には一歩たりとも引けない、引いてはならない、間違えてはならないという確固たる覚悟があった。
「俺は光輝!里の周りの魔法をいじったのは俺ね!いや~、さすがエルフってだけあって高度な技術使ってるねー。」
エルフたちは「そんな中突き進んできたおまえに言われたくない。」という気持ちでいっぱいになったが、もちろん誰も口にはしない。
「志狼。」
やる気のなさが頂点くらいに達してる気がする。
「……りの……エルフの、結界…見にきた…」
エルシリアはりのに微笑む。
「先ほどの結界破りの腕前を見る限り既にかなり高度な結界を張れるのではありませんか?その上いったいなにを…」
エルシリアは笑みを浮かべたままそう尋ねる。
ここでりのにいつものスイッチが入った。
「私の結界じゃ足りない。魔王や志狼ならあっさり破れる。」
このセリフにさすがに彼女も目を見開いた。
気を張っていた彼女であったが、驚きを隠し切れなかったようだ。
なにせりのの表情からその真剣さを読み取ってしまったからである。
「魔王…ですか?そんな者を相手取るつもりで…?」
エルシリアの困惑気味な疑問に応えたのは志狼である。
「もう喧嘩は売ってある。」
それにはさすがに周りも騒めき始めた。
エルシリアも更に目を見開いた。
誰もがあり得ないと思った。なにせ魔王だ。魔族は破壊に特化しているし、その王はその中でも別格である。
そんな彼らの表情を見て、光輝は笑って補足する。
「あははは、まぁ、四天王はもう一人ぶっ倒したからね~!」
周りの騒めきは更に大きなものとなった。
「嘘だろ?」「あり得ない」「でも、ここの結界を破れるのなら…」「はったりだ!」
そんな声が騒めく中彼女の心にも抑え切れない騒めきが生まれた。
「……っ、そ、そもそも魔王を防げる結界なんて本当に存在するのですか…?」
エルシリアは困惑気に、しかし、決して声を荒げることなく尋ねる。
彼女の質問にりのは冷静に答える。
「存在しない。でも、作ればいい。」
「作る!?結界をですか…!?」
驚く彼女の目の前でりのは魔法ペンを使ってサラサラと魔法陣を書き始めた。
これには全ての者が息を飲んで言葉も出ない。魔法陣を描いているのだから当然のことだ。
「私の今の知識じゃ作れるのはここまで。この程度。」
りのが"この程度"と表現した魔法陣は人間の荒削りな魔法陣をもっとずっと洗練されたものに変えたものだった。
老若男女問わずにエルフである彼らにはそれが一目でわかった。
「志狼、お願い。」
誰も言葉を発せない中、りのの声がポツリと響く。
それを聞いて志狼は魔法陣に向かって手を振りかざす。
エルフたちが志狼の行動に疑問を抱くより早く志狼はその拳を振り下ろした。
「なっ…!?」
バリンとまるで極薄のガラスのようにりのの描いた結界は破れる。
そんな光景に驚きを隠せないエルフたちであった。
「嘘でしょ…!あんな高度な魔法陣を手で書いたのみならず、それを素手で割ったなんて……!」
さすがのエルシリアも驚きを隠せないで本心のままに小さな声で叫ぶ。
「私の今の結界じゃ志狼に歯も立たない。だから、ここに来た。」
エルフにはりのも志狼も魔法なんて使っていないことがすぐにわかった。彼女たちはエルフなのだ。りのが魔法陣を描くときに何か仕掛けをしたり、志狼が身体強化や何か他の小細工をしたりすればすぐにわかる。しかし、魔力の気配などこれっぽっちもしなかった。
つまり、りのは本当にただの魔法ペンで魔法陣を描いたし、志狼は本当に素手で結界を破壊したことに瞬時に気がついた。
エルシリアは"滅ぼすつもりはない"という彼らの言葉にようやく現実味を感じ始めた。
その言葉は"滅せる"前提で言われたものだとはすぐ気がついた。
たった3人で里全員のエルフを相手取れると。そう言われているのだと。
しかし、確信には至らなかった。りのの魔法陣に対する造詣の深さ、光輝の魔法に対する並々ならない器用さは彼らが里に入る前からわかってはいたが、まさかのここまで人間の域を超えているとは思わなかったのである。
しかし、ここであやふやな警戒心が確信に変わった。彼らは確実にこの里を滅ぼせるほどの力を持っている。
それと同時に先ほどから抑えるのが困難になりつつある自分の中の“もう一つの感情”が徐々に強くなるのを彼女は感じ取っていた。ああ、心臓の音がうるさい。
「私たちのできる範囲でしたら、いくらでも知識を提供いたします。こちらへどうぞ。」
エルシリアは先ほどの取り乱した態度からまた元の冷静な姿勢に戻った。
そして、綺麗な笑顔を作り、平静を装った声音で彼らに声をかける。
彼女は何の迷いもなく、彼らに知識を提供すべく、族長の家へと案内しようとした。
「エル!おまえっ…!」
先ほどの若者は何か言いたげで彼女を呼び止めたが、結局言葉が見つからず目を逸らした。
彼にはわかっていた。いや、ほとんどの里の者はそのことに気がついていた。
エルシリアはいずれ訪れるエルフ全体の危機より、この里の安全を、今この里にいる者たちの命を選んだんだと。
結界、つまりエルフを守護している魔法のことを外部に伝えれば、エルフの秘術が漏れる。そうすれば、いずれエルフの結界を破る術を見出し、エルフの里を攻め滅ぼそうとする者も現れるだろう。
それはすなわち全てのエルフの隠れ里の危機である。
しかし、エルシリアは今、この瞬間、ここにいる者の命を選んだのだ。本来なら許されることではない。
そんな彼女の選択が正しいのかはまだ誰にもわからない。
しかし、そんな彼女の選択を否定できる者などいなかった。
族長の娘としてこの選択をした彼女を。




